(器の小さい僕が、つい素っ気ない態度をとっちゃっても、嫌な顔一つせず、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。……本当に、なんて心の広い人なんだろう)
その温もりに触れるたび、胸の内から湧き上がるのは純粋な尊敬と、深い感謝の念だった。
「……うん。さすがは僕の
思わず、決意を新たにする。
そんな僕を、オノレがなんとも言えない表情で見ていた。
「アスタ、君もとことん盲目だよね。一体どんなフィルターを通して世界を見てるか知らないけれど……正直に言っていいかい?」
「なんだ、改まって」
「俺は率直に、君たち二人が怖いよ」
「僕たちが怖い? なんでだよ、感謝し合うことなんて普通に大事だろ」
「どうして、君はこの辺りの話題になると、急激に察しが悪くなるのかな……?」
オノレって、僕がリュスを賛美すると、露骨に嫌そうにするんだよなあ。
ちょっと
どうにもかみ合わないやり取り。
不意に足音が近づき、新たな来訪者が現れた。
「男爵殿、ちょっといいか?」
ウーティスだ。
個人的に気に食わん奴だが、今じゃ必要な戦力。
命の恩人だし、邪険には出来ん。
「ああ、入れよ。楽にしてくれ」
「クラーケン討伐の打ち合わせがしたくてな、オレのパーティの具体的な役割についてだが……って、うええっ!?」
「どうした?」
「あ、いや……」
ウーティスは、何度も視線を往復させる。
僕とリュスを、まじまじと見比べるような仕草。
「……あんたたちって、本当に仲がいいんだな。驚いた」
「そうか?」
「ああ、そう見える」
なんで、こいつ驚いてんの? まあ、別に言われて悪い気はしないが。
そんな中、
「まあ、いい。それより、男爵殿。なにのんびりしてんだ、さっさと戦うべきだろ」
「なんで?」
「なんでって……湖が増水するんだろう? 水が増えてから戦うとか、向こうが有利に決まってるじゃねえか」
「いいや、僕はあえて待ってるんだ。勝機を、な」
「……はあッ!?」
わけがわからないとばかりに叫ぶ、ウーティス。
なんだ、こいつもリアクションいい奴だな。よしよし。
「ところで、ウーティス。お前、籠城戦は得意か?」
「籠城……戦? 不沈なる海の悪魔、クラーケンと戦うのにか?」
ポカンとしている男に、僕は不敵に言った。
「不沈なる海の悪魔? ふはははは……はぁ、あまり笑わせるなよ。ここは海じゃない。――ここは、僕のヤバマーズだ。そうだろう?」
どんな絶望が相手でも、最後には自分が勝つ。
そう言わんばかりの、自信満々な笑みを浮かべて。
そう、奴が海の悪魔だってなら……僕こそが僻地の王者だ。
***
いよいよ決戦が近付く、ヤバマーズ男爵邸の夜。
今宵も薄っすら漂う魔素のせいで、星すら見えない有様だ。
赤銅色の月が、時折、雲の隙間から不吉な眼差しをこちらへ投げかけてくる。
逸る気持ちからか、眼が冴えてどうにも眠れない。身体を休めるのが先決とわかっても、だ。
だから、気晴らしに少し、屋敷内を散歩していた。
「でも、まさか……こんなに早く、脚が治り始めるとはな」
魔素の摂取量を意図的に増やしただけで、歩行の不自由さが急速に改善されつつある。
どうやら、人間の枠を外れはじめているというのは、紛れもない事実らしい。
「うん。……まあ、わりと便利だからいいか」
もちろん、生理的嫌悪がない訳ではないけど。
これからの戦い。その実用性で考えれば、遥かに利便性が勝ってしまう。
(僕だって、くよくよ悩む方だっていう自覚はあるんだけどな。誰かの人生を背負うことと比べたら、全然気にならないや。別に、良心が痛むことをしているわけでもなし)
暗い廊下でたまにすれ違う、夜間見回りの使用人たちと短く挨拶を交わし。
静かに歩いていく。
そうして、脚の赴くまま辿り着いたのは、天井の高い広大なメインホール。
正面に掲げられた巨大タペストリー。
剣でゴブリンの首を貫く、獰猛な
我らヤバマーズが、王国の盾として、幾多の魔を屠ってきた血の証。
