イカサマー号が、湖をぷかぷか進む。
僕は揺れに身を任せ、作戦会議での光景を思い返していた。
でも、そこでたった一人。
リュスだけは違った目で、僕を見ていたと思う。
どこまでも微笑ましそうに。
あるいは何物にも代えがたい幸せを噛みしめるように、じっと見つめていた。
「……アスタ様、なんでしょうか? わたくしの顔に、なにか?」
「ああ、いや」
つい、見つめてしまった。
「ただ、貴女が嬉しそうに見えてさ」
「はい、嬉しいですよ。不思議なことに、あなた様がいると世界から絶望が消え失せて……わたくしは、幸せな女になってしまうのです」
「……おいおい、僕はそんな大した奴じゃないぞ」
なんだか、こそばゆくなる。
すると、サキオンは、我慢が出来ないとばかりに言った。
「貴様は、いったい何を言っているのだ」
「なんだよ、いきなり」
「死の淵にて得た知見を、
「まあ。僕は別に、そこまで強いわけではないな」
「にも関わらず、死にかけた貴様は、平然と死地に戻った。恐怖心が欠落しているのではないのか?」
「……そりゃ僕だって怖くないわけじゃないが」
サキオンの問いに、僕は首をかしげた。
でも、過ぎ去ったことは、“あー、死にかけたな”って割り切ればいい。
「過去を振り返って考察するくらいなら、誰にだってできるだろ。怖さはそっと脇において、頭を整理して言葉に出す。前だけを見て進むだけさ」
「誰にでも? ……貴様は天才には程遠い。されど、その偏りは、凡夫と括るには無理があろうよ」
「はいはい、ご高説どうも」
だから、僕はサキオンが苦手なままなのだ。
後ろからジロジロ眺めては、なにかと口を出してくる。
サキオンのような鋼の精神性の持ち主が、僕の足掻きをどう評しても、嫌みにしか聞こえない。
(どうせ、情報を揃えてやれば、机上でパパッと答えを出せんだろ。天才どもめ。僕はボコボコにされてからじゃないと、答えが出せないだけだっつの)
聞き流しながら、左手の甲へと神経を集中。警戒を維持。
すると、ついにウロコが脈打ち始める。
「――来たぞ」
「加速しますっ!」
すかさず、リュスがレバーを操作した。
――ズブァァァァァンッ!!
回避。湖底から急上昇したのは、巨大な影。
水が盛り上がったかと思うと、数十本の触手が鞭のようにしなり、しぶきとともに降り注ぐ。
ぬらりと姿を現したのは、山のような質量。
海魔、クラーケン。
「出たな、ヌメヌメ野郎ッ! 会いたかったぜ!」
「……なんで、魔物に会えてうれしそうなんだい。君は?」
オノレが引き攣った顔でぼやくが、僕は構わず海魔を挑発。
「さあ、海魔よッ。お前が求めているのは、この匂いなんだろ? 異能、
漆黒のウロコより、不可視の信号がどんどん広がっていく。
魔物にとって、最高級の獲物が放つ甘い誘惑。抗いがたい殺意の芳香。
――ギロリ。
クラーケンの黄色い眼球が、ドロンと回転。ただ、一点。この小さなボートへと固定。
「よし、釣れたぞ! リュス、全速前進だ!」
「はいっ、お任せください!」
「ちょっと待って!? まさか、俺たちが釣りの餌だって言ってるのかい!?」
外輪が咆哮を上げ、イカサマー号は水面を滑るように加速。僕は、船の移動を補助するように、
――ドォォォォォンッ!!
直後、巨大な触手が叩きつけられた。
ボートが木の葉のように跳ねあがる。
「きゃぁあっ!?」
「うおっと! 転覆させるなよ!」
すかさず、周囲の地形を読み解く。
たしかに、湖の面積は広がった。だが、
いいや、断じて違うっ! なにも無駄になんかなってない!
「リュス、二時方向から迂回! 立木の間を抜けるぞ!」
「承知いたしました」
「オノレ、エネルギー制御系は――」
「もうやってる! 名門の
僕たちの連携。そして、これまでの足で稼いだ情報から、天才たちが導き出した最適な逃走ルート。
イカサマー号は、突き出でた木々を縫うように蛇行。
追うクラーケン。その巨躯が……水没した林へ突っ込む。
――バリバリ、メキメキッ、ドォォォォン!!
