ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第159話 これより先、神すら立ち入りを禁ず。計算が合わぬ美女、答え合わせは死者の家で。(前半)

 石造りの古びた教会は、今日も灰色空をどんより背負っている。

 

 長い年月の雨風で亀裂が走り、所々はがれ落ちた石材。

 見る影もなく、色褪せた聖印。

 

「……やはり、ここは独特の空気が流れていますね」

 

 リュスの声がどこか硬い。

 

「うーん、まあな。ちょっと申し訳ない気持ちになるもん。改めて見ると、ボロくて不気味って言うか……」

 

 僕は、思わず苦笑した。

 それでも、以前来たよりもだいぶマシだった。

 

 割れた窓を塞いでいた板切れは、前より丁寧な補修へと変わっている。

 汚れもそう。手入れが届かなかった部分が、明らかに綺麗にされていた。

 

 幻影(ファントゥム)が暫し、教会を眺めてからボソリ。

 

寂寥(せきりょう)の感はあるが……随分と大事にされているな」

「ああ、ロダンの仕事だな。……あいつ、意外と大工仕事が得意みたいなんだよ」

 

 思うところがありそうな、幻影(ファントゥム)

 僕は、我が事のように得意げになった。

 

 すると、リュスが暗渠(あんきょ)の瞳に鋭さを宿し、振り返った。

 

「アスタ様は、なにも感じないのですか? この教会に?」

「……あのさ、リュス。頼むからあまり悪く言わないでくれよ。ここは子供の頃から遊び場だったんだ」

「遊び場、ですか」

「ああ。僕はここに来ると、なんというか……うん、いつもホッとするんだよ」

 

 リュスは戸惑いを見せる。

 

「アスタ様、それはきっと、あなた様が純粋すぎるからです。……シスター・マグダリア。あの御方は、決して平々凡々な聖職者ではありません」

「いや、さすがに警戒しすぎだろ。もしかして、喧嘩でもしたか?」

 

 やりとりの間にも、礼拝堂から賑やかな子供たちの声。

 僕は「ほら、行こう」とリュスを促し、慣れ親しんだ門をくぐる。

 

「あはは! 待ってよシスター!」

「こらこら、走っては危ないでしょう? クスクス……」

 

 中に入れば、案の定。

 シスター・マグダリアが孤児たちに囲まれ、ニコニコと相好を崩していた。

 

 修道服の上からでもわかる、妖艶な曲線。

 細められた瞳、慈愛に満ちた微笑。その肌の艶やかさは、この貧しい僻地には不釣り合いなほど生命力に満ちている。

 

 ……まあ、独特な雰囲気の人ではあるよな。

 

「あら、坊や。それにリュス様も。……お揃いでいらっしゃるなんて、珍しいこともあるものですねぇ」

 

 鼓膜にねっとり、絡みつくような声。

 彼女は、はちきれんばかりの肢体を屈め、薄汚れた孤児の頬を優しく撫でていた。

 

「マグダリア、坊やはやめてくれって。僕は、当主になったんだから」

「うふふ、ついうっかり気が抜けて。あなたのお顔を見ると、あたくしはいつだって、幸せな気持ちになってしまうものですから♡」

「はあ、やれやれ……相変わらずだなあ。……ん? もしかして、心なしか孤児たちの肉付きが良くなったか?」

「ええ、おかげさまで。心優しい男爵様の御配慮のおかげですわ」

「……子供たちに、キツい労働をさせてるのが申し訳ないと思ってるんだけどな」

「いいえ。余所に売られるよりは、よほど人間らしい暮らしです。ああ、そういえば――ゲロハルトさんはお元気?」

「まあ、な。……だいぶ足腰が弱って杖をついちゃいるが、うちの若手をこき使っているよ」

「それはようございました。育ての親としては、なにかと心配ですのよ」

 

 すると、リュスが敏感に反応した。

 

「育ての、親? ……ゲロハルトの、ですか?」

「そうか、リュスは知らないのか。あいつはヤバマーズの孤児なんだよ、この教会が出身さ」

「……そうではなく、アスタ様。このシスター・マグダリアが、ゲロハルトを養育したと仰るのですか?」

「そうだよ。うちの御爺様(・・・)と年近い従者として、ゲロハルトが採用されたんだ。孤児たちを取り立てて雇用するのも、我が家の責務なんだよ。そこは珍しく立派な話だろ?」

 

 僕は、自慢げに胸を張る。

 落ちぶれたヤバマーズ家の歴史において、数少ない誇れる慈善活動だ。

 

 だが、リュスはどういうわけか。

 僕の言葉など耳に入っていないかのように絶句。

 

「なんだよ、その反応」

「……アスタ様。それは、あまりに計算が合わないのではないですか?」

 

 震える声で、リュスが聞き返してきたが――。

 

なにが(・・・)?」

 

 なにを驚いているのか、さっぱりわからなかった。

 

 ふわり、と。

 

 湿った土と甘い蜜が混じり合うような、独特の匂い。

 

 シスター・マグダリアの音もない接近に――リュスが袖を強く掴んできた。

 そのまま僕を背後に庇うように、一歩前に出る。 

 

「それ以上は……近づかないでくださいますか? シスター・マグダリア」

「クスクス。あら、そんなに怖い顔をしないで。あたくし、丸腰のか弱い女ですから……あまりの気迫に怯えてしまいそう」

 

 うわ、仲悪うぅっ!

 二人とも笑顔なのに、尋常じゃなくめっちゃ仲悪そう!?

 てか、リュスってば、今にも恢復聖剣(レストラシオン)を抜き放ちそうな勢いじゃん!?

 

(ああっ、頼むから勘弁してくれよリュス!? 母を早くに亡くした僕を、優しく包んでくれたのは、間違いなくこの人だったんだからさぁっ!?)

 

 僕は急いで空気を変えるべく、なるべく冷静に切り出した。

 

「マグダリア、単刀直入に言うよ。我がヤバマーズ家の遺産、“遺失した情報”のことだ。……この教会に、預けられているんじゃないか?」

 

 その問いが放たれた瞬間。

 ……礼拝堂(チャペル)の空気がピシリ、と凝固した。

 

「あらぁ……?」

 

 マグダリアが細めた瞳の奥から、じっと僕を見つめる。

 その微笑みは保ったままだ。

 

 だが、纏う雰囲気が“僕を見守る母”から“秘匿を司る番人”へと、確かに変質していく。

 

「どなたに、そのような入れ知恵をされたのかしらぁ?」

「……誰の入れ知恵でもない。ヤバマーズ家の当主として、僕自身が辿り着いた確信だ」

「うーん。“遺失した情報”、ねぇ」

「そうだ。屋敷の書庫にも、どこにもない。例えば……そう、西の森の正確な地図とかな。……歴代の当主たちの誰かが、秘密裏にここに預けたんじゃないか?」

 

 僕にしか見えない、幻影(ファントゥム)が。

 不敵な笑みを浮かべて――足元の床をトントンと蹴った。

 

「一番、怪しいのは……ヤバマーズ家が子爵位を失った日。没収や略奪から大切なものを守るため、当時の当主が真っ先に選ぶ場所」

「それが我が教会である、と?」

「ああ。王権すらも踏み込めない、この聖域(アジール)をおいて他にないだろうな。……そして、おそらくその入り口は」

「入り口は?」

 

 マグダリアは、ゆっくり首を傾げる。

 

 迷いながらも、僕は意を決して口にした。

 

「我が家の――地下納骨堂(クリプタ)、だな?」

 

 沈黙。

 遠くで響く、孤児たちの笑い声と走る音だけが……妙に鮮明だった。




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