【書籍化進行】ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第192話 冥想の果て。大嫌いなご先祖様へ、最大限のフェアを。

 苦々しく、オットーは語る。

 僕にはその姿が、罪悪感に滲んでいるように見えた。

 

「エマは西の森で、子守りと共に行方知れずになった。本当にそれだけのことだ。そこに後ろ暗いことなど、何一つない!」

「嘘よッ! ろくな護衛も付けず、子守りだけに散歩させたとでも言うの!?」

「付き添いの者くらいはいたとも! 西の森は、深くまで入らなければ危険などない。……少なくとも、これまではそうだったんだ」

「でも、現にあの子は姿を消したわ! 嗚呼、エマ……わたしの可愛いエマ……っ!」

「今更、お前には関係のないことだと言っているだろうっ! おとなしく実家へ戻れ!」

 

 崩れ落ち、涙を流し続ける母親。

 冷たい床を何度も拳で叩きながら、呪詛のように口にする。

 

「サキオン様なら……サキオン様なら、こんな風に私たちを扱わなかったのに……っ!」

 

 その名が出た、まさにその瞬間。

 オットーの瞳から、すっと一切の光が消え失せた。

 

「――サキオン?」

 

 刺すような響き。

 

「いいか、兄さんは死んだ。我がヤバマーズの名を汚した、あの恥知らずな男はな」

 

 オットーは一歩、また一歩と女性を追い詰めるように歩み寄る。

 

「今は……僕が、当主だ。ヤバマーズを守り抜くのは、この僕なんだ」

 

 そのどこか必死な物言いは、自らを呪縛するようですらあった。

 

「どうせ、お前のことだ。勝手に、実家を抜け出して来たのだろう。寡婦年金ならば、契約通り払っているはずだ。……もう二度と、僕らの前に現れないでくれ」

 

 オットーは背を向けると、暗闇へと消えていく。

 残されたのは、打ちひしがれた母親の痛々しい啜り泣き。

 

 やがて、光の残滓は、砂が崩れるように溶けていった。

 

 

***

 

 

「今のは、誰だ?」

 

 胸を締め付けられる光景。僕は、思わず聞いていた。

 

「エマの生母、ソフィーヤだ。……(おれ)から見れば、年下の継母に当たる」

「ソフィーヤ……」

 

 エマの母親のことなんて、深く考えたことがなかった。

 言われてみれば、どうなったかなんて知らない。

 

「どうやら、(おれ)の死後はヤバマーズ家を放逐され、実家に帰参していたようだな」

「随分と若く見えた」

然様(さよう)であろう」

 

 サキオンの態度は、一見、素っ気ないように見えて。

 だが、どこかその声に力がない。

 

「……その、あんまり気を落とすなよ」

 

 なんだか他人事ではなかった。

 込み上げる気持ちのまま、思わずかける慰めの言葉。

 

 意外そうに、形の良い眉を動かすサキオン。

 

「貴様は……(おれ)を、忌み嫌っているのではなかったか」

「なんだ、僕に言われたことを気にしてんのかよ」

「真偽を問うているのだ。嫌悪があるならば、猶更のこと。死者に過ぎぬ(おれ)に、同情する必要などない」

「……難しいことばっか言う奴だな、素直に受け取れよ」

 

 正直。未だ、サキオンへの気持ちは複雑だ。

 幼い頃からの憧憬と忌避感。その二つが、ぐちゃぐちゃに(もつ)れ合って(ほど)けそうにない。

 

 かつて、サキオンが残してくれた書籍群は、古代の偉人たちが紡いだ哲学。

 僕の持つ理想、その精神性の源流は……亡き父上だけじゃなく、間違いなく、こいつの影響を受けていたのだ。

 

 想い描く、人としてあるべき気高く美しい姿。

 宿る知性、勇気、正義、節制。そして――。

 

『善い人生を生きよ。終わりなき生が、続くかのように振舞うな。死は常に、そなたの頭上に在り。生きられる今を、その力があるうちに、善くあれ』

 

 ――古代エルフの王が遺したとされる“冥想録”、そこに記された一節。

 

 暴力と死が身近にありふれていた、幼い僕にとって。

 恐ろしかった“死”に、向き合うための指針となった。

 

(……まあ、僕の中での解釈は、たぶんかなり歪つだったんだけどな)

 

 こんなにも高潔な哲学書を残した男が、恋にトチ狂ってバカをしでかした。

 そう思い込んだら、なんだか救われた気持ちにもなっていた。

 

 なにせ、僕の周りは、卑怯で不実な大人ばかり。

 そこに気高い理想を持ちながら、あまりの情熱と恋に失敗した大人(ヤバマーズ)がいたかもしれない。

 

 そう考えたら、どうだろう?

 自分や誰かの弱さを、ほんのちょっと許せるような気がして。

 息苦しかったのが、少しだけ楽になったんだ。

 

『きっと、サキオンは悪い奴じゃなかった。一生懸命だったけど、バカだっただけ。僕だってそう遠くないうちに、母上みたいにあっけなく死ぬんだろうけど。……できるだけ一生懸命、善く生きてみようかな。でも、そしたらきっと――』

 

 幼い僕は、その確信のなかで生きて来た。

 

『どこかで無様に転んで、バカみたいに死ぬんだ』

 

 命を燃やし、死というゴールに向かって、一分一秒を走り抜けて来た。

 手を抜くことなく、いつか無様に転んでしまう日が訪れるまで。

 

(憧れるけど、絶対なっちゃいけない大人。僕の頭の中だけにいた……唯一の理解者(サキオン)。まあ、ぜんぶ僕の勝手な勘違いだったけどなぁ)

 

 無様に愛に突っ走った、哀れなバカ仲間だと思ってたのに。

 信念が一切ぶれずに、国家に尽くし抜いてやがったのだ。

 挙句にゃ「甘えるな」とか説教までしやがって……とんだ、裏切り者だ!