クラーケンの突進によって、小枝のように粉砕されていく障害物。
だが、それでいい。
「アスタ! クラーケンの勢いが落ちている!」
「狙い通りだ! あいつはな、この狭い環境じゃ、ご自慢の加速構造を上手く扱えないんだよ!」
大海の悪魔は、この湖という“閉鎖された箱庭”には、あまりにデカすぎた。
先日、奴が陸に乗り上げたのは、一見すれば、僕たちにとって絶望的な状況に思えたが……アレは湖が狭すぎたが故の失敗だったのだ。
サキオンの援護があれば、短時間でも僕が拮抗できるほどに。援軍があれば、僕を奪還できるほどに。海魔クラーケンは、驚くほど弱くなっていた。
その理由はただ一つ、陸に上がってしまったから。
「奴は賢い! 陸地に乗り上げないように、気を付けるだろう。見知った地形での勝負は通用しない!」
「……だからこそ、水嵩が増した今に勝負するのか!」
「その通り! 今の湖は水没したばかりの林と浅瀬が複雑に入り混じった、未学習の新地形ッ! 対して、僕たちイカサマー号は小回りにおいて激烈超有利ッ!」
水没林では、クラーケンが暴れまわれる十分な空間がない。
無理に触手を振えば振るうほど、加速すればするほど、その衝撃が自らへと跳ね返り体力を削る。
「そうだ、七代目よ。物理法則は……嘘をつかぬッ!」
サキオンの知は、僕の策を見事に裏付けした。
「この浅瀬こそが、クラーケンには致命的な枷となる。流体力学において、水深が浅く幅が狭い水域を、巨大な物体が移動することは困難。水流は逃げ場を失い――抵抗が急増する!」
「だろう? ふはははは、さすが僕だ! 見てみろよ。あの無様なザマをなあ!」
前回は、僕らの邪魔をした“水”というフィールド。
だが、この追いかけっこにおいては、僕らの味方だった。
その上、妨害しようとするはずの魚人たちからも悲鳴が上がる。
「アスタ様、ご覧ください。魚人たちが化けカエルに襲われています!」
「僕が発揮した、
ニヤリと不敵に笑みを浮かべてやる。
「僕を救出する際、魚人たちと他の魔物が乱戦になったって言ってたろ」
「……はい」
「それは間違いなく、僕の異能が起こした二次被害だ」
もし、都合が良いことが起きたなら。
単に運が良かったのではなく、なんらかの因果関係が存在する。
「僕の異能は、統率された魔物にとっては、突発的トラブルの温床になるんだ!」
そして、その混乱が起きている先こそ、僕らの取るべき進路。
「そこだ! 舵を右へ!」
急旋回。
イカサマー号が波を立てて回避した刹那、僕らがいた場所に――。
――ズバァアアアアンッ!!
クラーケンの質量が、頭が、触手が、衝突を巻き起こす。
同士討ちという言葉すら生ぬるい惨劇。哀れ、魔物たちは、ミンチとなって湖面へぶち撒けられた。
「ふはははは! チームワークが足りてないんじゃないか? いやぁ、むしろ仲がいいから仲良くイチャついてるのかなあ?」
「アスタ……君って戦闘になると、性格悪くなるね?」
「そこは、策を褒めろよ!?」
だが、クラーケンも学習している。
ボートの進路を先読みし始めていたのだ。
じりじりと逃げ場が減り、追い詰められていく。
「チッ、そろそろ時間稼ぎも限界か」
「イカって、こんなに長く獲物を追えるものなのかい?」
「知るか! さすがに、向こうも削れてるとは思うんだがな。このままじゃ、船体が持たんぞ!」
まだか、まだなのか!?
冷や汗が背中を伝い、さすがの僕も焦りを隠せなくなってくる。
その時――。
「アスタ様、ご覧ください」
操舵するリュスが、目ざとく見つけた。
それは僕が待ちに待った、希望の合図。
「――ダムから、狼煙が上がりました」
ついに、準備が整った。
毎日更新が難しくなりそうです。
リアルタイムで執筆していたので、お待たせするかもしれません。
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