「今度は、地に足すら付いてねえのかよ」
やはり我ながら、相当心身にキているらしい。
ゆらゆら揺れるこの男は、たちの悪い幻覚。
数十年は時代遅れなロングコート。
鼻持ちならない、ふてぶてしい笑み。
たとえ、どんな絶望が訪れても、最後には自分が勝つと信じて疑わない。
……そんな自信に満ち溢れた笑みだ。
「時に貴様。アレを……まさか本気で仕留めたいのかね?」
男の足が、ふわり虚空を蹴った。
重力を馬鹿にするように、軽やかに。
「はあ、まだ話しかけてくるよ……無視だ、無視をしろ。こいつは、疲労で生まれた不具合だ」
「こちらは至極真面目に質問を
「いいか幻覚。消えろよ、消えろ、今すぐ消えろ。帰ったら、しっかり寝ると誓うから、そのふわふわ浮いた足を片付けてくれ」
僕は、祈るような心持ちで口にする。
すると、男は大層面白がった。
「ほほう。貴様、
カラカラと、男は笑う。
その高笑いが……やはり、どうにも不愉快だった。
「ならば、よろしい。その“幻覚”に零してみよ。……何故、あのような怪物を仕留めんとする? 武勲を誇示したいがため
正直、これ以上相手をしたくない。
しかし、なぜだろうか。
忌々しくもヤバマーズの血が――僕の背中をドンと押した。
『こいつに話せ』
確信に満ちた、血の囁き。
逃げ場がないほどの、強い直感。
「……はぁ、わかったよ。話せばいいんだろ、話せば」
「おや、ようやく物分かりが良くなった」
「どうせ、僕の脳が見せる幻覚なら、自問自答と大差ないしな。思考を整理する壁打ちに丁度いいだろ」
「なかなか合理的な解釈だ。
幻覚に褒められてもな。
実質、僕が自画自賛してるようなものじゃん。
それってバカみたいじゃん、虚しいだけだ。
「僕が、なぜあの怪物を狩ろうとするか、だって? そんなもの、わかってんだろ。僕の願望なら、お前は知ってるはずだ」
「知らぬから問うている」
「そんなわけないだろ」
視線を遥か遠く、とうに見えなくなった湖の方角へとやった。
僕の新兵器を嘲笑い、せっかくの作戦を無効化した挙句、仲間まで傷つけた。
その上……“リュスによる花嫁運び”なんて羞恥プレイまで強いた、あの憎きヌメヌメ生物。
なぜ、あのクラーケンにこだわるのかと言えば――。
「――魚が食べたいんだよ」
沈黙。
白けた風が、ひゅるりと虚しく吹き抜けた。
「…………は?」
余裕たっぷりだった顔が、見事なまでに引き攣った。
僕の幻覚の癖に、なんだその「こいつ、頭大丈夫か?」とでも言いたげな反応は。
「聞こえなかったのか? 僕は美味しそうな魚を、領民たちと一緒に腹いっぱい食べたいから戦ったんだよ」
「それだけ、なのか? そんなことのために命を賭けたのか?」
「そんなことって、それが一番大事な事だろ。そりゃ水源確保とか、拠点の発展とか、
僕は、はっきりと言ってやった。
「腹を空かせる領民がいて、平気なわけないだろ!」
「……ほう」
男は、宙に浮いたまま腕を組み、顎を撫でた。
「それほどまでに、日々、
「当たり前だ、ここは呪われた不毛の地ヤバマーズだぞ」
「ヤバ……マーズ……?」
「土を掘っても出てくるのは石ころ、森を探してもよくわからん猛毒キノコばかり。領民は芋を齧り、僕はタンポポで命を繋いだ。……そんな状況で、最近、急に食い扶持が増えたんだ」
これから発展すればどうなる?
そりゃ、どんどん人が集まるさ。
でも、そしたら……もっと食べ物が必要になるってことだ。
「そんなもの、外から買えば済む話ではないか」
「輸入したら高くつく、そしたら貧しい奴が困るだろ! ……なるべく安く、腹いっぱい食わせてやらなきゃどうすんだよ」
「だから湖を狙う、と」
「そうだ。目の前にぶら下がった水産資源……ヤバい怪物の棲み家だからって、諦められるか!」
「……誠に名誉なぞは無用、とでもいうのか。クラーケンを打倒した英雄として名を残すより、一皿の焼き魚が魅力的だと?」
「そんなものは、ゲップが出るほど腹が膨れたら考えればいいんだよ。僕が欲しいのは、そんな食えもしない宝石箱じゃない。領民たちが“もう食えねえ”と下品に笑い、不安なく眠りにつける……そんな生活だ」
すると、男はぽかんと僕を見つめて。
「ふふ……ふふふ、ははははははっ!!」
最後には腹を抱え、涙を流さんばかりの勢いで笑い転げる。
その豪快な笑い方を……僕はどこかで、知っている気がした。
「な、なんだよ……」
「実にいい、実に下らんな! 民に飯を食わせたいがために、天災にも等しき怪物に挑むか。とんだ、うつけではないか!」
「うっせーな。本気なんだよ、僕は」
「だが……嫌いではないな。ああ、気に入ったぞ。――笑える野心は、良き野心だ」
男は、どこか眩しいものを見るような眼差しで。
僕を、高き処から見下ろした。
「宜しい。どれ、退屈しのぎだ。
「嫌だよ!? なんかお前、気味が悪いじゃん!?」
「なにを言う。
「幻覚に、僕の知らない知識が教えられるわけないだろ!!?」
「ふふ、光栄に思い
幻覚の癖に、妙に設定がしっかりしている。
まるで、確固たる人格があるみたいに振舞うじゃないか。
「……タダ働きが珍しいってなんだよ。お前、その――ああ、もうっ! うざったいな、なんで呼べばいいんだ! この浮遊不審者!」
「
男は役者のように、胸を張って名乗ろうとした。
が、動きがぴたりと止まる。
「……はて? ……
「なんで、本人がわかってないんだよ!? やっぱり、設定があやふやじゃねえか!」
自信満々にふんぞり返っていた男は、今や、手のひらを見つめて、本気で戸惑っていた。
「あの、アスタ様……? 先ほどから、どなたとお話しされているのですか……?」
背後から震える声。
……あ、やば。
見れば、リュスが今にも泣きだしそうな顔で僕を見ていた。
他のみんなも、いつになく気遣う表情。
「アスタ、そんなにショックだったんだね。わかるよ、同盟を背負った初陣で負けたら、俺だって発狂する。でも、虚空に怒鳴り散らすのは……さすがに見ていられないよ」
「ち、ちがう! 僕は負けてない!」
「……アスタ。うん、そうだね。負けてないよ」
「そうじゃないってば!? 現実を認識したくないとかじゃなくて――今、そこに! 浮いてるんだって! 変なロングコートの男が!」
必死に指を指すが、みんなの目はますます悲しげになるだけ。
「アスタ先輩。……その、うちも頑張るっすから。ね?」
「……吾輩も敵がヌメヌメしていても、我慢して戦う。だから……正気に戻れ、ヤバマーズ男爵」
ちがーーうっ!? まって!??
そんな目で見ないでぇえええっ!!?
こうして、僕の尊厳がぶっ壊されたのだった。まる。
マジ、許さんからな。あのヌメヌメ生物!!
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