ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第125話 幸せは、いつも腐った罪の味がする。失格なのはどっちだ?(前半)

「はあ。まあ、いいけどね。さて、僕も味を見てみるかな」

 

 僕も、自分のフォークに手を伸ばそうとする。

 しかし、すかさずリュスの細い指先が止めた。

 

「お待ちください、アスタ様はお身体がまだ不自由なのですから。……わたくしが、お口まで運びます」

「ちょっと待ってくれ、右手は動くんだから。自分で食べられるよ」

「……よろしいですね?」

 

 強く、念押しされる。

 拒絶を許さぬ、問答無用の眼差し。

 

 拒否権がないことを悟り、僕は観念して頷いた。

 

「いい子ですね」

「……子供扱いするなってば」

 

 差し出されたフォーク、先端に刺さった肉。

 雛鳥に餌をやるような、あまりに距離感の近いそれ。

 

 あんぐり。

 

 僕は、致し方なく。

 本当に致し方なく、口を思い切りあける。

 

 ――旨い。

 

 獣脂の甘みの向こうに、確かに広がる鹿肉の滋味。

 

 かつて、リュスのために必死に考えた“食えるもの”。

 当時の僕にとっての、唯一の正解。

 

「どうですか?」

「旨いと思うよ……けど」

「けど?」

「女性へのプレゼントとしては、我ながらどうかと思った。反省してる」

「……アスタ様は、本当になにもわかっておられませんね」

 

 リュスは、昏く濁った瞳のままで。

 

 ゆっくりと、もう一切れ。

 愛おしそうに口にしていく。

 

 その仕草の端々に、蠱惑的な艶めかしさが宿っているように感じて。

 

 僕は思わず、息を呑んだ。

 

「ねえ、アスタ様……」

「なんだ、リュス」

 

 リュスが、そのまま手を握ってきた。

 

 ひんやり冷たい掌。

 でも、伝わってくる鼓動は、力強く脈打っている。

 

「戦いが終わりましたね」

「うん」

「……商談も、無事に」

「そう、だな」

「ですから、今夜こそ……あなた様の秘密を教えて下さるのでしょう?」

 

 くすんだ暗渠(あんきょ)の瞳が、縋るように覗き込んでくる。

 

 沸きあがる感情は、期待か。

 それとも畏怖か。

 

 そう、僕はたまに――。

 

「僕は、たまに――君が怖くなる」

「わたくしが、ですか?」

「うん、たまにね……」

 

 僕は知っている。

 

 自分が、決して真っ当な人間ではない。

 大きく間違った道を歩んで来たのだ、ということを。

 

 だから常に……胸にこびりつくような罪悪感があった。

 

 彼女と共に過ごせば、過ごすほどに。

 醜い自分を見せつけられる。

 

(きっと……こんな幸福な時間は、二度と来ないな)

 

 もし、この世界が正しく機能しているのなら。

 僕は、ここで裁きを受けるべきだ。

 

 他ならぬ、彼女によって。

 

 醜さを隠して、噛みしめる幸せの味は――いつも、腐った味がする。

 

「僕が、伝えなきゃならない秘密ってのは……僕が貴女を。2年前に、公爵令嬢リュシエンヌを救おうとしなかった理由なんだ」

 

 ついに、僕は切り出した。

 

 もう一つの約束を、果たすために。

 抱えている秘密、大きな罪を……告白するために。

 

「え? ……それこそが、あなた様の抱える“大きな罪”のお話なのですか?」

「そうだ」

「……それは罪ではありませんよ? そもそも、あなた様には、縁もゆかりもない女を救う理由などなかったのですから」

 

 リュスは、ふいと目を逸らした。

 彼女もまた、折り合いをつけられない感情を抱えているのだろう。

 

「アスタ様は、お優しい方ですね。自らに責任がない事柄を、気を病んでいらっしゃいます」

「……助ける義理がないからと、誰かを見捨てていいはずがないだろ」

「ですが、あなた様はヤバマーズ男爵家の嫡男です。領地や民をこそ守る責任がありました。……わたくしを哀れに思ったとしても、立場がおありだったのですよ」

「立場、ね」

「はい。この地に来てわかったのです、あなた様は故郷を愛しておられて――」

「いや、違う」

 

 僕は言い被せて、否定した。

 そんな綺麗な話では、まったくない。

 

 リュスが見てきたのは、今の僕。

 家督を継いで、必死に足掻く姿だけ。

 

「2年前のあの日、僕が貴方を助けようとしなかったのは……決して、領民を守るなんていう高尚な理由なんかじゃなかったんだ」

 

 ヤバマーズ男爵家が、今度こそ潰されるかもしれないとか。

 領民たちが路頭に迷うとか。

 

 正直、あの時の僕には本当はどうでもよかった。

 

 だって――。

 

「僕は、ヤバマーズが大っ嫌いだったから」

 

 屋敷も、領地も、民も……なにもかも。

 すべてがなくなってしまえばいいと、本気で思っていたあの頃。

 

 『領地を守る責任』は、僕にとって……言い訳に過ぎなかった。

 

「うちの一族はさ、わかるだろ? すごい卑怯なんだ。ヤバマーズの領民たちと根っこがまったく同じでね。……僕も、そうだったんだ」

 

 聖騎士ロダンは、僕のことを“他の辺境貴族とは性根が違う”と言ったが。

 

 まったくそんなことはない。

 同じだ、どこまで行っても……ろくでもない。

 

 リュスが痛まし気に、美しい眉をひそめる。

 

「卑怯だなんて。そのように、ご自身を貶めるようなことは……」

「いいや、貴女だって本当は見てきたはずだよ。ヤバマーズの人間がどれほど閉鎖的で、汚いことに手を染める人たちかってことを」

 

 だいたい、リュスが女執政代行(グヴェルナント)として着任した時。

 最初に、対処せざるを得なかった仕事は何だっただろうか?

 

 ――在庫の棚卸し、だ。

 

 物が勝手に無くならないように、監視を強める。

 身内であるはずの使用人たちによる、日常的な盗みへの対策だったじゃないか。

 

 リュスは本当はよく理解しているはずだ。

 なのに、なぜか今……彼女はヤバマーズなんかの擁護に回っている。

 

 その理由が、僕にはわからない。

 

「生きるのに一生懸命で、逞しい人たちですよ。そう、表現も出来るのではないでしょうか?」

「逞しい、そう思うこともある。でも――異なる時間軸では、どうだったんだ?」

 

 僕は指摘した。

 以前、リュス自身が告白してくれた真実を。

 

「きっと、ちょっとしたすれ違いだったんだろう。……でも、僕の民は、貴女に刃すら向けたはずだ。違うか?」

「そ、それは……」

 

 そこで起きた惨劇を……僕は、あえて深堀りしようとは思えないけれど。

 

「生きるために、仕方なく悪いことをするならわかるよ。でも、ヤバマーズの人々はそうじゃない」

 

 それは、僕らを美化しすぎている。

 生きるのに必死だから、倫理を捨ててるわけじゃない。

 

 ……美しく生きようとする魂が、そもそも備わってないんだ。




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