ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第148話 それとこれとは別。いや、マジでそういうのじゃないんで。

 さすがに、ヘイホーは気付くか。

 こいつは、王立大学(アカデミア)時代に姿を見たことがあるから。

 

 てか、懐かしいな……リュシエンヌの、そのいかつい異名。

 普通の令嬢につく、あま~い呼称じゃないもんなあ。

 

「……で、なぜそう思った?」

「前々から薄々と。ですが……オコトギ・マッケンジー氏をねじ伏せ、それから、ドラクロワ男爵を言い負かすあの姿……」

「面影があったか」

「はい。あの風格が、一介の聖職者にあるはずもありませんから」

 

 そうか、やはり隠しきれるものじゃなかったか。

 

 髪を黒く染め、瞳から光が失われ、どれほど粗末な衣を纏おうと。

 昏く淀んだ影が、落ちていたとしても。

 その高貴なる威光は、まごうことなき統治者のもの。

 

「気付いたなら仕方ない。だが、他言無用だ」

「では、やはりっ!?」

「ああ。……今、うちが抱えている秘密のなかでも最上級のものだ」

「まさか、ヤバマーズにおられたとは……しかし、なぜ祓魔女(エクソシスター)などに?」

「知らん、聖王教会の都合だろう。理由なんて僕が聞きたいくらいだ」

「……他に、どなたがこの事実を?」

「僕以外ではロダン、オノレ……それだけだ。ジルにもまだ話していない」

「……左様ですか。しかし、屋敷の者も、領民たちも……あの方がただ者ではないことだけは、肌身で感じておりますよ」

 

 ヘイホーの言葉に、苦笑するしかない。

 

 不毛の地に咲く、あまりに場違いな大輪の薔薇。

 それを無理やり、ヤバマーズの雑草のフリをさせる。まさに、僕の不手際だった。

 

「ま、そうだろうな。誰だって、おかしいと思うさ」

「しかし、まさか。男爵閣下が、あのリュシエンヌ様と恋仲だったとは……これは、内密にせねばなりませんね」

「――は? それは違う」

「えっ?」

 

 なにを言っているんだ、こいつ。

 

「えっ、じゃないよ。滅多なことを言うな、畏れ多いだろ」

「ですが……毎晩のように、マダム・リュスは閣下の部屋へとお渡りになっているではありませんか」

「いや、変なこととかしてないから!?」

「屋敷の使用人の間では、あの方は閣下の愛人(メトレス)なのだと、もっぱらの噂ですよ?」

「いや、それは誤解なんだって!」

 

 お渡り。

 つまり、リュスが“夜伽を務めてるのではないか”と指摘されているってわけ。

 

 確かに、ハグはしているよ。密着もむぎゅむぎゅしてる。

 でも、そうじゃないんだ。

 

(世間から見たら、十分アウトかも知んないけどさぁっ! それでも、キスすらないからね、僕ら!)

 

 しかし、ヘイホーは納得しない。

 

「ええっ……? あの見てられないくらいの距離感なのに?」

「距離感もなにも。……だいたい、僕はそんな世俗的な目で彼女を見ていないぞ?」

「……では、一体どのような対象なのですか?」

 

 そんなもの決まっている。

 僕は、胸を張って答えた。

 

憧れ(推し)だよ」

「あこがれぇ……?」

 

 ヘイホーが、本日一番の間抜けた声を上げた。

 

「そうだよ、憧れ(推し)だ! リュシエンヌは尊いのだ!」

「と、尊いのはわかりますけど……」

「いや、お前はわかってない! 彼女がそこに在り、美しく凛としているだけで、僕は救われるんだ。恋愛などというドロドロとした欲望を向けるなんて、解釈違いも甚だしい!」

 

 そう、僕はあくまで、彼女の活躍が見たい。幸せになって欲しい!

 そんな一介の信奉者(ファン)に過ぎないのだっ!

 

 力説する僕を、ヘイホーはなんとも言えない顔で見ている。

 

 やれやれ、これがわからないなんて。

 ……まったく、本当にヘイホーはまだまだだな?

