苦々しく、オットーは語る。
僕にはその姿が、罪悪感に滲んでいるように見えた。
「エマは西の森で、子守りと共に行方知れずになった。本当にそれだけのことだ。そこに後ろ暗いことなど、何一つない!」
「嘘よッ! ろくな護衛も付けず、子守りだけに散歩させたとでも言うの!?」
「付き添いの者くらいはいたとも! 西の森は、深くまで入らなければ危険などない。……少なくとも、これまではそうだったんだ」
「でも、現にあの子は姿を消したわ! 嗚呼、エマ……わたしの可愛いエマ……っ!」
「今更、お前には関係のないことだと言っているだろうっ! おとなしく実家へ戻れ!」
崩れ落ち、涙を流し続ける母親。
冷たい床を何度も拳で叩きながら、呪詛のように口にする。
「サキオン様なら……サキオン様なら、こんな風に私たちを扱わなかったのに……っ!」
その名が出た、まさにその瞬間。
オットーの瞳から、すっと一切の光が消え失せた。
「――サキオン?」
刺すような響き。
「いいか、兄さんは死んだ。我がヤバマーズの名を汚した、あの恥知らずな男はな」
オットーは一歩、また一歩と女性を追い詰めるように歩み寄る。
「今は……僕が、当主だ。ヤバマーズを守り抜くのは、この僕なんだ」
そのどこか必死な物言いは、自らを呪縛するようですらあった。
「どうせ、お前のことだ。勝手に、実家を抜け出して来たのだろう。寡婦年金ならば、契約通り払っているはずだ。……もう二度と、僕らの前に現れないでくれ」
オットーは背を向けると、暗闇へと消えていく。
残されたのは、打ちひしがれた母親の痛々しい啜り泣き。
やがて、光の残滓は、砂が崩れるように溶けていった。
***
「今のは、誰だ?」
胸を締め付けられる光景。僕は、思わず聞いていた。
「エマの生母、ソフィーヤだ。……
「ソフィーヤ……」
エマの母親のことなんて、深く考えたことがなかった。
言われてみれば、どうなったかなんて知らない。
「どうやら、
「随分と若く見えた」
「
サキオンの態度は、一見、素っ気ないように見えて。
だが、どこかその声に力がない。
「……その、あんまり気を落とすなよ」
なんだか他人事ではなかった。
込み上げる気持ちのまま、思わずかける慰めの言葉。
意外そうに、形の良い眉を動かすサキオン。
「貴様は……
「なんだ、僕に言われたことを気にしてんのかよ」
「真偽を問うているのだ。嫌悪があるならば、猶更のこと。死者に過ぎぬ
「……難しいことばっか言う奴だな、素直に受け取れよ」
正直。未だ、サキオンへの気持ちは複雑だ。
幼い頃からの憧憬と忌避感。その二つが、ぐちゃぐちゃに
かつて、サキオンが残してくれた書籍群は、古代の偉人たちが紡いだ哲学。
僕の持つ理想、その精神性の源流は……亡き父上だけじゃなく、間違いなく、こいつの影響を受けていたのだ。
想い描く、人としてあるべき気高く美しい姿。
宿る知性、勇気、正義、節制。そして――。
『善い人生を生きよ。終わりなき生が、続くかのように振舞うな。死は常に、そなたの頭上に在り。生きられる今を、その力があるうちに、善くあれ』
――古代エルフの王が遺したとされる“冥想録”、そこに記された一節。
暴力と死が身近にありふれていた、幼い僕にとって。
恐ろしかった“死”に、向き合うための指針となった。
(……まあ、僕の中での解釈は、たぶんかなり歪つだったんだけどな)
こんなにも高潔な哲学書を残した男が、恋にトチ狂ってバカをしでかした。
そう思い込んだら、なんだか救われた気持ちにもなっていた。
なにせ、僕の周りは、卑怯で不実な大人ばかり。
そこに気高い理想を持ちながら、あまりの情熱と恋に失敗した
そう考えたら、どうだろう?
自分や誰かの弱さを、ほんのちょっと許せるような気がして。
息苦しかったのが、少しだけ楽になったんだ。
『きっと、サキオンは悪い奴じゃなかった。一生懸命だったけど、バカだっただけ。僕だってそう遠くないうちに、母上みたいにあっけなく死ぬんだろうけど。……できるだけ一生懸命、善く生きてみようかな。でも、そしたらきっと――』
幼い僕は、その確信のなかで生きて来た。
『どこかで無様に転んで、バカみたいに死ぬんだ』
命を燃やし、死というゴールに向かって、一分一秒を走り抜けて来た。
手を抜くことなく、いつか無様に転んでしまう日が訪れるまで。
(憧れるけど、絶対なっちゃいけない大人。僕の頭の中だけにいた……
無様に愛に突っ走った、哀れなバカ仲間だと思ってたのに。
信念が一切ぶれずに、国家に尽くし抜いてやがったのだ。
挙句にゃ「甘えるな」とか説教までしやがって……とんだ、裏切り者だ!
