「アスタ先輩~。いい加減、論文まとめないと教授に叱られるっすよ!?」
ジルの切迫した叫びが、埃っぽい書庫に響き渡った。
「今、領地改革で忙しいんだがなぁ……。これ、僕もやらないとダメか?」
「当たり前っす、月初には出さないとアウトっすからね! 超急ぎっすよ」
「そんなん、もうすぐじゃん。勘弁してくれよ……」
そんなこんなで。
資料が高く積まれた書庫に籠り、オノレと頑張っているけど。
まぁまぁまぁ。
教授から指摘された修正部分は、気の遠くなるほどの量。
大半は、頭脳明晰なオノレに丸投げしても良さそうだけど……。
とはいえ、この研究を最初に始めたのは僕である。泣く泣く参加せざるを得ない。
「それにしてもさあ、“そんなマニアックな研究、誰も知らねえよ”みたいな化石論文までチェックしろって言われたけど。参考にしようにも、こんな田舎で文献が読めるわけなくない?」
「ああ、アスタ。それなら俺が手配してるから心配しないで」
オノレがこともなげに言う。
「取り寄せ? ……どこから?」
「俺の使い魔をフル稼働させてね、ちょちょいと」
「さすが、オノレ! すげえっ!」
こいつ、つくづく便利すぎる男だな。
優秀過ぎて僻むどころか、拝みたくなる。
「やっぱり
「まあ、そのスキルだけでも一生食べていける役職は付くからねえ。でも、大学や他家と円滑にやりとりするなら、
「そりゃ……そうか」
そう、優秀な
それはコネだった。
コミュ障は、魔術師界隈でもやっていけないのである。残酷だね。
なお、大学出身者の
まったく世の中、世知辛いよな。
大学専門職は、金が掛かる。
というわけで、ほぼ無料で過酷な労働に付き合ってくれるオノレには、マジで感謝。
「そういえば、アスタ。ラ・ボアジエ教授が王都に帰った時のことなんだけどさ」
「あっ、体調のせいで、見送り任せてごめんな。どうだった?」
「あのねぇ……実はさ、最後の最後にダメ出しされちゃったんだよ」
「はぁ、ダメ出し? ……なんか、あの偏屈爺さんの機嫌損ねちゃったか?」
「いや、機嫌はすこぶる良かったんだけどさ」
オノレはどこか苦笑交じり。
教授が去り際に、残したという伝言を口にした。
『一応、忠告めいたお節介を焼いておこうかね。大広間の
指摘されたのは、
――心臓がドキンと跳ねた。
そこには、資金難を隠ぺいするため。
ジルが銀食器に見せかけて、精巧に偽造したブツが混ざっていたが。
『アレは少しばかり目を凝らせば見抜ける、実に稚拙な代物だ。――次回からは、私の退屈しのぎになるような、マシな贋作を用意したまえよ』
つまり、どういうことだ。
僕らが「ふぅ、さすがはジルの神業職人技術。なんとか騙し通せたぜ!」と、胸を撫で下ろしていたハッタリは。
……実は、教授の寛大な慈悲によって見逃されていた?
「――って、なんで本職の大商人たちじゃなくて、畑違いのアンタが見抜いてんだよ! 教授ぅぅぅっ!??」
「まあ、そうなるよね」
「えっとさ。僕の記憶が確かなら、ラ・ボアジエ教授は滞在中、銀食器に興味を持っていたようには、まるで見えなかったんだが……?」
「いやね、俺もそう思っていたんだよ」
ろくに観察していた場面など、なかったように思う。
一体全体、いつ、どのタイミングで、どういう理屈で気付いたというのか。
オノレは教授の口調を真似るようにして、その驚愕の種明かしを続けた。
『識っているとは思うがね。銀という物質は、あらゆる金属のなかでも、極めて熱の移動を妨げぬ性質を持つ。つまりだ……熱の流れを視覚化出来る術師が、相応の知識と観察を用いれば、触れずとも偽りを見抜くことが出来るのだよ。さらに言えば、こっそりと微弱な熱線を当て、その波紋の如き拡散の速さを測るならば――より確実な答えが掌に落ちてくることだろう』
理解するまでに、時間が必要だった。
「はあっ!? 熱を視覚化して、銀の熱伝導率から鑑定!?」
「ああ、そう言われたんだよね」
「もう、人間業じゃないだろ、それ」
「……まったく。俺も言われた時は、耳を疑ったよ」
魔術によって、物質や成分の分析を補助する手法。
もちろん、そういった技術はある。
だが、眺めただけで成分を見抜くなどというオカルトじみた理屈が、この世に存在するわけがない。
