ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第161話 死人に口なし、聞く耳なし。お前なんか大っ嫌いだ!(前半)

 縦にも横にも、大股数歩で突き当たる。

 馬車を二台ほど詰めればいっぱいになるだろう、そんなコンパクトな広さ。

 

 しかし見上げれば――弧を描く交差ヴォールトの天井、分厚い白壁。

 

「四方の壁と天井だけで、この空間を強固に支えようとしているのか」

 

 その強固さは、ここが納骨堂(クリプタ)のさらに地下とはいえ過剰と思える。地上が崩落しても、ここだけは無事かもしれないほどに。

 にも関わらず、彫刻などの装飾は一切ない。

 

 まさしく機能美の極致、だ。

 その設計に込められた思想が美しい、僕は素直にそう思った。

 

「……良好な状態だな。番人共は、なかなかに殊勝に働いていたと見える」

 

 今までやけに静かだった幻影(ファントゥム)

 彼が、とうとう口を開いた。

 

「おい、幻影(ファントゥム)。お前、ここを知ってるんだな?」

「いや……なにも思い出せんよ」

 

 しかし、幻影(ファントゥム)は、どこか懐かしむように石棚をなぞる。

 触れられもしないのに。

 

 リュスが呟いた。

 

「湿気がない、ですね。驚きました、地下なのに驚くほど空気が澄んでいます」

 

 理由は明白だった。

 僕もまた、そっと白壁に手を触れる。

 

 やはり、ざらついた感触。粉っぽさが指に残った。

 

「これだよ、石灰が何重にも塗られてるからだな。……ちょっと剥がれ落ちてるけど、こいつが乾燥剤の役割を果たしているんだ」

 

 そして、そんなにも湿気を嫌ったのはなぜか?。

 

 正面の壁際には石造りの棚と、ラック。丈夫そうな木箱が並ぶ。

 そこに机と椅子まで、用意してあって――。

 

「たぶん、書斎? ……いや、きっと文書保管庫かな。だから、なにか書物があるから湿気を避けたんだ」

 

 歩けば、微かに空気の流れを感じた。

 

 よく見れば、天に穿たれたわずかな通気孔。

 風の囁きが、耳と肌を撫でている。

 

 そこに、リュスが言う。

 

「ああ、そういうことでしたら……おそらく少し違うかと」

「なに?」

「もちろん文書保管庫の一種には違いないですが、正確には、ヤバマーズ家の証書庫(シャルトリエ)なのではないでしょうか」

証書庫(シャルトリエ)……」

「はい、こちらの方がより重要ですよ。貴族にとって、金銀財宝よりも価値のあるもの。それは――権利書ですから」

 

 リュスが示したのは、右手の壁。

 そこに、さらに小さな収納庫。扉には、ヤバマーズ家の紋章。

 

「そして、歴代当主が守り続けた秘密を納める部屋でもあるはずです」

「さっき貰った鍵は……ここってことか!」

 

 中身は、領地の権利書、王家からの勅許状や秘密文書、歴史にまつわる記録。

 そして――。

 

「あったぞ、西の森の地図だ! 見ろ、湖まで書かれている!」

 

 喜びに持ち上げると、カサリ。皮紙(ヴェラン)が擦れた。

 一緒に、こぼれ落ちる文書に目を見開く。

 

「――え?」

 

 凍り付いた僕に、リュスが尋ねた。

 

「アスタ様。……どうか、なさったのですか?」

「なんだ、これ……地図だけじゃない」

 

 焔王国(フラム)の公式記録には、決して存在しない。

 戦慄すべき、記述。それと地図を比較する。

 

 狂気樹海。

 誰もが生きては帰れぬはずの魔界に、印が付けられていた。

 

 印に付けられた名は――ヤバマーズ特務研究機関。

 

「特務、研究機関……?」

 

 しかも、それどころではない。

 それすらも通過点にして、果てしない森の先すら目指そうとして頓挫した形跡。

 

「まさか、うちの先祖たちは……ただ魔物を狩っていただけじゃなかったのか?」

 

 ヤバマーズは狂気樹海にすら根ざし……その先を目指そうとしていた? なぜ、何のために?

