「……オノレも来てたら、大喜びだったろうけどな」
だが、歴史ロマンの真実を見つけるなんて、そんな情緒にこだわる余裕はない。
今、僕らが直面している為すべき課題はただ一つ。
「なあ、ジル」
「なんすか?」
「このダムが決壊して、湖が氾濫すると思うか?」
問いに、ジルは戸惑いを見せた。
「……あの預言みたいなの、マジなんすか?」
「ああ、必ず起きる。僕らがなにもしなければ、間違いなくな」
ジルは、困ったように頭を掻いた。
実は、疑っていたらしい。
「正直、うちには判断つかないっすよ。この建築物の全貌が把握できないんで」
「……そう、か」
「でも、パッと見た感じ……この分厚い壁が、ぶっ壊れるイメージは湧かないっすね。圧倒的な強度を感じるっす」
それが専門家の直感。
ならば、僕はそれを信じることにしよう。
「だとすると、問題はダムではなく……村側の標高が低いのかもしれん」
「あー! ダムが壊れるより先に、陸地の低い箇所から溢れちゃうんすね。それなら十分にありえるっす!」
「なら、水門を上手いこと調節して、安全に放水量を増やせないか?」
「うーん。……でも、内部に入らなきゃ操作は無理じゃないすかね」
ジルは
そうして、ある地点でピタリと止まると、突然、石畳に這いつくばり始めた。
「この辺り……っすかね?」
ジルが工具ベルトから取り出したのは、金属のロッドと耳当てがついた道具――聴診器だった。
能天気な表情が、途端に鋭く変貌する。
「ビンゴっす。ここだけ明らかに反響音が違う。この真下が空洞……内部構造へのルートなのは間違いないっすね」
「開けられそうか?」
「やってみるっすけど……これ、どう触ればいいのかなぁ?」
ジルが指先で継ぎ目をなぞった途端。
細い溝から、幻想的な青白い光の線が走り抜けた。
「これ、物理的な鍵じゃないっすね。たぶん、特定の周波数を流し込むか、なにか認証を噛ませるのか……?」
「……厄介だな」
「正しい開け方を知らなきゃ、手も足も出ない。ホント、意地が悪いセキュリティっすね。さすがは性悪エルフの遺物っす」
古代エルフの叡智。
遥か時を経てもなお、朽ちることなき論理の錠前となって、侵入者を拒絶し続けている。
焦燥感に駆られ、たまらず僕も近寄った。
その時――。
「――くっ、痛っ!?」
「アスタ先輩!?」
黒曜石のごときウロコを突き抜け、走る激痛。
怪我でヒビ割れたままの隙間から、ピリピリと不快な振動が響く。
「大丈夫っすか?」
「ああ……大丈夫だ。だが、なんだか妙な感覚だぞ。左手のウロコが、引き合っているみたいな」
「先輩の異能って、磁気干渉に近い性質だって言ってたすよね」
「ああ、そのはずだ」
「なら、もしかしたら、セキュリティの魔術回路を
「……試してみる価値はあるな」
僕は左手を、ゆっくりと光の筋へとかざした。
ウロコが、更に熱を帯びる。
神経がジリジリ灼けるような痛みを堪え、石壁の内側にある流れを感じ取り、強引に『三日月の刃』の斥力で、ねじ曲げるイメージ。
――カチリ、カチリ。
内側で、何かが噛み合う音がした。
同時に、広がっていた石床がガタンガタンと滑り始め、内部へ降りる優美な螺旋階段へと姿を変えていく。
「正規の開錠手段じゃなさそうだが……こじ開けられたな」
「……さすが、アスタ先輩。遺跡荒らしの才能まであるとは、恐れ入ったっす」
「お前、ちょっとは素直に褒められないのか?」
開かれた内部へ踏み込むと、外の蒸し暑い空気は一掃された。
ひんやり涼しく、不思議なほど快適な空間。
「明るい……? 窓もないのに?」
見上げれば、天井には仄かに自発光する花が咲き誇る。
幾何学的に配置された光る導管が、脈動するように壁を伝う。
僕らは一列の隊列を組み、反響する足音を聞きながら歩いた。
