ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第149話 舗装路から外れた終着点、とある貴公子の叫び。俺は、君たちの恋愛相談窓口じゃない!

「……本当に、アスタ様をご友人と思ってらっしゃるのですね。意外です」

「そう? あんなに退屈させない男、世界中探しても他にいないじゃないか。……まあ、そのせいで俺はめちゃくちゃ苦労させられてるんだけどさぁ」

 

 オノレの口から出た、重たい溜息。

 年単位で振り回された苦労が、多分に含まれていそうだった。

 

「いずれにしても……君はかつて、ラプラス伯爵家の婚約者候補でもあったわけだけれど。そうならなくて良かったと、心から思うよ」

 

 追放前、公爵令嬢リュシエンヌという“最高級の血統ブランド”は、王太子のみならず、あらゆる名門が喉から手が出るほど欲しがった。

 

 当然、魔導貴族の名門……ラプラス伯爵家も例外ではなかったが。

 

「そう仰っていただけて光栄です。わたくしも、貴方のような食えない男の家に嫁ぐなど、想像しただけで死にたくなりますもの」

「あはは。嫁ぐとしたら、俺の兄上だっただろうさ。……でも兄上は、俺の数段上を行くよ」

「それは……考えるだけで、うんざりしますね」

「でもね。俺がそう思うのは、相性だけの話じゃないんだ」

 

 オノレは、吐き捨てるように言った。

 

「君は実に――つまらない女だったね」

 

 リュスの指先に、力がこもった。

 

「正しいことを正しいままに。寸分の狂いも、遊びも、迷いもない。君が歩く道は、常に正義で塗り固められた“真っ白な舗装路”だった」

 

 しかし、なにも言い返さない。

 リュスに否定は、一切できなかったから。

 

「君は、その道に落ちた塵やゴミを、いつも容赦なしに処分してきた。相手が誰であっても、それが“正しいから”という疑いようのない鉄の信念の下に――違ったかい?」

 

 かつて、王都で輝いていたリュシエンヌは、それが正しい次期王妃としての機能だと信じていた。

 王国の秩序を守るためなら、綻びを切り捨てることに躊躇いなどなかった。

 

「……それこそが、人の上に立つ血筋に課せられた責務ですから」

「そうかい。その“正しさ”のギロチンで、君は何人の不適格者を切り捨ててきたか覚えているのかな?」

「……それは」

「俺はね。そういう実直だけが取り柄の女なんて、ちっとも好きではなかったんだ。……見てるだけで息が詰まるからね」

 

 そこで、オノレは至近距離まで詰め寄る。

 

「なのに――今の君はどうだい」

 

 指先が、リュスの乱れた襟元を、からかうようになぞる。

 

 アスタの紋章色(リバリー)に、染まりたいと願い。

 アスタが「似合わない」と拒んだ女使用人(メイド)服を、愛おしそうに纏い。

 アスタに「サキオンになりたかった」と告白されては、涙を流してしがみつく。

 

「ドロドロの、執着の塊だ。泥を啜り、毒を喰らって生きる男に、自ら飼い慣らされにいくなんて。……かつての君が見たら、発狂して処断するんじゃないかな?」

「……オノレ様。結局、なにが言いたいのです」

「褒めてるんだよ。ようやく、見ていられる顔になったなって」

 

 オノレは、リュスの顎を人差し指でクイと持ち上げた。

 そこにあるのはかつての光を失い、淀み、熱を帯びた暗渠(あんきょ)の瞳。

 

「君はヤバマーズに来て、ようやく『人間』になった。正しさなんていう退屈な鎧を脱ぎ捨てて、醜い渇望に身も心も焦がしている」

 

 その言葉は、糾弾のようでありながら。

 どこか、アスタを囲む変人たちの一人としての、オノレなりの歓迎にも聞こえた。

 

「アスタはさ、今でも君を公爵令嬢に戻したがっているけれど。……君自身に未練があるのかどうか。そこは確認しておきたいな」

「…………」

 

 暫し沈黙が、二人の間に横たわる。

 

 しかし、次の瞬間。

 リュスの瞳に、ぞっとするような仄暗い炎が爆ぜた。

 

「正しいままのわたくしでは……アスタ様を見捨ててしまいます。ですから、もうあの日々に用はありません」

「アスタを、見捨てる?」

「はい。わたくしは……フルーレス公爵家を愛しています。……愛していました、その背負う義務も含めて。故に、わたくしは相応しくあろうとしたのです」

「……家を愛していたからこそ、正しくあろうとした、と?」

「そうですよ。なのに、そんな在り様こそが……アスタ様を切り捨てるかもしれない刃となっていた。あの御方は立場を顧みず、わたくしを救ってくださったのに!」

 

 もし、順当に王妃になったとすれば。

 リュシエンヌは、アスタに手を差し伸べることはしなかっただろう。

 

 そんなありもしなかった未来。

 

 しかし、彼女は“もしも”を考えずにはいられない。

 なぜなら、“もしも”を何度でも繰り返す女となったのだから。

 

「いや、しかし。だとすればそれは――」

「はい。結局、今のわたくしは――かつての愛を、裏切ることでしか成立しえないのでしょう。なれば、より深く愛してしまった方を選ぶまで」

「……まったく。やはり、どこまでも極端な女だな。君は」

「どうあがいても、どちらを選ぼうと。わたくしは薄情で身勝手な女です。そんなわたくしを、アスタ様が不要だと告げるなら……仕方のないことです、どこへなりとも消えましょう」

「……」

「――ですが」

 

 ――バチィンッ!

