豪商バルトロメウスは、嘆いた。
――とんでもないところに来てしまった。
焔王国北東部を経済から牛耳る、ボリマッシェ家の商会。
その
(たとえ、シャルル王太子からの依頼もあったとはいえ……やめておけばよかったぞ)
北東部の経済圏に根を張っている。確かに、そうだ。
だが、さすがにヤバマーズは管轄外。僻地も僻地、あまりに辺境。
(それでも、このバルトロメウス。必要とあらば、数多の難所を渡り歩いて商売をした猛者である。そう、そこに商機があるならばッ!)
そうして、仕方なく送り出した名代から。
「ヤバマーズ領は、どう考えても特殊です」との報告を受けて、うんざりしながらも腹も括っていたはずだった。
だが、なおも――ッ!
バルトロメウスという百戦錬磨の怪物を以てしても、今回の道程は、嫌悪と恐怖を催させるに十分すぎた。
「おい、あとどれくらいだ。さすがに腰が悲鳴を上げている」
「……予定では、あと半刻ほどかと」
「先ほどもそう聞いた気がするぞ」
「もっ、申し訳ございませんっ!」
豪勢な馬車の中。
秘書の青年が、青ざめた顔で答えた。その指先は、しきりに護身用の杖を握りしめ、小刻みに震えている。
(……無理もない。責める気すら起きんな)
バルトロメウスは情けないと思う前に、秘書に同情した。
車窓から見えたる景色は、黒々茂る原生林。
街道と呼ぶにはあまりに無残な、剥き出しの泥。
先ほども車輪が
「新資源
「そう、ですね。……鉱物資源と言えば、鉱山です」
「それもこんな道だ、どうせ寂れた土地に決まっている」
「左様で……。本来、商売が成立する土地ならば、これほどまでに魔素が淀み、道が荒れ果てているはずがありません」
「そうだ。このような魔素の吹き溜まりに、まともな――クソッ、ほれ見ろ、また出たぞ」
「ひぃぃぃ!?」
街道の脇、深い藪の奥。
乾いた霧に、ボウと青白く浮かぶ。飢えた眼光。
――シュパァァンッ!
小気味の良い破裂音。
矢が眉間を貫き、魔物は悲鳴を上げる間もなく絶命。逃げ出す群れ。
だが、仕留めたのは、商会が誇る護衛ではない。
「な、何者ですか!? どこから撃った……!?」
「……化け物の巣窟か、ここは」
バルトロメウスは吐き捨て、そして戦慄した。
獲物を仕留めた
毛皮の端切れを纏った、浅黒い肌の男。手には古びた猟弓。
男は商会の行列を、歓迎するでもなく。金品を強請るでもなく。
ひたすらに、静かな眼差しで一行を射抜いていた。
「まさか……あれは武装した領民ですか?」
「ケッ。どこの戦場だここは」
バルトロメウスの隊列は、それなりの規模だ。
馬に乗った側近二名、商会所属の冒険者が六名。予備の車輪と物資を積んだ荷馬車と従僕。
通常の僻地なら、これほどの武力を見せつければ、領民は這いつくばって道を譲るもの。
だが、ヤバマーズは違う。
森を抜け、ようやく視界が開けた村落に出ても、異常は続く。
畑を耕す農民どもは、煌びやかな商隊を“無知な羨望”で眺めることなどしない。
どいつもこいつも鍬を握りつつも、昼間っから堂々と武装して歩いている。
ああ、そうだ。辺境すぎて、まるで農民階級の武装分離が進んでいないのだ。
商会の精鋭である冒険者たちが、知らず知らずのうちに剣の柄に手をかける――が、結局、気圧されたように視線を逸らす。
誰もが、直感が告げている。
――ここで揉めてはならぬ、と。
「『ヤバマーズの狂犬』とは、よく言ったものだ。領主が死んで代替わりしたと聞いたが、飼い犬どもの躾も変わっていないらしい」
「きょ、狂犬……でございますか?」
「そうだ。なんだ知らぬのか。……まあ、そのうちわかる。ヤバマーズは生粋の辺境貴族故な。代々、そのように呼ばれることがあるのだ」
蛮族や他国の侵攻地。あるいは、人魔の境。辺境とはそういうところだ。
伝え聞くには、かつては子爵位を擁し名を馳せた武門であったという。
(おおかた、シャルル王太子から来た話もそのような意味であろう。あのアスタめ、狂犬め、と憤慨しておられたからな。まあ、没落したところで……きっと、気風が変わっておらぬのだ)
結局、バルトロメウスは真相を知らぬ。
そんな異様な村を通り抜け、ようやくたどり着いたヤバマーズ男爵館。
「オンボロだと……? シャルル殿下は、そう仰っていたはずだが」
確かに、建物そのものは古い。決して、裕福には見えぬ。
だが、灰色の空も相まって、むしろおどろおどろしい。
鉄門に近づくにつれ、さらに物々しさに圧倒されていった。
門を固めているのは、直立不動の男たち。
ヤバマーズの
彼らは一言も発さず、石像のようにこちらの動向を凝視している。
「今度は、最前線の要塞に迷い込んだ気分だな……」
馬車が近づいても、男たちは眉一つ動かさない。
走る、違和感。
そこでバルトロメウスは気づき、背筋を凍らせた。
男たちの顔に、髭が一切ないのである。
(なんと!? 辺境の兵といえば、野卑な髭面が当然。だが、ここの連中は違う。王都の兵と同じだ。揃いの装備、身だしなみ、私語を慎む沈黙。――ここでは厳格な規律が存在しているッ!)