 

 僕はさらに、書類を漁った。

 

 初代、二代目……歴代の機関長に名を連ねる、当主たち。

 そして、最後の責任者の名は――。

 

 ヤバマーズ家の歴史が崩れ、塗り替えられていく。

 

「まさか、そんな……っ!?」

 

 思わず、僕は駆け出した。

 

「アスタ様、どうなさったのです?!」

「ここにこそ……あるはずだ! 誰かが真実を残そうとしたなら!」

 

 部屋の隅にあった木箱を、片っ端から乱暴に開ける。

 見つけた。大切そうに包まれた肖像画、見覚えのある顔。

 

幻影(ファントゥム)、お前……」

 

 キャンバスの中から僕を見据えていたのは、時代遅れのロングコート。

 一切の絶望を撥ね退けるような、不敵な笑み。鼻持ちならない端正な顔だち。

 

 すると、幻影(ファントゥム)は、降り立つと肖像画をじっと見つめ。

 

「そうか」

 

 やがて、静かに受け入れた。

 

「――其れが、(おれ)か」

 

 一族の恥さらし、色ボケのクズ、ヤバマーズを没落させた元凶。

 ヤバマーズ特務研究機関、最後の責任者。

 

 その名は――。

 

「……三代目機関長、サキオン・ド・ヤバマーズ」

 

 僕がずっと大嫌いになろうとしていたその男が、今、目の前にいた。

 

「サキオン様……?」

 

 リュスの震える声が、石室に反響した。

 蝋燭の炎が、呼応するように激しく揺らめく。

 

「その、アスタ様と話されている不可視の人物……幻影(ファントゥム)が、サキオン様だと言うのですか?」

 

 喉が、カラカラに乾く。

 もう、認めるしかなかった。

 

「ああ、信じたくはないが……僕の眼に映る幻覚は、まさにこの肖像画とそっくりなんだ」

 

 サキオンの肖像画、それは一族の歴史から抹消されたはずの禁忌。

 だが、納得もする。見覚えがあるはずだ、と。

 

 こうして同じタッチの絵を見れば、鼻筋や眉の形。

 僕の曽祖父オットーの若き日の肖像にどこか似ていた。

 

(そりゃそうか、兄弟だもんな。だけど、気付けるわけがない。僕が幼い頃から抱いていたイメージとあまりに違い過ぎる。“色ボケのクズ”と呼ばれたサキオン像と、不敵に佇むこの男が……なにをどうしたら結びつくっていうんだ?)

 

 すると、幻影(ファントゥム)――いや、サキオンは肖像画の鼻先をなぞった。

 実体を持たない指は、虚しく油絵具の層をすり抜ける。

 

「腑に落ちた。(おれ)は……死人だったのだな」

「……サキオン」

「サキオン、か。名を知ってもなお、自己の輪郭はどこか霧のように曖昧だ。だが……それでも一つ言えることがある」

「なんだよ」

「絵師の腕前が足りていない」

「はあ? なにを言って――」

「もう少し……(おれ)鼻梁(びりょう)が高く整っているはずだが」

「抜かせよ! なんで死んでからも、そんな自信満々でいられるんだよ!」

 僕が怒鳴った、その時だった。

 突如、リュスが冷たい石床に、その両手と膝をつく。

 

「本当に……本当に、そこにいらっしゃるのですね、サキオン様! ああっ、聖王よ、この奇跡に心から感謝いたします」

「騒がしいな、小娘。(おれ)に何用か」

「わたくしは、リュシエンヌ・ド・フルーリス。あなた様がお救い下さった、ロザリス公国が公女リュディヴィーヌの――その、曾孫にあたります」

「リュディ、ヴィーヌ……?」

 

 サキオンは、引っかかりを覚えたようだ。

 億劫そうに歩み寄ると、リュスの顔を覗き込んだ。

 

「……その面差し。言われてみれば、どこぞで見覚えがなくもない」

「わたくしにはその御姿も、お声を聴くことも叶いません。ですが、そこにいらっしゃるのであれば……お伝えしたいことがございます!」

(おれ)に伝えたいことだと?」

「あなた様は名誉もお立場も投げうって、ロザリス公国の民をお救いになられた。その献身は未だなお、忘れられておりません!」

「ロザリス公国……その響きも知っている」

「サキオン様がいなければ、公国は焔王国(フラム)に踏みにじられ、多くの命が露と消えたはず。――すべては、あなた様が戦争を止めてくださったからこそ!」

 

 サキオンが、戦争を止めた……?




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