運命の朝がやって来た。
わずか数日前までは、僕らが足を取られた湿地帯。
そこが今や、どっぷり水没。
かつての古道が、木の根元が、いたいけな草花が、無慈悲にひたひた飲みこまれている。
「というわけで――絶好の湖水浴日和だぜ!」
「……こんなどんよりしてる日にかい?」
僕と出撃するメンバーは、選りすぐり。
礼装を崩しつつも、名門貴族の貴公子として余裕を崩さないオノレ。
「まあ、言うて夏じゃん? 避暑地としては、今のヤバマーズは穴場中の穴場だぞ?」
「そりゃ誰も寄ってこないからね」
「おいおい、オノレ。せっかく誘ってやったのに、ノリ悪いなあ」
「……俺はね、透き通る爽やかな青空が好きなんだ」
オノレが、遠い目をしている横で。
「わたくしは、アスタ様とならどこへ行くのも楽しいですよ」
「おっ、喜んでくれんの? 本当に?」
「はい、本当です。……その行き着く先が、どのような場所でも」
そして、最後の一人。
重力をふわりと無視する、いけ好かない先祖のサキオン。
「常から緊張感を欠いているが、これが貴様の流儀か? 七代目」
「策を補強してくれたのは感謝するけどさ、態度にいちいちケチつけんなよ」
「感謝する必要はない。……が、そもそも感謝を示された記憶など
そんなに文句があるなら、ついて来なきゃいいのに。
なんか身内に、後ろから採点されてるみたいで、すげー嫌なんだよな。なに、この居心地が悪い感覚?
「さあて、刮目せよ! 僕らの逆転を賭けた秘密兵器だッ!」
そこに浮いていたのは、村に眠っていた河川運搬用の小舟……を、無茶苦茶に魔改造した代物。
ヤバマーズ産の頑丈な木材をベースに、撥水加工を施した魔物革、無骨な鉄板で各所を補強。
最大の特徴は、船体の左右に配備された外輪!
「外輪式蒸気駆動ボート、その名も――『ヤバマーズ・イカサマー号』だッ!!!」
オノレが、これ以上ないほど嫌そうな顔をした。
「え、正気? アスタ、やっぱり変異が頭まで回ったの?」
「なんだよ、文句あっか」
「文句しかないよ! まず、名前が変っ!」
「なんでだよ! 我らが始祖、王を騙くらかそうとした稀代のペテン師に敬意を表した、最高にヤバマーズらしいネーミングだろ! 夏のイカを欺く、イカサマー号だぞ!」
「もう、そんなの沈んだ泥船の名前だよ!」
「僕の先祖を、泥船扱いすんな!?」
「しかも、見てごらんよ。このツギハギだらけの外観。試運転だって、ちょろっと数分動かしただけじゃないか」
「ダムと水車から連想した構造だよ! 水蒸気で車輪を回せば、ガンガン進むはずだろ!」
しばし、全力で言い合って、「はあはあ」と息が上がる。
「大丈夫だって。ジルだって、“計算上は沈まないっす”って太鼓判押してたし」
「……あの後輩、自分が乗らないからって適当言ってない? ドワーフ工学に、浮力なんて軟弱な概念はないはずじゃなかった?」
「細かいこと気にすんな。さあ、乗れ乗れ」
オノレは深い溜息を吐きながらも、しぶしぶと船に乗り込んだ。
続いてリュスが、さも当然のように、僕の手を優しく引いてエスコートしてくれる。
……いや、普通は男女が逆じゃね?
「アスタ様、どうぞ。お足元に気をつけて」
「う、うん……サンキュ?」
「ふふ、わたくしは『イカサマー号』、素敵な名前だと思いますよ」
「だろ! リュスだけはわかってくれると思ったよ……」
「はい――これなら沈む時も、ご一緒できますし」
「あれぇ!? リュスも沈むと思ってる感じなのぉ……?」
ひどく解せない。
じゃあ、なにかよ。二人とも“舟が沈む”と思ってるのに、作戦に付き合ってるとでも言うのかよ……?
