ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第140話 とある王の不格好な歴史、その最初の嘘。あるいは僕の人生が逆転するきっかけ。

 夜の帳が下りた執務室。

 橙色のランプに照らされた机の上に、書状が広げられていた。

 

 そこには、七大神が一人。

 太陽の女神シャムスへ捧げられた誓いの祝詞が記されている。

 

 そして、間違いなく。

 末尾には、ドラクロワ男爵のサインもされていた。

 

「これでよし……。報復も異議申し立てもしないと、神の御前(おんまえ)に誓わせたわけだ」

 

 どんな貴族でも、七大神の名に掛けた誓いには背くことはできない。

 ……神は決して、容赦をしてくれないから。

 

「アスタ様。あまり根を詰めると、また目が冴えてしまいますよ?」

 

 涼やかな声。

 そこには、パリッと糊のきいた執事服を着こなしたリュス。

 

「また、って……」

「考え事に夢中になると眠れなくなる。それがあなた様の悪い癖ではありませんか」

「いや、まあ。……そうなんだけどさ」

 

 僕は言葉を濁した。

 思わず、目を逸らす。

 

「その……リュスこそ、まだ仕事か?」

「わたくしは、さきほどひと段落ついたところですよ。だから、ご様子を見に来たのです」

「そ、そうか」

 

 でも、もうっ!

 そんなことされると、違う意味で眠れなくなりそうだよね!?

 

 正直な話。メイド服で甘えてくるリュスも捨てがたいよ、そりゃ?

 

 でもさ、タイトな執事服に身を包んだ、凛々しくも美しい彼女の姿。

 これが、一番僕の心臓に悪い。

 

 捲り上げられた白いシャツ袖からのぞく手首。

 細いウエストを強調するベスト。

 しなやかなヒップライン。

 

 その隙のない機能美が……ヤバい。

 

(うん、直視できないほどに格好いいし、最高だ。絶対に口には出さないけど。……口にしたが最後、間違いなく変な奴だと思われる!)

 

 邪念よ、消えろ。去るのだ!

 

「えーと、難民の受け入れ状況はどうだ? やはり、揉めているか?」

「いいえ、驚くほどスムーズに進んでおりますよ。……ゲロハルトのおかげです」

「うちの爺がどうしたって?」

 

 リュスは歩み寄ると、柔らかな所作で書類の整理をし始めた。

 どうやら僕の仕事を、強引に切り上げさせようとしているらしい。

 

「あの方は、憤る領民たちを前に、こう説かれたのです。――我らが祖を忘れたか、と」

「ああ……そういう話、か」

 

 僕は、あるフレーズを口にする。

 

「我らが祖を想え。魔物の住まう森を切り開き、不毛の地を耕すしかなかった我らが祖を」

 

 すると、リュスは瞳を見開いた。

 

「……もしや、ヤバマーズ男爵家に伝わるお言葉でしたか」

「ああ。皆、毒気を抜かれたように大人しくなっただろ」

「はい」

「“我らは持たざる者として始まった”だ。僕も……父上に、耳にタコができるほど聞かされたのさ」

 

 曰く、この不毛の地を最初に切り拓いたのは、栄光ある英雄でも高潔な騎士でもなかったそうな。

 故郷を失い、どうにか生き延びるしかなかった――難民たちなのだ、と。

 

 でも、そんな惨めさが、いつしかヤバマーズの意地になり矜持となった。

 

「それを言われてしまえば……領民たちも“同じことをすれば認めてやる”くらいには、態度を軟化させざるを得ないよな」

「……」

 

『そんな領民たちに、一族は生かされてきたのだ』

 

 それが父の口癖だった。

 生かしてきたのではない、生かされてきたのだ、と。

 

 ――むぎゅ。

 

 唐突な感触に、思考が霧散した。

 

「リュ、リュス!?」

 

 なんと彼女は躊躇なく、僕の膝へと腰を下ろしてきたのだ。

 慌てる僕の首に腕を回し、リュスはくすくすと笑う。

 

「仕事中、仕事中だってば!?」

「いいではありませんか。……難しいお話は、もう終わりましたもの」

「そういう問題じゃなく……!?」

 

 僕の邪念がぁあああっ!?

