きっと、こういう瞬間のことを指すのだろうな。
勝手に、熱いものが頬を伝い。
「思えば、わたくし。あなた様には泣き顔を見られてばかりでしたね」
鼓膜を揺らすのは、優しくて……どこか切なげな声。
そっと柔らかな温もりに、抱きしめられてしまえば。
ああ、もうダメだ。
いつも必死に保ってきた強がりなど、ひとかけらも発揮なんかできやしない。
「たまには……逆の立場でも、良いのではないのですか? いつも強くあろうとされて……わたくしに、弱みなど見せてはくださらないのですから」
僕は、リュスの胸に顔を埋めて。
幼子のように、ぐずぐずに泣いてしまった。
……いや、うん。
で、ひとしきり泣いて、ようやく我に返ったわけなのだが。
今、めちゃくちゃ恥ずいっ!!
「……あー、その」
頭が痛くなるくらいに泣いてしまった。
顔がっ、顔が熱いっ!
十九歳の男が、一丁前に領主なんて肩書がある者が。
憧れの女性の胸に飛び込み、ここまでボロボロに泣き崩れるなんてっ!
僕は、抱きしめる細腕からのろのろと這い出す。
「あら?」
「……いや、すまん。取り乱した。その、服も、汚れたな」
ぶっきらぼうに謝ってしまった。
するとリュスは、くすりと小さく笑う。
優雅な手つきで、乱れた服を整えながら。
「わたくしの方が、取り乱していることが多かったでしょうに。ですが、アスタ様が取り乱している姿など、あまり記憶にありませんね」
「いや、それはっ!」
僕も内心では、いつも取り乱してるんだけどな。
見せないようにしてるだけで。
「リュスは、抱えている問題が大きすぎるんだから。……仕方ないだろ。頑張ってる証拠だ」
「大変、寛大でいらっしゃいますね。しかし、アスタ様も大きな問題を抱えていらっしゃるのでは?」
「僕が?」
「ふふっ。まさか領地と民を守る責務が、小さな問題だと仰いますか?」
「いや……それは、だな」
的確すぎる反論。
しかも、あまりに泣きすぎたせいで鼻声もひどくて、格好もつかん。
「ほら、お飲みください。それほど水分を外に出されては、干からびてしまいますよ」
リュスは水差しから、グラスに水を注いでくれた。
「……あのなあ。そんな風に微笑ましそうに僕を見るな。さっき口にしたのは、言い訳だぞ。それも、今さらどうにもならないような、みっともない言い訳だ」
「まあ! みっともない言い訳と仰いますか」
「そうだ。……僕が結局、なにもしなかったことに変わりはないんだからな」
「うーん、アスタ様は本当に困った御方ですね」
呆れたような声色。
「あのですね、アスタ様。確かに、誰かがあの時……手を差し伸べて下さっていたら。そう考えてしまう気持ちも、もちろんありますよ」
「――ッ!? ……そう、だよな」
チクリと胸が痛む。
「ふふ、人の気持ちというのは、本当に複雑ですね。……愛や憎しみ、歓びと悲しみは意外にも皆仲が良いものです」
困ったように、リュスは微笑んだ。
「わたくしも……あの日、王都を追われる馬車の中で、ずっと泣いていました。誰にも届かぬ声で」
だけど、リュスは僕を慰めるように口にする。
「でも、信じた人たちが手を差し伸べてくれなかった恨みよりも。誰かに救われたいと願うよりも。ただ……なにかに許されたくて……そうしていたように思います。……ふふ、わたくしも上手く言葉に出来ませんが」
「……リュス」
「そうですね。……あえて言うなら、『寂しい』が一番近かったやもしれませんね」
遠い目をする、リュス。
眩い金髪から、鈍重な黒髪に染められて。
外見も取り巻く環境も、あの日からすっかり変わり果ててしまっているのに。
どうしてだろう、時間を巻き戻して話せているような。
不思議な錯覚を覚えた。
人生に、もしも、なんてないのにな。
「ですが、いざこうしてお話してみるとですよ?」
「うん」
「“立場があったから、なにもできなかった”などと、もっともらしい理屈を並べられるより……今さらどうにもならないような言い訳をして下さった方が……ずっと嬉しく思うようです」
「ん……? ええっ?」
なんでそうなるんだ?
