【書籍化進行】ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~ 作:裃 左右
蒸気圧とは、狂暴極まる物理現象だ。
食い破らんとするように、ここから出せと気体が絶叫する。
――ズドスゥゥゥゥン!!
砲から撃ち出されたのは、巨大な銛。
唸りを上げて、ぬらぬらと光る外套膜――その分厚い筋肉を貫いた。
「キュゥゥゥゥウーーッ!?」
何百もの笛の音を、歪ませたようなおぞましい悲鳴。
先端の逆刺が食い込み、決して肉を離さない。尾を引く鉄鎖は、ジャラジャラと引き留めんとする。
「へえ、イカって鳴くのか。うーん、漏斗から空気が漏れてんのかな」
「アスタってばさぁ! 呑気に感心してる場合じゃないでしょ!?」
「それはそうだ」
見れば、鎖がピーンと張り詰め鳴いている。
たった一本の鎖で、その怪力を押さえ込めるはずもなし。
「一本でダメなら、束で縫い留めろ。
ダムの天端に、ずらり並び立つ超人たち。
まず、先頭で咆哮を上げたのは、筋骨隆々の巨漢。大剣背負う聖騎士ロダン。逞しい手には、既に凶悪な槍が握られていた。
「吾輩こそが、一番槍に相応しい! 聖王の御名において、不浄なるヌメヌメ海魔を穿ち抜いてくれるわぁぁぁッ!」
「おいおい、大男。遠くからブン投げる槍に、一番槍も二番槍もあるかよ」
呆れたように息を吐く、巡礼冒険者ウーティス。黒髪をなびかせる佇まいには、緊張の力みが一切ない。
そして、三人目。ドラクロワ男爵家の嫡男にして、王都の剣術大会でも名を馳せる青年剣士――フェルディナン。
「笑止! 槍投げにおいても、私は王都の大会で入賞しているのだっ! 栄誉ある一擲、とくと見よっ!」
三者三様、まったく統一感のないフォーム。
だが、彼らの腕力、背筋力、踏み込みは、揃いも揃って人間という種の限界値をブチ抜いていた。
――ビュンッ!! ビュンビュンッ!
放たれたる、三本の槍。放物線を描いて落下しかけた、その瞬間だ。
槍はその真価を発揮する。尾部に仕込まれた魔導機構が作動、凄まじい勢いで白煙を噴き出していく。加速が、直線軌道へと書き換わった。
「ふはははは! 古の時代、火薬で槍を飛ばす、
初速は人間離れした筋力、その先からは高圧蒸気ジェット。破壊力は減衰どころか、加速さえして、悶えるクラーケンへ
――ドスゥゥゥゥンッ!! ドガァッ! ドズゥンッ!
三つ連なる着弾音。ド派手に湖面に散る、鮮やかな青い体液。
それぞれ銛と槍から伸びる鉄鎖が、四方向から巨体を縫い止めた。
「ほうら見ろ! これが僕のアイデアだ、超絶頭良いだろ?」
「紙一重どころか、技術書十冊まとめてブチ破る勢いな〝バカの発想〟なんすよ! うちが徹夜した精密装置を、気軽に使い捨てしやがってぇぇぇっ!」
「うっせえなあ、いいじゃん。当たったんだから」
「うちの苦労、うちの作品ぃぃぃんっ!?」
「で、ジル。鎖の固定状況は?(無視)」
「……チッ、うちの仕事に抜かりがあるわけないっしょ! ダムにクランプやらフックやら、盛りだくさんで噛ませてるっすよ」
そう、作戦の真骨頂はここからだ。
スライムの粘液で、窒息しかけているクラーケン。今、奴が綱引きをしている相手は、いまや脆弱な人間などではない。
「お前が綱引きしてる相手はなあ、古代エルフが創り上げた不朽の大城壁、数十万トンのエルヴン・コンクリートの塊! ――即ち、この巨大ダムだッ!」
ギギギ、ギチチチチチ……ッ!!
