理屈や立場を投げ打ってでも。
僕は、君一人のために狂いたかった。
「サキオン様に……?」
リュスの唇から、掠れた吐息が漏れる。
響きには困惑だけではなく、どこか痺れたような甘さを含んでいた。
「そうだ。僕があんなにも否定し、軽蔑し、呪い続けていた――あの、忌まわしき男に」
幼い頃から、耳にタコが出来るほど親族に刷り込まれてきた。……ヤバマーズ家、最大の汚点だと。
誰に後ろ指をさされても、国中の嘲笑を買って出ようとも。たった一人のためにすべてを敵に回した男。
先祖の恥知らず、三代目当主サキオン。
(我が家の困窮も、領民の苦しみも、すべてはサキオンが蒔いた種だと教えられて育った。大人たちの恨み言を、呪詛のような愚痴を、僕は聞かされ続けながら育った……)
そうして、いつの間にか。
僕は人一倍サキオンを嫌悪し、その再来となってしまうことを恐れてきた。
王都でのあの日。
公爵令嬢リュシエンヌが断罪され、奈落へ突き落とされようとしていた、まさにその瞬間ですら……。
――僕は“起死回生の可能性”を、本気で模索しようとはしていなかった!
「領民を守るためだ」「僕には抗う力がない」と、もっともらしい正論を自分に言い聞かせて。
(本来、僕にリュスの傍にいる資格などない。サキオンになりたくないというおぞましさ、その忌避感によって、彼女を見捨てた恥知らずなのだからっ!)
心の奥底、最も暗い場所では――サキオンの狂気こそ、羨ましくてたまらない。
今もそう。リュスの傍にもっといたいと、強く願う自分がいる。
三代目サキオンが、身を滅ぼすほどに懸想した絶世の美女、リュディヴィーヌ。
これもまた呪わしき因縁か、この想いは遺伝子レベルの渇望なのか。
「僕は、“君がためのサキオン”になりたい。本当は、ずっとそれを望んでいる自分がいた。……必死に、その事実を否定して来たけれど」
自分自身の本心から、ずっと逃げ続けてきた。
ヤバマーズの血脈に刻まれた、呪詛に縛られ動けずにいたんだ。
「また、わたくし……とてつもない勘違いを、してしまいそうです」
「……勘違い? いや、間違いなく貴女は特別なんだ。そうとしか言えないくらいに」
実際のところ。
リュスの胸中にどんな感情が渦巻いているのか、僕には計り知れないが。
彼女の瞳は、潤み揺れた。
「本当でしょうか……確かめる方法は、なにか――」
途方に暮れたように呟くリュス。
冷たい指先が、僕の唇をそっとなぞる。
思わず、思考が溶けそうになるが、食いしばる。
(いいや、罪の告白は差し迫った商談を、終えてからにすべきだ。今の関係が砕け散ってしまったら、きっと僕は戦えなくなってしまうから)
それは、絶対にあってはならない。
もし、リュスに嫌われたとしても、それでも必ずや立ち上がり、僕は彼女を守り続ける。そう約束できる。
けれど――しばらくは立ち直れない気がするんだ。
「無事に、今回の商談が終わったら……改めて、聞いて欲しい話があるんだ」
「お話、ですか……?」
戸惑いを見せる、リュス。
髪を撫でられながら、互いに吐息を吹きかけ合いながら。
「それは……わたくしにとって、良いお話でしょうか?」
良い話か、どうか。
ええと、どうなんだろう。
長年、抱き続けてきた一方的な思慕。
煮え滾るような嫉妬。
幼少期からのしがらみに囚われ、彼女が弾劾される瞬間に立ち上がれなかった情けなさ。大きな罪。
そうして積み上げられた、未練がましい後悔。
僕にとっては、どれも恥辱の告白だ。
拒絶されたら、死ぬほど辛い。心臓が止まってしまうかもしれない。
だが、リュスにとっては――……。
「……わからない、貴女次第じゃないかな」
「悪いお話なら、聞きたくありません」
「なぜ?」
「この胸に満ちた温かさが……実は、ただの幻影だったと。そう気付きたくはないのです」
リュスが抱く恐怖の正体は、正直、理解出来ないけど。
きっと、彼女が恐れていることではないと思う。
でも、どうかな。
……この距離感は、壊れてしまうかもしれない。
