まず、調査対象としたのは、湖だ。
ただでさえ危険なこの森で、未知の深部に踏み込むよりは、多少はマシだと判断したのもある。
けれど、それ以上に。
もしも、湖を安全な領地として確保できれば、デカいと思った。
「ルートを確保できれば水源にもなる! その上、漁業だって始められるかもしれない! 僕らの食卓が一気に豊かになるぞ!」
僕が張り切ると、聖騎士ロダンが水を差した。
「……フン。どうせ、魔物の巣窟になっているのがオチではないか?」
「やめろよ! 本当にそんな気がしてくるだろ!」
けれど、実際問題。
そこが有用な場所かどうかは、見てみないとわからないものだ。
あれこれ検討するにも、判断材料が必要だった。
メンバーは、僕。
調査の主体であるロダンとリュス。
そして、森の歩き方を知り尽くした五名の
オノレはもちろん、ジルやヘイホーは置いてきた。
そもそも、アイツら戦闘員じゃないし。戦わせるのが勿体ない人材だし。
朽ち果てた古道を辿るように、歩き出す。
リュスが気遣わしげに、僕の足取りに目を向けた。
「アスタ様、あまりご無理はなさらないでくださいね。なにかあればすぐに仰ってください」
「わかっているよ、リュス。これでも慎重なのが売りなんでね」
「――え?」
「そんな困惑するような目で見るなよ?!」
「申し訳ございません。ただ、これまでのアスタ様の行動を振り返りますと、まったくそのようには思えなかったもので……」
まったくもう、失礼しちゃうなあ。
僕ほど臆病で慎重な男なんて、早々いないだろうが!(本気)
魔物を警戒しながら歩くにつれて、景色が表情を変える。
聳え立っていた木々は、徐々に背を低くし。
代わりに、青々とした葦の群生が目立ち始める。
乾いた土の匂いは消え、独特の水の腐った臭い。飛び交う羽虫。
「……湿地帯か。どうにも厄介であるな」
聖騎士ロダンが、鼻を鳴らした。重厚な大剣を握り直す。
「ああ。まともに道も整備されていないから、足を取られかねない。……この脚じゃ、ぬかるみは堪えるな」
「アスタ様、あれを! なにやら不自然な揺らぎが」
「おっ、みんな止まれ!」
腐り落ちた大木の残骸。
そこに、半透明のドロリとした塊が這い回っていた。
意識を集中するが、左手のウロコは反応しない。
「なんだ、スライムか。……“森の胃袋”がお出ましだな」
「森の胃袋、ですか?」
「こいつらは生態系における分解役でな。強力な消化液を分泌して、転がる死骸や腐った植物なんかを取り込み、消化して土に還すんだ」
「……不思議なものです。アスタ様にかかると、魔物の存在に崇高な意義があるように聞こえます」
「そう聞こえたなら、説明の甲斐があったよ」
プシュ、と不気味な音を立てて。
スライムが、枯れ枝をじわじわ包み込んでいく。
愛嬌とは程遠い。
まさに胃袋が露出したような、剥き出しの食欲。
でも僕は、意外とこいつらが好きだ。
「落ち葉でも枯草でも、なんでも呑み込んで分解してくれる。……ヤバマーズがゴミだらけにならないのは、間違いなく連中のおかげさ」
「……言われれば、なるほどと思いますが。やはり不気味な生き物ですね。意思があるようにも見えません」
「実際、ないのかもなあ。ただ、あるがままにそこに在り、流れくるものを喰らう。本当に、それだけなのかも」
「あるがままに、そこに在る……」
リュスはなにを思ったか、静かに反芻した。
一方、聖騎士ロダンは嫌悪感が強いようだ。
「吾輩は汚らわしいと思うがな。……まあ、役目があるのは貴公の話で理解した」
「そうかい。なら、あまり刺激はしないでやってくれ」
「だが、吾輩のブーツを溶かそうとするなら、容赦はせんぞ!」
「はは、それは気を付けろよ。こいつら、食い意地はってるからなあ」
僕たちはスライムを迂回し、さらに奥へと進む。
ふと、思い出したので注意する。
「あと、アレだ。頭上に注意しろ。たまに、スライムが降ってくることがある」
「バカ者! 先にそれを言わんかッ!?」
「化けナメクジとかもいるぞ。油断すると、ヒルが足元から這い上がる場合もあって――」
「やめんか、おぞましいっ!?」
「今、先に言えって言ったじゃん。だから、親切心で気を付けろって教えてあげただけなのに……」
「うるさい! 吾輩は、ヌメヌメした生き物は苦手なのだ!」
「知らねえよ、そんな弱点」
なにかとデリケートだな、この聖騎士様。
さらに歩くと、より水が支配する領域へと変わっていく。
周辺の水深も深まり、時折、大きな気泡が「ポコッ」と弾けた。
「おい、これが本当に道か?」
僕は思わず確認したが、
「昔は木造の橋やら柵やらが、あったのかもしれやせんがねぇ……。手入れ無しで放置されたなら、十年、二十年そこらで腐り落ちて、泥と見分けがつかなくなっちまいますよ」
「つまり?」
「痕跡を追って進むのも、ここらが限界ってことですわ」
なら、もはや引き返すべきか。
調査を打ち切るべきか、悩む。
目をやれば、浮かぶスイレン。ゆらゆら揺れる水草。
葉の影に時折、銀色が光る。小魚がひるがえったのだ。
さながら、水中にあるもう一つの森。
「……おい、待て。そこだ、調べろ」
「おや、何かありやしたかい、旦那様?」
先導する
――ガチリッ!
泥に隠れ潜んでいた、カメが噛み砕いた。
一歩間違えれば、人間の足首など噛み切られていただろう。
これはもう、天然の罠である。
「ヒェッ!? 泥水に潜むこれを見抜けるなんて、さすがは旦那様だ。恐れ入りやした!」
「いや、感心してる場合じゃねえよ。……これ、左手のウロコがなかったら判別つかんな」
ついでに、化けガエルの群れにも襲われ。
仲間たちの緊張感が、ピークに達した頃。
「――これは」
僕たちは、息を呑んで立ち尽くした。
とうとう、一気に開けた視界。
そこには波紋ひとつない水面が、鬱蒼とした景色を飲み込んでいた。
あまりにも巨大な鏡のように、天と地を上下反転させている。
「綺麗、ですね」
「ああ。嘘みたいに、な」
ヤバマーズの土地はどこもかしこも魔素の影響を受けている。
どこか、どんよりしているのが普通なくらいだ。
なのに、この湖だけは――ここだけ切り離されたかのように、あまりにも清浄に見えた。
「おい、見てくれよ!」
痛み始めた足を引きずって、水際へと歩み寄る。
「ここなら本当に、本格的な漁業ができるかもしれないぞ!」
「……貴公は、こんな絶景を前にしても食い気が来るのか。……だが、確かに。この水質なら水源としての価値もありそうだ」
「だろ? どんな魚がいるのかなあ。ざっと調べてみないと……うん?」
今、目の前の水面が、不自然に動いたような……?
いや、見間違いか。まさかな。
そう思ったのは、一瞬のこと。
「――おやおや、ずいぶんとみすぼらしい身なりの男ではないか。まさか、斯様なところまでピクニックに参った物好きかな」
不意に、鼓膜を震わせたのは――ひどく高慢ちきな男の声。
「――っ!? 誰だ!」
振り返った先、突き出した岩の上。
一人の青年が、ひどく退屈そうに腰を下ろしていた。
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