ヤバマーズ家は汚名を背負い、私財まで投じている。
そりゃ難民やならず者同然だった民たちは、ヤバマーズ家のおかげで魔物がいる森を開拓できたし、人としての生活を手に入れただろうけど……。
「ああ、得はないだろうね。多少、裏から便宜を図ってもらったとしても、損得勘定で言えば損な仕事だよ」
「自分たちの名誉を投げ捨てて、財産まで投じて。そんなの、儲けがあるかもわからないのに……!」
「儲けは……実際、あまりなかったんだろうね。だからこそ、子爵領の没収で力を失ったと考えるべきだ」
「はは、やっぱバカだろ。ご先祖様は、王に弱みでも握られてたのかよ」
あまりに滅私奉公すぎて、そうでもなければ理解できない。
でも、もし、そうじゃないんだったら?
(まるで、ヤバマーズ家が――
僕は、
カフェオレを飲んで、強引に糖分を脳へと送り込む。
思考を回復させるには、この甘ったるさがとにかく必要だった。
(教会にあった
初代の意志が、教会建築時点から入り込んでいるのは確かだった。
「……初代がそんな事情だったかもしれないのは理解したよ。でも、だとしたらこそ、余計にわけがわからない。そこまで王との繋がりが強かったとしたら、どうして僕らは落ちぶれている?」
「問題はそこだね。さて、二つ目の焦点だ」
オノレは冷めた目で、手元の皮紙を指先で叩いた。
そこにあるのはヤバマーズ特務研究機関、最後の機関長サキオンの名だ。
「機関が途切れた、三代目の時代。おそらく、ここで大きな変化が起きた」
「やっぱ、サキオンのせい、か?」
僕が知っているのは、三代目サキオンがやらかしたって話だ。
隣国の公女様に惚れて、和睦交渉のさなかに矢文を放つなんてやらかした、前代未聞のバカ。
「それは……うーん、どうかなあ?」
「どうかなあって。僕はサキオンが失踪し、湖で溺死したと聞いているぞ」
「で、不祥事の責任をとる形で、ヤバマーズ家は子爵領を失い、不毛の地しか持たない男爵となった。それが表向きの歴史だね」
「ああ」
「後を継いだ、弟のオットー……君の曽祖父は、王命を一切引き継いでいないように見える。子爵領という収入源がなくなったから、機関を存続できなくなったのは理解できるんだけどね」
ヤバマーズの立ち位置が変わったのは、サキオンがやらかしたからなのか?
僕は、遂に問いかけた。
「――リュス。貴女なら知っているんじゃないか? 公女リュディヴィーヌから受け継いだ、真実を」
謎を解くカギは、彼女しかいないと思った。
すると、リュスは昏い瞳を沈ませる。
「わたくしにも、ヤバマーズ家での内情はわかりません。ですが間違いなく、サキオン様は我が家系にとって……そして、ロザリス公国にとって、
「例のサキオンが、ロザリス公国を救ったって話か」
「はい」
「……いったい何があったんだ?」
「当時の
「ああ、もちろん。それで公女リュディヴィーヌは、熾烈な交渉の末、
両国の緊張が高まる中、この縁談こそが戦争を寸前で回避させた。
歴史的な和睦の象徴にして、美談だ。
そんなもの、子供だって知っている。
「ヤバマーズ家以外にとっては、めでたしめでたし。ハッピーエンドだ」
「それが……そう簡単な話でもなかったのです」
「どういう意味だ?」
「第二王子との婚姻を交渉したのは、既に第一王子には正妃がいたからですが……この交渉は難航していました。
すると、オノレが、あからさまに嫌な顔をした。
「ねえ、それ。実は、俺たちが聞いちゃヤバい話じゃないかな?」
オノレはこれ以上、深入りしたくないと言う態度。
だが、僕は構わず先を促す。
「続けてくれ、リュス。主戦派は、どんな妨害を仕掛けたんだ?」
「リュディヴィーヌはロザリス大公家の正当なる証として、『宵星の銀指環』を持参しました」
「神から授かった装身具か……名前は聞いたことあるな」
「はい。七大神が一柱、慈愛の女神イシュターより拝領したものです。精神を安らかに保ち、瘴気を退け病魔を払う。そう言われています。……これが
神から賜った
いくら戦争を止めるためとは言え、国としてはかなりの譲歩。苦渋の決断だ。
「主戦派は……その指輪を、リュディヴィーヌから強奪しようとしたのです」
「なっ!? 平和の大使から、
「あー、もうっ。言わんこっちゃない! やっぱり知ったらいけない、歴史の闇じゃないか!」
さすがに揃って、悲鳴に近い声を上げた。
これ、外に漏れたら、今の時代でも問題になるやつだ!?
