【書籍化進行】ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~ 作:裃 左右
キィィィィィンッッ!!
その一撃、ふわりと触れたのは――狩猟刀。
刃の傾斜、手首と膝の柔らかな脱力。空中で回転しながら、弾く。
(僕は呼ぶ。〝ヤバマーズ流、無駄に素早い身のこなし〟と。今日までは、そう呼ぶことしか出来なかった)
その極意は、死をなぞり往く極限曲芸。未熟ながらも、修めたのはその身体捌きと呼吸法だけ。
遡れば幼少期、父上からたたき込まれた体術。
(――なのに、どうしてだろう? サキオンの技は、これまでの動きにしっくり馴染む)
スパァァァァァンッ!!
澄み切った一閃。
「――ぬぁっ!? クラーケンの触手が真っ二つでねえかっ!?」
民衆から、驚愕のどよめき。
まき散らされた体液。触手が輪切りにされて、ドスンと落ちる。
「七代目よ。怪物を狩る技芸は、
羽毛のように、ふわりふわり。柳のように、ふらりふらり。
三日月の刃が、触手の表面を撫でられるよう、狙いを定め飛び跳ねる。
逃げまわる足掻きが、紙一重、
無論、タイミングを外せば死ぬ。
だが、ウロコの導きは、どこまでも確か。
(思えば、同じく父上から受けたはずの剣術稽古は、この動きとまったく一致していなかったな……?)
お陰で、弟イリリクにも、幾度となく打ちのめされ続けた。
ちぐはぐだった、僕のこれまで。
だが、今は――そのバラバラだったはずの動きが合致する。
そこで頭上から降ってきた、鋭い叫び。
空を旋回する、一羽のフクロウ。オノレの使い魔だ。
「アスタ、守れっ!」
狙われたのは、民と砲。
半狂乱、クラーケンも必死だ。生きるために、最後の力で壊そうとする。やらせる訳にはいかない。
「でも、間合いが遠い。僕の剣が届かない!」
駆られる焦燥、左手のウロコがビリリと知らせた。
それは、銀の
――パキパキパキィィィンッ!
踏み込みに合わせて、分厚い氷壁がどんどん出現。
「オノレ。お前は最高だぜ、ちくしょうっ!!」
阿吽の呼吸。僕がどこに足を置き、どこへ跳びたいのか、歩幅、踏み込みの速度、跳躍の角度――あの若き天才はすぐさま計算したのだ。
蹴る、加速して飛ぶ。一気に、上空へと身を躍らせる。
眼下、巨大な触手が、砲と民たちを叩き潰そうと迫っていた。
「させ……るかぁぁぁぁぁッ!!」
民を守れずして、何が領主か。
右手の狩猟刀、左手の魔刃が交差。繰り出すのは、渾身の一閃。肉を断つ斬撃ではなく、軌道を逸らすための――束ねられた斥力。
――ズドォォォォン!
炸裂する衝撃。迫る触手は、明後日の方向に吹き飛び、叩きつけられた。
「ひぃぃっ!?」
「おい、コラァ! 男が情けねえ顔して、ボケッとしてんじゃねえっすよ。バカ大将が命張ってる間に、さっさと流し込めっ!」
防戦の合間、追い立てるジル。
樽を抱えた男たちは、恐怖に震え、悲鳴を上げながら断行。
ダムの天端から、ドボトボと流し込まれる濁った液体。ツンとする刺激臭。
「キュ、キュゥゥゥゥウーーッ!!?」
直後、クラーケンの皮膚が不規則に隆起した。
内部から、殴りつけられたかのように、肉が膨れ上がり……パァァンッ!
