まず、ハッとしたベテランが、皆に喝を入れた。
「まだ終わってないぞ、怪我人に早く手当てをしろ! 動けるやつは、魔熊にトドメを刺せっ!」
硬直していた領民たちが、一斉に動き出す。
死んでいるように見えても、油断はしない。それが辺境に生きるヤバマーズ領民だ。
「うぉりゃぁああっ!」
「せいっ!」
崩れた
ピクリとも反応はない。だが三度、四度と念入りに貫く。
「あわわわわ……」
僕が左手の変貌に慌てている間にも、領民たちは手早く、ゴブリンの死骸を麻布で包み運んでいった。
できる限り、血を大地に吸わせず始末する。事後の片付けこそが、真の重労働だった。
「……終わった、ようだな」
ロダンが、大剣を支えにしてへたり込む。満身創痍。
それでも、走り去るグリーンゴブリンたちの姿を、忌々しげに睨んでいる。
「追撃はせんのか。今叩かねば、また戻って来るのではないか」
「あ? 人間の恐ろしさを、同族たちに広めてもらうのさ。で、また忘れたなら、何度でも思い出させてやる」
「……貴公らは、“魔物を討伐”しているわけではないのだな」
「そうだな。僕らは、“害獣を管理”しようとしているんだ。一匹残らず滅ぼす力もなければ、そんな無駄な体力もないからな」
魔物のいる僻地で生きるとは、英雄になることではない。過酷な環境と、末永く付き合っていくことだから。
「で、ヤバマーズ男爵。その腕は……なんだ?」
聞かれちゃった!?
包帯の弾け飛んだ左手。黒曜石に似た光沢のウロコが、はっきりと晒されていた。
「こいつは……その……」
正体は、僕が一番知りてぇよ。でも、異端認定されて首を
「ヤバマーズ男爵家に密かに伝わる……秘術の証だな(大嘘)」
「……貴公が魔術師と、聞いた記憶はないが。ふぅ……今日はもういい。追求する気力もわかぬ」
聖騎士ロダンは担架に乗せられると、大人しく運ばれていった。
ほっと一息。僕は、泥を払って立ち上がり、リュスの様子を見に行く。
「で、リュス。怪我はないか?」
「……どうして? 本来なら――」
「うん?」
リュスの昏い瞳は、困惑に染まっていた。
「みんな死ぬはずだったのに」
ぞわりと、背筋に冷たいものが走る。
「貴方は何者なのですか、アスタ様。……どうして、死の未来が変わったのですか?」
「死の未来が……変わった……?」
やはり、意味不明なことを言うやつだ。
元から
「旦那様っ! 魔熊の確認をおねげえしますだ!」
「ああ、今行く!」
領民たちに呼ばれて、歩き出す。
揺れる
***
倒した大物の検分もまた、領主の務め。
こと熊に関して言えば、魔物でなかったとしても必要だ。特に今回は、自分が指揮をして、仕留めた成果だからな。
「この通りですだ。まったく、酷ぇ有様で……」
ズタボロに焦げた毛皮の
背中は、内側から爆発ではじけ飛び、無惨に裂けている。
「これ、解体できるか?」
「もう、毛皮は使い物になりやせんが……何のためになさるので?」
「いや。まあ……そうだな」
普通の領主なら、勝利の証として毛皮を飾るなり、はく製にするものだ。
だが、僕が考えていたのは、研究素材に出来るかどうかで。
(でも、この惨状だと……それすらも怪しいかな)
そう思って近づいた瞬間だった。
「グルォオオオッ!」
「――ッ!?」
死んでいたはずの巨躯が、痙攣するように跳ねた。
「コイツ!? まさか槍に耐えてでも、僕を殺すために死んだふりをッ!?」
あまりにも、執念深い殺意。
槍で幾度も貫かれ、内側から焼かれたはずの怪物が、怨念だけで巨腕を振るう。
「旦那様っ!!」
悲鳴が上がる。
回避は間に合わない。そう直感した。
――パチンッ。
指を鳴らすような小気味よい音が、不釣り合いなほど澄んで響いた。
直後。
僕の目の前で、
「――え?」
空を斬る爪。直撃を免れた僕の頬を、鋭い風圧だけが掠めた。
さらに、何が起きたのか理解するよりも早く、天から“氷の槍”が降り注ぐ。
ドォォォォォンッ!!
精密な狙撃。
それは魔熊の眉間に深々と突き刺さり、脳漿と魔素の残滓をぶちまけ、今度こそ、
「あはは。さすがに危なすぎでしょ、今の」
軽薄で、聞き覚えのある笑い声。
吹き出した脂汗を拭いもせず、僕は振り向いた。
「……お前は、なんでここに?」
岩の上に、一人の男が立っていた。
砂埃に塗れた旅装。だが、下に着ている仕立ての良いシャツと、手に握られた銀細工の杖は、彼が高貴な身分であることを雄弁に物語っている。
「やあ、アスタ。君の招待状、受け取ったよ。……『報酬皆無』ってのは、ラプラス伯爵家の三男としては聞き捨てならないけどね」
男は真っ青な髪をなびかせて、小瓶をシャカシャカと振って見せた。
ひらりと飛び降りると、僕の方へ歩み寄ってきた。
整った顔立ち、不遜な微笑み。王都の大学で、僕が数少ない『話が通じる
「……オノレ・ド・ラプラス」
「そうだけど? なんだい、君が呼んだんじゃないか」
「確かに、呼んだ、が」
手紙は出したけど、コイツが本当に来るとは思わなかった。ましてや、マッケンジー商会の馬車より早く。
「いやぁ、この不毛の地に来るだけでうんざりしてたよ。道中、魔物は出るし、空はずっと灰色のままだし。でもさ――」
オノレは、小瓶をかざした。
黒銀の砂粒が、オノレの放った魔術の残光に共鳴し、チリチリと青白く輝いている。
「このサンプルは、最高だ。君の言う通り、名誉も金も吹き飛ぶくらいの『謎』が詰まってる」
オノレは興奮を隠しきれない様子で、僕の肩をバシバシと叩いた。
「アスタ。これ、いわば“魔素が仮死状態にある”ってことだよね? この扱いづらいエネルギーが、こんなにも安定してるなんて。まったく、どういうカラクリだい?」
領民たちは、みんな唖然。
そう、王都からの一人目のバカは、こんなにも奇妙なタイミングで到着したのだった。
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