ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第168話 豪華海鮮水難フルコース。昼間っからすげえなあ、じゃないんだよ!

 執務室に、衝撃が走った。

 

「えっ、そいつはどういうことなんですかあっ?!」

「湖が氾濫? 村が押し流されるったぁ穏やかじゃねえな、マダム・リュス」

 

 ヤバい。

 もしかしなくても、これって例のアレか!?

 

(この取り乱し方は、発作なんかじゃないぞ! リュスが持つ、聖王教会すら知らない不思議な力――『回帰』だ!)

 

 死をトリガーに時間をやり直すその異能が、今まさに彼女の正気を削り取っている。

 しかし、その異能の存在は秘密にしなければならなかった。

 

「落ち着け、リュス! 今は、他の人もいるから――」

 

 僕は必死に現実に引き戻そうとする。

 だが、そこに映っているのは今ではない“どこか”。

 見ている相手も、僕であって“今の僕”ではない。

 

「わたくし、間に合いませんでした。わたくしが、わたくしが愚かだったから、また、あなた様を死なせてしまった……っ」

「生きてる。生きてるから、ほらっ! ちゃんと温かいだろ?」

「冷たい水の底へ、わたくしを庇って――ああっ!?」

 

 リュスだけが体験した、凄惨な終わりの情景。

 

「ごめんなさい、お役に立てなくてごめんなさい……っ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」

 

 え、待って。だいぶ正気が削れてるんだけど。

 大切な人の悲愴な有様に、僕まで心が痛む。そんな時だった。

 

「やれやれ。……はいはい、みんな空気を読もうね」

 

 ふらりと立ち上がった、オノレ。

 どこか軽薄な笑みを浮かべ、テキパキとヘイホーと猟兵(シャスール)を誘導し始める。

 

「見ての通り、男爵様は愛人(メトレス)と過ごす大切なお時間が来たようだ。俺たち邪魔者は退散だよ」

「えっ、ああ……これって、そういうやつなんですか……?」

「あ、だから他の目があるとか気にしてんのか」

 

 ちがーう!! そういうやつじゃない!!

 

「す、すごい変わったイチャつき方ですねぇ。あは、ははは、じゃボクは失礼しますっ!」

「昼間っからすげえなあ。……じゃ、あっしもこれで」

 

 ヘイホーは顔を赤らめ、眼帯の猟兵(シャスール)はどこか感心したような顔をしながら、グッと親指を立ててきた。うるせぇよ!

 そのまま退出していく、一同。

 

( オノレのやつ、助かったけどさあ。さすがに機転の利かせ方が酷くないか? てか、お前ら、なんであっさりそれで誤魔化されてんだよ!)

 

 バタン、と扉が閉まる。

 部屋に残されたのは、震えるリュスだけだ。

 

「ああ、もうっ! リュス、聞け!」

 

 ぎゅっと、力いっぱい強く抱きしめる。

 執事服の堅い生地越しでも分かる、その華奢な身体つき。

 

「もう、大丈夫だ。僕がついてる」

「……アスタ、様……」

「そのまま、僕の心臓の鼓動を聞いてごらん」

「……心臓の音」

「そうだ、耳を澄ませて。――僕と君は、今ここにいる」

 

 リュスは鼻先を擦り付けるようにして、深く、苦しげに息を吸った。

 

「アスタ様の、匂いがします……」

「匂い?」

「生きて……いらっしゃる。本当に……アスタ様……」

 

 え、それって大丈夫な匂い?

 いや、本人が嫌じゃないならいいんだけどさ。

 

 指先が必死にしがみ付いてくるので、背中を撫でてあげた。

 

「あたたかい……冷たい、水の底じゃありません、ね」

「そうだよ、ここは執務室だ。えらいね、よく頑張ったね」

 

 なにかあったかはわからない。

 僕にわかるのは、リュスが苦しみを耐え抜いたことだけ。だから、ひたすらに肯定し続けた。

 

 リュスは顔を埋めたまま、小さく呼吸を整えようと必死になっている。

 

「焦らないで、ゆっくりでいい。落ち着くまで、僕はいつまでもこうしていよう」

 

 すると、過呼吸気味だった荒々しさが、徐々に規則正しいリズムを取り戻していった。

 

「申し訳……ございません……」

「なにが?」

「また、ご迷惑をおかけしました」

「迷惑だなんて思ったことないよ、僕は貴女の役に立てるのが嬉しい」

 