さらに、ロダンたちが予備の
じゃらり。ダムと怪物に張り巡らされた、計七本の鉄鎖。
クラーケンが抗えば抗うほどに、逆棘が筋肉深くに食い込み、痛みにのたうち回る結果になるしかない。
「ああ、そんな船を引っ張り込むノリじゃ、絶対に無理っすよ。主砲からの本命鎖に、左右異なる角度からの補助鎖……いくら化け物だろうが、推進力を生み出す姿勢が保てないっす」
「そうだ。お前の得意フィールドは――今回は味方しないぞ」
物理法則は嘘をつかない。水中には、地面のように確固たる反作用点がない。要するに、踏ん張れないってことだ。
七方向から不規則に引っ張られ、姿勢制御が奪われれば、無様にバタつくのが関の山。糸に絡まった凧みたいにな。
「オラァッ、オジサンたちで鎖を引き上げるっすよぉぉぉッ!! 奴にトドメを刺すっす!」
ジルが威勢よく、音頭を取る。
男たちが、一斉に鉄鎖を引き絞る。巻き上げ機は、大砲に付属させた分だけ。残りは、純粋に人力だ。
「引けぇぇぇっ! 絶対に、化け物を逃がすんじゃねえっ!」
「ここはなあ、オラたちが辿り着いた新しい故郷なんだ! 水浸しにされてたまるかぁぁあっ!」
「「「――せーの、せぇええぇぇぇッ!!」」」
声を張り上げるのは、ヤバマーズの土着兵だけではない。
つい先日まで飢えと絶望に震えていた、ドラクロワ領の難民たちもそこにいた。
血走った目。立場も生まれも違う連中が、血管を浮き上がらせ、両手に血豆を作りながら、一つの作戦、同じ鎖に命を預ける。
「この者たちは……我が領の民だった者たち。裏切り者」
フェルディナンが、苦々しく呟いた。
彼にとっては、勝手に逃亡した自領の農奴。法に従えば連れ戻し、見せしめに処罰すべき対象なのだろう。
しかし、必死に汗流す難民。その一人が、フェルディナンと目が合う。
瞳に宿っていたのは、かつての領主嫡男に対する畏怖や服従ではない。
――邪魔をするなら、貴様でも殺す。剥き出しの敵意と、明確な拒絶。
「――くっ!?」
思わずフェルディナンは後ずさっていた。貧弱なはずの農奴に、超人たる貴族が気圧された。
ズズズズズ……ッ!
数十人の人間と、巻き上げ機。強大な海魔を、じわじわダムへ引き寄せていく。
だが、そこでチリっと、左手のウロコが疼いた。
「やっぱり、タダじゃ終わらせてくれねえよなあ……」
湖畔の浅瀬、ダムの暗がりから集う濡れた影。漂うのは、腐った魚と泥の臭気。ギチギチギチ、とヤスリを擦り合わせるような不快な歯音。
――
「鎖を引く民たちを、狙い撃ちに来たかっ! 許せぬっ! ヤバマーズ男爵、指揮をせよ。吾輩に命じるのだっ!」
「アスタ様……」
視線を巡らし、深呼吸。
肺に満ちるのは、酷い味の空気だった。ああ、今まで戦った中でも、一番、空気の味が不味いと思える。毒ガスを振り撒いた時よりも、ずっと。
それでも僕は、不敵な笑みを浮かべなければならない。
「……ジル。鎖の巻き上げの指揮は、このままお前に任せる」
「了解っす! しっかりやるっすよ、バカ大将」
「オノレ、お前は極力戦うな。観測に徹しろ、空から戦況を見張れ」
「承知したよ。まったく、現場監督まで押し付けられるとはね」
「そして、リュス」
「はい、アスタ様」
白と黒の法衣、
じっと奥深い
「……前線の遊撃と防衛指揮を、貴女に預ける。クラーケンを殺しきるまで、奴らを一切通すな」
「御意のままに。……この命に代えても、あなた様の背中を守り抜きます」
僕は今日、本当の意味で仲間に頼る。
この広大な戦場に大声を張り上げ、微細な指示を出し続けることは、今の喉では不可能だ。
だからこそ、権限を――重たい責任を委譲する。
「それで良いのだ、七代目よ。成就も破綻も、最早、貴様の掌中には収まらん。それこそが統治者というものなのだ」
「……嫌だな、それ」
「其れが人の上に立つ者の宿命。遅かれ早かれ、貴様一人が奮起したところで、万事好転すなどという幻想は棄てることになろう。汚名も苦悩も、己一人だけでは背負いきれぬ」
サキオンは、憎たらしい笑みのままだ。
僕は、無力だ。
誰かが死んでも失敗しても、全部ぜんぶ、僕一人だけが悪いでよかったのに。そうやって何でもかんでも、背負い込めれば楽だったのに。
誰かに〝死ね〟と命じる仕事を、少しずつ、一緒に背負ってもらう。僕の身勝手な決断で、その危うい立場に座らせていく。
それもまた……領主の業だって言うのかよ。
「――では、行って参ります」
リュスが一礼、風のように駆け出した。
「遊撃軍、防衛配置へ! これより迎撃を開始します。ロダン、ウーティス、フェルディナン。わたくしの指揮下に入りなさい!」
リュスの澄んだ、けれど雷鳴のように芯の通った声。
そこには、数多の貴族を傅かせた支配者の威光。
「わ、私があんな女の指揮下だと……? いや、あの
激しく狼狽する、フェルディナン。
一方、ウーティスは感心したように墨色髪をかき上げる。
「ああ、なるほどねえ。だから男爵殿は、オレに籠城戦が得意か尋ねてたって訳か。……あいつの指揮下で遊ぶのは面白いなあ。おい、お前たち。こいつらを始末するぞ」
「「はっ!」」
ウーティスが命じれば、冒険者たちは、規律を持って陣形を敷く。
奇妙にも、どこぞの精鋭部隊でも思わせるような、見事な統率だった。
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