そんな無責任な言い訳されたら、むしろ腹が立つだろ。
「……よくわかんないな」
「そうなのでしょうね、アスタ様には」
腫れ上がった僕の目元を、細い指先がそっとなぞってきた。
愛おしむように。
「ちょっ、くすぐったいって!」
「一つ、お聞きしても?」
「なんだよ。……今さら隠すこともない、好きに聞けよ」
「ならば、遠慮なく」
色濃く、妖艶に、僕の心を覗き込んでくる。
「わたくしが王都を去ってから……ずっと思い悩んでおられましたか?」
「……ああ」
「どれくらい?」
「毎日だよ。……君を忘れた日なんて、一日たりともなかった」
「二年間も、ですか?」
「二年間も、だ」
「そう、ですか」
ランプの揺れる灯火だけが、僕たちの歪な慰め合いを見守っている。
橙の灯りに照らされた、その頬に。
そこに咲いた儚げな微笑みに、僕は見惚れた。
「やはり……わたくしは失格ですね」
ぽつり。
強く噛みしめるように、リュスはそう呟いた。
……いや、だから。なにがどう失格なんだよ?
***
日付が変わって。
僕はこれまでの遅れを取り戻すように、政務に精を出すようになった。
たくさんのことが変わっていく。
「男爵閣下。こちらの書類を確認いただいてよろしいですか」
「おー、ヘイホー。コツコツした事務仕事苦手だから、めっちゃ助かるよ!」
「……今までどうしてたんですかね?」
書類を持って来た、ヘイホーに呆れられた。
「にしても、利き手は怪我してなくて良かったよなあ。椅子に座って仕事する分には問題ないし」
「仕事に支障ないなら良かった、じゃないんですよねぇ(クソデカ溜息)」
まず、その変化の第一弾として。
なんと、あの
「旦那様、あっしらを雇って下せえっ!」
「はあ?」
「いやね。危険な森を歩いて、宛てもなく狩りなんかに精を出すよりも、屋敷で通る奴らにガン飛ばしてる方がよっぽど楽でいいじゃございやせんか」
「お前らなあ……」
僕は盛大に呆れた。
しかし、リーダー格の眼帯を付けた
まあ、これまでの戦いの怪我とかで、前線に立つのが厳しくなった奴なら、救済措置で面倒見てやるべきかな、とは思うけれどさぁ。
こいつら包帯巻いてても、僕より元気そうな奴がほとんどじゃん?
「お前たち、もう森に入りたくないのか? でも、仮に雇ったところで、どうせ魔物の駆除はやらないといけないぞ。ヤバマーズ男爵家の責務だからな」
前は、僕が率先やっていた仕事。
こればかりは、領民を守るためにも継続せねばならない。
ましてや、今は
「そいつはつまり、あれですかい?
「あー。……いや、専任とかじゃなくて、衛兵やら従者やらも兼任してもらうとは思うけどさぁ」
だって、万年、人手不足だもんな。
専任業務させられるほど、僕はリッチじゃねえよ。
「だいたいなぁ、前にくれてやった魔物の買い取り権はどうするつもりだ? 上限があるとはいえ、今だって成果給は払ってんだろ」
「まあ、それはそれじゃねえですか」
「はあ?」
「そいつは、あっしらの特権として残してくだせえよ(グッ!)」
めちゃくちゃいい笑顔で、親指を立てる
「グッ、じゃねえんだよ! がめつい奴らだな!? 雇われになりたいなら、さすがに特権を手離す覚悟で来いよ!」
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