ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第75話 アスタ・ド・ヤバマーズは破滅する。何故なら、私がそう決めた。

 シャルルは、慈悲深い聖者のような顔でグラスを空にした。

 すぐさま、氷をたっぷり使って冷やされた発泡ワインが、滝のように注がれていく。

 

「それで? 舞台裏は、万全なんだろうね?」

「はっ。すべては殿下の描かれたシナリオ通りに」

 

 近臣が這い寄って、耳打ちする。

 

「まず商談には、息のかかった老練な商人どもを潜り込ませました。アスタ男爵が何を並べ立てようとも、奴らが穴を突き、無知な若造の大ボラだと糾弾いたします。一度でも取引能力の欠如が、証明されれば一巻の終わりにございます!」

「ふふ、それはそれは可哀想に。……信用という外套を剥がされては、北風に凍えるしかないだろう」

「左様にございます。元より、ヤバマーズにろくな資産などないことは明白っ! そして……」

 

 近臣の口元が、卑屈な三日月に歪んだ。

 

「商談が紛糾した頃――屋敷を『盗賊団』が包囲いたします」

「思わぬ偶然。恐ろしい不幸だね」

「いいえ! 領主が無能だから起きた必然、というものですよ。アスタ男爵は怠慢によって、治安どころか領主館すら守れず、招いた賓客を危険に晒すのです」

「そうかそうか、言われてみれば確かに。ならば、自業自得の不徳だ」

「然り! そんな男に、王国は領地を預けるべきでしょうか? 否っ、断じて否っ!」

 

 シャルルは満足げに、ベルベットの椅子へと沈み込む。

 

「さらに追い打ちを。あの者は前当主の急逝後、未だ陛下への臣従礼(オマージュ)さえ済ませておらぬ、暫定の領主に過ぎません」

「……王が遅滞を許しても、免除した訳ではないからね」

「然り。ヤバマーズの地は、未だ王の預かりもの。相続権の剥奪、および王家への直接帰属を命じるには、これほどない格好の理由となりましょう」

 

 伝統ある貴族の椅子から、アスタという異端を蹴り落とす。

 

 王家が領地没収に乗り出すという暴挙も、これほどの失態が重なれば、正当な処置として諸侯に認めさせることができるだろう。

 

「我が父上も甘いよ。書状一通で、あのような狂犬に猶予を許しているなんてね。……礼儀を知らぬ犬は、懲らしめてやらなきゃ」

 

 楽しげに、シャルルは笑った。

 春風のように爽やかに。舞う花びらのように軽やかに。

 

「とはいえ、あの者を無慈悲に殺すのは忍びないね」

「そうですな。名誉を完膚なきまでに剥ぎ取り、物乞いとして末永く生きながらえさせてやる。……それこそが王族としての慈悲かと」

「ああ。なればこそ――イリリク。君の役目が重要になるんだ」

 

 シャルルの視線が、緊張に肩を震わせている一人の少年に向けられた。

 

 アスタの実弟であり、王国直属軍の若き武官――イリリク・ド・ヤバマーズ。

 

「アスタが盗賊に怯え、商人に罵倒され、絶望の淵に立たされたその時。颯爽と現れ、領民と屋敷を救うのは、兄の不徳を嘆く“殊勝な弟”……イリリク、君の役目だよ。わかるね?」

「はいっ、シャルル殿下!」

「君の部隊は、偶然、巡回任務で近隣を通った。そこで盗賊を鮮やかに撃退し、混乱を収拾するために屋敷を確保。……あくまで治安維持のためだ、わかるだろう?」

「もちろんです! 王国を守る盾として、不肖の兄に代わり私がヤバマーズを再興し、王家への忠誠を……!」

 

 震える声で少年が跪き、忠誠を誓う。

 すると、サロンの貴族子息たちから、わざとらしい喝采が贈られた。

 

「素晴らしい! まさにヤバマーズに咲いた唯一の良心!」

「家名を汚す狂犬を排し、賢明な弟君が継ぐ。これこそがあるべき秩序というものっ!」

「アスタなどと言う空気の読めぬ不遜な輩は、社交界の汚物でしかないっ!」

 

 大学での学術討論において、数多の令息たちの自尊心を木っ端微塵に砕いてきたアスタ。

 彼らにとって、待ちに待った報復の時が来たのだ。

 

「ああ。多少、彼の頭が回ることは認めよう。……けれど、私がこれから創り上げる新体制、洗練された焔王国には不要だ」

 

 シャルルの脳裏に、不快な記憶が蘇る。

 

(特に。私が公爵令嬢リュシエンヌを追放してから。……あの者は、いっそう苛烈に容赦がなくなった。実に、不愉快な男だ)

 

 大学でのルールなど所詮は建前。

 敷居を一歩出れば、そこは血筋と権力が支配する現実の世界。

 

 アスタを評価していた教授や学生も確かにいるだろう、だが。

 

「私は、優れた能力を好むけれど……傲慢は美徳ではないからね。礼節は尊ばれるべきだ」

 

