ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第141話 こっわ~いお顔の王子様と、無垢なる銀髪乙女。明日の朝日は、いささか眩しすぎるでしょう?

『――ヤバマーズには手を出すな』

 

 シャルルは、思い出すたびに屈辱を噛みしめた。

 燃えるような赤髪を、乱暴に掻きむしる。

 

「あの、父上がわざわざ、私に釘を刺してくるとはな」

 

 脳裏から離れぬのは、父王アンリの峻烈(しゅんれつ)なる眼差し。

 

「父上め。二年前の大戦(おおいくさ)から、人前に出る機会すら減らしたくせに……ヤバマーズに一体何があると?」

 

 高く突き抜けるような青空とは裏腹に、胸の辺りからモヤモヤとどす黒いものがこみ上げる。

 

 理由は聞いても、答えてくれなかった。

 

『未だ王位に就かぬ者は、知らずともよい』

『ましてや、誰かを愛する心を知らぬお前には、とうてい聞かせられぬ』

 

 なにをバカげたことを。

 シャルルは、これまで甘やかされた記憶など一度もない。

 

 飢えも渇きも感じたことはないが。

 愛の暖かさなどという、そんな腑抜けた感情はもっと知らぬ。

 

「愛だと? そんなあやふやな情が、国家の天秤を左右するとでも言うのか! 笑顔も慈悲も優しさも、家臣と民に必要なだけ振舞えればそれでよかろう!」

 

 焔王国(フラム)を構成する歯車であれと、物心ついてからずっと完璧を求められ続けた。

 

 知性、礼節、自制心、名誉。

 一挙一動、あらゆる行動に意味を解釈される人生。わずかな失敗すら、汚点として教師や父から厳しく叱責される。

 

「だから、それに答えて来たまで。父上も老いたものだ、本当にくだらないことを言う。鋼のように揺るぎない理性、力の統治。――他に答えなどない!」

 

 達成の喜びすらも、ほとんど知らない。

 “出来て当然だ”と、言われてきたからだ。

 

 そして、シャルルも“その通りだ”と思っていた。

 

「戦乱で疲弊した焔王国(フラム)を、鋼の秩序で統治し、強国の立場を盤石なものとする。それが次代の王たる我が使命!」

 

 焔王国(フラム)は、勝者であり続けるべきだ。

 この世において、負けた者に価値などないのだから。

 

 ……だからこそ、アスタは排除すべきだった。

 未知の資源を、僻地の男爵家如きが握るべきではない。

 それは秩序を損なう。

 

 そこに言いにくそうに側近は、口にする。

 

「しかし、ですな……シャルル殿下」

「なんだ」

「ヤバマーズについて。まず大商人たちは、露骨に協力を渋るようになりました」

「“商売してはならぬ、などとは言われていない”だったか。……はあ、詭弁ではあるが筋としてはわかる」

「ですが、不敬です」

「不敬というより……商人どもは、小賢しいのだ。密命を命じた、とはこちらも言えぬ」

王立大学(アカデミア)の賢者たちもそうです。表向きは、恭しく頭を垂れますが――」

「その裏で、老獪にのらりくらりとかわし続ける」

「まさに、まさに。学術特権(アカデミック・フリーダム)なる建前を使って、です」

 

 シャルルはため息を吐く。

 

(前からそうなのだ、大学の学者というのは……あまりに偏屈が過ぎる)

 

 なにせ、シャルルの幼少期のこと。

 王城に、教授を講師として呼ぼうとしたら。

 

『教えを乞う者が自ら赴くのが、学問への礼儀です』

 

 このように返してきたのが、王立大学(アカデミア)の教授なのだ。

 学生でもないシャルルは教えを受けるため、わざわざ通学する羽目になった。

 

「煮ても焼いても食えぬとは、まさに学者たちのことを言う。実に、扱いづらい」

 

 貴族も商人も金と利益で動く。

 しかし、学者たちはもっと“よくわからぬもの”のために動くのだった。

 

 その、よくわからぬものの筆頭が、シャルルにとっては……アスタ・ド・ヤバマーズでもあるのだが。

 

「……ヤンすらも、あれを“不可解”と評したな」

 

 非正規部隊を率いる冷徹なプロフェッショナル、ヤン指揮官(コマンダン)

 彼の報告内容は、シャルルをチクリと刺した。

 

 それは散々、シャルルの策が下々の者を知らぬ在り様だったと指摘すると同時に――。

 

