【書籍化進行】ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第185話 ブチ切れること、火の如く。積み上がる借り、山の如し。おい、その手を退けろ。

 視界が、どんどん赤く染まる。

 自分の身体のはずなのに、感覚は他人事みたいに遠い。

 

 次第に、意識が遠のく。

 宙を舞い、猛攻をいなし、刹那を見切る。

 サキオンがもたらしてくれた殺しの旋律も、宿主たる僕の肉体が限界を迎えれば、無様な足掻きに成り果てた。

 振るう剣の軌道が鈍り、生まれるのは致命的な隙。

 

 ――シュッ。

 

「しまっ――」

 

 足掻こうとするが、もう力は入らない。

 スタミナが枯渇、肺は酸欠、脳は意識を保つだけで精いっぱい。

 

 迫りくる、海魔クラーケンの巨大な吸盤。生え揃った鉤爪。

 

「ぐ、あああっ……!」

 

 激痛。

 僕の肩に、脇腹に、逃れられぬ力で喰い込んでいく。

 

「クソ……やっぱ、最期まで……カッコ悪い、な」

 

 逆さまになった視界の下。

 必死に手を伸ばし、絶叫するジル。眼帯の猟兵(シャスール)の姿が小さく映る。

 

(……みんな、ごめん)

 

 肺が潰され、ほとんど声が出ない。

 目の前が暗く、虚無へ沈んでいく。思い浮かぶのは、やっぱり――。

 

「――アスタ様、お気を確かにっ!」

 

 あれ、どうしてだろうか。

 ありえないのに、ここにいるはずがないのに。誰より焦がれた声がした。

 

 いや、きっと……それは幻聴だ。

 死ぬ間際、僕の未練が見せた錯覚。

 

 けれど、その声を聴いて、ちょっとだけ。

 本当にちょっとだけ、僕は満ち足りた気分になった。

 

(ああ、やっぱり。貴女の声は、いつだって心地が良いよ……僕の高嶺の花(リュシエンヌ)

 

 少しは、貴女のように気高く在れただろうか。

 意識は、そこでぷっつり。深い闇へと途絶えていった。

 

 

***

 

 

 疲れている時に、目を覚ますのは不快さを伴う。

 ここ数年、気分爽快で目覚めた記憶なんてありゃしない。

 

 王立大学(アカデミア)での、あの神経をすり減らす日々も。

 家督を継いで、飢えながら走り続けて来たこの数か月も。

 

 いつも、どこかで責任の重石を、抱えて眠っている。

 

 ああ、重い。重すぎる。

 身体も、瞼も、頭も、なにもかもが重い。

 

「もっと、寝かせてくれ……」

 

 ずっと、眠っていたい。夢なんか見たくない。

 僕は夢の中ですら、やらなきゃならないリストに追われている。

 

 けれど。

 不意に、どこか切ない甘やかな香りがしたから。

 

「……アスタ様。どうか、目を開けてくださいますか」

 

 布が擦れる、音。今にも消えてしまいそうな祈る声。

 誰なのか思い出せなかったけど。

 

 僕は、微睡みから覚めないといけない。

 この声の主を、一人きりにはしてはいけない。

 ……そんな気がしたんだ。

 

「だ、れだ……?」

 

 (リュス)が、強く眩く映る。

 

「ああっ!!」

 

 直後、凄まじい圧迫感が僕を襲った。

 むぎゅぅぅうううううううううううううっっ!!

 

「ごふっ!? ちょ、まっ、苦し……っ!!」

「アスタ様っ! よかった……本当に、本当によかった……っ!! わたくし、もうっ……!!」

 

 伝わってくる、あらがえない弾力。肌に吸い付くような熱。

 そして……肋骨が軋むほどの、猛烈な抱擁の力。

 

 いや、マジで、シャレになんない。ガチで死ぬよ?

 よく考えてよ、祓魔女(エクソシスター)のパワーだぞ?

 肋骨が、折れるっ!