血肉が四散。白煙と毒ガスを吹き出しながら、組織が破壊されていく。
「たらふく腹いっぱい食えよ、クラーケン。そいつが我が領、自慢の名物だ」
流し込まれた液体、その正体は……白骨茸の廃水。
本来、こんな巨獣にぶっかけたところで、大したダメージになるはずもない。湖でやっても希釈されて終わるだけだ。
だが、今のクラーケンは条件が違う。
事前に浴びせられたスライムと、その
身体の表面もズタズタ、傷だらけの死に体状態。
「強大な魔物であるお前の体内には、それはそれは膨大な魔素が貯め込んであるんだろうな。だがな……それすらも、お前の弱点だ」
白骨茸の廃水は、魔素を濃厚に含んだ血液、臓物と化学反応を起こす。
不沈なる海の悪魔よ、毒を喰らえ。
どくん、どくん。
焼けただれ、皮膚がただれ落ちた外套膜の奥深く。
ダムとの激突で、既に破裂した主心臓の代わり。辛うじて、命を繋ぎとめていたのは――二つの鰓心臓。
そこへ、廃水が侵食。壮絶な熱量と共に、
悶えた、苦しむ。黄色い目玉から、失われる光。
悪名高き海魔、その心臓が――ついに黒く輝く結晶となった。
「……勝った、のか?」
誰かが、掠れ声で呟いた。
湖畔に、ぷかぷか力なく浮かぶ肉塊。
「うおおおおおおっっ!!」
「倒したぞ! でっぇぇバケモノを、本当に倒しちまったぞぉぉぉっ!!」
上がる歓声。
男たちが抱き合い、帽子を放り投げ、血豆だらけの手を突き上げる。
残る
「ふぅ……僕が、だから言ったろ。イカ野郎を料理すんのは、ただの消化試合だってさ」
クラーケンを殺す方法なら、時間さえあればいくらでも捻りだせる。
大海原では不可能でも、ヤバマーズ領でなら、な。
僕は堂々と狩猟刀を掲げ、沸き立つ群衆に応えた。
「旦那様万歳っ! ヤバマーズ万歳ぁぁぁいっ!!」
勝ったら勝ったで、格好つけるのも統治者の仕事。
とは言ったものの、ムチャな動きをしたせいで、へたり込みそうだ。
それでも、何とか堪えた。足の調子もかなりマシになったが、さすがに長丁場はキツい。
「アスタ様、お怪我はございませんか? お身体は――」
「大丈夫、大丈夫だよ。ほら、擦り傷くらいさ」
リュスが、優しく額の汗を拭ってくれる。
すごく冷たい手、熱くなった身体に心地いい。
「オノレ、魚人どもはどうなった?」
「間違いなく、退いたね。……まあ、この後、黙って見てるって保証もないけど」
「まあ、そりゃそうだな。かなりの数を削ったみたいだけど……」
残った敵の数まではわからないが、邪魔をされれば面倒。
今日の正午を過ぎれば、湖が溢れ出すはずだ。破滅のタイムリミットは、迫っている。
「んじゃ、ジル。潜水樽の準備は?」
「……アスタ先輩、こんなガラクタを本気で使う気なんすか?」
「当たり前だろ、僕らは水門の操作盤を探してんだから! クラーケン退治なんて前座だ、前座!」
「相変わらず、正気を投げ捨ててるっすね……」
そこにあるのは、ガラス窓付きのオーク樽。重りを付ければ沈み、外せば浮き上がるだけのシンプル極まりない作り。
しかし、
「空気の供給は無理だったが、それでも、三十分程度なら持つ。作業用に、手足を樽から伸ばすこともできる。ふははは、今回はヤバマーズ産の樽が大活躍だな!(何しろ、木材加工が主産業)」
ウーティスは
「へえ、クラーケン退治は通過点で、本命が潜水樽だってか? はあん、さてはこいつ、予想以上に面白い男だな。……彼女が夢中なのもわかる」
「ウーティス殿まで何を仰る。私も、アスタ男爵の力量は認めるが……」
フェルディナンは、沸いた空気に顔を歪ませる。視線の先には、かつての臣民、逃亡農奴たちだ。
なにやら複雑な感情が渦巻いてそうだが、まあ、血を見る揉め事にならなかったなら、どうでもいいや。
「よし、リュス! 留守を頼むぞ。僕はちょっと、湖の底を覗いてくるから」
「アスタ様、わたくしも同行いたします!」
「いや、貴女は――」
言いかけた、まさにその時。
――バリッ。
左手のウロコが、これまでとは違う脈動を刻む。痛みとは違う。
殺意でもなければ、危機でもなく。逃げられるものでも、避けられるものでもない波動。
あえて、その恐ろしい感覚を言葉にするならば――。
「世界が……塗り替えられてる、みたいな……?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!
突如として、大地が鳴動した。
いや、震えているのは大地ではない。足元の巨大ダム、そして、目前に広がる広大な湖。
「されば、時は尽きたり。七代目よ、事が及ぶより前に、悪しき刻限が定められていたようだ」
「サキオン、それはどういう……っ!?」
オノレの顔色が変わった。血相を変え、湖を凝視。
「魔力反応……? 違う! 馬鹿な、こんなデタラメな出力、クラーケンどころの騒ぎじゃないっ! 湖の底から、何か途方もないものが上がってくる!!」
大渦潮が巻き起こり、湖をかき混ぜる。
その中心は、古地図に記されていた、あの謎のランドマーク。湖底遺跡が存在するはずの、まさにその水域。
そこを突き破ったのは、漆黒の触手。
クラーケンの再来か? 否、それは――あまりにも、あまりにも巨大すぎた。
ダムからの、この距離でも分かる。吸盤ですら、村民の家屋サイズ。
それが、一本、二本、三本……天に逆らう巨塔の如く、湖のど真ん中から次々生えていく。
灰色の空が、漆黒へと塗りつぶされ。暴風が吹き荒れた。
「こんなの、嘘です……。わたくしたちは……勝ったんじゃ……」
リュスの唇から、絶望が零れる。
誰もが悟った。潜水樽では、もう解決できない。
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