重苦しさのある、執務室。
リュスが、告解するように言った。
「あの日、わたくしが体験した結末において、そのどれもが湖の岸辺で手がかりが途絶えていました。……これまで、一度として間に合わなかったのです」
僕はじっと耳を傾けている。
オノレもまた、神妙な面持ちで佇んでいた。
それぞれのコーヒーカップから、目が醒める香りが漂うが、僕に楽しむ心の余裕はない。
「わたくしが“やり直す”のは、ソファーで目覚めた瞬間からでした。その時には、既にアスタ様は屋敷を出ていらっしゃって……」
リュスのすがるような視線。
「置いて行って、ごめんよ。本当に本当に悪かった。……それで、貴女はどうしたんだ?」
「……アスタ様の足跡を調べました。屋敷を出てから、まず工房『
「ああ、その通りだ」
時間ロスは、意外と多い。
「だから、わたくしは賭けに出ました。ダムへ目掛けて、一直線に駆け抜ければ……もしかしたら、間に合うのではないかと。それだけが唯一の希望でした」
「……理屈はわかるが、そりゃ無謀だな」
現実問題、西の森はひどく険しい。
湿地帯に近づくと足場さえ悪くなる。
僕だって、絞り込んだ熟練を連れ、ウロコの異能まで用いている。それでもなお、魔物や地形を迂回しているのだ。
易々と可能な行軍とは思えない。
「はい。兵をいたずらに引き連れても、被害を増やすだけでした」
「そうだろうな」
「だから、わたくしは選びました」
「なにを?」
言い淀む、リュス。
伏せられた睫毛には、隠しきれない後ろめたさ。
「あなた様を訪ねて来た、二組の来客。……彼らと交渉することをです」
「……」
「一組目は、過酷な聖地巡礼をも踏破する精鋭……ボリマッシェ商会キャラバンの護衛を務める、ウーティス一行」
名が出た途端、思わず指に力が入ってしまった。
「……その、お怒りになられましたか?」
「いや、怒ってはない、んだけど。……ウーティスは、なにを求めた?」
「ヤバマーズの長期滞在と、森を探索する権利です」
「……僕の命を救う対価にしては、あまりに安いな。……でも、ひどく面倒だ」
ウーティスの目的が、わからない。
「奴は、本当に信用できるのか?」
「それは……はい、彼は信用に値する人物だと判断しました。連携も可能かと思いましたし」
なぜ、そう言える? 奴のなにを知っている?
リュスを問い詰めたい衝動に駆られるが、結局は飲み込む。
どうしてか、今は聞きたくないと思ってしまったのだ。
「そして、二組目は――服飾、化粧品、医薬品から装飾品まで、王都で幅広く、商業展開を手掛ける……
「
「はい。彼女たちのキャラバンが、交易の手土産として持参した品です。他にも不足している、錬金術や薬品の素材がたくさん……」
「……薄気味悪い話だな、こちらの弱みが見透かされている」
ヤバマーズの現状を考えれば、喉から手が出るほど欲しい物資だ。
穀物栽培に適さないこの地の産業は、林業に製材、麻織物、限定された酪農がせいぜいか。
工業や実験の触媒は、外部に依存せざるを得ない。
「わたくしたちが、今まさに必要とする物がそこにあったのです。他の商会より、やや譲歩した契約をせねばなりませんでしたが……拒む選択肢がありませんでした」
「それで突破できたって?」
「ウーティス一行の実力、カナリアとわたくしの回帰。これらを併用すれば、なんとか……」
僕は、考えこむ。
先に沈黙を破ったのは、オノレだ。
「俺たちがなにも知らずまま、洪水に流された最初の
「……はい。それどころか、訪問していた事実すら知りませんでした」
リュスは頷く。
僕は、頭を抱えた。
「……たぶん、原因は僕だ」
もし。もしも、だ。
僕が屋敷にいる時に、この二組が接触して来たとしよう。
間違いなく、門前払いだ。話を聞く余地すらない。
巡礼冒険者など、聖王教会の息がかかった得体の知れない連中だし。
ましてや、
シャルル王太子の婚約者、ブランシュ伯爵令嬢の手先だからな。
「僕自身は、ブランシュ伯爵令嬢に悪感情はない。でも、どちらもリュスを守るには……さっさと追い出した、と思う」
リュスに会わせようとは、絶対にしない。
すると、オノレは奇妙なことを言い出した。
「つまり、アスタが屋敷を空けていて、リュシエンヌが独断専行に踏み切らざるを得ないほどに追い込まれた場合のみ、“このパターン”になるわけだね」
「……? なんか変な言い回しに聞こえるぞ、オノレ」
「まあ、そうだろうね……」
オノレは青い前髪をいじりながら、どこか遠くを見るような仕草。
「でも、現状は別に損はないと思う。違うかい、アスタ」
確かに、そうだ。
幸い、ジルは、義足が故障した程度で済んでいる。
だが、度重なる戦いで、
ウーティスたちの手を借りないのは、難しそうだ。
「……アスタ様、顔色がよろしくありません。やはり、まだお身体が……」
「ああ、確かにちょっと頭がぼんやりするが」
「これ以上の議論は避け、お休みになってはいかがですか?」
「いや、今やらねばならないことがあるんだ」
幸い身体を動かすには、支障ない。
僕が眠っている間に、マグダリアの治癒術で傷口だけは塞いでくれたらしい。
とは言え、表層が塞がっただけで、失った血液が戻るわけでも、深部の組織損傷が完治したわけでもないが。
まあ、僕は、
今のうちにはっきりさせとくか、洪水を止めるための解決策ってやつをな。
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