並の生物ならば、心臓を止めて余りある電撃。
さすがに、怪物の動きが硬直する。
「今度こそ、効いたか……っ!?」
だが、期待は数秒で裏切られる。
電気エネルギーは、クラーケンの青白い巨体を――ほとんど素通りした。そのまま湖水へと、受け流されてしまう。
「電撃が水へ、逃げた!?」
怪物が怯んだのは、本当に一瞬だけ。
すぐさま何事もなかったかのように、無数の触手が狂暴にのたうち始める。
「嘘、だろ!? あれだけの電撃を食らって、ちょっと痺れただけかよ!?」
「……サイズスケールが違いすぎるのか。魚を感電死させる程度の理屈じゃ、山のような質量には通用しないみたいだね」
「大きさが違うだけで、物理現象に変わりがあんのかよ! ――っんなわけあるか、規模が違っても同じことが起きるべきだろ。水に入ってる生物は、感電死するもんだ!」
「電気抵抗ってそういうものなんだよ、バカアスタ! ……現実を受け入れろ」
遅れて、後方の
「コイツを喰らいやがれっ!」
――パリンッ、パリンッ!
砕け散る陶器。
直後、クラーケンの表面に、激しい業火が燃える。
しかし、どうだろうか。
怪物の表面を覆う、大量の水分を含んだ粘液層。そのヌメリこそが、火傷を防いでいた。
それはまさしく――水の鎧。
「なんだよクソっ。事前の情報が、何一つまともに通じないじゃないか……?」
クラーケンがわずかに巨躯をくねらせ、湖の深みへと身を沈める。
たったそれだけの動作で、猛る業火はあっけなく鎮火。
「……なにもかもが、“環境”に吸い込まれてやがる」
火炎も電撃も、水というフィールドにおいては。
このクラーケンという軟体生物を前に、派手な花火程度に成り下がる。
「どうなってんだ。理屈が……僕の知るはずの物理法則が、このバケモノにだけ味方してやがるじゃないか」
物理法則は嘘をつかない。
じゃあ、なんでこんなに乖離が起きている?
記録では、この方法で勝ったはずだ。ダメージを与えられなきゃおかしい。
――答えは一つ。
そう。人間が作った記録こそが、嘘をついていたのだ。
「アスタ様、危ないっっ!」
「がふっ!?」
視界が揺れて、リュスに抱きかかえられた。
直後、僕がいた場所が巨大な吸盤によって押し潰される。
その上、一番狙われやすいのが僕。
天然デコイでもある以上……今の状態では、リュスの足を引っ張る。
「どうにも戦えはするが……有効打がない! 決め手に欠けるね!」
オノレがすかさず氷槍を放ち、氷壁を張っては遮蔽を作る。
その判断が、総崩れを遅延した。
「アスタ様、指示を! このままでは押し潰されます!」
僕を抱きかかえたまま、リュスが鋭く声を飛ばす。
「撤退だ、煙幕を展開させろ。
誰もが、命の危機にあるなかで――僕が、撤退を決めた。
それが僕の責任だった。
命令が届くと、ジルが不満の声を上げる。
「はぁあ!? これ、うちの自信作なんすよ!? 材料費だってバカにならないっす!」
「命より高い材料なんてこの世にねえよッ! 先輩命令だ、後輩ッ!!」
ジルが泣く泣く、砲を蹴り飛ばした。
猟兵たちが一斉に煙幕を展開。視界が真っ白なベールに包まれ、湖畔の景色が遠のいていく。
(よし、これで撒けるはず――)
だが、それすら甘い考えだった。
――ズ、ズズズ……。
足元の砂が不自然に隆起する。
「なっ、またかよッ!?」
逃げ道を塞ぐように、砂地からぬらりと這い出した……忌々しい触手。
こちらの退路を先読みしているかのような待ち伏せ。
「このイカ、学習してやがる……っ! 音か、それとも魔素の動きでも追ってやがんのかッ!?」
クラーケンの黄色い双眸が、ぎらりと僕を射抜いた気がした。
背後で空気が震えるような異音。
――キュィィィンッ!
左手のウロコが、激しく警鐘を鳴らす。
「全員伏せろ!」
「――避けてっ!」
――シュパァァァンッ!!
クラーケンがその漏斗をこちらへ向けたのだ。
放たれたのは墨ではなく――圧縮された、鋭利な水の刃。即ち、ウォータージェットの薙ぎ払いだ。
一閃が、頭上を通り抜ける。
逃げ込もうとした林が、軒並み切断されていった!
「たかが水鉄砲で、森林伐採!? ……こんなの、まともに当たったら身体が消し飛ぶぞ!?」
「休んでいる暇はありません! ロダン、左の触手を抑えて!」
「ぬぅぅううッ! ヌメヌメしたやつは嫌いだと言っておろうがぁぁっ!!」
ロダンが大剣で触手を押し返し、その隙をリュスが駆け抜ける。
上下に激しく揺れる視界。
リュスの心音、荒い吐息。
本当は、僕が彼女を守り、格好良く道を切り拓くはずだったのに。
(情けない。……本当に、情けなさすぎて、死にたくなるな)
“漁業で食卓を豊かに”なんて、夢のまた夢。
今の僕たちは、ただ巨大な捕食者の“お遊び”から、必死に逃げ惑うネズミに過ぎなかった。
***
なんで勝てなかった?
僕の理解が足りなかったからだ。
「なにが火炎だ、電撃だ。……まさか、集めた勝利の記録がほとんど嘘っぱちだったとはな」
かつての船乗りも、冒険者も、軍人も。
おそらく、討伐など成功させていなかったのだ。
せいぜい切り落とした触手の一本を掲げ、「仕留めたぜ」と言い張ったに違いない。
今は、みんな体制を整えている。
負傷者の手当てをし、暫し休息をとってから帰ることになるだろう。
(――でも、負けてない)
そうだ、僕はまだ負けてない。
今回は、勝てなかっただけだ。
「アスタ様……」
「すまん、リュス。少しだけ、一人にしてくれ」
「しかし――」
「頼むよ」
リュスは痛ましげに瞳を揺らしながらも、離れてくれた。
ふぅ、とため息をつく。
「……少なくとも、そのままぶつけるだけじゃ通用しない、か」
記録では、
だが、戦いが船の上で行われたのだとしたら……?
「今回は、陸地だからな。きっとまだマシな条件だったはずだ。……水に浮かべた船の上では、勝ち目がないに違いない」
わざわざ水面に姿を現し、甲板の船員を襲うなんて……。
あの知性あふれる怪物からすればお遊びの範疇だ。
水中を自由自在に泳ぎながら姿を見せることなく、船底を破壊すればいいだけ。
万一、形勢が不利ならば、悠々と深きに逃げては攻撃するのを、ひたすら繰り返せばよいのだ。
戦ってみてわかった。クラーケンにならば、それが出来る。
それを選ぶだけの狡猾な知性がある。
「生き残った者たちには、きっと記録に残せない不都合な真実があったんだ。そして……名前も記録も残せず、沈められた船はその何倍もある」
今回の戦いでは、怪我人も出た。
こちらが情報を得れば、向こうは手口を学ぶ。
予想はしていたが、危惧していたよりも遥かに状況が悪い。
「次は、死者が出てもおかしくないな……どう手順を詰める?」
僕がぼやくと……声が響いた。
「まったく、実に無様極まる醜態であったな。……危ないから寄るな、と忠告してやっただろうに。そこの野暮ったいの」
唐突に、現れた。
誰の目にも映らない、あの不愉快千万な男。
僕にだけ見えるそいつは――なんと、宙に浮いていた。
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