ガタッ!
思わず椅子を揺らす勢いで、身を乗り出してしまった。
「ちょっ、ふざけんなよ!? その地図はな、うちの大事な家宝みたいなもんだぞ!?」
「いやぁ、旦那様。そう言われましてもねえ……」
「どういうことか、納得のいく説明をしろっ!」
すぐ近くで、大人しく事務仕事をこなしていたヘイホー。
コーヒーを啜っていたオノレが、同時にぎょっとする。
「だから。あっしは、そのために来たんでさ」
「……そっか。そうだな、すまん(素直)」
命懸けの調査に赴いた部下を、困らせるのはダメな振る舞いだな。
一度、落ち着こう。すーはー、すーはー。
「よし、聞こうか」
「へい。まず、狂気樹海の入り口でやすが……ありゃあ、人の住む世界じゃねえですな。瘴気の濃さといい、蠢く魔物の密度といい。ジル坊ちゃんの防毒マスクなしじゃ一分と持ちやせん、とんだ危険地帯ですよ」
「探索困難なのは、百も承知だ。でも、古地図さえあればルートが――」
「問題は、まさにそこなんでさぁ」
「……そこって?」
「この『特務研究機関』とかいう場所……そこにどう足掻いても辿り着けそうにねえんです」
「はあ? 辿り着けない?」
眼帯の
顔には、深い疲労感。
「魔物を避けながらでも、地図の通り進んだんでやす。なのに、気が付けば同じ場所をグルグル回らされ、ハッと気が付けば……樹海から出てるんさぁ」
「樹海から出てしまう……?」
「木に目印を付けても、コンパスを使っても無駄。ありゃあ、迷いの魔術かなにかが仕掛けられてやすぜ」
そんなトラップなんて、どこにも書いていなかったのに。
いや、そもそも……古地図以上に詳しい資料なんて残ってない。
え、どうしたらいいんだ。これ? 原因はいったい何なんだ?
「で、お次は湖ですな。こいつの描かれようも、まるでアテになりやせん」
「なぜだ?」
「湖の範囲が、明らかに地図より広いんですよ」
「……今度は、湖が広いと来たか」
「ええ。それも一回りどころか、二回りはデカく広がってやがる」
「縮尺が間違ってるとかじゃなく? だいたい昔の測量なんて、今よりいい加減なもんだろ」
「うーん、なんつーか。そういう誤差って感じでもなさそうでして……?」
どうやら現場を見た者でなければ、伝わりにくい状況らしい。
「正確じゃなくていい、お前の感性で話せ」
「なんていいやすかね……そう、周辺一帯の陸地がじわじわ侵食されてる感じなんですわ」
「侵食……」
「湖の周りは湿地帯になってやすが、ありゃあ元々は陸だった場所でさ」
「……なぜ、そう思う?」
「なんか変だなと思ってみて回ったら、水に浸かって腐った木がありやがるし、古道らしき石畳が沈んでるところもありやしたね」
ゾワリ。不吉な予感に、怖気が走る。
確かにあの道中、やけに歩きにくいとは思ったが……どうして、僕はその可能性に気付かなかったのか?
「旦那様。こいつはいったい、いつ頃の地図ですかい?」
「……三代目サキオンの頃だ。僕の曽祖父の世代だろうから、せいぜい数十年前……百年までは経っていないはずだ」
「なら、なおさらおかしい。それぽっちの年月で、地形がここまで変わるもんですかねえ?」
地殻変動でも、起きたのか?