回廊を進むこと、およそ数分。
やがて僕たちは、ダムの中枢と思われる円形広間へと辿り着いた。
「うわ……」
誰かから声が漏れた。
脈動する青白いラインが張り巡らされた先、鎮座するのは水晶の円柱。その内部では、スパークが激しい渦を巻く。
轟、轟、と。
落水音だけではない、この建造物そのものが鳴動していた。
「……魔導装置っす」
「なんだと? えと、この水晶のことか?」
「違うっす! このダム自体が、丸ごとデッカい魔導装置なんすよ。高い位置から落下する水のエネルギーを、そのままこいつで増幅してるんす!」
ジルは興奮しながら、水晶の円柱へと駆け寄る。
「いや、もしかしたら、水に溶けている魔素も利用してるっすか? うちらが散々兵器を小型化できないかって頭捻ってたのに! ああ、もうっ! スラリー燃料すらアホらしくなるっす!」
「お、おい。落ち着けよ、ジル……」
「それだけじゃないっす。アスタ先輩、見てくださいっす。床や壁に刻まれたラインを!」
水晶の円柱から伸びる、太い魔導導線。
それは幾重にも枝分かれし、壁を突き抜け、ダムの深層へと消えていた。
「ここで生み出された莫大なエネルギーは、ダムを維持するためだけに使われてるんじゃないっす。もっと先、このダムの背後にある、どこかへと送り込まれているっすよ!」
「どこかって……どこだよ」
――ズキリ。
ヤバマーズの血が騒ぎだす。
その恐ろしい答えを、僕はもう知っているはずだと囁いてくる。
「湖に描かれたランドマーク? ……いや、それとも狂気樹海か?」
ゾクリ、とした。
もうすぐ引き起こされるという、破滅的な洪水。
決して誰も辿り着けない、ヤバマーズ特務研究機関。
この巨大なダムが、ただ水を堰き止めるためではなく。
ヤバマーズの闇に眠る、『ナニカ』を動かすための心臓なのだとしたら。
「もしかしたら、そのどちらも……かもしれないっすね」
ジルは円柱の基部にあった、盤上設備に飛びついた。
複雑な紋章とにらめっこしながら、なにやら動かそうとしているように見える。
「水門の操作系は……これすか。チッ、見栄えばかり気にして、使いにくいコンソール作りやがって……クソ、やっぱり現場端末がロックアウトされてるっす」
「コンソール? ……ロックアウトってなに?」
「ええっ、素人への説明ってムズい……。要するにいくら頑張っても、ここじゃ水門は開けられないってコトっす」
「なんで!? 水門は目の前にあるんだぞっ!!」
「外から、操作権限が奪われてるんすよ。誰かがこのダムの制御を奪って、意図的に放水量を絞ってる。そういうことっす」
「外からなんて、そんなことができるのか?」
「……どこか別の操作系と繋がってるんじゃないすか? 言うて、信号減衰とかを考えると、そう遠くない距離だと思うっすよ」
雨も降っていないのに、湖が氾濫する理由。
それは、何者かが仕組んだ人工的な災害?
……でも、だとしたら誰がそんなことを?
その問いに答えるように、不気味な音が響き始めた。
――ピチャ。……ペチャ。
濡れた肉塊が、石床を叩く足音。
それも一つや二つではない。
「――誰だっ!?」
ぬらりと現れたのは――水かきに覆われた手。
ツルツルと鱗に覆われた身体、ギョロッと飛び出したまばたきをしない目。上下に裂けた口。
ヤスリのような牙をギチギチと擦り合わせながら、近づいてくる影。
ふわりと腐った魚のような、吐き気を催す悪臭がした。
「うぅ、うぁああああああっ!?」
生理的な嫌悪感に、一人が悲鳴をあげる。
魚の頭を持つ、二足歩行のバケモノたち――魚人が押し寄せて来たのだ。
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