「……本当に、アスタ様をご友人と思ってらっしゃるのですね。意外です」
「そう? あんなに退屈させない男、世界中探しても他にいないじゃないか。……まあ、そのせいで俺はめちゃくちゃ苦労させられてるんだけどさぁ」
オノレの口から出た、重たい溜息。
年単位で振り回された苦労が、多分に含まれていそうだった。
「いずれにしても……君はかつて、ラプラス伯爵家の婚約者候補でもあったわけだけれど。そうならなくて良かったと、心から思うよ」
追放前、公爵令嬢リュシエンヌという“最高級の血統ブランド”は、王太子のみならず、あらゆる名門が喉から手が出るほど欲しがった。
当然、魔導貴族の名門……ラプラス伯爵家も例外ではなかったが。
「そう仰っていただけて光栄です。わたくしも、貴方のような食えない男の家に嫁ぐなど、想像しただけで死にたくなりますもの」
「あはは。嫁ぐとしたら、俺の兄上だっただろうさ。……でも兄上は、俺の数段上を行くよ」
「それは……考えるだけで、うんざりしますね」
「でもね。俺がそう思うのは、相性だけの話じゃないんだ」
オノレは、吐き捨てるように言った。
「君は実に――つまらない女だったね」
リュスの指先に、力がこもった。
「正しいことを正しいままに。寸分の狂いも、遊びも、迷いもない。君が歩く道は、常に正義で塗り固められた“真っ白な舗装路”だった」
しかし、なにも言い返さない。
リュスに否定は、一切できなかったから。
「君は、その道に落ちた塵やゴミを、いつも容赦なしに処分してきた。相手が誰であっても、それが“正しいから”という疑いようのない鉄の信念の下に――違ったかい?」
かつて、王都で輝いていたリュシエンヌは、それが正しい次期王妃としての機能だと信じていた。
王国の秩序を守るためなら、綻びを切り捨てることに躊躇いなどなかった。
「……それこそが、人の上に立つ血筋に課せられた責務ですから」
「そうかい。その“正しさ”のギロチンで、君は何人の不適格者を切り捨ててきたか覚えているのかな?」
「……それは」
「俺はね。そういう実直だけが取り柄の女なんて、ちっとも好きではなかったんだ。……見てるだけで息が詰まるからね」
そこで、オノレは至近距離まで詰め寄る。
「なのに――今の君はどうだい」
指先が、リュスの乱れた襟元を、からかうようになぞる。
アスタの
アスタが「似合わない」と拒んだ
アスタに「サキオンになりたかった」と告白されては、涙を流してしがみつく。
「ドロドロの、執着の塊だ。泥を啜り、毒を喰らって生きる男に、自ら飼い慣らされにいくなんて。……かつての君が見たら、発狂して処断するんじゃないかな?」
「……オノレ様。結局、なにが言いたいのです」
「褒めてるんだよ。ようやく、見ていられる顔になったなって」
オノレは、リュスの顎を人差し指でクイと持ち上げた。
そこにあるのはかつての光を失い、淀み、熱を帯びた
「君はヤバマーズに来て、ようやく『人間』になった。正しさなんていう退屈な鎧を脱ぎ捨てて、醜い渇望に身も心も焦がしている」
その言葉は、糾弾のようでありながら。
どこか、アスタを囲む変人たちの一人としての、オノレなりの歓迎にも聞こえた。
「アスタはさ、今でも君を公爵令嬢に戻したがっているけれど。……君自身に未練があるのかどうか。そこは確認しておきたいな」
「…………」
暫し沈黙が、二人の間に横たわる。
しかし、次の瞬間。
リュスの瞳に、ぞっとするような仄暗い炎が爆ぜた。
「正しいままのわたくしでは……アスタ様を見捨ててしまいます。ですから、もうあの日々に用はありません」
「アスタを、見捨てる?」
「はい。わたくしは……フルーレス公爵家を愛しています。……愛していました、その背負う義務も含めて。故に、わたくしは相応しくあろうとしたのです」
「……家を愛していたからこそ、正しくあろうとした、と?」
「そうですよ。なのに、そんな在り様こそが……アスタ様を切り捨てるかもしれない刃となっていた。あの御方は立場を顧みず、わたくしを救ってくださったのに!」
もし、順当に王妃になったとすれば。
リュシエンヌは、アスタに手を差し伸べることはしなかっただろう。
そんなありもしなかった未来。
しかし、彼女は“もしも”を考えずにはいられない。
なぜなら、“もしも”を何度でも繰り返す女となったのだから。
「いや、しかし。だとすればそれは――」
「はい。結局、今のわたくしは――かつての愛を、裏切ることでしか成立しえないのでしょう。なれば、より深く愛してしまった方を選ぶまで」
「……まったく。やはり、どこまでも極端な女だな。君は」
「どうあがいても、どちらを選ぼうと。わたくしは薄情で身勝手な女です。そんなわたくしを、アスタ様が不要だと告げるなら……仕方のないことです、どこへなりとも消えましょう」
「……」
「――ですが」
――バチィンッ!