 

「リュ、ス、くるし、い……死ぬ、マジで死ぬ……っ!」

「死なせませんっ! 離しません! もう、二度と……二度と、あんな思いはしたくないのですっ!」

「そう、じゃなくて、今、死ぬっ!!?」

 

 泣きじゃくりながら、名を何度も何度も呼ばれた。

 目に入る。あの日、僕が“解釈違いだ”と拒否しながらも結局は認めた。紅白の女使用人(メイド)服姿。

 髪は乱れ、瞳の下には深い隈。昏く堕ちた暗渠(あんきょ)の瞳。

 

「まだ……僕は、生きてるんだな」

 

 なんで、その恰好をしてるんだろう。聞ける雰囲気じゃなかった。

 

「はい、生きてらっしゃいますよ。わたくしが、絶対に……死なせないと、誓いましたから。地獄まで追いかけてでも、引き摺り戻すと決めたのです」

 

 さすがに、察する。

 どうやら、またもや助けられたらしい、と。

 借りが山脈のように積み重なって、一生返せる気がしない。

 

 申し訳なさと、愛おしさがこみあげて……そっと、頭を撫でようとした。

 

「あ……」

 

 そして、気付く。

 僕の左手の、その甲にびっしり漆黒のウロコが生えていた。肌を覆う禍々しさ。

 

「アスタ様?」

「……いや、ごめん。これじゃあ、気持ち悪いよな。まるで――」

 

 ――魔物だ。

 

 口にはしないけど、そう思った。自分でも嫌悪感がある。

 

 だけど、リュスはそれを許さなかった。

 その異形の手を、大切そうに包み込み、自らの柔らかな頬へと押し当てていく。

 冷たい肌。けれど、伝わるのは想いの熱量。

 

 僕はたじろぐ。

 

「気持ち悪くなどありませんよ。だって、あなた様の手ですもの」

「……あの、リュス」

「嫌です、離れません。……どこにも行かせません」

「まだ、なにも言ってないだろ?!」

 

 さらに、抱く力を強めるリュス。

 彼女の執着は、以前よりもずっと苛烈に、鋭利になっていた。

 

「なにも言わず、ただ約束してくださいまし。どうか、二度とわたくしを置いて行かない、と。……黙って、いなくならないで」

 

 瞳から、大粒の涙がこぼれる。必死に縋る眼差し。

 僕はたどたどしく、その背を撫でた。

 

「ごめん……僕が悪かった、本当に悪かったよ」

 

 ちょっとの時間でも、休ませてあげようと思ったとか。

 時間がないから、素早く行ってこようと思っただとか。

 まさかあんな場所とは、思わなかっただとか。

 

 正当化する言い訳はたくさん思いつく。ああ、いくらでも。

 

 けれど、僕のシャツに染みこんでいく、この涙の重さを知れば。

 どれほど、リュスを追い詰め傷つけたかを痛感せざるを得なかった。

 独りよがりな言い訳は、口にすべきでない。

 

「よしよし。……また、頑張ってくれたんだな。ありがとう、リュス」

「えぐっ、うう……アスタ様ぁ……アスタ様……っ!」

 

 暫し室内に、リュスの嗚咽だけが響いていた。

 僕からも、そっと抱きしめる。

 

 ひさしぶりに、時間がゆっくり流れた気がした。

 やがて、リュスは震える呼吸を一度吐き出し、どこか虚ろに語り始めた。

 

「アスタ様。わたくし……勝手なことをいたしました」

「勝手なこと?」

「はい、お叱りはいくらでも受けます。……でも、どうしても他に方法がなかったのです」

「……なにがあった?」

 

 問いかける。

 僕が彼女を叱るなんて、ほとんどあり得ないことだろうに。

 

「実は――」

 

 すると、リュスが言葉を続けようとした、その時。

 

 ――コン、コン。

 

 無遠慮に扉を叩く音。

 返事を待たずに、開け放たれる。

 

「よう、魔人殺しの男爵殿。いや、百人斬り――と呼んだ方が良いか?」

 

 刃のような鋭さを孕んだ声。

 立っていたのは、墨色髪を無造作に遊ばせた、一人の男。

 

 見覚えがある。

 バルトロメウス率いる、ボリマッシェ商会。その護衛として並んでいた――巡礼冒険者だ。

 

「無事に目を覚ましたようで何よりだ。あんたがくたばったら、オレの寝覚めの方が悪くなる」

「お前っ、なんでここに!?」

 

 僕は思わずベッドの上で身を乗り出す。

 だが、男は不敵な笑みを浮かべたまま。

 

「おっと。病み上がりだろ、そう殺気立つなよ」

 

 流れるような所作で、室内に入ると。

 あろうことか、リュスの肩に親しげに手を置いたのだ。

 

 理解より早く、口が動いていた。

 

「――おい、てめぇ。今すぐ、その手を退けろ」




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