いや、地図が参考にならなくなるほどの天変地異が起きたなら、さすがにヤバマーズ領だけの問題じゃ済まない。王国中に災害記録が残るはずだ。
その時、話を聞いていたオノレが口を開いた。
「アスタ、この古地図だけど。湖を描いたものだけで、何枚かバリエーションがあったよね」
「え、ああ。スケッチっぽいものも含めたら、枚数あるな。それがどうした?」
「試しに、並べてみてごらんよ」
言われるがまま、数枚の地図を机に広げていく。
そして、僕は目を疑った。
「よく見たら、全部、湖の大きさが違うじゃないか!?」
「おそらく年月が経つにつれて、湖の境界線がじわりじわりと外側に向けて書き直されているんだ」
「まさか、オノレ。気付いてたのか?」
「パッと見、計測誤差かと思ってたんだよ。もちろん、妙には思ってたけどね」
「……ということは、昔から地形が変わっていたのか」
「なんだったら、昔の方が変動の速度が速かったみたいだね。……たぶんこういう順番だ」
オノレが、地図を並び替えていく。湖のサイズ順へと。
つまり、湖が肥大化している? そんなバカな。
「それに、これも気になったんだが。一番最後に作成されたと思わしき、この地図」
オノレが指で示したのは、広大な湖のど真ん中。
水没しているはずの地点にぽつんと記載された――謎のランドマーク。
「これ、どういう意味だと思う?」
「水中に、目印?」
「……最後の地図にだけ、描いてあるの。変じゃない?」
「確かに。何の意味があってそんな場所に記載したんだ」
頭を捻る僕たち。
すると、ヘイホーがおずおずと自信なさげに言った。
「えっと。なにかの大きな建築物が……水に沈んだ、とかはどうでしょうか?」
オノレは顎に手を当て、一応頷いて見せた。
「まあ、なんらかの建築物が沈んでいる可能性は否定しない。たぶん、道があった以上、湖周辺にも拠点はあったはずだから」
「あ、そうか。そう、なるのか」
湖の近くに拠点があるかどうかは、考えてなかった。
「もしかしたら、湖に漁村くらいは昔あったのかもな」
「それはこの辺りだと思う。切り開いたような地形があるから」
「……ああ、そういう見方をすればいいのか」
改めて見れば、当時の地図にはそれらしきところもある。
でも、ランドマークは付いてない。
「てか、さすがに湖のど真ん中に建築物はありえねえな」
「そうだね。増水で集落が沈んだなら、湖の端辺りになるんじゃないかな」
「そう、ですか。そうですよね」
ヘイホーは、ションボリした。
すると、眼帯の
「なら、船が引っかからないようにする注意喚起なんじゃないですかい? 小島があるとか、浅瀬があるとかよう」
「ありえるけど。そういう記入するなら、他の箇所にも色々書き込みがないとおかしいと思わないかい」
「……そう言われりゃ変ですな、ここだけピンポイントだ」
そもそも一番、最後の地図にだけ書き込みって変なんだよな。
そんなもの、昔からあるはずだから。
あまりに意味がわからなくて、みんなで唸っていると……廊下から響く、狂乱に近い足音。
「……なんだ、やけに騒々しいな」
――バァンッ!!
蝶番が悲鳴を上げる勢いで、扉が開けられた。
そこにいたのは、凛々しい執事服に身を包む、我が麗しの
「リュス!? どうした、そんなに慌てて……うぐっ!?」
問いかける暇もなく、一直線に僕の胸に飛び込んできた。
結い上げている髪は乱れ、顔は青ざめている。呼吸も激しく乱れていた。
「アスタ、様……っ!! あああ、アスタ様……っ!」
「ほら、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから、僕はここにいるよ」
まさか、また発作が起きたのか?
最近は、かなり落ち着いて来ていたのに。
(いや、普段もけっこうメンタル、ガタガタではあるけどさ。発作までいかなくても、顔色悪い時はあるし。眠れないのか、屋敷内を歩いてる時もあるし……)
率先してバリバリ働いてくれるから、無理をさせがちではある。
しかも、リュスって人前だと限界まで我慢するしな。
(だからこそ、心のケアになるならと思って、一緒にいる時間は望む通りにしてあげてたんだけど……)
同席していたメンバーも、さすがに困っているようだ。
うーん、リュスが精神的に不安定なのは、あまり知られたくないなあ。
居心地悪くなって、自分のことを責めちゃうかもだし。
「どうしたんだ、リュス? よしよし、また不安になったのか?」
「湖が――」
「え、湖?」
「湖が、氾濫しますっ……村も、工房も、濁流に押し流されてしまうっ!」
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