『ヤバマーズ(・・・)。あの地には軍神(マーズ)の名を冠するに相応しい執念がある。しかし、それだけではないのです、殿下』

『他に、なにがある?』

『奇妙なことが起きるのです、殿下』

『奇妙……?』

『あの男は、理屈では説明がつかぬ……そう、歯車が噛み合い過ぎるような。あるいは、狂ったように噛み損ねるような不可解さがございます』

 

 ――意味不明だった。

 

 ヤン指揮官(コマンダン)が残した、不気味な述懐。

 あの合理主義の塊のような男にさえ、“理屈では説明できぬ”と言わしめる異常性。

 

「……だが、結果がすべてだ。努力など、能力が足りない者の言い訳に過ぎないのだから」

 

 完璧であらねばならない。負けてはならない。

 なのに、なぜ自分は……あの生まれも育ちも足りぬ、“口先だけの男”に敗れ続けるのか。

 

(このままでは……私が国を傾けてしまう)

 

 その時、扉が静かに開いた。

 

「――お顔の色がよろしくないですね、シャルル殿下」

 

 シルクのように輝く真っ白な銀髪。

 そして、すべてを見透かすかのように透き通る青紫の瞳。

 

 現れたのは幻想的な少女。

 シャルルの婚約者、ブランシュ・ド・サンドリルズ。

 

 その手には……小さな手帳。

 

「ブランシュか。……済まない、考え事をしていた」

 

 シャルルは仮面を被り直し、穏やかな微笑みを作る。

 

「そうなんですか。とってもこっわ~いお顔をされてましたよ」

「おっと、それは恥ずかしい」

「なにを考えてらっしゃったのです?」

「……少々、政務が滞っていてね。たいしたことではないよ」

「へえ。さては、ヤバマーズのこと……でしょう?」

 

 言い当てられて、再びシャルルはため息を吐く。

 

 今さら驚かない。

 この娘が言い当てるのは、一度や二度ではないのだ。

 

「殿下、では私めはこれにて……」

「ああ、ご苦労だった」

 

 側近は、空気を読んで下がる。

 いつだってブランシュが来れば、それが優先された。

 

 ブランシュは、シャルル王太子にとって重要な共犯者だった。

 

「……ふふ。本当に、思い通りにいかないのは困りものですわね」

 

 ブランシュは無邪気に笑い、シャルルの傍へと歩み寄る。

 その足取りはどこまでも軽やか。

 

「そなたは……私をからかいに来たのか?」

「いいえ、まさか。それより、殿下。わたしの新しいドレスを褒めては下さらないの?」

「……ああ、とてもよく似合うとも。美しいドレスだな。だが、貴女の愛らしさにはさすがに霞むだろう」

「あら、嘘つきね」

 

 ブランシュは手のひらで、ふわりと口元を隠した。

 

「殿下は愛らしいものを、愛らしいと思う感性さえお持ちではありませんから」

「……それの何が悪い? そなたはそれをわかっていて、私に取引を持ちかけたのではなかったか」

「ええ、そうね。……そんなところが応援したくなってしまうの」

 

 銀髪の乙女は、向かいに座る。

 それから、優雅に頭を傾げた。

 

「ええ、あの地は本当におかしなことばかり。……アスタ男爵でしたかしら。そんな方に翻弄されるなんて、殿下がお労しいわ」

 

 そしてブランシュは、シャルルには決して届かぬように呟く。

 

「本当におかしいわ。――ヤバマーズは、もうとっくに滅びていた(・・・・・)はずなのに」

 

 ブランシュの青紫の瞳の奥で、冷たい光が揺れた。

 視線の先にはパラパラと……捲られる手帳。

 

 シャルルは気付かぬまま、目を伏せる。

 

「……ああ。だが、次はこうはいかない。必ず、あるべき秩序に引き戻してやる」

「ええ、もちろんです。きっと、貴方以外の誰にもできないはず」

「そうだ。……私にしか、出来ないことだ」

「そうですよ……そうでなければ、国が傾いてしまいますから」

 

 病的な完璧主義者とは。

 甘やかされた精神に、芽生えるものではない。

 

 不浄な現実から、歪なまでに隔離して。

 徹底的に“理想通りであれ”と、他人に抑圧され続ければ作ることが出来る。

 人間の心を知っていれば、そう理解できる。

 

「歪みは、いつか必ず正されますよ。……そう、たとえどれほど、あがいたとしても、ね……わたくしの勇敢な王子(おにんぎょう)様」

 

 それがわかるブランシュには、容易くシャルルを理解できる。

 だから、どうにでも転がせた。

 

 そうしてまた、小さく呟く。

 

「死すべき運命から零れ落ちた者たちに……明日の朝日は、いささか眩しすぎると思いますし」

 

 その声は、やはり誰にも届かなかった。




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