「僕がずっと蓋をしてきた『秘密』を話したいんだ。大きな罪だ」
「アスタ様の……秘密?」
「そう。そして、もしも貴女が受け入れてくれたなら――」
僕もまた、
どうやら、こんな歪な感情を肯定して欲しいと思っているらしい。
でも、実際どうなるんだろうか。
すべてを曝け出して、肯定されたら。
僕たちは一体、どう変わるのか。きっと、少なくとも――。
「僕は、きっと。今までよりも、ずっとずっと……なりふり構わず、君を頼りにしてしまう、と思う」
そんな情けないことを言った。
僕は、なんてダメな領主なのだろう。
リュスがせっかく必死になって整えてくれた、尊敬される領主への道を滑落しようとしている。
なのに、リュスの長い睫毛は、瞬いて。
今まで見たどんな宝石よりも、美しく輝いて見えた。
「頼りにしてくださる? ……わたくしを、ですか」
「そう。貴女が僕を嫌わなかったら、だけどね」
「わたくしが、アスタ様を嫌いになるなど、絶対に――」
「人間に絶対はないよ、リュス」
「……」
「でも、たぶん。……その時、僕はそう望んでしまう。どうしようもなく」
するとリュスは、手を頬からゆっくりと離すと。
今度は僕の胸元、ちょうど心臓辺りをぎゅっと握りしめてきた。
「ならば、そのお話……必ず伺います」
小さな拳は、まだ震えている。愛おしいほどに。
リュスは、どこまでも逃げない女性だった。
「商談を……いえ、この戦いを無事に終わらせて、必ず」
「ああ、約束だ」
「はい。……約束ですよ、アスタ様。
そうしてリュスは、祈るように。
一度だけ、深く頷いた。
そして、僕も罪から逃げない。そう決めた。
瞬間。
廊下を支配していた重苦しい空気は、薄霧が晴れるように霧散していく。
代わりに、微かな――けれど確かな熱量が、僕たちの間に残った。
「さて……。いつまでもここでこうしているわけにもいかないな。オノレたちが厨房で爆発事故でも起こしてなきゃいいけど」
あえて、おどけた調子で言うと……リュスはほんの微かに微笑む。
その笑みは、
そう、焦がれていた公爵令嬢リュシエンヌのものですらなかった。
僕が初めて見た、飾らない表情。
なにも背負っていない、少女のような瑞々しい笑み。
僕の知らない君が、確かにそこにいた。
***
アスタ・ド・ヤバマーズは破滅する。
燃えるような赤毛を揺らす、
シャルル=オーレリアン・ド・フラムは、勝利の予感に喉を鳴らした。
グラスに揺れるロゼの泡を眺め、浮かべる微笑。
「よくもまあ、これほど無防備にバラ撒いてくれたものだ」
指先には、陽光を浴びて不気味に沈む――
「まさしく。救いようがないほど、愚かな男ですな」
取り囲む側近たちから、空虚な追従の笑い声が漏れる。
王宮の一角。
華美に彩られたサロンに、高価な香油の匂いが混ざり合う。
派閥に属する令息たちは、常に王太子の恩寵を競い合わんとしていた。
「魔力を内包しているようだが、使い道と出所は?」
「未だ、王立大学の賢者どもですら首を捻るばかりと」
「そうか、実に奇妙な話だ。……未知の鉱脈でもあったのか。いや、そもそもこれが新資源などデマかもしれないか」
シャルル王太子は、目を細めた。
アスタ男爵と聖戦士による魔人討伐、その噂が野火のごとく広がった頃。
当然、その一因を担ったとされる資源に注目が集まった。
未だ実用性はわからぬが、とうてい無視できる話ではない。
調査させれば、大学にてこの
問い詰めれば、アスタ男爵はあろうことか、現物と共に挑発的な手紙を送りつけていたのだと言う。
『報酬皆無。名誉絶無。食事の有無、量不明。――されど、謎はここにあり』
事実を知った令息たちは、それを地方貴族の虚勢と一笑に付し。
より高い地位にある者が、力づくで結晶を取り上げた。
そう、すべて。シャルル王太子へ献上せんがために。
「貴様の悪運も、これまでのようだな。……アスタ・ド・ヤバマーズ」
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