リュスが語る英雄譚は、大人たちから聞かされてきた“色ボケの失態”とはあまりにかけ離れていた。
けど、それ以上に胸をざわつかせたのは――。
(サキオンの眼に、欠片の情熱もない!?)
考えてみれば、湖で会った時からだ。
こいつはこれまで一度も、リュスに興味を示したことがこれぽっちもない。
(だが、そんなことがありえるか? だって、サキオンが破滅した原因、ヤバマーズが没落した理由は……こいつが分不相応な恋に狂って、愚かにも矢文を放ったからだろ!?)
リュシエンヌは、絶世の美女リュディヴィーヌの生き写しと謳われた令嬢。
たとえ彼女が髪の色を変え、これまでの苦境で風貌が変化したのだとしても、こうまで無反応でいられるのだろうか。
(破滅を選ぶほどの恋じゃ……なかったの、か?)
僕の困惑をよそに、リュスは必死に頭を下げて感謝を連ねる。
「わたくしたちはあの日から、あなた様へのご恩を忘れたことはありません。あなた様が遺してくださった平和の尊さを……ロザリスは、ずっと忘れてはしませんでした」
しかし、サキオンはひどくつまらなそうに眺めていた。埃の粒が舞うのを、眺めるように。
その長い足を組みかえると、口にする。
「なんだ、結局、この女は死者に謝意を述べたいだけか。……なんと無益な」
「はあ!?」
「どうせ、往時の
「おい、感謝をしてくれている相手に、そんな言い方はないんじゃないか! ずっと語り継いでくれてたんだぞ!」
「なんだ、恩着せがましい。“子々孫々、語り継いで感謝せよ”と、
「お前っ!!」
たまらず、僕は声を荒げた。
「アスタ様……?」
「リュス! もういい、立つんだ。こんな血も涙もない奴に、頭を下げる必要なんてない! こいつは君たちが背負ってきた想いなんか、何一つ覚えてやしないんだ!」
「……サキオン様には、ご記憶がないのですか?」
恩人たる死者に、忘れられていた。
その事実は、リュスにとってショックな出来事だったらしい。小さく肩が震える。
「お前、だいたいさぁ! 残されたヤバマーズ一族が、どれだけ苦労したかわかってんのかよ!」
「知らんよ。……貴様まで、死人に聞く耳を期待するな」
「女に狂った色ボケのクズ、史上最低の当主! ヤバマーズを貶めた疫病神ってな! それが後世のお前の評価ってやつだ!」
「ほほう、
「後の人間がどれだけ蔑まれてきたか、少しは想像してみろ!」
「要するに、以前に貴様が嘆いていた“爵位の降格”とやらは、
サキオンは腕を組み、ふてぶてしく顎を撫でた。
「で、貴様らの方はその下らん小噺を、わざわざ語り継いでいたのだな。それはそれでご苦労なことだ」
「小噺だと!? 僕らは笑い事じゃなかったんだよ!」
「して、貴様は
「え、違う……直系では、ない」
「今度は、歯切れが悪い」
「僕は……あんたの弟の子孫なんだ。あんたが放り出した家を継がされ、苦労の末に死んだ。四代目当主オットーの末裔だよ」
「
「……七代目、アスタ・ド・ヤバマーズ」
名乗った途端。
サキオンは露骨に失望した表情を浮かべ、頭まで抱え出した。
「貴様ら……つまり、アレか。
「んなっ……!?」
「無能の弁明も、ここまで累積すれば見事という他ないな。
――プツリ、と。
今まで張り詰めていた何かが、切れる音がした。
「――ふざけるなよ、三代目ぇえええッ!!!」
僕は、声を張り上げた。
喉の傷が裂け、血がこみ上げるが、そんなの知ったことか!