魔術による鑑定とは、どこまでも厳密な魔導的アプローチ。
――つまるところ、観測データの収集と理論に基づく科学的推論によって成立する。
「実際、そんな方法で鑑定なんて……本当に出来んの?」
「いや、確かにね。……理論上は可能なんだけどさ」
「理論上は可能、ねえ」
それは凡人にとっての『無理』を形容する代名詞ってやつだ。
ジルは、うんざりした顔をした。
「要するに、そんな術者がゴロゴロいてたまるかって話なんすよ。うちの腕前の問題じゃないっす。……相手が悪すぎるっす」
完璧な仕事をしたと自負していた一品を、触れられもせず見抜かれた。
ジルとしては、職人としてのプライドをいたく傷つけられたらしい。
オノレも、その意見に深く頷く。
「熱を視覚化する技術自体はそりゃあるよ。そして、その道の専門家であるラ・ボアジエ教授に出来るのはなんら不思議じゃない。なにせ、炎蛇眼のゾルジュと呼ばれるほどの熱魔術の権威……
「あー、蛇は熱を感知する生物なんだっけ?」
「よく知ってるね」
「まあ、魔物の生態には詳しくてな」
「なるほど。だけど、実際には室温のムラはもちろん、床や壁、天井からの輻射熱。さらには表面の汚れまで、色んな環境条件がノイズになるんだ」
オノレに、小難しいことを言われた。
熱力学に関する専門用語らしいが……そんなポンポン言われてもな。
「あー……つまり?」
「熱伝導率の微妙な差を、その不安定な環境下で“眺めるだけ”で正しく識別するのは困難だってことさ」
結局のところ、導き出される結論はそれ。
「例えば、外部のノイズをシャットアウトできるような環境……どこかの工房に対象物を持ち帰っていいならまだわかるよ。でも、教授があれを見たのは出先なわけでしょ?」
「……出先だとそんなに難易度が変わるのか?」
「そりゃね。必要とされる知識量と観察力が桁違いになる。対象物の質量や形状、メッキの厚み。環境理解。その空間での、熱の逃げ方の違い。これらをすべて正しく補正して、判定しないといけないからね」
必要なのは、魔力の量などではない。
高度な計算能力……そして、この世界を構成する物質への深い理解。
「古来より、
「……なら、いつの間に気付かれたんだ? タイミングは?」
「最初に大広間に入った時か、あるいは――」
「あるいは?」
「俺たちがやった
「いやいやいや、待て! 教授は椅子に座ったままだったぞ!?」
まだ、僕が戦場に出かけていたさなかと言われた方が理解できる。
「いや、あの教授。……君が出て行った後も、のんびりお茶を飲んでいたからさ」
じゃあ、やっぱ人間を辞めているレベルの観察眼ってことじゃん!
「魔術の使えない素人は、よく勘違いするんだけど。……結局、鑑定魔術という技はさ。自分がなにかしら観測した物理情報を、脳という
「えっと……ポンと魔術を掛けたら、思考放棄したまま答えが出る……そんな都合のいい技術はないってことだな?」
「そう、凡人が同じことをしても、なにもわからない」
「……それで、赤点つけられてもなあ」
ちょっと理不尽すぎんだろ。
「ちなみに、熱を見る魔術への鑑定対策ってなんか出来んの?」
「不自然でない範囲では無理だね。対象に干渉してるんじゃなくて、自らの受動的なセンサー……術者の五感に作用させてるだけだもん。あ、いっそ教授に目つぶしでもする?」
「無茶言うなよ」
「だろ? ……もう言ってしまえば、教授自身が“歩く魔導学書”みたいなもの。さすがに俺にもお手上げさ」
恐らくだが。
ラ・ボアジエ教授は、僕たちが思っていた以上に……様々なことを見抜いていたのではないだろうか。
『世界は沈黙しているようでいて、雄弁に様々な事象を語り続けている。若き徒たちよ、ただ漫然と“見る”のではなく――その深きところ。真実の姿を“観察”したまえよ』
脳裏にリフレインする。
講義で賜った、威厳のあるセリフ。
背中にじっとりと冷や汗が流れるのを感じながら。
僕は深く、ため息をついた。
(ラ・ボアジエ教授が敵じゃなくて……本当に良かった)
さあ、教授にこれ以上呆れられないためにも、死に物狂いでこの山のような資料に向き合うとしよう。
幻滅されたら、さすがに困る。
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