 

 ……なーんて思考は、ぜんぶ僕の理不尽な押し付けだから口には出さないけどさ。

 

「はあ……結局さぁ、昔のヤバマーズがすごいってわかるほど、“お前は、僕の代まで、なにも引き継いでくれなかったじゃないか”とも思うわけよ」

「結果としては、確かにそう相成る」

「説教された内容だって、まあ……もしかしたら正論が多いかもしれないけどさ? だからって、お前にだけは言われたくねえんだよ。めちゃくちゃ腹が立つし」

「……そうか」

 

 思いの外、サキオンは言い返してこない。

 「死人に聞く耳を期待するな」って、言ってこない。

 

 なんで、黙って聞いてるんだろう?

 ただ、受け止めるような態度に調子を崩されて。

 ついつい僕は……胸に、秘めた本音をぽろっと溢してしまった。

 

「でも、そんな簡単に割り切れるもんか。お前が嫌いだからって優しくしちゃいけないのか? それは……なんか違うだろ」

 

 ああ、本音としては色々あるよ。

 親戚たちの物言いは、やっぱり聞くに堪えない。だけど、それもリュスが前に言ってくれた通り、彼らは彼らなりに背負った苦労があるかもしれないし。

 

「だけど、なんていうか――」

 

 どうしても、こうも思ってしまうのだ。

 僕はサキオンを、一方的に責める資格がないだろって。

 

「僕だって、リュスがいなかったらとっくに死んでるじゃん。父上だって、僕になにも引き継ぐことが出来ずに死んじゃったしさ……」

 

 突き詰めれば、そうなのだ。

 サキオンは、“ありえたかもしれない僕の末路”であり。

 必死に足掻き、なにも残せず死んだ“父上の無念な姿そのもの”でもある。

 

 今、僕が無事なのは、この世で一番、大切な女性が途方もない犠牲を払い。

 終わりなき苦しみの煉獄(れんごく)に、落ちてくれたからに過ぎない。

 

 本来、僕が死ぬのは、僕自身の器量の問題。

 ヤバマーズを背負う重圧も、敗北で起きるあらゆる不幸も、僕一人だけが負うべきものだったはず。

 

(リュスが“僕の傍”以外で安心できる居場所があったなら……きっと、『やり直し』なんか狂った真似はしなくていい。僕が死んだら、さっさとどこかで幸せに暮らしてくれたら一番なはずだ)

 

 でも、僕は、リュスに居場所を残してあげられてない。

 さっき泣き崩れていたソフィーヤの悲痛さは……そんなリュスに重なる。

 

「だから、サキオン。お前を上から目線で、許すとかじゃなくて。迷惑被ったら、その分は当事者が文句を言う。そこまでが、僕に許された公正(フェア)な振る舞いなんじゃないかと思うんだよ」

公正(フェア)か」

 

 サキオンは頷く。

 

「悪くない響きだ」

「だろ? お前を罵倒していいのは、今まさに迷惑被ってる奴だけじゃん」

「ならば、それは誰だ?」

「……そう考えると、たぶん一番の被害者は僕かもな」

「なんだ。やはり、貴様が不平をぶちまけたいだけに過ぎんではないか」

「そうかもな。でも、ヤバマーズの責任から逃げた奴とか、無関係な余所者にまで、お前の悪口を言わせたいとは思わないぞ」

 

 何も知らないような連中に、僕はずっと悪口を言われながら生きてきた。

 だから、そんな理不尽は……もう、うんざりだった。

 

(なんで、僕がアイツらと同じことをしなきゃならないんだ。だいたい、いくら嫌いだからって、好き勝手に踏みにじっていいわけじゃないだろ)

 

 ヤバマーズの身勝手な親戚どもも、王都の貴族令息どもも。

 よく知りもしない癖に、誰かを悪く言うなって思う。

 

 だからこそ、僕が堂々と胸張って言える、一番の文句はこれだ。

 

「とりあえずさぁ! お前、とことん共感力が低すぎるから、そこはなんとか努力してくれよ。悪気があるかは知らねえけど、話しててすげえイラつくし傷つくんだよ!」

 

 ガチのストレートな苦言。

 真正面から浴びたサキオンは、しばし顎に手を当てて考え込んだ。

 

「七代目。貴様は……実に野暮ったく、情念に流されやすい軟弱者だが――」

「速攻で悪口かよっ!?」

「――僻地領主に据えておくには、存外、勿体ない若者かもしれんな」

 

 予想もしなかった、言葉の刃の裏返し。

 僕は、戸惑うしかない。

 

(な、なんだよ急に……普通に文句言っただけじゃんか。マジでなんなの、こいつ?)

 

 そして、身体の万全を取り戻し。

 あえて、増水ギリギリ狙って迎えた決戦の日。

 

 大っ嫌いだったはずのご先祖様は、いつの間にか――誰より(・・・)大っ嫌いな相棒になっていた。

 

 いや、マジでなんなんだよ、こいつっ!?




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