石造りの古びた教会は、今日も灰色空をどんより背負っている。
長い年月の雨風で亀裂が走り、所々はがれ落ちた石材。
見る影もなく、色褪せた聖印。
「……やはり、ここは独特の空気が流れていますね」
リュスの声がどこか硬い。
「うーん、まあな。ちょっと申し訳ない気持ちになるもん。改めて見ると、ボロくて不気味って言うか……」
僕は、思わず苦笑した。
それでも、以前来たよりもだいぶマシだった。
割れた窓を塞いでいた板切れは、前より丁寧な補修へと変わっている。
汚れもそう。手入れが届かなかった部分が、明らかに綺麗にされていた。
「
「ああ、ロダンの仕事だな。……あいつ、意外と大工仕事が得意みたいなんだよ」
思うところがありそうな、
僕は、我が事のように得意げになった。
すると、リュスが
「アスタ様は、なにも感じないのですか? この教会に?」
「……あのさ、リュス。頼むからあまり悪く言わないでくれよ。ここは子供の頃から遊び場だったんだ」
「遊び場、ですか」
「ああ。僕はここに来ると、なんというか……うん、いつもホッとするんだよ」
リュスは戸惑いを見せる。
「アスタ様、それはきっと、あなた様が純粋すぎるからです。……シスター・マグダリア。あの御方は、決して平々凡々な聖職者ではありません」
「いや、さすがに警戒しすぎだろ。もしかして、喧嘩でもしたか?」
やりとりの間にも、礼拝堂から賑やかな子供たちの声。
僕は「ほら、行こう」とリュスを促し、慣れ親しんだ門をくぐる。
「あはは! 待ってよシスター!」
「こらこら、走っては危ないでしょう? クスクス……」
中に入れば、案の定。
シスター・マグダリアが孤児たちに囲まれ、ニコニコと相好を崩していた。
修道服の上からでもわかる、妖艶な曲線。
細められた瞳、慈愛に満ちた微笑。その肌の艶やかさは、この貧しい僻地には不釣り合いなほど生命力に満ちている。
……まあ、独特な雰囲気の人ではあるよな。
「あら、坊や。それにリュス様も。……お揃いでいらっしゃるなんて、珍しいこともあるものですねぇ」
鼓膜にねっとり、絡みつくような声。
彼女は、はちきれんばかりの肢体を屈め、薄汚れた孤児の頬を優しく撫でていた。
「マグダリア、坊やはやめてくれって。僕は、当主になったんだから」
「うふふ、ついうっかり気が抜けて。あなたのお顔を見ると、あたくしはいつだって、幸せな気持ちになってしまうものですから♡」
「はあ、やれやれ……相変わらずだなあ。……ん? もしかして、心なしか孤児たちの肉付きが良くなったか?」
「ええ、おかげさまで。心優しい男爵様の御配慮のおかげですわ」
「……子供たちに、キツい労働をさせてるのが申し訳ないと思ってるんだけどな」
「いいえ。余所に売られるよりは、よほど人間らしい暮らしです。ああ、そういえば――ゲロハルトさんはお元気?」
「まあ、な。……だいぶ足腰が弱って杖をついちゃいるが、うちの若手をこき使っているよ」
「それはようございました。育ての親としては、なにかと心配ですのよ」
すると、リュスが敏感に反応した。
「育ての、親? ……ゲロハルトの、ですか?」
「そうか、リュスは知らないのか。あいつはヤバマーズの孤児なんだよ、この教会が出身さ」
「……そうではなく、アスタ様。このシスター・マグダリアが、ゲロハルトを養育したと仰るのですか?」
「そうだよ。うちの
僕は、自慢げに胸を張る。
落ちぶれたヤバマーズ家の歴史において、数少ない誇れる慈善活動だ。
だが、リュスはどういうわけか。
僕の言葉など耳に入っていないかのように絶句。
「なんだよ、その反応」
「……アスタ様。それは、あまりに計算が合わないのではないですか?」
震える声で、リュスが聞き返してきたが――。
「
なにを驚いているのか、さっぱりわからなかった。
ふわり、と。
湿った土と甘い蜜が混じり合うような、独特の匂い。
シスター・マグダリアの音もない接近に――リュスが袖を強く掴んできた。
そのまま僕を背後に庇うように、一歩前に出る。
「それ以上は……近づかないでくださいますか? シスター・マグダリア」
「クスクス。あら、そんなに怖い顔をしないで。あたくし、丸腰のか弱い女ですから……あまりの気迫に怯えてしまいそう」
うわ、仲悪うぅっ!
二人とも笑顔なのに、尋常じゃなくめっちゃ仲悪そう!?
てか、リュスってば、今にも
(ああっ、頼むから勘弁してくれよリュス!? 母を早くに亡くした僕を、優しく包んでくれたのは、間違いなくこの人だったんだからさぁっ!?)
僕は急いで空気を変えるべく、なるべく冷静に切り出した。
「マグダリア、単刀直入に言うよ。我がヤバマーズ家の遺産、“遺失した情報”のことだ。……この教会に、預けられているんじゃないか?」
その問いが放たれた瞬間。
……
「あらぁ……?」
マグダリアが細めた瞳の奥から、じっと僕を見つめる。
その微笑みは保ったままだ。
だが、纏う雰囲気が“僕を見守る母”から“秘匿を司る番人”へと、確かに変質していく。
「どなたに、そのような入れ知恵をされたのかしらぁ?」
「……誰の入れ知恵でもない。ヤバマーズ家の当主として、僕自身が辿り着いた確信だ」
「うーん。“遺失した情報”、ねぇ」
「そうだ。屋敷の書庫にも、どこにもない。例えば……そう、西の森の正確な地図とかな。……歴代の当主たちの誰かが、秘密裏にここに預けたんじゃないか?」
僕にしか見えない、
不敵な笑みを浮かべて――足元の床をトントンと蹴った。
「一番、怪しいのは……ヤバマーズ家が子爵位を失った日。没収や略奪から大切なものを守るため、当時の当主が真っ先に選ぶ場所」
「それが我が教会である、と?」
「ああ。王権すらも踏み込めない、この
「入り口は?」
マグダリアは、ゆっくり首を傾げる。
迷いながらも、僕は意を決して口にした。
「我が家の――
沈黙。
遠くで響く、孤児たちの笑い声と走る音だけが……妙に鮮明だった。
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