なにいってんだ、こいつ。
集められた面々は、一斉に困惑顔を晒した。
「魚人を怖がるな! クラーケンを怖がるな! そして、湖がデカくなった程度でうろたえるな! 奴らは思ったほど大したことはない、僕らの攻略手段は――むしろ、増えているんだッ!」
机を叩いて、アスタは強烈に断言。
だが、誰一人としてピンと来ていなかった。
「いや、アスタ先輩。……魚人はどう考えても、兵士としてはだいぶ強いっすよ?」
ジルは、不満げにポニーテールを揺らした。 指を折りながら数え始める。
「常人を凌駕する強靭な筋肉でしょ。鎧みたいな鱗、戦術を駆使する知性に、おまけに武器まで使える。……どこをどうみたら、そんな扱いになるんすか」
「おいおい、よく思い出してみろよ、ジル。けっこうな弱点だらけだったろ」
「そっちがよく思い出してほしいっす、一番痛い目を見たのは先輩でしょ!」
しかし、アスタは態度を崩さない。
「人型なんて、流線型とは程遠いだろ。水かきやヒレがあったところで、水の抵抗はモロに受けるし、魚みたいに柔軟にくねらせることも出来ない」
「え……そういうもんすか?」
「お前、それでも
否である。
誰も、そんな着眼点を持つはずがない。
当然だ。戦場にいた誰もが、目の前の殺意を凌ぐことに必死で、生物学的な観察をする余裕などなかったからだ。
その上、魚人は水棲生物という前提がある。
だから、それが普通だった。
「しかも、どいつもこいつも、湖からゆっくり這い出して来たろ。おかしいと思わないか? アイツらは、水中からピョンって飛び出して奇襲を……問答無用の初見殺しを狙うべきだったろ」
確かに、もしそれが実行可能だったならば。
湖に近づいたが最後、一撃で再起不能だったかもしれない。
「じゃあ、なんでやらなかった? ……違う、出来なかったんだよ。アイツらには、水中から飛び出して襲うほどの瞬発力が、ない」
誰もが、まさかと思い始める。
しかし、確証がない。
そこに、思いがけない助け船を出した人物がいた。
巡礼冒険者のウーティスだった。
「……ちょっといいか? オレのパーティは、海の経験もあるんだが」
「おっ。巡礼冒険者様の生きた経験談ってか。ぜひ、聞かせてくれ!」
「魚人たちは、人間より遥かに泳ぎに優れる。だがな、奴らが全力で逃げる帆船に、追いつけた記憶は……オレにもない」
場に、どよめきが走る。
「魚人の遊泳速度って……そんなものなのかい?」
「ああ。イルカやアザラシ、海獣類の方がよほど速く泳げるだろうよ。それどころか……」
ウーティスは、至極真面目に言った。
「下手すりゃ、その辺の魚より遅いかもしれない」
そんな魔物が、成立し得るのだろうか。
魚人と言えば、人類にあだなす存在。海の恐怖の象徴ではなかったか?
皆が疑問に思うなか、アスタだけが「だろうな」と頷いた。
「いや、アスタ。それじゃ彼らは狩猟すら出来ないんじゃ……? いや、違う。魚人には重量があり、鱗も硬い歩行型。このことから予想できる生態は――」
「まあ、水底で暮らすための肉体構造なんだろうなあ」
「泳ぐんじゃなく、水底を歩いて暮らしてるのか!」
「たぶん、狩りは待ち伏せでやってんじゃね? それか、隠れている魚やエビなんかの穴に忍び寄り、手や道具でとって食べるみたいな?」
待ち伏せ。
それこそまさに、魚人たちが繰り返し見せた戦闘形態そのもの。
「あとは、ほら。カニだの貝だの採取したりさ。水草だってあるだろ。なんなら、そういうの育てたりも出来るかもじゃん?」
魚人が採取作業をし。
それどころか、畜産や農業の真似事をしている可能性まであるという。
アスタの推論は止まらない。
「どっちにしても道具があれば、ハンデがあっても食っていけるよな。人間から学んだのかは知らないが、あいつら投網すら武器にしてたんだぜ。ひょっとして、網漁で食い繋いでんじゃないの? そう解釈する方が合理的だよなあ」
今度は、魚人が網漁をしているとまで言い出した。
もはや冗談のような話だが、アスタの語りには妙な説得力があった。
「つまりさ、あいつらは地上では人類より遅く、水中では魚や帆船より遅い。――どこに行っても、機動性が弱点な生き物なんだ。だから、必要なのは、待ち伏せと忍び寄り対策ってわけ」
ぺらぺらと話す内容は、とても死地での観察結果とは思えない。
「ついでに泥の上でも、相当動きにくいんだろうなあ。水かきが泥に埋まったら、引っ張り出すだけで一苦労だし。おかげで僕は、お前らに助け出してもらえたってわけだ。あいつら、湿地帯まで伏兵を用意できないもんなっ!」
魚人が湿地帯を狩場にせず、追撃が甘い理由まで付け足される。
そろそろ、場にいる者たちは疑問に思い始めた。
本当にこの男……死ぬ寸前の危機から生還した立場なのか?
