ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第162話 死人に口なし、聞く耳なし。お前なんか大っ嫌いだ!(後半)

 リュスが語る英雄譚は、大人たちから聞かされてきた“色ボケの失態”とはあまりにかけ離れていた。

 けど、それ以上に胸をざわつかせたのは――。

 

(サキオンの眼に、欠片の情熱もない!?)

 

 考えてみれば、湖で会った時からだ。

 こいつはこれまで一度も、リュスに興味を示したことがこれぽっちもない。

 

(だが、そんなことがありえるか? だって、サキオンが破滅した原因、ヤバマーズが没落した理由は……こいつが分不相応な恋に狂って、愚かにも矢文を放ったからだろ!?)

 

 リュシエンヌは、絶世の美女リュディヴィーヌの生き写しと謳われた令嬢。

 たとえ彼女が髪の色を変え、これまでの苦境で風貌が変化したのだとしても、こうまで無反応でいられるのだろうか。

 

(破滅を選ぶほどの恋じゃ……なかったの、か?)

 

 僕の困惑をよそに、リュスは必死に頭を下げて感謝を連ねる。

 

「わたくしたちはあの日から、あなた様へのご恩を忘れたことはありません。あなた様が遺してくださった平和の尊さを……ロザリスは、ずっと忘れてはしませんでした」

 

 しかし、サキオンはひどくつまらなそうに眺めていた。埃の粒が舞うのを、眺めるように。

 その長い足を組みかえると、口にする。

 

「なんだ、結局、この女は死者に謝意を述べたいだけか。……なんと無益な」

「はあ!?」

「どうせ、往時の(おれ)(おれ)の都合で動いただけだろうよ。死人が聞き耳を持つなど期待するな、勝手に美化するな。其処の女よ、見苦しいから疾くやめ給え」

「おい、感謝をしてくれている相手に、そんな言い方はないんじゃないか! ずっと語り継いでくれてたんだぞ!」

「なんだ、恩着せがましい。“子々孫々、語り継いで感謝せよ”と、(おれ)が頼みでもしたの(かな)?」

「お前っ!!」

 

 たまらず、僕は声を荒げた。

 

「アスタ様……?」

「リュス! もういい、立つんだ。こんな血も涙もない奴に、頭を下げる必要なんてない! こいつは君たちが背負ってきた想いなんか、何一つ覚えてやしないんだ!」

「……サキオン様には、ご記憶がないのですか?」

 

 恩人たる死者に、忘れられていた。

 その事実は、リュスにとってショックな出来事だったらしい。小さく肩が震える。

 

「お前、だいたいさぁ! 残されたヤバマーズ一族が、どれだけ苦労したかわかってんのかよ!」

「知らんよ。……貴様まで、死人に聞く耳を期待するな」

「女に狂った色ボケのクズ、史上最低の当主! ヤバマーズを貶めた疫病神ってな! それが後世のお前の評価ってやつだ!」

「ほほう、(おれ)が女に狂奔したのか」

「後の人間がどれだけ蔑まれてきたか、少しは想像してみろ!」

「要するに、以前に貴様が嘆いていた“爵位の降格”とやらは、(おれ)の痴情のもつれに起因した、と……そうか、フン」

 

 サキオンは腕を組み、ふてぶてしく顎を撫でた。

 

「で、貴様らの方はその下らん小噺を、わざわざ語り継いでいたのだな。それはそれでご苦労なことだ」

「小噺だと!? 僕らは笑い事じゃなかったんだよ!」

「して、貴様は(おれ)後裔(こうえい)なのか?」

「え、違う……直系では、ない」

「今度は、歯切れが悪い」

「僕は……あんたの弟の子孫なんだ。あんたが放り出した家を継がされ、苦労の末に死んだ。四代目当主オットーの末裔だよ」

(おれ)の弟、オットー? まあ、誰でもいい。で、貴様で何代目だ? 改めて、名乗り給えよ」

「……七代目、アスタ・ド・ヤバマーズ」

 

 名乗った途端。

 サキオンは露骨に失望した表情を浮かべ、頭まで抱え出した。

 

「貴様ら……つまり、アレか。(おれ)の死後から数えて四代分もか? ざっと一世紀近い年月を費やしながら、未だ先祖一人の失態を元凶扱いして来たと?」

「んなっ……!?」

「無能の弁明も、ここまで累積すれば見事という他ないな。今日(こんにち)に至るまで、新たな爵位を拝する勲功は立てられなかったのか。貴様らは、これまで何をしていた?」

 

 ――プツリ、と。

 

 今まで張り詰めていた何かが、切れる音がした。

 

「――ふざけるなよ、三代目ぇえええッ!!!」

 

 僕は、声を張り上げた。

 喉の傷が裂け、血がこみ上げるが、そんなの知ったことか!

