オノレは薄汚れた難民に、眉をひそめる。
紡がれる声は冷たかった。
「アスタ。言うまでもないことだが……隣領の農奴を受け入れるなんて行為は、明確に『他領への政治干渉』だよ。下手すれば、戦争の火種だ」
オノレの指摘、これは正論。
波風を立てない方法は、今すぐ追い返すか。
逃亡農奴として捕まえて、ドラクロワ男爵に引き渡すか、だ。
一方のリュスは、静かな眼差しを向けて。
難民の人数を淡々と数え始めた。
その傍らでヘイホーは必死の形相、
「アスタ様、ご覧ください。身重のご婦人に、生まれたばかりの赤子もいるようです。……これほど衰弱し、怪我人を抱えた彼らでは、次の夜は越せないでしょう」
リュスの言葉。
これもまた、目を逸らせない真実。
「お願げえしますだ、お願げえしますだ! せめて、せめて子供たちだけでも、どうか助けてくださいまし……この子らには、何の罪もねぇですだっ!」
長老が土に額を擦りつけ、嗚咽を漏らす。
赤子の泣き声が曇天に響くが、疲れ果てた母親の目は虚ろ。
負傷した男たちは、肩を貸し合いながら絶望の味を噛みしめる。
「もし、見捨てれば――彼らは、間違いなく野垂れ死にするでしょう」
結局のところ、リュスは“救え”とも“救うな”とも口にしなかった。
ただ、事実として死の秒読みを宣告した。
ヘイホーは弾いていた手を止め、青ざめた唇を固く結んだ。
しかし、その表情が“無理です”と雄弁に語っている。
(わかってる、わかってるんだ。僕は……そんな御伽話に出てくるような立派な英雄じゃない。ヤバマーズだって、相変わらずクソみたいな不毛の地だし……余所者を受け入れる余裕なんてありゃしないんだ)
同情はする。
胸だって、キリリと痛むともさ。
だけど、余所者……ましてや敵対領民を養ってやる義理なんて、これっぽっちもあるわけがない。
もし、天秤に掛けろと言われたら。
ヤバマーズの領民と、目の前のこいつらなら……僕は迷わず、前者を選ぶ。
しかし、そんな渦中。
じっと見つめてくる力強い視線があった。
――聖騎士ロダン。
「な、なんだよ。……なにか不満でもあるってのかよ」
「いいや。吾輩は貴公の決断を待っている」
「なんだと? ……いや、どうせ『正義の意見』みたいのがあるんだろ。さっさと言えよ」
「なにもない、吾輩は剣を振ることしか知らん。統治に関してはまったくの素人だ。……専門家である、貴公の判断に従おう」
「……なんだって?」
「貴公がどんな非情な決断を下しても。それがヤバマーズのためだと言うならば、きっと誇りを汚すものではあるまい。なにを言っても従うぞ」
「いや……お前……っ!? なんでそこで、物分かりが良くなってんだよ!?」
ブスッと押し黙る、無骨な大男。
内心には不満も憤りもあるだろうが、それでも僕に従うと言った。
(そこはいつものように暴れてさ、“なにがなんでも民を助けろ、この外道が”とか言って。僕の胸倉を掴むところだろ? なんでそんな、じっと僕を見るんだよ……)
予想外の態度に、思わずたじろいでしまう。
いっそ殴ってくれたらよかった。居心地の悪さが、じわじわと蝕んでくる。
だが、聖騎士ロダンは口にした言葉を翻す男ではない。
(そんな風に言われても……僕は、断るしかないだろ?)
脳裏に、以前ロダンにぶつけられた言葉が蘇る。
『貴様らは、農民が汗水たらして育てた作物を食い荒らし、特権と言う名のブーツで人々を踏みにじる! では、己の罪を問われたらどうだ? そら見ろ、今度は決闘で善悪を煙に巻き、剣を振り回し暴れだす! 辺境貴族めっ……貴様らこそが、真の
ああ。本当に、その通りだよ。
せっかく芽生え始めたお前の信頼らしきもの、これに答えられる高潔さなんて僕にはないんだ。
(いや、だけどさ……)
諦めようとしたのに。
なのに、ふと。
余計な考えが頭をよぎってしまった。
(少なくとも、僕が知る限り……ヤバマーズの歴代当主は――)
ヤバマーズの歴代当主は、揃いも揃ってバカばっかりで。
クソみたいな土地で、クソみたいな生き方をしてきた一族だけど。
(でも、民だけを魔物に戦わせて、自分だけぬくぬく生き残るような……そんな腑抜けた当主ってのは……もしかして、一人もいなかったんじゃないか?)
いつだって自分なりに。
どんなに滑稽で、どうしようもない方法だったとしても。
彼らは問題に立ち向かって――派手にバカな死に方をしてきたのではなかったか。
『少しばかり毛色が違うらしい』
『そう、性根が……違うのだ』
反響するのは、やはりかつてのロダンの言葉。
さすがに、性根が綺麗と自惚れるつもりは毛頭ない。
けど、ヤバマーズは……ドラクロワ男爵領とはなにか違う、かもしれない。
(ああ、もう! ろくでもない一族だとは常々思っていたが。……確かに、毛色くらいは違っていたかもしれないな。ほんの、ほんのちょっとは、なにかマシな部分があるのかもな? でも、だからって……)
リュスもまた、じっと見る。
僕はその目が怖かった、が……。
「わたくしは、あなた様がどんな決断を下しても……どこまでも、お傍にいたいです」
そんな一言を聞いた途端。
あまりに情けなくて、いっそ笑ってしまった。
「そう、か。……どう足掻いても、幻滅してくれないのか」
僕はまた、逆転の芽すら模索しないで。
“仕方がなかったんだ”と言い訳しようとした。
(僕が、かつて犯した罪の重さを思えばこそ。大切な貴女が見ていてくれる目の前で……またもや、なにひとつ足掻かず。本当は伸ばしたい手を、易々と引っ込めることが許されるのか?)
いいや、否!
――断じて、否だっ!
「他人の不幸は、蜜の味。……なんて大昔に誰かが言ったらしいけどな。……っんなわけあるかッ! 面倒事の種だろ、バーカ! 誰かが不幸な目に遭ってたら、元が敵だろうが味方だろうが、胸糞悪くて悲しいに決まってんだろうがッ!」
「あ、アスタ様……?」
突如、豹変した僕の剣幕に。
仲間たちの誰もが、目をぱちくりとさせた。
「おい、僕より遥かに頭の良いみんな。一つ、大至急で計算してくれ。……その答えを聞いて、他でもない
僕はニヤリと、不敵に笑みを浮かべた。
「ドラクロワ男爵領の食料庫。そして金。……あいつ、今どれくらい貯め込んでると思う?」
いつも応援ありがとうございます!
「面白かった」「ここが意外だった」といった一言だけでも、作者は画面の前で飛び上がって喜びます。
作品のお気に入り登録や評価も、執筆のガソリンになりますので、ぜひよろしくお願いします!