リュスは、顎を持ち上げていたオノレの手を。
容赦なく、振り払った。
「そう告げられるまでは。わたくし、肉の一片、髪の毛の一本に至るまで、あの御方の所有物のつもりです。……勝手に、お触れになりませんように」
「おっと、これは失敬」
「アスタ様が、わずかでも必要としてくださるなら。この地の土となり、草となってでも、そのお足元を支えたい。……死しても侍る『リュス』でいるつもりです」
「そうかい、そうかい。……いやはや、恐れ入ったよ」
オノレは、降参するように両手を上げた。
口元には、笑みが浮かんでいる。
「なら君が……アスタの害になるまでは見守っているよ」
「……それはどうも。感謝いたしますわ、不愉快なスパイ様」
オノレは肩をすくめて、くるり。
そのまま立ち去ろうとする。
だが――。
「お待ちください」
「えっ、なんだい?」
なぜか、リュスは引き留めた。
「……オノレ様は、その、アスタ様に最もお詳しい。そうですね?」
「詳しいかは知らないけど。まあ、あいつの扱いは心得てるつもりだよ」
「そして、男女の仲。いわゆる恋愛事にもお詳しい。それでよろしいですか?」
「ちょっと待って? 人を、遊び人みたく言うのはやめてくれない?」
「実は、わたくし。毎晩のように、アスタ様の元へと通っているのですが」
「うん、さすがに知ってるよ?」
ヤバマーズの屋敷に関わる者であれば、今更驚く者など誰もいない。
リュスは、わずかに頬を染めた。
「……既成事実を積み重ねるのを、兼ねております」
「あ、やっぱりそうなんだ。君って計算高い女だよね」
「それで……その。問題は、そこからなのですが」
「そこから? ……いや、なにがそこからなんだい?」
「なんと言いますか。……そこからどのように、男女の関係性を進ませたらよいのでしょうか」
「はあ!?」
オノレの口から、素っ頓狂な声が漏れた。
天下の公爵令嬢(元)から、とんでもない変化球が飛んできたからだ。
「……えっと。身を寄せて、抱擁して……そうしたら、後は殿方にお任せすればよいと学んでいたのですが」
「……あー、うん。まあ、一般論としてはね?」
「するとアスタ様は、わたくしの髪を撫でてから、お休みになってしまわれるのです」
「……へえ」
「わたくしは、なにをお任せすればよかったのですか?」
知らねえよ。
オノレは浮かんだ言葉を、グッと飲みこんだ。
「なにか踏む手順が間違っていたのでしょうか?」
「手順て。そういう問題じゃなくてさ」
「わたくし……そこから先、どうしたらいいかわからず……。もしかして、抱擁の次になにかこちらからすべきことが……?」
「あのさぁ! 俺は、君たちの恋愛相談窓口じゃないんだよ!」
頭を抱えて、絶叫するオノレ。
しかし、結局は……文句を言いつつも、しばらく律儀に話を聞いてやる羽目になった。
――数十分後。
やがて、満足したのか。
リュスは完璧な淑女の礼をすると、意気揚々と去っていく。
一人残されたオノレは、頬をポリポリ掻いて。
赤銅色の月を、窓から見上げた。
「まったく、あんな重すぎる変な女に愛されるなんて、アスタも大変だね。……ま、自業自得か。いや、でも怖いよなあ……」
オノレは、すっかり冷めきったコーヒーを、窓を開けて投げ捨てる。
ろくに口をつけられなかったのか、たっぷりと中身が入っていた。
「アスタのアレも……ロマン奉仕的な
――アレは、当の本人にすらわかっていなさそうだから。
そんな独り言が、風に消えれば。
不器用な恋と執着が渦巻く屋敷に、静かな夜の続きが訪れた。
ヤバマーズは、まだ明けない。
けれど、夜を包む空気は――どこか、温かみを増していた。
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