 

「勲功? 取り戻す? どの口がそんな寝言をほざくんだ。あんたが残したのはな、莫大な負債と、他家からの蔑み! 魔物だらけの不毛の地だけだ! 僕らはな! 明日のパン一切れのために、命を削り、泥を啜って生きてきたんだよッ!」

 

 一度決壊した叫びは、もう止まらない。

 

「お前こそ、この真っ暗な部屋を見ろよ。特務研究機関だぁ? 秘密の地図だぁ? こんなものを隠蔽して、何がしたかったんだよ。名誉を捨てて女を救って、美談の主人公気取りか? ――残された僕らにとっちゃ、お前はただの無責任野郎だ!!」

 

 うわ、マズい。と思った。

 リュスの前で言っちゃいけないことを言った、と思った。

 

「いや、違う。僕はこんなことが言いたいんじゃ……」

「未だ、死者に恨み言を連ねるか。それほどまでに、後継たる貴様らは立派な貴族だったと主張したいわけだ」

「……別に、あんたの後のヤバマーズ領主だって、誰も彼も立派じゃなかったさ。バカで間抜けで、みっともなくて……死に様だって最悪だった。でもな、それでも誰もここから逃げなかったよ」

 

 ――でも、そこだけは。

 そこだけは、誇れるはずだから。

 

 感情がグチャグチャになっても、絶対に譲りたくなかった。

 

「どれだけ口汚くあんたを呪っても、歴代当主たちはお前の不始末から逃げ出さなかったんだ――なのにお前は、上から目線で僕らを嘲笑うのかッ!」

「当然だろう」

 

 サキオンが短く、断じた。

 

「統治者が、民を裏切らぬのは最低限度の義務だ」

「――っ!」

「“我らは民に生かされているのだから、民を捨てることだけはしてはならない”……なんだ、貴様はそう思っていないのか?」

「思っていない訳じゃ――っ!?」

「ならば、貴様らは自明の職務を全うしたに過ぎんな。それしきの事柄が、それほど迄に偉大か? 頭を撫でて褒めてもらいたかった、とでも?」

「……くう、うううっ!?」

「仮に、(おれ)が不覚を取ったとしても、貴様ら自身が功績を立てられなかった事実は些かも変わらん。死者へ、恨み言を吐いて何になる? それは――ただの甘えだ」

 

 呼吸が詰まる。

 視界が、悔し涙で歪んでいく。

 

 血の滲むような歩みを、“当たり前だ”と踏みにじられた憤怒。

 父上が死んでからギリギリで、踏みとどまっていた悲しみ。

 

 それでも僕は、どこかでこの男に憧れていたのに……そんな自分への嫌悪。

 

「お前なんか――」

 

 鉄の味が、さらに舌の根から込み上げた。

 喉で燻る苦さは……幼い頃、一族の宴で感じていた不快感。

 

「――お前なんか、大っ嫌いだ。サキオンッ!」

 

 今までは言いたくなかった、その言葉を。

 僕は、遂に本人に向かって口にした。

 

 すると、返って来たのは……溜息。

 

「聞いてはおれん。見込みがあるかと思ったが、(おれ)の勘違いか」

 

 サキオンがさらに高く浮かび、僕を見下ろす。

 

「貴様は……領主の席に座るには、あまりに早すぎたのだな。中身はまだ、思い通りに行かぬと、駄々をこねる子供のままか」

 

 そう吐き捨てると、ゆっくりと背を向けた。

 そのまま輪郭から溶けるように、闇に消えていく――最初から存在していなかったように。

 

「待てよっ。おい、サキオン……逃げるなっ! 返事をしろ、サキオンっ!」

 

 叫び声は白壁に跳ね返り、虚しく消えた。

 

 伸ばした手は空を切り、行き場がない。

 すすり泣くような情けない嗚咽は……他ならぬ、僕自身から発せられていた。

 

「アスタ、様……。どうか、そんなに泣かないでください」

 

 背後から、そっと包み込むような温もりが抱きしめてくる。

 その冷たい手が震えながらも、僕を少しでも慰めようと寄り添っていた。

 

「な、情けなくてごめんな、リュス……」

 

 きっと、僕は君のことも傷つけた。

 

 

***

 

 

「――って、ことがあったんだけど。オノレ、どう思う?」

「うん、証書庫(シャルトリエ)を見つけた、か……それ絶対、俺に相談していい話題じゃないよねぇっ!?」

 

 屋敷に帰って早々。

 僕はリュスと二人で、オノレに相談することにしたのだった。




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