――ありえない話ではない。
中央から来た、聖騎士と
僕はそんな二人に不信感を抱いていたし、領民だってそうだった。
もし、なにかが、ほんの少しでも違っていたら……領地の平穏を乱す二人を、始末しただろう。
ああ、そうだ。魔物に食われたことにでも、すればいい。
正面から勝てずとも、僕にはやりようがいくらでもあるだろうから。
「そんなの、考えたくもない話だな」
「はい、考えたくも、ありません」
「……」
「思い出したくも、ありません」
リュスは、こてん、と。
僕の肩へ、顎を乗せた。
至近距離。
ランプに照らされた肌は、病的に白く。硝子細工のように儚い。
けれど、触れた箇所からは火傷しそうなほどの、渇望が伝わってくる……気がした。
「わたくしにとって、アスタ様は……昏く昏く沈んだ、海底で……唯一、掴んだ、命綱なのです」
「そう、か」
「今は、村の女たちは、わたくしに従っています。……でも、そうではなかったこともあった。……たまに、わたくしは、どちらが現実か、わからなくなる……っ!」
本当に、想像以上に。
ひどい境遇にあるのだ、リュスは。
こんな苦しみを、ヤバマーズに辿り着くまでにも味わったのか。
――二年間も?
「お願いです。わたくしを……わたくしを、確かめてください」
最初は、なにを言われたか、わからなくて……迷いが生じた。
けれど、結局は僕からも伸ばした。
重なる、指先。彼女の細指は、驚くほど冷たい。
「――貴女は、ここにいるよ。リュス」
すると、リュスは応えるように。
僕の左手――漆黒のウロコを、慈しむように。けれど、決して逃さないと強く握りしめた。
(けれど、貴女は、ここにいない方がいい。いるべきではない。必ず、あるべき姿、あるべき場所に戻してあげるから)
僕の、高嶺の花よ。憧れの
必ずや、貴女を……本来の姿。
公爵令嬢リュシエンヌへと、戻してみせる。
「……アスタ様」
「うん?」
「これからは……食卓は、あの方々ともご一緒になさりますか?」
「え、ああ。たぶん? これからは――」
二人きりの食卓ではなくなる、だろう。
「……あの方々にも、手ずから魔物肉をお与えになるのですか?」
えっ、僕らの会話を聞いてたのか?
……いや、まさかな。そんなはずはないな。
リュスは屋敷を取り仕切るのに、大忙しだったはずだ。
「みんなが望めば、そうするんじゃないか」
「……そう、ですか」
「というか、ゆくゆくは手順を効率化して……より、安全性を確認したら、魔物肉を広めるつもりですらある」
「…………広める」
「領地発展のためには、必要じゃないか? えっと、ダメか?」
「いいえ。……しかるべき手順を踏むのならば、わたくしが、お止めする理由などございません」
そんな肯定とは裏腹に、リュスの指先はピクリと跳ねていたが。
「ねえ、アスタ様」
「うん」
「わたくしには、研究のお話がわかりません。……ジル様のように、お手伝いが出来ません」
「それは――」
至極、当然だ。
公爵令嬢の仕事ではなく、学ぶところでもなかったからだろう。出来なくて良いことだ。
「リュスには、リュスの得意なことが別にあるだろう?」
「でしたら、アスタ様」
「うん」
「もし、わたくしが、大学を卒業できぬような、無能な身の上であったとしても。……貴方様はお傍に置いてくださいましたか?」
思いもよらぬ、問い。
理解不能。順序が逆なはずだ。傍にいることになったリュスが、自ら力を発揮しただけなのに。
僕は困惑しながらも、問い返した。
「どういう意味だ?」
「わたくしは……アスタ様のご学友にはなれませんでした。あの頃のわたくしたちには、あまりに遠い距離がありましたから」
「……そう、だな」
「でも……見てくださっていることは、知っておりました」
――気づかれていた。
僕が送っていた、淡い思慕の視線に。
薄手のシャツ。伝わる、身体の曲線。
首筋に触れる吐息が、やけにくすぐったい。
「アスタ様。あの者たちは、いつまでここに居るのですか?」
続けられた問いに……。
さすがに、鋭利な棘が混じっていることは理解した。
「ジルは当分、研究に不可欠だし、ヘイホーは僕の部下になった。……これからのヤバマーズに必要な人材なんだよ」
「……そうですか。そう、ですね」
「何が不満だ?」
「いえ、必要なことです、人材はいくらでも必要です、理解しています。……理解しているのです」
痛い。
僕の左手を握る力が、骨を軋ませるほどに強まった。
男の僕を凌駕する握力。
「本当に。……皆様と仲が、よろしいのですね。……わたくしの知らない、王都での日々を、彼らは共有している」
「ああ。大事な、友達だ」
「目を輝かせては、同じ苦労、同じ話題を共にされています」
「そりゃ……みんな、似てるものが好きだし」
「……わたくしは、友人ですら、ありませんでしたからね」
まさか、嫉妬している?