そんな奴がいるはずないので、全くもって意味不明である。
「よし、じゃあ行くぞ! 野郎ども、錨を揚げろー!」
「アスタ、ボートに錨なんて付いてないんだよ」
「いいんだよ。本に出航時はこう言うって書いてあったんだから!」
船体搭載された魔導機構。
そこへ、タンクから
キィィィィィン――。
澄み渡るような結晶の歌声。
直後、蒸気が吹き出し、左右の外輪が力強く回転を始めた。バシャバシャと力強く水を蹴る。
「おっ、いいぞ。安定してるじゃないか」
徒歩なら時間がかかったはずの湿地帯を、やすやすと抜けていく。
獲物を待っていたマッドクラブが、驚いて泡を吹き。
巨大アメンボが水面を滑って追跡してくるが、蒸気の気配を嫌ってかすぐに引き下がっていく。
「アスタ様、ご覧ください。不自然な気泡です」
「よし、オノレ! 左舷、放てっ!」
「はいはい、船長気分なんだね……ったく、人使いが荒いんだから。――術式展開!」
オノレが触媒の杖を向ければ、鋭い氷の槍が飛んでいく。
スラリー燃料によるエネルギー熱源が搭載されている今、魔力消費を抑えたまま、術式へ変換するのもお手の物だ。
必要に応じて、電撃も使える。その辺の雑魚なら、もはや敵ではない。
「……エネルギーの変換源があると、魔術のキレが変わるなあ」
「気を抜くなよ、オノレ。そろそろ湖の入り口だ」
僕は、左手の甲へと意識を集中。
ズキリ、と神経を逆撫でするような警告。
「ああ、わかってるとも。……やつらの影だ!」
水面から頭だけを出し、槍を構えている魚人の軍勢。
またもや、待ち伏せ戦法である。が――。
「ふはははは、バカの一つ覚えだな、魚人ども! ヤバマーズ・イカサマー号のギアを上げてやるっ!」
「ちょっとアスタ!? 耐久性の問題はっ!? こんな船体が加速に耐えられるはずが――」
僕は、船の前方に左手をかざした。
「操縦は任せたぞ、リュス!」
「はいっ!」
加速が増すほど波が立ち、船の先端には凄まじい抵抗負荷がかかる。水が生み出す摩擦が、僕らを阻もうとするのだ。
だが、もしも――その水の抵抗を、真っ二つに切り裂けたなら?
サキオンが導くように囁く。
「往く先を見据え、その剣を伸ばし給え。――心にて、水月を断つ如く」
「お前に言われなくともっ!」
左手から迸る燐光。三日月の刃は船の先端を伝い、より鋭角な船首となって実体化する。
行く手を阻む、水の壁を裂くために。
「――
外輪の回転が、本来の限界を超える。ギシギシと軋む音。
イカサマー号は水面を跳ねるようにして、魚人たちの包囲網へと突っ込んでいく。
慌てた、魚人たちが一斉に槍を放ち、網を投じた。
だが、そのすべてが。イカサマー号の航跡のなかに悉く置き去りにされる!
「あばよ、どんくさ共! せいぜい、後ろからのんびり追って来やがれッ! ふはははははっ!」
――シュパァァァンッ!!
圧倒的な推進力、疾風のように通り過ぎるボート。
必死に泳いで追いすがろうとする魚人たちも、その姿がみるみるうちに小さくなっていく。
やがて、安全な距離まで離れたところで、リュスは速度を緩めた。
僕は船首に形作っていた、水を裂く剣をスッと掻き消す。
「うわ……本当に、あの包囲をあっさり突破出来ちゃったよ」
「わたくしの知っている未来では……この時期には、魚人たちが執拗な立ち回りをして、まともに湖に近寄ることが叶わなかったのですが……?」
僕は、自信満々に笑いかけてやる。
「だから、言ったろ。あいつらは、なんとかなるって。……そして、このイカサマー号の通常速度にすら、魚人たちは追いつけないのさ」
想像通りだった。
魚人たちの存在は、もうウロコに警告を送ってこない。
「……もしかして、アスタ。海洋生物に詳しいという、サキオン氏の助言だったのかい?」
「いいや。そこは別に聞いてないぞ」
僕は、肩をすくめる。
「これくらいなら、ちょっと観察すりゃわかんだろ。なあ、サキオン?」
思わず、浮かぶ不敵な幻影に同意を求めれば。
彼はなにも言わずに、呆れたように首を振った。
***
遡ること、作戦会議。
開口一番、こんな一言から始まっていたのだ。
「――諸君。魚人どもは、泳ぎが下手だ」
それこそが逆転劇の狼煙だった。
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