 リュスはゆっくりと顔を上げた。

 昏く淀んだ暗渠(あんきょ)の瞳に、涙の粒が光る。

 

 僕は微笑みかけて、親指でその頬の涙を拭った。

 

「その、お話が」

「だから、焦らなくていいってば」

「……いえ、お伝えしたく」

「なら、ゆっくりな」

 

 こくん、とリュスは頷いた。

 

「アスタ様は……再び、クラーケンを討伐しようとされて。追い詰めたものの逃がしてしまいました」

「……そうか」

「すると、さらに湖から魚人たちが現れ……」

「はあ? ぎょ、魚人……?」

「交戦の末、余力もなくなり、もはや近づくことも困難となりました」

「まあ、そんな状況になったら、攻略を見送るだろうな?」

「そうして、様子を見ている間に、突如として湖があふれ出したのです。逃げ場のない濁流がなにもかもを押し流して……」

 

 おいおい、なんていうか……想像のナナメ上を飛んで来たな。

 

 魔人が綿毛を降らし、盗賊が徒党を組んだかと思えば、今度はクラーケンと半魚人の軍勢、洪水パニックまで添えた水難フルコース?

 

(ヤバマーズに降りかかる災難は、いつだって僕の想像力とキャパを、全力でブチ抜いてきやがる)

 

 で、リュスはあえて隠してるが……この憔悴具合。

 その戦いで、僕が何度か死んでそうだな。きっと、不甲斐ないところを見せたに違いない。

 

 思わず自分の情けなさに、歯を食いしばる。

 

「……アスタ様。わたくし、もう大丈夫です。ですから、その」

「ん? ああ、悪い。つい力が入りすぎた」

 

 名残惜しさを感じながらも、そのぬくもりを手放す。

 

 リュスは顔を伏せて、背中を向けると乱れた髪を整えていた。

 指先は……まだ幽かに震えていた。

 

「で、どれくらい急ぎだ? 期限は?」

「……洪水が起きたのは、ええと。ううっ……!?」

「え、おい。本当に大丈夫か?」

 

 リュスは、日付感覚がなくなっているらしい。精神が不安定になりかけたので、頭を撫でながら一緒に暦を確認していく。

 

「確か、五日後の昼過ぎ……だと思います」

 

 なるほど。ゆっくりしてられるほどでもないが、焦るべきでもない。

 綿毛の魔人エグレットの時は、三日後だったからそれより猶予はあるな。

 

(いや、我ながらマヒしてるだろ。滅亡を告げられたことには変わりないぞ)

 

 変に慣れてしまった自分に、呆れる。

 

「とりあえず、原因を探るか。自然災害ならどうしようもない、土地を捨てて避難させるしかない、が……」

「未来のアスタ様は、湖の調査を第一にしました。そのためにクラーケンをお討ちになる、と」

「まあ、怪しすぎるもんな」

 

 そもそも避難させたところで、土地がダメになったら……さすがに餓死者が出る。

 防げるものなら、防ぎたい。

 

 だけど、この状況を一番、分析出来そうな奴ってこの場合さぁ。たぶん、リュスじゃねえよな。

 

「……はあ」

 

 地下の書庫(シャルトリエ)で喧嘩をして以来、“アイツ”は姿を現していない。

 僕に失望しちゃったのかな、サキオン。「大っ嫌いだ」なんて言っちゃったしな。

 

(いや、まあ。……正直、ムカつく奴には違いないんだが)

 

 頭が冷えると、色々と思うところが出来てしまったのだ。

 僕も、あんまりアイツのこと言えないじゃんかって。

 

「んー。ひとまず、あれか」

 

 僕は扉に歩み寄り、勢いよく開け放った。

 

「おい、自称スパイのオノレ! 隠れてないでさっさと戻ってこい! お前の知恵が必要なんだ!」

 

 すると廊下の影から、「やれやれ」と肩をすくめながら誰かが現れる。

 

 正体は、もちろんオノレだ。しっかり、聞き耳を澄ませていたらしい。

 

「早かったね、アスタ。……え、ちゃんと女性を満足させてあげられてる?」

「ジルみたいにふざけたこと抜かすな、ぶっ飛ばすぞ」

「まあ、俺をぶっ飛ばしたところで、明日には君の評判が香ばしいことになってるんだろうけどね……」

「ふざけんな、お前の誤魔化し方のせいだっつの!!」

 

 なんでこいつ、ちょっと余裕あり気なんだよ!?

 このままだと、ヤバマーズが滅びるんだっつの!




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