そう疑ってしまうほどに――拾ってきた情報量があまりに多すぎる。
「奴らが弱いとまでは言わない。でも、特徴がはっきりしてるだろ。だから、湖の水位が増すのは、むしろ勝機……攻略手段が増えると判断したんだ。僕がここまで待った理由だ。納得できたか?」
シンと静まり返る、会議室。
しかし、最初に口を開いたのは、思いもよらぬ人々だった。
「あの、領主様。オラたちから、話してもいいでしょうか……?」
声を上げたのは、ヤバマーズの村を長年束ねてきた老人。
その隣には、この地に身を寄せる難民の長が座っていた。
そう、今回ばかりは、湖の氾濫によって避難を余儀なくされるかもしれないと、当事者として呼ばれていたのである。
「なんだ、遠慮せず言ってみろ」
「正直言って……領主様の仰ることは、オラにはほとんどわかりませんですだ」
「そっか。それはすまんな、それで?」
「オラたちが心配なのは……これからの、オラたちの生活がどうなってしまうのかってことでして」
ある種、当然のことだった。
家を追われ、畑を失えば、戦いがどうなろうと生きてはいけない。
「湖が氾濫して、家も畑もなにもかもが沈んじまったら、オラたちの暮らしはどうなってしまうんですか? みんな、食うに困って、今度こそ飢え死にしてしまうんでないですか?」
切実な言葉。
向き合うアスタは、取り繕うのをやめた。
「ごめんな、不安だよな。でも、僕は……大丈夫だとか、無責任に言ってやれないんだ」
村の代表たる老人も、難民の長も、その言葉に大きく動揺した。
それでもアスタは、都合よく言いくるめようとはしなかった。
「でも、僕は……二つだけ。二つだけ、約束できることがある」
「……なんですだ?」
「一つはな。僕が死ぬ気で立ち向かうってことだ。僕は領主で、お前たちの働きによって生かされている。だから……ここで命を懸けて、戦ってくるよ」
他の地方領主なら、まずこんな言い方をしない。
難民たちが来たからこそ、ヤバマーズの民も改めて実感する。これは誠実な態度だ。
それでも、何代も経て開拓してきたのが今の生活だ。そう簡単に、失う覚悟がつくはずもない。
「……それで、オラたちの暮らしはどうにかなるんですか?」
「すまん。命は懸けたところで、上手く行く保証はないんだ。……僕が負けたら、逃げてくれ」
領民たちには、リュスが神託を受けたという噂が広まっていた。
七大神の導きがあるなら、奇跡が起きるはずだと。
だが、それでも。
目の前の領主は“保証はできない”と、残酷なほどに正直に答えた。
「なら……ならっ! オラたちが汗水流して耕した畑が水没してしまったら、一体どうしたらいいんですかっ!? もう、オラたちはそこでおしまいなんですかっ!!」
領民にとって、これまで受けた恩義だけでは、生活を失う恐怖は抑えられない。
自然の猛威の前にどうしようもないとわかっても、やり場のない怒りが、叫びとなってアスタを打つ。
けれど、アスタは落ち着いてこう言った。
「その時は……また一からやろう!」
「い、一から……っ!?」
「そうだ。また、どこか大変な土地に流れることになるかもしれない。たどり着くまでに、辛い目に遭うかもしれない。……でもさ! お前たちの先祖が、かつてやり遂げたことなんだ。僕らにだって、できないはずがないッ!」
なんの解決にもなってない精神論。
だが――。
「僕も一緒に鍬を持って、汗を流して頑張るよ。約束する。だから……そん時は、
この領主には、すごい能力があるわけではない。
土地を豊かに切り開く力があるわけでも、都合よく奇跡を起こせるわけでもない。
ああ、普通なら“なんの特別な力もないくせに”と思うだろう。
だが、どうだ? さながら初代ヤバマーズのように。
決して無敵ではない、たった十九歳の若き領主が。
不安に押し潰されそうな自分たちを励まそうと、悪戯っぽく笑いかける等身大の姿は。
――確実に、領民たちに火を点けていく。
「領主様がそこまで仰るなら……オラたちも、出来る限りお手伝いしますだ。そうせねば、なりませんですだ……」
なにも解決していない。不安が消えたわけでもない。
それでも、“この領主とならもう一度やれるかもしれない”とは思えた。
そして、その姿を見る……仲間たち。 いや、かつての敵対者や、冒険者たちの心にすら、なにか変化が訪れていた。
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