……なーんて思考は、ぜんぶ僕の理不尽な押し付けだから口には出さないけどさ。
「はあ……結局さぁ、昔のヤバマーズがすごいってわかるほど、“お前は、僕の代まで、なにも引き継いでくれなかったじゃないか”とも思うわけよ」
「結果としては、確かにそう相成る」
「説教された内容だって、まあ……もしかしたら正論が多いかもしれないけどさ? だからって、お前にだけは言われたくねえんだよ。めちゃくちゃ腹が立つし」
「……そうか」
思いの外、サキオンは言い返してこない。
「死人に聞く耳を期待するな」って、言ってこない。
なんで、黙って聞いてるんだろう?
ただ、受け止めるような態度に調子を崩されて。
ついつい僕は……胸に、秘めた本音をぽろっと溢してしまった。
「でも、そんな簡単に割り切れるもんか。お前が嫌いだからって優しくしちゃいけないのか? それは……なんか違うだろ」
ああ、本音としては色々あるよ。
親戚たちの物言いは、やっぱり聞くに堪えない。だけど、それもリュスが前に言ってくれた通り、彼らは彼らなりに背負った苦労があるかもしれないし。
「だけど、なんていうか――」
どうしても、こうも思ってしまうのだ。
僕はサキオンを、一方的に責める資格がないだろって。
「僕だって、リュスがいなかったらとっくに死んでるじゃん。父上だって、僕になにも引き継ぐことが出来ずに死んじゃったしさ……」
突き詰めれば、そうなのだ。
サキオンは、“ありえたかもしれない僕の末路”であり。
必死に足掻き、なにも残せず死んだ“父上の無念な姿そのもの”でもある。
今、僕が無事なのは、この世で一番、大切な女性が途方もない犠牲を払い。
終わりなき苦しみの
本来、僕が死ぬのは、僕自身の器量の問題。
ヤバマーズを背負う重圧も、敗北で起きるあらゆる不幸も、僕一人だけが負うべきものだったはず。
(リュスが“僕の傍”以外で安心できる居場所があったなら……きっと、『やり直し』なんか狂った真似はしなくていい。僕が死んだら、さっさとどこかで幸せに暮らしてくれたら一番なはずだ)
でも、僕は、リュスに居場所を残してあげられてない。
さっき泣き崩れていたソフィーヤの悲痛さは……そんなリュスに重なる。
「だから、サキオン。お前を上から目線で、許すとかじゃなくて。迷惑被ったら、その分は当事者が文句を言う。そこまでが、僕に許された
「
サキオンは頷く。
「悪くない響きだ」
「だろ? お前を罵倒していいのは、今まさに迷惑被ってる奴だけじゃん」
「ならば、それは誰だ?」
「……そう考えると、たぶん一番の被害者は僕かもな」
「なんだ。やはり、貴様が不平をぶちまけたいだけに過ぎんではないか」
「そうかもな。でも、ヤバマーズの責任から逃げた奴とか、無関係な余所者にまで、お前の悪口を言わせたいとは思わないぞ」
何も知らないような連中に、僕はずっと悪口を言われながら生きてきた。
だから、そんな理不尽は……もう、うんざりだった。
(なんで、僕がアイツらと同じことをしなきゃならないんだ。だいたい、いくら嫌いだからって、好き勝手に踏みにじっていいわけじゃないだろ)
ヤバマーズの身勝手な親戚どもも、王都の貴族令息どもも。
よく知りもしない癖に、誰かを悪く言うなって思う。
だからこそ、僕が堂々と胸張って言える、一番の文句はこれだ。
「とりあえずさぁ! お前、とことん共感力が低すぎるから、そこはなんとか努力してくれよ。悪気があるかは知らねえけど、話しててすげえイラつくし傷つくんだよ!」
ガチのストレートな苦言。
真正面から浴びたサキオンは、しばし顎に手を当てて考え込んだ。
「七代目。貴様は……実に野暮ったく、情念に流されやすい軟弱者だが――」
「速攻で悪口かよっ!?」
「――僻地領主に据えておくには、存外、勿体ない若者かもしれんな」
予想もしなかった、言葉の刃の裏返し。
僕は、戸惑うしかない。
(な、なんだよ急に……普通に文句言っただけじゃんか。マジでなんなの、こいつ?)
そして、身体の万全を取り戻し。
あえて、増水ギリギリ狙って迎えた決戦の日。
大っ嫌いだったはずのご先祖様は、いつの間にか――
いや、マジでなんなんだよ、こいつっ!?
いつも応援ありがとうございます!
「面白かった」「ここが意外だった」といった一言だけでも、作者は画面の前で飛び上がって喜びます。
作品のお気に入り登録や評価も、執筆のガソリンになりますので、ぜひよろしくお願いします!