 

 

***

 

 

 ――ある夜。

 

 廊下を歩くリュスの足取りは、どこか夢見心地で浮ついていた。

 

「……ふふ」

 

 アスタを、これでもかとたっぷり甘やかし。

 その体温を心ゆくまで貪る……そんな至福の一時を終え。

 

 屋敷を抜ける空気は、火照った頬にはいささか冷たすぎた。

 肌を介して感じていた切実な熱は、未だなおシャツの奥で燻っている。

 

「……でも、“もっとお役に立ちたい”とお伝えしましたのに。なかなか、頷いていただけないことも多いですね。もどかしいものです」

 

 ふわりと唇から零れたのは、恋を知ったばかりの少女のような――そんな溜息。

 だが、その微かに残る甘やかさを切り裂くように、声が響いた。

 

「随分と上機嫌だね、リュシエンヌ。それとも――“マダム・リュス”と呼ぶほうがお好みかな?」

 

 曲がり角の影。

 月光を背負い、礼装を崩した貴公子が一人。

 

 オノレ・ド・ラプラスはコーヒーを揺らしながら、佇んでいた。

 

「オノレ様。……いささか、夜更かしが過ぎるのではなくて?」

「別に、遊んでいたわけじゃない。今まで働いていたのさ、君の“愛しの主人”の無茶ぶりのせいでね」

「どうでしょうか。わたくしを監視していたのではないですか」

「はは。――それもある」

 

 リュスの声に、歓迎の色はまったくない。

 しかし、それはオノレも同様だった。

 

「いやあ、どうにも悪友の身の上が心配でね。そうせざるを得ないんだよ」

「心配? ……あなたが、アスタ様を?」

「おっと心外だな。これでも俺は、友情に厚いつもりなんだ」

 

 靴音を響かせて。

 優雅にゆったりと……近づいていくオノレ。

 

「なにせ、君のような劇物が屋敷の鍵を握っているんだ。家主が無事かどうか、注意を払う義務が……俺にはある」

「信じられませんね、あなたが一族以外に興味があるだなんて。いざとなれば、ラプラス伯爵家の利益を最優先にするに決まっています」

「手厳しいね。でも、それはお互い様だ。――俺も、君のことが信じられない」

 

 オノレの目が、スッと細められた。

 そこにあるのは友愛でもなければ、同情でもない。

 

「君から見たら――アスタのやり方も、ヤバマーズの血も、法と秩序から外れた“間違い”だろ? 断罪令嬢(シャティウーズ)

 

 どんなに親しい相手でも、たとえ同じ派閥の者でも。

 わずかでも不正があれば、断罪と告発を繰り返してきた“鉄棘の乙女(レピーヌ・ドゥ・フェール)”。

 

「人間ってそう変わるもんじゃない。……俺はそう思ってる」

 

 そんな公爵令嬢リュシエンヌへの、最大級の警戒。

 オノレはさらに距離を詰め、彼女の首筋――先ほどアスタの吐息が触れていた部分を、不躾に一瞥した。

 

「それにしても驚きだ。まさか、王太子の婚約者だった君が、そんなお仕着せ(リバリー)を着てまで、土と埃にまみれた地方貴族に媚びる日が来るなんてね」

「……不愉快な言い草ですね。わたくしをここから排斥したいのですか?」

「いいや。正直なところ、判断に困っている」

「なぜ?」

「アスタは――確かに、君を大切に思っているから」

 

 その名が出た途端。

 リュスは小さく息を呑む。

 

「実は、彼を焚きつけたのは、この俺だって記憶もあるんだ。……大学にいた頃にね、覚えがある。だから、友人として責任はとらないとなぁ、って」

「あなたが……アスタ様を焚きつけた?」

「そう。君が消えてからのアスタは……ちょっと見ていられないほどだったから」

 

 オノレはひどく不本意そうにしながらも、微妙な心境を吐露した。

 

「そりゃあ、色々なリスクを天秤に掛ければ、君を綺麗さっぱり消した方が、アスタのためになる気がしてならない。……はあ、どうしてくれようかな」




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