ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第74話 僕は、“君がためのサキオン”になりたい。

 理屈や立場を投げ打ってでも。

 僕は、君一人のために狂いたかった。

 

「サキオン様に……?」

 

 リュスの唇から、掠れた吐息が漏れる。

 響きには困惑だけではなく、どこか痺れたような甘さを含んでいた。

 

「そうだ。僕があんなにも否定し、軽蔑し、呪い続けていた――あの、忌まわしき男に」

 

 幼い頃から、耳にタコが出来るほど親族に刷り込まれてきた。……ヤバマーズ家、最大の汚点だと。

 

 誰に後ろ指をさされても、国中の嘲笑を買って出ようとも。たった一人のためにすべてを敵に回した男。

 先祖の恥知らず、三代目当主サキオン。

 

(我が家の困窮も、領民の苦しみも、すべてはサキオンが蒔いた種だと教えられて育った。大人たちの恨み言を、呪詛のような愚痴を、僕は聞かされ続けながら育った……)

 

 そうして、いつの間にか。

 僕は人一倍サキオンを嫌悪し、その再来となってしまうことを恐れてきた。

 

 王都でのあの日。

 公爵令嬢リュシエンヌが断罪され、奈落へ突き落とされようとしていた、まさにその瞬間ですら……。

 

 ――僕は“起死回生の可能性”を、本気で模索しようとはしていなかった!

 

 「領民を守るためだ」「僕には抗う力がない」と、もっともらしい正論を自分に言い聞かせて。

 

(本来、僕にリュスの傍にいる資格などない。サキオンになりたくないというおぞましさ、その忌避感によって、彼女を見捨てた恥知らずなのだからっ!)

 

 心の奥底、最も暗い場所では――サキオンの狂気こそ、羨ましくてたまらない。

 今もそう。リュスの傍にもっといたいと、強く願う自分がいる。

 

 三代目サキオンが、身を滅ぼすほどに懸想した絶世の美女、リュディヴィーヌ。

 これもまた呪わしき因縁か、この想いは遺伝子レベルの渇望なのか。

 

「僕は、“君がためのサキオン”になりたい。本当は、ずっとそれを望んでいる自分がいた。……必死に、その事実を否定して来たけれど」

 

 自分自身の本心から、ずっと逃げ続けてきた。

 ヤバマーズの血脈に刻まれた、呪詛に縛られ動けずにいたんだ。

 

「また、わたくし……とてつもない勘違いを、してしまいそうです」

「……勘違い? いや、間違いなく貴女は特別なんだ。そうとしか言えないくらいに」

 

 実際のところ。

 リュスの胸中にどんな感情が渦巻いているのか、僕には計り知れないが。

 

 彼女の瞳は、潤み揺れた。

 

「本当でしょうか……確かめる方法は、なにか――」

 

 途方に暮れたように呟くリュス。

 

 冷たい指先が、僕の唇をそっとなぞる。

 思わず、思考が溶けそうになるが、食いしばる。

 

(いいや、罪の告白は差し迫った商談を、終えてからにすべきだ。今の関係が砕け散ってしまったら、きっと僕は戦えなくなってしまうから)

 

 それは、絶対にあってはならない。

 

 もし、リュスに嫌われたとしても、それでも必ずや立ち上がり、僕は彼女を守り続ける。そう約束できる。

 けれど――しばらくは立ち直れない気がするんだ。

 

「無事に、今回の商談が終わったら……改めて、聞いて欲しい話があるんだ」

「お話、ですか……?」

 

 戸惑いを見せる、リュス。

 髪を撫でられながら、互いに吐息を吹きかけ合いながら。

 

「それは……わたくしにとって、良いお話でしょうか?」

 

 良い話か、どうか。

 ええと、どうなんだろう。

 

 長年、抱き続けてきた一方的な思慕。

 煮え滾るような嫉妬。

 

 幼少期からのしがらみに囚われ、彼女が弾劾される瞬間に立ち上がれなかった情けなさ。大きな罪。

 そうして積み上げられた、未練がましい後悔。

 

 僕にとっては、どれも恥辱の告白だ。

 拒絶されたら、死ぬほど辛い。心臓が止まってしまうかもしれない。

 

 だが、リュスにとっては――……。

 

「……わからない、貴女次第じゃないかな」

「悪いお話なら、聞きたくありません」

「なぜ?」

「この胸に満ちた温かさが……実は、ただの幻影だったと。そう気付きたくはないのです」

 

 リュスが抱く恐怖の正体は、正直、理解出来ないけど。

 きっと、彼女が恐れていることではないと思う。

 

 でも、どうかな。

 ……この距離感は、壊れてしまうかもしれない。

 

