どくん、と。
心臓が、いびつな音を立てた。
脳が、ドス黒く焼けるような不快感。血液が逆流したみたいに気持ち悪い。
「ああん?」
「誰がその肩に、触れていいと言った? ……さっさと離れろ」
「……なんで、あんたの許可が必要なんだ?」
墨色髪を揺らした冒険者は、わけがわからないと眉をひそめた。
挑発でもなんでもない、純粋に疑問に思っているのだ。
(なんでって……そんなの。お前が馴れ馴れしく、触れていい人じゃないからだよ)
苛立ちが抑えきれない。
フツフツと、形容しがたい感情が浮かび上がってくる。
すると、リュスが静かに注意した。
「……はあ。近いですよ、離れなさい」
「おっと、悪かったって」
リュスが言えば、男は素直に離れる。
言い咎められてはいたが、それでも二人の間に流れる空気、その距離感。
どう見ても、部外者のそれではない。
え、なに、この胸をぎゅうぎゅう締め付ける感情。
……すっごく嫌なんだけど。
「アスタ様。ご紹介させていただきます。……此度の危機を救ってくださった、わたくしの協力者の一人です」
「ウーティスだ、この通り冒険者稼業をやってる。……ま、そのへんはもう知ってるよな?」
墨色髪のウーティスは、首から下げていた
七大神の聖地巡礼を繰り返した証。その円盤には、過酷な巡礼地でしか刻めぬ、特殊な神聖印がいくつも並ぶ。
「……お前、バルトロメウスの護衛じゃなかったのかよ」
「別に、オレのパーティは専属ってわけじゃねえのさ。今回もキャラバンと一緒に、ここまで来ただけでな」
「なにが目的で?」
「別に? あんたと仲良くしたくて」
聖王教会と縁が深く、一領主たる僕にふてぶてしい態度。
その上、古竜人語で『
なにより、リュスへの馴れ馴れしい距離感。
あああっ、なんか、こいつ……存在自体が生理的に無理っ!!
「私からも、アスタ男爵に挨拶をさせてくれ」
さらに、追い打ちをかけるような足音。
「……久しぶりだな、アスタ・ド・ヤバマーズ」
立っていたのは、見覚えのある若き剣士だった。
隣領の嫡男であり、先の戦いでリュスが一撃で叩きのめしたはずの男――フェルディナン・ド・ドラクロワ。
「フェルディナン!? なんで、お前までここにいるんだ……!?」
「ああ、驚くのも無理はない。今の私は……巡礼冒険者たるウーティス殿のパーティに、一時的に身を置かせてもらっているのだ」
「はあ!? お前が冒険者に……?!」
「その通り。七大神が一柱、太陽の女神シャムスによる崇高な導きだ」
「……神様の導きって、急になに言ってんだよ」
「先日の
「カッコつけんな、鶏が鳴かなくなっただけだろ。そんなの無関係じゃないのか?」
「いいや、歴史的にも前例がある“神罰の予兆”だ。奮戦からの敗北ならまだしも、あのような無様な失態。神が、ドラクロワ男爵家をお許しになるはずがない」
安易に、神の名を掲げて、攻め込んでくるからだろ……とは思う。
だが、
「私は父上や神官らと協議を重ね、神罰が下る前に、跡取りとして
「……へー、凄い偶然もあったもんだな」
「まさに渡りに船だったとも! これぞ、偉大なる女神の導きである!」
フェルディナンは、墨色髪のウーティスを
「そういうわけだ、私もヤバマーズ領には厄介になるぞ。よろしく頼む」
「しばらく、世話だぁ……?」
「なんだ、その顔は。剣を交えた因縁はあれど、手打ちが済んだ話ではないか」
「それは、攻め込んだ側が言うセリフじゃねえんだよ!」
混乱する。
死に物狂いで守ろうとしていた、この不毛な地。ここは領民を含めた……僕の大切な人たちだけのものだ。
それなのに、僕の知らない強者たちが、当然の顔をして入り込んで来る?
「誠に申し訳ありません、アスタ様。わたくしの判断で、彼らに協力を仰ぎました。……あなた様を救うための戦力が必要だったのです」
「……リュス」
「わたくしの力不足です、罰はいかようにでも。……此度は、彼らの滞在をお許しください」
眉を寄せる、リュスの隣。
ウーティスが「命を拾ったんだから、オレたちに感謝しろよ。男爵殿」と口の端を持ち上げる。
彼がリュスの腰に、自然に指先を滑らせた――気がした。
親密そうに彼女と視線を交わし、笑い合っている――ように見えてしまった。
リュス。僕が焦がれてやまない、
僕の
その隣に。
僕ではない、強くて、健康で、頼りになりそうな美男子たちが。
僕の知らない絆らしきものを持って、彼女と並び立つ。
(うあああ、なんだこの感情……!? シャルル王太子の時は、こんな風にならなかったのにぃ……っ!)
ウーティスは、真鍮籠に入った三羽の子鳥を掲げる。
「『カナリア』を頼りに駆けつけてみれば、アスタ男爵殿がクラーケンに締めあげられている真っ最中と来たもんだ。まさに、間一髪の救出劇だったぜ」
「……カナリア」
瘴気や魔物探知を知らせる、警報鳥。
確かに、湿地帯を越えるには便利かもしれないが、この辺りで手に入るものではないはずだ。美術品クラスの価値はある。
それを一介の冒険者が? ……あまりに都合が良すぎるじゃないか。
「お前。――なんでそんなもん持ってんだよ」
こいつ、やっぱり密偵なんじゃないか?
僕は、そう疑ったが……。
「あん? お、こいつか。リュ……いや、リュスが用意してくれたんだぞ。道中、危険だからってな」
「――お前が持ち込んだんじゃないのかよ!! しかも、呼び捨てぇっ!?」
「あんたを救出した後、なぜか周辺の魔物が寄ってきやがってな。魚人どもと大乱闘まで始めて、まあ、帰りもなかなか大変だったぜ」
「……うう」
いや、わかってる。頭ではわかってる!
きっと、必要なことだったんだろう。
言えるわけがない、「なんで、こんな男たちを頼ったんだよ」なんて。
「アスタ様……? お顔の色が優れません。やはり、まだお身体が……」
「……大丈夫だ……生きてる。……生きてるから、大丈夫だよ」
彼女の手が、伸ばされる。
さっきまで、僕を包み込んでくれたはずの愛おしい手のひらを。
……無意識に、そっと払いのけてしまった。
「アスタ、様……?」
傷ついたように目を見開く、リュス。
僕は、そんな彼女を直視できず。
ただただ、そのムカつく命の恩人たちに。
「……ようこそ。ヤバマーズへ。……僕を助けてくれて、ありがとうよ」
なんとか、お礼を絞り出すだけで精いっぱい。
その時、口に広がった苦い味は。
僕が人生で口にして来た、どんなゲテモノ料理よりも――救いようがないほど、ひどい味がした。
あばばばばばっ――脳がっ、脳が破壊されるぅっ!!!?
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