 

「お父君のお話をされる時、アスタ様があまりに寂しそうだったもので、つい。……わたくし、我慢ができませんでした」

「そう、か。……そんな顔をしていたか」

 

 いつもと少しだけ違う、執事服の硬質な生地越しに伝わる体温。

 

「“なりふり構わず、君を頼りにしてしまう”のでしょう? アスタ様も、もっとわたくしに甘えて欲しいです」

「そんなの。……一度甘えたら、二度と立てなくなるんじゃないかって」

「その時は……わたくしが、あなた様を背負いますよ」

 

 今まさに、崩れてしまいそうになり……思わず、黙り込む。

 

 すると、光を失った暗渠(あんきょ)の瞳が、覗き込んできた。

 リュスは“僕の弱さ”を、至上の宝物であるかのように慈しむ。

 

「あなた様が日頃、どれほど心を砕かれているか。わたくしがよく知っています。……ですから少しだけでも、わたくしに甘えてくださいませんか?」

 

 絡みつく細い指先、首筋をなでる吐息。

 執事服のクールな外見と、向けられる熱い情愛のギャップ。

 

 僕の理性を、じわじわと削り取っていく。

 

「ねえ、アスタ様。お父君の教えがあったから、アスタ様は難民たちをお助けになったのですか?」

「……別に、それだけじゃないが」

「ならば、なぜお助けになったのです。利益のため? それとも同情したから?」

 

 リュスは僕の本質を、一滴も残さず飲み干そうとしてくる。

 

「……ただの腰抜けだったら、助けなかったかもな」

 

 人手が欲しかった、それもきちんとある。

 別に、慈善事業のつもりはない。

 

「領主に見捨てられたと彼らは思った……それでも、魔物に立ち向かって生きようとしたんだ。そんな奴らなら、この地でやっていけるかもしれないだろ」

「ですが彼らは失敗し、死にかけていましたよ」

「確かにな。でも、負けた人間に価値はないのか?」

 

 負けた人間は、劣ってる。神に選ばれなかった。

 僕は、そんな風に考えたくなかった。

 

「必死に頑張っても、上手くいかない時なんて誰にでもあるだろ」

「……頑張っても、上手くいかない時」

 

 突如、リュスは僕の肩へ、コテンと顎を預けた。

 

 彼女の黒髪が、僕の頬をくすぐる。

 ……耳元に吐息が当たり、切なげな声が響いた。

 

「お優しいですね、アスタ様は」

「そんなことは――」

「また、わたくしに気を遣っていらっしゃるのでしょう?」

 

 見抜かれた。

 僕があえて触れたくなかったこと。

 

 そう、僕はどこかで、難民たちとリュスの境遇を重ね合わせている。

 

 負けた人間が、愚かで間違った存在であるという理屈(レトリック)が正しければ。

 政治に敗れ、追放された“公爵令嬢リュシエンヌ”は救う価値のない人だったということになる。

 絶対に、そんなことは認められない。

 

「その、優しくて甘いところ。……わたくし、ちょっとだけ“嫌”です」

「……ごめん」

 

 謝りながらも、僕はその細い腰に腕を回す。

 

「……でも、“嫌い”とは、申し上げておりませんよ」

 

 マダム・リュスとしての仮面は、とろりと溶けて崩れている。

 震える声が、あまりに愛おしかった。

 

 暫し、互いの温もりを感じ合った。

 

「……ヤバマーズの当主はどうだったのですか?」

「ん? どういう意味だ?」

「ヤバマーズ家のルーツです。まさか、居場所を失った難民ではないのでしょう?」

 

 問われた僕は、椅子に深く背をもたれる。

 

「初代はな……王様とカードで賭けをしたんだよ」

「賭け、ですか?」

「ああ。そこで、あろうことかイカサマをしようとしてバレて……その罰に、こんな不毛の地を押し付けられた。そんなペテン子爵だよ。ヤバマーズらしい、バカな始まり方だと思うだろ?」

「……王とカードを」

 

 リュスは、急に身体を離す。

 

 引っかかりを覚えたように、目を細めた。

 

「アスタ様……焔王国(フラム)の王と一介の子爵がカードに興じていた、と仰るのですか? 二人きりで?」

「え? あ、ああ……そう伝わっているが」

「それは――ずいぶんと仲がよろしかったのですね」

 

 リュスの言葉に、僕は虚を突かれた。

 初代と、当時の王の関係性?

 

「そう、なのかな。……どうだったんだろ」

「王はイカサマを見逃さず、けれど無礼だと首を刎ねるわけでなく……魔物を封じる任地に『抜擢(ばってき)』されたのですね」

「まあ、そうだな。でも、損な命令だろ?」

「……確かに過酷な任地ではありますが、所領と使命を与えられたことに変わりはないのではありませんか? そのような訳ありの領民たちを束ね、“魔物から王家を守れ”と」

 

 言われてみれば、変な話なのかな。

 そんな考え方、一度もしたことがなかった。

 

 ヤバマーズの系譜、不運の始まりでしかないと思っていたから。

 

 すっかり、キリリとした表情に戻ったリュス。

 彼女は僕の手をギュッと握り締めながら、切り出した。

 

「アスタ様。今すぐにとは参りませんが――」

「うん」

「ヤバマーズの歴史を、わたくしと一緒に紐解いていきませんか? 初代様が何を託されたのか。そして――サキオン様が、本当はどのような真実を背負っていたのかを」

 

 それが、僕の新たな物語の始まり。

 毒喰らい男爵としての……これまでの人生が、逆転するまでの。




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