「僕がずっと蓋をしてきた『秘密』を話したいんだ。大きな罪だ」

「アスタ様の……秘密?」

「そう。そして、もしも貴女が受け入れてくれたなら――」

 

 僕もまた、もしも(・・・)の話をした。

 どうやら、こんな歪な感情を肯定して欲しいと思っているらしい。

 

 でも、実際どうなるんだろうか。

 すべてを曝け出して、肯定されたら。

 

 僕たちは一体、どう変わるのか。きっと、少なくとも――。

 

「僕は、きっと。今までよりも、ずっとずっと……なりふり構わず、君を頼りにしてしまう、と思う」

 

 そんな情けないことを言った。

 

 僕は、なんてダメな領主なのだろう。

 リュスがせっかく必死になって整えてくれた、尊敬される領主への道を滑落しようとしている。

 

 なのに、リュスの長い睫毛は、瞬いて。

 今まで見たどんな宝石よりも、美しく輝いて見えた。

 

「頼りにしてくださる? ……わたくしを、ですか」

「そう。貴女が僕を嫌わなかったら、だけどね」

「わたくしが、アスタ様を嫌いになるなど、絶対に――」

「人間に絶対はないよ、リュス」

「……」

「でも、たぶん。……その時、僕はそう望んでしまう。どうしようもなく」

 

 するとリュスは、手を頬からゆっくりと離すと。

 今度は僕の胸元、ちょうど心臓辺りをぎゅっと握りしめてきた。

 

「ならば、そのお話……必ず伺います」

 

 小さな拳は、まだ震えている。愛おしいほどに。

 リュスは、どこまでも逃げない女性だった。

 

「商談を……いえ、この戦いを無事に終わらせて、必ず」

「ああ、約束だ」

「はい。……約束ですよ、アスタ様。絶対(・・)に、です」

 

 そうしてリュスは、祈るように。

 一度だけ、深く頷いた。

 

 そして、僕も罪から逃げない。そう決めた。

 

 瞬間。

 廊下を支配していた重苦しい空気は、薄霧が晴れるように霧散していく。

 代わりに、微かな――けれど確かな熱量が、僕たちの間に残った。

 

「さて……。いつまでもここでこうしているわけにもいかないな。オノレたちが厨房で爆発事故でも起こしてなきゃいいけど」

 

 あえて、おどけた調子で言うと……リュスはほんの微かに微笑む。

 

 その笑みは、祓魔女(エクソシスター)でもなく、女家政代行(グヴェルナント)でもない。

 そう、焦がれていた公爵令嬢リュシエンヌのものですらなかった。

 

 僕が初めて見た、飾らない表情。

 なにも背負っていない、少女のような瑞々しい笑み。

 

 僕の知らない君が、確かにそこにいた。

 

 

***

 

 

 アスタ・ド・ヤバマーズは破滅する。

 

 燃えるような赤毛を揺らす、焔王国(フラム)の王太子。

 シャルル=オーレリアン・ド・フラムは、勝利の予感に喉を鳴らした。

 

 グラスに揺れるロゼの泡を眺め、浮かべる微笑。

 

「よくもまあ、これほど無防備にバラ撒いてくれたものだ」

 

 指先には、陽光を浴びて不気味に沈む――黒銀結晶(クロシュライト)の入った小瓶。

 

「まさしく。救いようがないほど、愚かな男ですな」

 

 取り囲む側近たちから、空虚な追従の笑い声が漏れる。

 

 王宮の一角。

 華美に彩られたサロンに、高価な香油の匂いが混ざり合う。

 派閥に属する令息たちは、常に王太子の恩寵を競い合わんとしていた。

 

「魔力を内包しているようだが、使い道と出所は?」

「未だ、王立大学の賢者どもですら首を捻るばかりと」

「そうか、実に奇妙な話だ。……未知の鉱脈でもあったのか。いや、そもそもこれが新資源などデマかもしれないか」

 

 シャルル王太子は、目を細めた。

 

 アスタ男爵と聖戦士による魔人討伐、その噂が野火のごとく広がった頃。

 当然、その一因を担ったとされる資源に注目が集まった。

 

 未だ実用性はわからぬが、とうてい無視できる話ではない。

 

 調査させれば、大学にてこのゴミ(・・)を熱心に調べていた、学生が数名。

 

 問い詰めれば、アスタ男爵はあろうことか、現物と共に挑発的な手紙を送りつけていたのだと言う。

 

『報酬皆無。名誉絶無。食事の有無、量不明。――されど、謎はここにあり』

 

 事実を知った令息たちは、それを地方貴族の虚勢と一笑に付し。

 より高い地位にある者が、力づくで結晶を取り上げた。

 

 そう、すべて。シャルル王太子へ献上せんがために。

 

「貴様の悪運も、これまでのようだな。……アスタ・ド・ヤバマーズ」




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