……そんな性格の女性ではなかったはずなのに。
(可哀想に。こんな見当違いなことを言うなど、よほど追い込まれているのだな。……だが、さっきのは、ちょっとヘイホーに失礼だろう)
『もし、大学を卒業できぬような、無能な身の上であったとしても。リュスを傍に置いたか?』
本当は、世間に照らし合わせれば、脱落者であろうと十分凄いのだ。
でも、悪気がないのはわかる。当てつけたわけではない。
リュスの立場では、理解できないのだ。
なにせ、王妃候補の公爵令嬢リュシエンヌだったんだから。
(でも、どうだろうか。あまりに想像できないことだが、当時のリュシエンヌが劣等生だったなら……?)
当然、王妃候補ではなくなる。
僕との関係も、大きく変わったのではないだろうか。
(そして、僕の好意は……彼女の能力ではなく、在り方に起因している。だから――)
自然と、頭に浮かんだ。
王立大学で、一緒に過ごしたかもしれない時間。
今とは、全然違った距離感。
それはあまりに……僕にとって都合の良い妄想だった。
いや、だが……そんな仮定は無意味なのだ。
『もし、公爵令嬢リュシエンヌが無能だったら』
この世に、そんな“もしも”など、ありえない。
「そうは言うが、リュス。君の過去にだって……」
僕の知らない君がいたはずだ。
いや、これも言うべきではないな。
僕は、胸に押し込めていた、卑屈な一面を認めることにした。
僕は、出来ることなら……公爵令嬢リュシエンヌと過去をやり直したい。
でも、それを語るのは、僕らしくなかった。
「色々思うところはあるけど。仮定の話はやめようか、リュス」
「……なぜですか?」
「だって。もしだよ。君が、予定通り王太子と結婚して、あのまま王妃になっていたら――」
「……え?」
「僕が領地を失い、路頭に迷った時。王宮から手を差し伸べてくれていただろうか?」
「――っ!?」
リュスが目を見開く。
僕は、とても当たり前のことを言ったのだ。
本来、あるべき世界では、そうだったろうと。とても可能性の高かった結果だったはずだ。
「没落男爵を助ける。きっと、そんな特別扱いは立場上できなかっただろう」
「それは……」
「だけど、そんな可能性を語っても仕方がないことだ。今、僕らは、こうして一緒にいる。今ここにある現実の先を――未来を見ていこうよ」
結局、僕は“こうだったかもしれない”ではなく。
“そうならなかった”という現実にしか……未来を語ることが出来ない。
(僕はそんな風に、生きて来た。こんな境遇でも、ないものねだりなど、なるべくせずに生きようと)
だが、ひどく。
リュスは、ひどくショックを受けたような顔をして。
「……仰る通りですね。きっと、わたくしは――」
ぷるぷると震えながら、僕の手を離すと。
「アスタ様を、見て見ぬフリをしたでしょう。
受け入れ難いといわんばかりに、後ずさりし。
リュスは逃げ出すように、執務室を去った。
「どうして、そんな顔をするんだ。……リュス」
残されたのは、左手に食い込んだ痕。
細指の、冷たい感触。
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