リュスとの間に、生じた亀裂――不均衡。
結局、僕はそれを読み解くことも、埋めることも出来ないままでいる。
目前に迫った商談の準備へと、逃げるように没頭していた。
「アスタ様。これらが、デモンストレーションに集うであろう主要商会の名簿です」
「……不勉強で申し訳ないんだけど、どれも有名所ばかりなんだよな?」
「はい。名だたる商会ばかりと言って差し支えないでしょう。間もなく彼らの手代が、視察の調整のために登館されます。粗相のないよう、ご対応を」
「そうか」
淡々と、事務的に告げるリュス。
埋まらない溝を象徴するように、リュスの視線は僕の額の少し上、何もない空間を通り過ぎていく。
「リュス!」
「……はい、何でしょうか」
「その、あの夜のことは……すまなかった」
絞り出した謝罪に、彼女はぴくりとも眉を動かさなかった。
「何を謝っておられるのですか?」
「何をって、それは――」
「何について、どのように、いかなる意図を以て謝罪を? アスタ様は、領主として何ら誤った振る舞いはなされておりません。……違いますか?」
「……ああ。そう、だな」
リュスが纏う、堅牢な
あんなに執拗だった抱擁も、消え失せた。
そんな事実は、どこにもなかったみたいに。
……それが思った以上に、堪えた。
その方が、正しいはずなのに。
胸にぽっかり、冷たい風が吹き抜ける。
(……僕は、どこまで卑怯で女々しい男なんだ)
リュスに自由になってほしい。
公爵令嬢としての、輝きを取り戻させたい。
そう、思っていたはずなのに。
自分だけを見つめ、依存してくれる歪な関係に……僕は、安らぎを感じ始めていたのだと気付いた。
僕は、本当に度し難い男だ。
***
「さて、諸君。感傷に浸る時間は終わりだ。……これより、壮大な『投資誘致』の舞台裏を整えるぞ」
合法詐欺、ともいう。
僕は執務室に、集まった面々を見渡した。
魔導貴族オノレ、天才技師ジル、事務官となったヘイホー。
「いいか。これから来るのは、金の匂いに鼻を利かせる
古来より、貴族が『見栄』に財を投じるのはなぜか。
それこそが嘗められないための防壁、すなわち武装だからだ。
「うちが貧乏なのはバレバレなんだが、“ヤバマーズにはまだ余力があったようだ”と錯覚させる程度には、厚化粧を施す必要がある」
「厚化粧っすか? 先輩の屋敷、ぶっちゃけ隙間風と雨漏りの二重奏っすよ?」
「ナチュラルに抉るな、お前」
だが、ジルの指摘は正しい。
色褪せたカーテン、ひび割れた壁。
使用人の努力だけではどうしようもない。
そんな年季の入った困窮が、あちこちで「こんにちは」と顔を出している。
「見栄。知っての通り、僕はこの分野はあまり得意ではない。そこでだ」
――ジッ。
僕が見つめたのは、オノレだ。
「えっ……俺がなにか?」
「詳しいだろ? ……人を騙すための見栄の張り方に」
「僕を虚飾の化身みたいに言わないでくれるかい? でも、そうだなあ……」
オノレは、優雅に指を三本立てた。
「肝要なのは三点だ。まずは屋敷のしつらえ、これは第一印象を決める。次に使用人の質と数、これが領主の統率力を示す。最後に、供される至高の食事だ」
屋敷、使用人、食事。
なるほど。言われてみれば、至極真っ当な指摘。
……だが、どう工夫すべきかがわからない。
「具体的に何をすればいい」
「まずは銀食器だ。数は力だよ、実用性など二の次でいい。キャビネットを埋め尽くすほどの『見せるための銀』が必要だ」
「銀食器に見えるだけでいいなら、いくらでもなんとかなりそうだ。なあ、ジルっ!」
肩を叩けば、ジルは露骨に嫌そうな顔をした。
「ええっ!? メッキ加工なんて、職人の腕が腐る退屈な仕事っす!」
「文句を言うな、これも立派な工学だ。適当な偽メッキで安く仕上げろ」
「想像しうるなかで、最悪の注文っす!?」
「先輩命令だ、黙ってやれ」
「横暴っす! ブラック領主っす! 後輩いじめっす!」
僕たちは、議論しながら屋敷を練り歩く。
どんどん洗い出される、修正ポイント。
「あそこの壁染みも酷いね。家紋を大きく刺繍したタペストリーで、覆い隠したまえ。布の質が悪くても、暗がりなら重厚に見える」
「暗がりだと? 屋敷を薄暗くするのか。……怪しまれないか?」
「いいや、今回は『秘匿された新資源』の発表会だからね。代わりに、高級な蝋燭を要所に配置し、陰影でボロを殺すんだ」
オノレが説くのは、貴族が生んだ狡猾な演出術だ。
ヘイホーは一言も漏らすまいと、猛烈な勢いでメモを取っている。
さすが、大学でこき使われていただけのことはあった。
「で、この辺りの廊下と……。案外、大事なのが倉庫だね」
「おいおい。倉庫なんか、案内するつもりはないぞ」
「うっかり、見えた時に困るんだ。見栄というものは、見えない場所にこそ張るものだよ。社交界へ臨む、ご婦人の下着と同じだね」
「ごめん、その例えはよくわからない」
「ああ。君には縁がなさそうだもんな、俺が悪かったね」
こいつ、本当にチクチクしてくるやつだな!?