 メンツを潰された特権階級たちの結束は、鋼よりも硬い。

 

「然り然り。シャルル殿下の仰る通りにございます」

「貴族たる者、皆、礼儀と謙虚さを知らねばなりませんからな!」

「生意気な小僧など、新たな焔王国に不要っ!」

 

 粋がった愚者の人生が、王太子の指先ひとつで音を立て崩れていく。

 そんな喜劇を肴に葡萄酒を呷る。ああ、実に格別だった。

 

「イリリクが代官となれば……領地から『不正の証拠』が、山ほど発見されることになるだろうしね」

 

 シャルルは、残酷な子供のように目を輝かせた。

 

(そうとも。貴様の議論の強さなど、現実には何ら価値がない。私が味わった敗北に、意味などまるでなかったのだと証明してやろう)

 

 実権を握れば、法的な相続無効など赤子の手をひねるより容易い。

 シャルルは、ようやく胸が晴れたような気持ちになった。

 

(あまりに簡単なゲームだ。……目障りだったリュシエンヌを、消した時と比べれば)

 

 だが、場にいた軍家系の子息が一人。

 とある問いを投じた。

 

「恐れながら、シャルル殿下。もし、アスタ男爵が盗賊団へ自ら戦いを挑んだとしたら……いかがなさるのですか?」

 

 無粋だ。シャルルはそう思った。

 

「多勢に無勢だ、ありえないよ。そう、あの者も勝てぬ戦を挑むほどのバカではなかった(・・・・)。……まあ、万が一、挑んだならば、その時はただでは済むまい」

「それは……男爵の死も想定内、ということで?」

「さてね。それこそ、神のみぞ知る運命の悪戯だろう」

「左様ですか。では、さらに億が一。……男爵が盗賊団を打ち破ったとしたら?」

 

 さすがに、サロンの空気は冷え切った。

 それでも表面上、シャルルは穏やかな笑顔を見せたが。

 

「それこそ、ありえない」

「アスタ男爵は、寡兵で魔人を討ち取った男では?」

「それは違う。魔物を倒すのと、人の軍を破るのは理屈が異なるものだ。第一、客観的に見て、あの者が魔人を討ち取るなどありえぬ。そうだろう?」

 

 然り、然り。

 王立大学(アカデミア)でアスタに論破されてきた者たちが、一斉に唱和する。

 

 さらには、そこにイリリクまでも追従した。

 

「兄アスタは、いつもへっぴり腰で、剣から逃げ回るのだけが得意な男です。指揮官として優秀とも聞いたことがない! ただの卑怯者です!」

「実弟が言うのならば、確実だね。……聖戦士の勲功におこぼれを預かっただけだろう」

「そうだと思います! アイツは大声で相手を言いくるめ、机にかじりついているだけのゴミ虫ですっ!」

 

 実弟イリリクの言葉に、ドッと笑い声が弾けた。

 

 軍家系の子息は、ますます肩身を狭くしながらも、もう一つだけ尋ねた。

 

「……では殿下。協力者によって、盗賊団を退けた場合は?」

「くどい。よしんば破ったところで、外部の協力なくば屋敷も守れぬのなら、それこそ領主たる資格なし! 付け込む隙だと転じ、イリリクを推そう」

 

 その程度のことなど考えているぞ、シャルルは即座に応じる。

 

 シャルル王太子は、議論では負けなしなのだ。

 そう、アスタ・ド・ヤバマーズという例外を除いては。

 

「それにだ。今回の仕掛けには“とっておき”を仕込んであるはずだ。……そうだね?」

「はっ、間違いございません。僻地男爵ヤバマーズ如きには、逆立ちしても抗えぬ戦力差です」

 

 家臣が深く頭を下げ、ようやくサロンに安堵の笑みが戻る。

 

 とうとう、子息は肩を落として引き下がった。

 

「ならば、問題は起きようはずもないのでしょう」

「無論だとも。不徳な兄から、王権によって領地を回収。忠実な弟イリリクに再封授する。……これでヤバマーズは救われるだろう、かの地には真の清廉が芽吹くことになる」

 

 シャルルはグラスに映る、完璧に整った己を見つめた。

 

「あの呪われた、けれど資源価値だけは無視できなくなったヤバマーズを……正当なる、我々の管理下に置くとしようじゃないか!」

 

 祝杯を挙げる、華やかなサロン。

 

 だがその影で、戦史を学んできた軍家系の子息たちだけが、拭い去れない胸騒ぎに襲われていた。

 

 確かに、今のアスタは、戦場での功がない若造に過ぎぬかもしれぬ。

 だが、それでも、と思う。

 

 戦史上幾度も、数多の敵軍を戦慄させてきた『狂犬ヤバマーズ』の血筋が、易々と(こうべ)を垂れるなど――はたして、本当にあり得るのだろうか?

 

 そう一度、頭を()ぎれば、結果など誰にもわからぬ。

 

 戦争は、チェス盤ではなく。

 いつだって、血生臭い迷霧にて行われるのだから。

 

 ――開戦の角笛は、もうすぐ鳴らされる。




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