この戦果に、これから海の怪物が付け加えられるだろう。
「――あれ?」
我が家のタペストリーの真下、赤銅色の月光が窓から差し込んでいる。
そこに時代遅れのロングコートを翻し、透明な質感を纏って佇む幻影。
「こんな夜更けに、どうしたんだよ……サキオン」
「七代目か、貴様こそ眠らなくて良いのか? 過酷な戦いが控えているだろう」
「お前が眠りにつけよ。化けて出るとか、趣味が悪いぞ」
軽口を叩いてやるが、返って来たのはどこか達観した笑み。
(湖で気付いたけど……こいつ、僕が無礼な態度をとっても、意外と本気で怒らねえんだよな。呆れはするけどさ)
どこまでも尊大な態度だが、別に相手を見下してるわけじゃないっぽい。
「で、なにしてた? 質問に答えろよ、サキオン」
「どうにも、確かめたい事柄があってな」
「なんだよ、気取りやがって」
「貴様は――エマが、どのような末路を辿ったか。知っているか?」
少女エマ。
かつて、綿毛の魔人エグレットと化し、ヤバマーズを滅ぼそうとした恐ろしい怪物――そして、サキオンの異母妹。
静まり返るホールで、僕は告げるべきか一瞬だけ迷った。
「死んだよ」
サキオンの反応は、遅れた。
「…………何故、死んだ」
「タンポポ畑、わかるか? デカい木が生えてる、あの森の開けた場所だ」
「ああ……エマが、とりわけ気に入った遊び場であったな」
「そこで、行方不明になったらしい。で――」
続けようとした途端、喉がキュッと締めつけられた。
舌が、鉛のように重くなる。
「少し前の話だ。……魔人と化して、ヤバマーズを襲った」
「それで如何にした」
「僕が殺した」
逃げずに、はっきり言った。
他でもない、それこそが今の時代の当主である……僕の負うべき責任だったから。
「今は……我が家の地下墓地に、その灰を納めてある」
どんな軽口にも動じなかったサキオンが、痛みを堪えるように目を伏せた。
眉間をもみほぐす仕草。人間味がかすかに覗く。
……こいつ、ちゃんと人の心があるんだな。
「魔人と化し、禍根を齎した者を……誇りある一族の墓所に葬ったというのか」
「なにか悪いかよ」
僕は、怯まない。
しっかりと胸を張る。
「それがヤバマーズ家当主としての、僕の判断だ。そうすることが正しいと思ったから、した」
サキオンはひどく重く、長い溜息を吐き出した。
「……成程。であらば、貴様にも知る権利がある」
「知る権利……?」
サキオンの視線が、誰もいないはずの虚空へ向けられた瞬間。
――空間が、陽炎のようにゆらゆら歪む。
僕のウロコがじりじりと熱を帯び、視界に色彩を失った過去が溢れ出した。
***
殺伐とした空気が支配する、かつてのホール。記憶の断片。
「――どうしてっ! エマが消えてしまったのですかっ!」
耳を
そこにいたのは、一人のうら若い女性。乱れた髪、涙にぬれた頬。
対峙しているのは、僕の曽祖父……四代目当主、オットーだ。
「貴女はもう、当家とは何も関わりはないはずだ。……速やかに去ってくれ」
以前、記憶の残滓で視た姿よりも。
表情が張り詰め、余裕を失っている。
「あなたが……あなたが私を追い出して、手紙も面会も禁じたんでしょう! あの子に、私の声すら届かないようにしておいてっ!」
「貴女のような評判の女に育てられては、エマがあまりにも不憫だからだ」
オットーの言葉は冷酷というよりは、どこか自分自身に言い聞かせているようだった。
必死に縋る女性の手を、乱暴に振り払う。
「当主として、異母妹の教育方針を決める権利は僕にある」
「よくも、そんな白々しいことが言えたものねっ! 私たちをずっと厄介者扱いしてたくせに! 認めたらどうなの、あなたが……あなたがエマを殺したんでしょうっ!!」
「やめろッ!!」
オットーの怒鳴り声。
「僕は……エマを……異母妹を、きちんと養育するつもりだった。然るべき家に、嫁に出すまではな」
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