「頑丈な鍵をかけた木箱を、これ見よがしに積み上げておけばいいのさ。中身は
「石ころ~??」
「そうだよ。商人はその『秘匿された物量』に勝手に戦慄してくれるさ」
「……今後、他家の屋敷を訪問するのが、怖くなりそうだ」
「あのね、財産視察も他家訪問の目的なんだよ? 『欺き方を知る』とは『見破り方を知る』と同義なんだし。……ああ、それと君自身もせいぜい着飾ることだね」
「ふあ? うーん、デートじゃあるまいし。だいたい僕の柄じゃないぞ」
「商談もデートも、相手を陶酔させて首輪をかけるという意味では大差ないさ。愛しの彼女に見立ててもらいたまえ」
「くそ。まだ、仲直りしてないのに……」
まさか、屋敷の相談をして、デート談議を受けるとは思わなかった。
ちょっとうんざり。
次にオノレが指摘したのは、使用人の質と数だ。
「質と数……は、リュスが頑張ってくれているところだけど?」
「いや、違う。足りない質とは、力強さだ」
「……力強さ?」
意味が不明だ。
まさか、使用人はパワーだとでも?
「背の高い男に鎧を纏わせ、門前に近衛として配置しろ。男の質こそが、その領地に流れる『金と食糧』の余裕を雄弁に語る」
「……そうなのか?」
「背が高く見栄えが良い男は、領地の何処でも引く手あまただ。良い労働力だからね。それを引っ張って来れるということは?」
労働力に回すべき、男を侍らせられる。
つまり――。
「領主に、力と余裕があるということか!」
「その通り! 無論、男の高級使用人も必要だ。給仕は男が伝統だからね。正直、女よりも男の質が問われる」
全く盲点だった。
正直、綺麗どころの女を、適当に揃えればいいのかと思っていた。
「そういう所がバカなんだよ、君は」
「いきなり、ディスんなよっ!?」
「だが……そうだな。女たちも粗末でいいから、せめて服を揃えるといいだろうね。地方なんか多少、不美人なくらいで良い」
「服を揃える?」
「同じユニフォームで、一糸乱れぬ動作で動ける使用人。映えるだろ?」
ようやく気付いた。
オノレが言っているのは、美麗さを見世物にするのではない。
――領主が率いる、組織としての見栄え。
ヤバマーズという、組織の強さを示せと言っているのだ。
「正直、美女を揃えれば金持ちに見えるなんて発想は、貧困な脳味噌から生まれた“下品な成金趣味”だと言わざるを得ない。そもそも、女は安く雇えるのだから。あれは、ちょっとした余剰というやつだよ」
「……ぐぅ(反論できない)」
「ぐぅの音が出たね? ……だが、一番の問題は美味しい料理だろうな」
美味しい料理の、いったい何が重要なのか。
別に、栄養になればいいだろうに。
「アスタ。君の普段の食事が、家畜の餌なのは構わないが……」
「イモを、家畜の餌呼ばわりするな!」
「だが、この一食にだけは全財産を投じる価値がある。スパイスをふんだんに使い、王都でも評判なワインを提供すべきだね」
「……うちに、まともな料理人なんていねえよ」
「ああ。実は、一番ごまかしが利かない部分だね。普段の料理に、腕の良い料理人はいらない。……だからこそ、バレる」
近衛なら
だが、味覚の肥えた商人たちを、“黙らせる一皿”だけは無理だ。
「だから、まず外部から料理人を呼んでだね――」
で、そこで僕の脳裏に天才的な名案が閃いた。
「いや、待てよ。わざわざ外部から料理人を呼ぶ必要なんて、ないんじゃないか?」
「……すごい嫌な予感がするね、その顔は」
オノレだけでなく、ジルもヘイホーも。
恐ろしいものを見るように、僕を凝視した。
「諸君。当然、協力してくれるんだろう? ヤバマーズの未来がかかっているんだ」
僕は、かつてないほどの笑顔を浮かべてやった。
料理に詳しい美食家も、見栄えの良い使用人も――全部ここにいるじゃんっ!
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