「勲功? 取り戻す? どの口がそんな寝言をほざくんだ。あんたが残したのはな、莫大な負債と、他家からの蔑み! 魔物だらけの不毛の地だけだ! 僕らはな! 明日のパン一切れのために、命を削り、泥を啜って生きてきたんだよッ!」
一度決壊した叫びは、もう止まらない。
「お前こそ、この真っ暗な部屋を見ろよ。特務研究機関だぁ? 秘密の地図だぁ? こんなものを隠蔽して、何がしたかったんだよ。名誉を捨てて女を救って、美談の主人公気取りか? ――残された僕らにとっちゃ、お前はただの無責任野郎だ!!」
うわ、マズい。と思った。
リュスの前で言っちゃいけないことを言った、と思った。
「いや、違う。僕はこんなことが言いたいんじゃ……」
「未だ、死者に恨み言を連ねるか。それほどまでに、後継たる貴様らは立派な貴族だったと主張したいわけだ」
「……別に、あんたの後のヤバマーズ領主だって、誰も彼も立派じゃなかったさ。バカで間抜けで、みっともなくて……死に様だって最悪だった。でもな、それでも誰もここから逃げなかったよ」
――でも、そこだけは。
そこだけは、誇れるはずだから。
感情がグチャグチャになっても、絶対に譲りたくなかった。
「どれだけ口汚くあんたを呪っても、歴代当主たちはお前の不始末から逃げ出さなかったんだ――なのにお前は、上から目線で僕らを嘲笑うのかッ!」
「当然だろう」
サキオンが短く、断じた。
「統治者が、民を裏切らぬのは最低限度の義務だ」
「――っ!」
「“我らは民に生かされているのだから、民を捨てることだけはしてはならない”……なんだ、貴様はそう思っていないのか?」
「思っていない訳じゃ――っ!?」
「ならば、貴様らは自明の職務を全うしたに過ぎんな。それしきの事柄が、それほど迄に偉大か? 頭を撫でて褒めてもらいたかった、とでも?」
「……くう、うううっ!?」
「仮に、
呼吸が詰まる。
視界が、悔し涙で歪んでいく。
血の滲むような歩みを、“当たり前だ”と踏みにじられた憤怒。
父上が死んでからギリギリで、踏みとどまっていた悲しみ。
それでも僕は、どこかでこの男に憧れていたのに……そんな自分への嫌悪。
「お前なんか――」
鉄の味が、さらに舌の根から込み上げた。
喉で燻る苦さは……幼い頃、一族の宴で感じていた不快感。
「――お前なんか、大っ嫌いだ。サキオンッ!」
今までは言いたくなかった、その言葉を。
僕は、遂に本人に向かって口にした。
すると、返って来たのは……溜息。
「聞いてはおれん。見込みがあるかと思ったが、
サキオンがさらに高く浮かび、僕を見下ろす。
「貴様は……領主の席に座るには、あまりに早すぎたのだな。中身はまだ、思い通りに行かぬと、駄々をこねる子供のままか」
そう吐き捨てると、ゆっくりと背を向けた。
そのまま輪郭から溶けるように、闇に消えていく――最初から存在していなかったように。
「待てよっ。おい、サキオン……逃げるなっ! 返事をしろ、サキオンっ!」
叫び声は白壁に跳ね返り、虚しく消えた。
伸ばした手は空を切り、行き場がない。
すすり泣くような情けない嗚咽は……他ならぬ、僕自身から発せられていた。
「アスタ、様……。どうか、そんなに泣かないでください」
背後から、そっと包み込むような温もりが抱きしめてくる。
その冷たい手が震えながらも、僕を少しでも慰めようと寄り添っていた。
「な、情けなくてごめんな、リュス……」
きっと、僕は君のことも傷つけた。
***
「――って、ことがあったんだけど。オノレ、どう思う?」
「うん、証書庫《シャルトリエ》を見つけた、か……それ絶対、俺に相談していい話題じゃないよねぇっ!?」
屋敷に帰って早々。
僕はリュスと二人で、オノレに相談することにしたのだった。
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