「当然ながら、もし指環が失われれば、和睦の儀は成立しません」
「……そりゃそうだろうな、平和が遠のく」
「いいえ、それどころではありません」
「え?」
「なんと主戦派は、
指環を紛失した公女は追い返され、公国側も激昂。
どちらも退くに退けない……血みどろの開戦だ。
「絶体絶命の危機でした。護衛は買収され、公女は孤立無援の状況……その絶望に、一矢の光を届けた者がいたのです」
「まさか……!?」
「そう。その窮地を救い出した御方こそが、サキオン様だったのです」
衝撃の事実。
一族が呪い続けてきた、色ボケの凶行。
その真実とは、たった一人で“王国の主戦派”という強大な悪意に立ち向かった。あまりにも孤高な強行突破だった!?
「えと……じゃあ、恋の矢文って話は?」
「サキオン様は、指環を奪取してくださいました。ですが、主戦派の手回しも巧妙で……『宵星の銀指環』の検分が、予定よりも早く始まることになってしまったのです」
「えっ、なら間に合わなかったのか!?」
「いいえ。サキオン様は追っ手と戦いながらも、遠く離れた監視塔を駆け登った……」
「監視塔?」
「そして、ついに最も高き処に立ち、弓を構え。矢に指環を固く括りつけると――」
リュスの
「遥か彼方。到底、不可能とも思える距離を越えて、見事、公女のいる窓へと放った――それが後世に貶められた、矢文だったのです」
飲み干したカフェオレの甘みが、急にひどく苦く感じられた。
喉の奥が熱い。指が、震える。
「あいつ、恋文なんかじゃなくて……盗まれた
僕は、呆然としてしまった。
矢文の正体。
それは恋心を綴った紙切れなどではなく、国家存亡を懸けた至宝の返還。
「ええ。ですが――この指環の奪還劇は、絶対に世に出てはならなかった」
「なんでだよ!?」
思わず、僕は叫ぶ。
しかし、オノレが疲れた顔で、首を振った。
「わからないかい、アスタ。貴族の主戦派たちが“指環を盗んで戦争を企てた”なんて話が表に出たら……結局、公国との対立構造が再燃する」
「じゃあ、あれかよ。戦争を回避するには、サキオンというバカが、公女に惚れて勝手に不祥事を起こしただけ。そういう話にするしかなかったって?」
「そういうことだね。和平派が目的を達するには、それしかない」
「なんだよ、それ! だいたい和平派って誰だよ!」
「――焔王家だよ。そうでなければ、話が成立しない」
焔王家は手を汚さず、関与の証拠も残さずに和睦を完遂。
泥を被ったのは、サキオンだけ。
「公女への懸想。この下品なスキャンダルは、誰もが面白おかしく騒ぎ立てる喜劇だ。真実を覆い隠すには、さぞかしうってつけだっただろう」
「いいや、僕はこれで国家間の緊張が高まったって聞いたぞ! なら、逆効果じゃないか」
「このスキャンダルで、国家間の緊張が高まる、か。おそらく、それは事実でもあるけど……同時に嘘でもあるね」
「い、意味わかんないことをいうなよ」
「アスタ、考えてもごらん。色ボケ貴族の暴走求愛。もし、そんな理由で戦争を始めたら――ひどくバカバカしいだろ?」
絶句するのは、今度は僕の番だった。
もし、実際に戦争が起きていたらどうなっていたか?
史上最もバカバカしい戦争として、全員が永久に笑いものになる。
それはあまりに、あまりにも……人を食ったような一手だった。
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