 

 リュスは、顎を持ち上げていたオノレの手を。

 容赦なく、振り払った。

 

「そう告げられるまでは。わたくし、肉の一片、髪の毛の一本に至るまで、あの御方の所有物のつもりです。……勝手に、お触れになりませんように」

「おっと、これは失敬」

「アスタ様が、わずかでも必要としてくださるなら。この地の土となり、草となってでも、そのお足元を支えたい。……死しても侍る『リュス』でいるつもりです」

「そうかい、そうかい。……いやはや、恐れ入ったよ」

 

 オノレは、降参するように両手を上げた。

 口元には、笑みが浮かんでいる。

 

「なら君が……アスタの害になるまでは見守っているよ」

「……それはどうも。感謝いたしますわ、不愉快なスパイ様」

 

 オノレは肩をすくめて、くるり。

 そのまま立ち去ろうとする。

 

 だが――。

 

「お待ちください」

「えっ、なんだい?」

 

 なぜか、リュスは引き留めた。

 

「……オノレ様は、その、アスタ様に最もお詳しい。そうですね?」

「詳しいかは知らないけど。まあ、あいつの扱いは心得てるつもりだよ」

「そして、男女の仲。いわゆる恋愛事にもお詳しい。それでよろしいですか?」

「ちょっと待って? 人を、遊び人みたく言うのはやめてくれない?」

「実は、わたくし。毎晩のように、アスタ様の元へと通っているのですが」

「うん、さすがに知ってるよ?」

 

 ヤバマーズの屋敷に関わる者であれば、今更驚く者など誰もいない。

 

 リュスは、わずかに頬を染めた。

 

「……既成事実を積み重ねるのを、兼ねております」

「あ、やっぱりそうなんだ。君って計算高い女だよね」

「それで……その。問題は、そこからなのですが」

「そこから? ……いや、なにがそこからなんだい?」

「なんと言いますか。……そこからどのように、男女の関係性を進ませたらよいのでしょうか」

「はあ!?」

 

 オノレの口から、素っ頓狂な声が漏れた。

 天下の公爵令嬢(元)から、とんでもない変化球が飛んできたからだ。

 

「……えっと。身を寄せて、抱擁して……そうしたら、後は殿方にお任せすればよいと学んでいたのですが」

「……あー、うん。まあ、一般論としてはね?」

「するとアスタ様は、わたくしの髪を撫でてから、お休みになってしまわれるのです」

「……へえ」

「わたくしは、なにをお任せすればよかったのですか?」

 

 知らねえよ。

 オノレは浮かんだ言葉を、グッと飲みこんだ。

 

「なにか踏む手順が間違っていたのでしょうか?」

「手順て。そういう問題じゃなくてさ」

「わたくし……そこから先、どうしたらいいかわからず……。もしかして、抱擁の次になにかこちらからすべきことが……?」

「あのさぁ! 俺は、君たちの恋愛相談窓口じゃないんだよ!」

 

 頭を抱えて、絶叫するオノレ。

 しかし、結局は……文句を言いつつも、しばらく律儀に話を聞いてやる羽目になった。

 

 ――数十分後。

 やがて、満足したのか。

 リュスは完璧な淑女の礼をすると、意気揚々と去っていく。

 

 一人残されたオノレは、頬をポリポリ掻いて。

 赤銅色の月を、窓から見上げた。

 

「まったく、あんな重すぎる変な女に愛されるなんて、アスタも大変だね。……ま、自業自得か。いや、でも怖いよなあ……」

 

 オノレは、すっかり冷めきったコーヒーを、窓を開けて投げ捨てる。

 ろくに口をつけられなかったのか、たっぷりと中身が入っていた。

 

「アスタのアレも……ロマン奉仕的な宮廷純愛(フィナモール)なのか、男女の劣情(アモール)なのか……ちょっと、俺にも測りかねるし。果たしてどう転ぶやら」

 

 ――アレは、当の本人にすらわかっていなさそうだから。

 

 そんな独り言が、風に消えれば。

 不器用な恋と執着が渦巻く屋敷に、静かな夜の続きが訪れた。

 

 ヤバマーズは、まだ明けない。

 けれど、夜を包む空気は――どこか、温かみを増していた。




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