【書籍化進行】ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~ 作:裃 左右
「ええい、認めんぞ! ドラクロワ家の嫡男たる私が、なぜ、素性も知れぬ女の指図を受けねばならんのだ! 我が剣は、太陽の女神シャムスの正義のためにのみ――」
リュスは、その形の良い眉をひそめた。
あまりに流麗な動作。すらりとスリットから伸びた脚で――フェルディナンの尻を蹴り飛ばす。
「うぎゃぁあああっ!? 女、なにをするっ!!」
「この期に及んで、我が主人の命をこなせないと仰るのですか?」
「…………いや、そういうことでは、なくてだな」
「わたくしはあなたよりも強く、そして、速い」
煌く聖剣、底知れぬ
「これ以上、戦列を乱すおつもりならば、まずその手足を切り――」
「わ、わかった! いや、その……承知、いたしました……っ」
威勢の良さはどこへやら、フェルディナンはすぐに屈した。
周囲の
「わかればよろしいのです。――総員、対魚人兵装を投擲、その進行を妨害せよ! 僻地の覇者は、我々だと教えてやりなさい!」
リュスの声は、どこまでもよく通る。そして、あまりに華麗に映える。
兵を従わせるには良き声、従いたくなる姿でなければならない。
「へいっ! 野郎ども、旦那の特製〝目つぶし玉〟をお見舞いしてやれぇ!」
ドカンと弾ける音、もうもうたる粉煙が炸裂。
その粉塵の主成分は、石灰窯で焼成された生石灰。即ち、酸化カルシウムの粉末である。このありふれた物質が、凶器へ化ける条件はただ一つ。
――水分に触れること。
「ギィ、ギャアアアアアアッ!?」
「シュグァァァッ! ギヂ、ギヂィッ!!」
耳を塞ぎたくなる絶叫。
魚人の表面を覆う、濡れそぼった粘液。そこに粉末が付着した途端、猛烈な放熱反応が起きた。外皮がみるみるうちに焼き爛れていく。
瞼の無い眼球、露出したエラはもっと悲惨だ。
眼球の粘膜を生きたまま灼かれ、エラから気道にかけて、内部から熱傷を負う。想像を絶する激痛、魚人は血泡を吹いて、のたうち回りながら痙攣した。
「す、凄まじい! こんなものが、水辺の魔物に効くとは……っ!?」
「感心している暇はありませんよ、ロダン。敵の歩みが止まりました、皆の者、間合いを詰めて各個撃破を!」
先陣を切ったのは、墨色髪の冒険者ウーティス。
「へえ、生石灰の粉塵か。確かに海戦じゃあ、たまに見かける手口だが……随分と、エグい手を使うものだな、ヤバマーズ家の男爵殿は」
誰も理解できないことだが、アスタがこのアイデアを思い付いた原因。それは地下墓にて、石灰が乾燥剤として使われたのを見たから、である。
さておき、ウーティスが構えるのは、長大な
一歩で、三間を制する槍捌き。悶える魚人の喉へ、電光石火の突きを繰り出す。
「――さあて、思い切り遊ぶとしようかね」
直後。柄を鋭く半回転、背面の逆鉤をエラ蓋に引っ掛けた。
そのまま自重と遠心力を利用。メキメキと首筋から胸にかけて、汚汁をまき散らしながら引き裂く。
雑草を刈るように、敵を次々刎ね飛ばす。一見すると、自由奔放な乱戦法。
だが、彼に率いられた冒険者たちも、誰一人孤立しない。
視線を交わすことすらなく、互いの死角を塞ぎ、流水の如く位置を替え、寄せては返す波のように敵軍を包み込んでは撃破していく。
「第二列、槍衾を維持しろ。無理に踏み込むなよ、踏み込まれたら突いて転がせ。転んだ奴から、確実に頭を潰していけばいい」
ウーティスは
一介の冒険者には為しえぬ、百戦錬磨の風情がそこにあった。
そして、蹴り飛ばされたフェルディナンも、また勇猛果敢に戦った。
「はぁぁぁっ、我が奥義を受けて見よ! パラード、リポストっ!」
見事な太刀筋、まさに正統剣術の模範。
装飾の施された肉厚のサーベルが、攻撃を
――シィンッ! ザシュッ!
