「はあ。まあ、いいけどね。さて、僕も味を見てみるかな」
僕も、自分のフォークに手を伸ばそうとする。
しかし、すかさずリュスの細い指先が止めた。
「お待ちください、アスタ様はお身体がまだ不自由なのですから。……わたくしが、お口まで運びます」
「ちょっと待ってくれ、右手は動くんだから。自分で食べられるよ」
「……よろしいですね?」
強く、念押しされる。
拒絶を許さぬ、問答無用の眼差し。
拒否権がないことを悟り、僕は観念して頷いた。
「いい子ですね」
「……子供扱いするなってば」
差し出されたフォーク、先端に刺さった肉。
雛鳥に餌をやるような、あまりに距離感の近いそれ。
あんぐり。
僕は、致し方なく。
本当に致し方なく、口を思い切りあける。
――旨い。
獣脂の甘みの向こうに、確かに広がる鹿肉の滋味。
かつて、リュスのために必死に考えた“食えるもの”。
当時の僕にとっての、唯一の正解。
「どうですか?」
「旨いと思うよ……けど」
「けど?」
「女性へのプレゼントとしては、我ながらどうかと思った。反省してる」
「……アスタ様は、本当になにもわかっておられませんね」
リュスは、昏く濁った瞳のままで。
ゆっくりと、もう一切れ。
愛おしそうに口にしていく。
その仕草の端々に、蠱惑的な艶めかしさが宿っているように感じて。
僕は思わず、息を呑んだ。
「ねえ、アスタ様……」
「なんだ、リュス」
リュスが、そのまま手を握ってきた。
ひんやり冷たい掌。
でも、伝わってくる鼓動は、力強く脈打っている。
「戦いが終わりましたね」
「うん」
「……商談も、無事に」
「そう、だな」
「ですから、今夜こそ……あなた様の秘密を教えて下さるのでしょう?」
くすんだ
沸きあがる感情は、期待か。
それとも畏怖か。
そう、僕はたまに――。
「僕は、たまに――君が怖くなる」
「わたくしが、ですか?」
「うん、たまにね……」
僕は知っている。
自分が、決して真っ当な人間ではない。
大きく間違った道を歩んで来たのだ、ということを。
だから常に……胸にこびりつくような罪悪感があった。
彼女と共に過ごせば、過ごすほどに。
醜い自分を見せつけられる。
(きっと……こんな幸福な時間は、二度と来ないな)
もし、この世界が正しく機能しているのなら。
僕は、ここで裁きを受けるべきだ。
他ならぬ、彼女によって。
醜さを隠して、噛みしめる幸せの味は――いつも、腐った味がする。
「僕が、伝えなきゃならない秘密ってのは……僕が貴女を。2年前に、公爵令嬢リュシエンヌを救おうとしなかった理由なんだ」
ついに、僕は切り出した。
もう一つの約束を、果たすために。
抱えている秘密、大きな罪を……告白するために。
「え? ……それこそが、あなた様の抱える“大きな罪”のお話なのですか?」
「そうだ」
「……それは罪ではありませんよ? そもそも、あなた様には、縁もゆかりもない女を救う理由などなかったのですから」
リュスは、ふいと目を逸らした。
彼女もまた、折り合いをつけられない感情を抱えているのだろう。
「アスタ様は、お優しい方ですね。自らに責任がない事柄を、気を病んでいらっしゃいます」
「……助ける義理がないからと、誰かを見捨てていいはずがないだろ」
「ですが、あなた様はヤバマーズ男爵家の嫡男です。領地や民をこそ守る責任がありました。……わたくしを哀れに思ったとしても、立場がおありだったのですよ」
「立場、ね」
「はい。この地に来てわかったのです、あなた様は故郷を愛しておられて――」
「いや、違う」
僕は言い被せて、否定した。
そんな綺麗な話では、まったくない。
リュスが見てきたのは、今の僕。
家督を継いで、必死に足掻く姿だけ。
「2年前のあの日、僕が貴方を助けようとしなかったのは……決して、領民を守るなんていう高尚な理由なんかじゃなかったんだ」
ヤバマーズ男爵家が、今度こそ潰されるかもしれないとか。
領民たちが路頭に迷うとか。
正直、あの時の僕には本当はどうでもよかった。
だって――。
「僕は、ヤバマーズが大っ嫌いだったから」
屋敷も、領地も、民も……なにもかも。
すべてがなくなってしまえばいいと、本気で思っていたあの頃。
『領地を守る責任』は、僕にとって……言い訳に過ぎなかった。
「うちの一族はさ、わかるだろ? すごい卑怯なんだ。ヤバマーズの領民たちと根っこがまったく同じでね。……僕も、そうだったんだ」
聖騎士ロダンは、僕のことを“他の辺境貴族とは性根が違う”と言ったが。
まったくそんなことはない。
同じだ、どこまで行っても……ろくでもない。
リュスが痛まし気に、美しい眉をひそめる。
「卑怯だなんて。そのように、ご自身を貶めるようなことは……」
「いいや、貴女だって本当は見てきたはずだよ。ヤバマーズの人間がどれほど閉鎖的で、汚いことに手を染める人たちかってことを」
だいたい、リュスが
最初に、対処せざるを得なかった仕事は何だっただろうか?
――在庫の棚卸し、だ。
物が勝手に無くならないように、監視を強める。
身内であるはずの使用人たちによる、日常的な盗みへの対策だったじゃないか。
リュスは本当はよく理解しているはずだ。
なのに、なぜか今……彼女はヤバマーズなんかの擁護に回っている。
その理由が、僕にはわからない。
「生きるのに一生懸命で、逞しい人たちですよ。そう、表現も出来るのではないでしょうか?」
「逞しい、そう思うこともある。でも――異なる時間軸では、どうだったんだ?」
僕は指摘した。
以前、リュス自身が告白してくれた真実を。
「きっと、ちょっとしたすれ違いだったんだろう。……でも、僕の民は、貴女に刃すら向けたはずだ。違うか?」
「そ、それは……」
そこで起きた惨劇を……僕は、あえて深堀りしようとは思えないけれど。
「生きるために、仕方なく悪いことをするならわかるよ。でも、ヤバマーズの人々はそうじゃない」
それは、僕らを美化しすぎている。
生きるのに必死だから、倫理を捨ててるわけじゃない。
……美しく生きようとする魂が、そもそも備わってないんだ。
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