鮮やかな切断音。
だが、その背中に、難民たちから冷ややかな視線。
「ケッ、お貴族様が今さら、オラたちを守ってるつもりだべか」
「あのギラギラした剣で、女子供まで切り捨てる気だった癖に……」
侮蔑に満ちた声が、フェルディナンの耳を打つ。
「なんだと……!? あの恩知らずの裏切り者どもめ。今まさに命を守られておきながら、感謝もせぬとは!」
フェルディナンには、農奴を見捨てたつもりなどない。ただ、優先順位を〝少し後回し〟にしただけなのだ。
領地を危機に晒すよりは、断然、正しかった。浅はかな農奴たちが、畑を荒らす魔物に挑み、自滅したに過ぎない。少なくとも、彼はそう思っている。
「いいや、耐えるのだ、フェルディナン! 私が剣を振うのは、太陽の女神シャムスへの禊ぎのため! 忘恩の下民であっても、救ってやるのが武徳である」
要するに、フェルディナンはこれっぽっちも反省も改心もしていない。逃亡農奴など、心底気に食わないし、出来れば顔も見たくないのだ。
それでも、今、見捨てれば貴族の名折れだとは思う。この苦難の旅とて、女神の怒りから故郷を救うための試練と受け入れられる。
「女神シャムスよ照覧あれっ! 我こそは邪悪を断つ、一振りの剣なり!!」
数奇な運命だ。結局、互いにわかりあうこともなく、嫌悪し憎みあったまま。
かつての支配者は、命をかけて逃亡農奴たちを守ると決めたのだった。
「へえ、筋がいいこった。華やかな王都の人気剣術も、戦場でまともに使えりゃあ大したもんだぜ」
「おお、ウーティス殿。さすがは我が女神の導き!」
「……別に、オレがそう名乗った記憶はないんだが」
そして、その防衛線の中心。
ひときわ凄まじい破壊を巻き起こす巨漢がいた。
「ふんぬらばぁぁぁぁッッ!! 聖王の御名において――悪鬼粉砕ッ!!」
もちろん、聖騎士ロダンである。振るうのは、いつもの無骨な大剣。
押し寄せてきた魚人を、三体まとめて、構えていた盾もろとも粉砕。原型留めぬ肉塊に変えながら吹き飛ばす。
「いいから、吾輩に寄るなぁぁああッ! 頼むから、ヌメヌメした生臭い身体を近づけるなぁぁぁッ!!」
「――見事な戦いぶりです」
リュスが戦場を疾駆、的確に遊撃の太刀を振るう。
彼女自身は、軍を率いた経験などろくにない。淑女として、戦術論など学んだことすらないのだ。
だが、彼女の下に集った者たちはどうだ。
狡猾に戦況を支配する、ウーティス。
隙のない正統派剣術を繰り出す、フェルディナン。
戦車に匹敵する突破力を持つ、ロダン。
彼らは全員、指揮官としても機能し得る超人たちだ。
故に、リュスは自身が為すべき役割を、こう判断した。
「わたくしは、覇気ある象徴として戦場に君臨します。アスタ様を勝利に導かんがために、あの御方のように」
彼女にとって、胸に描く唯一無二の手本――それこそが、アスタ・ド・ヤバマーズ。その人であった。
そうして、激しい血煙舞う今もなお……リュスは実戦にて、むさぼるように戦術を学んでいる。
***
クラーケンは、死に物狂いだ。
漏斗から水を噴射しようにも、両脇の吸水口までもが、スライムに塞がれている。七本の鎖に翻弄され、弱々しい水流を放っても、なんら意味をなさない。
ゆっくりと確実に、逃れ得ぬ処刑台――ダムへ手繰り寄せられていく。
「引けぇぇぇえええッ! あと一歩、あと一歩だ!」
空回りし続ける、暴威。極度の酸欠に喘ぎながらも、虚しい抵抗をやめない。
己を死へと運んでいく七本の鎖に、〝まだ死にたくない、まだ死にたくない〟と身を震わせて主張している。
「――哀れだな」
僕の口を突いたのは、そんな言葉だった。
「「「せーの、せぇええぇぇぇッ!!」」」
男たちが血肉を絞る。
手の皮がベロリと裂け、血が滲もうとも誰も勢いを緩めない。
ズズズズズズ……ッ!
ついに、海魔クラーケンは壁に引き寄せられた。
内臓をぐちゃぐちゃに潰されながらも、まだ死んでいなかった。しかし、自慢の再生力はまともに機能していない。
酸素だ。呼吸を断たれたことで、細胞を回復させるコストが支払えなくなっているのだ。
クラーケンの黄色い眼球が、ぐるり。
確かに、僕を強く睨んだ。
「キュ……ルルルルルッッ……ッ!」
搾り出された、怨嗟と激痛が入り混じる悲鳴。浴びせられた、憎しみ。
激突によって千切れた触手のうち、辛うじて残っていた触手が跳ね上がる。
「うわっ!? まだそんな力が残ってやがんのかッ!?」
「ひ、ひぃぃぃっ! 触手が、触手が這いあがって来るべぇぇッ!」
迫る悪夢、民が恐怖に顔を引き攣らせた。鎖を握る手が緩みかける。
無理もない。普通の人間は、こんな怪物を相手に死闘を繰り広げない。
「持ち場を離れんなっ、逃げた奴は頭カチ割るっすよ! ほら、トドメ用の樽を持ってくるっすっ!」
すかさず、ジルが怒鳴りつけた。
ああ、ちゃんとジルは〝必要ならそこで死ね〟と民に言ってくれた。僕の代わりに、指揮官として。
「アスタ、心配しないで。もし危なくなったら、俺が何とかするよ」
オノレもまた、そう告げる。
僕は無力な人間だ。認めよう。
だから、任せた。だからこそ、目の前のことにだけ集中できるのだ。
今ならば恐ろしいほど、殺意の軌道が読める。
(来る。これから巻き上げ機を破壊するために二本、そして、もう一本が僕を潰しに飛んでくる)
左手に、三日月の刃を収束。もう片方の手には、狩猟刀。
伸びて来る触手に対し、透き通る極薄の刃はあまりにもか細い。
「悪いな、クラーケン。僕には、急いでやることがあるんだ。さっさと殺して――洪水を止めに行く」
ふわりと浮かぶサキオン、彼から伝わってくる。
歴史の闇に埋もれた、戦争すら止めた英雄の技、その数々が――。
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