放たれる威圧感は、もはや攻撃の域。物言わぬ衛兵たちが、ここまで恐ろしいか。
商隊の馬は怯え、護衛たちの歩みも止まる。
こんな僻地、見たことがない。下品な男たちが、みずぼらしい恰好をして立っているものではないか?
(なんだ。アスタ・ド・ヤバマーズ。貴様、本当に我々と商売をする気があるのか?)
このまま館の中に引きずり込まれ、一族郎党の餌にされると言われても、今のバルトロメウスなら信じそうだった。
かつて幼い頃に読み聞かされた、
そんな、非現実的な幻想が脳裏をよぎる。
中庭に降り立つと、既に他商会の馬車がいくつも並んでいたが。
それはそれは、奇妙なほど静か。
残された従僕たちは、手持無沙汰もさることながら。
「入館した主人は、果たして生きているのか」と身を縮めて怯えきっているように見える。
(なんだ……皆、同じ心持ちなのか。私の秘書も、隣でガタガタ震えているしな)
誰も他人ごとではない、そう何とも言えない共感を抱く。
さて、出迎えに現れたのは、老執事。
鏡のように靴を磨き上げている。
「ようこそ、いらっしゃいました。ボリマッシェ家の商会長、バルトロメウス様とお見受けいたします。……遠路はるばる、よくぞお越しくださいました」
「うむ。……出迎え、ご苦労」
落ち着き払った態度は、歴史ある家柄の重みを感じさせた。
(まあ、腐っても伝統貴族というわけだ)
そう、豪商バルトロメウスは解釈した。
要するに、予想の範疇。普通の老人に見えたのだ。
「秘書と……護衛を二名連れていく。構わんな?」
「ええ、問題ございませんぞ」
「おい、貴様ら。武器を預けよ」
当然の、文明的な商談の作法だ。
だが、老執事はそれを緩やかに制した。
「いえ、武器は預けずとも結構ですぞ」
「……なんだと?」
「ヤバマーズ領は“常在戦場”を尊ぶ地。護衛のお二方につきましては、どうぞ帯剣したままお入りください。……ただし、袖の中に毒針や暗器を忍ばせるような真似は、お控え願いたい」
「……本気か? アスタ男爵殿は、我々をそれほど信用しているのか、それとも――」
護衛二人すら、本当に良いのか、と目を向けている。
しかし、返答はなかった。
ギィィ……。
左右に開かれる扉。
やはり、そこにも立ち並ぶ、赤と白の衛兵たち。
そして、目に飛び込む――ホール正面に飾られた、巨大タペストリー。
即ち。
剣でゴブリンの首を貫く、獰猛な
ヤバマーズが王国の盾として、幾多の魔を屠ってきた血の証。
「当然ながら、不用意な抜剣は宣戦と見做し。ヤバマーズの法に基づき、即、処断いたします」
老執事から漏れた。慈悲深い微笑とは正反対の宣告。
やはり、ガン睨みして来る、ヤバマーズのいかつい衛兵。
恐れおののく、護衛たち。
要約、「余計なことをしても、すぐ殺せるぞ」である。
バルトロメウスは、本日何度目かわからぬ絶望に、ただただ立ち尽くす。
(なんなんだっ、この爺さんはッ!? 全然、普通ではないぞっ! いや、本当に、王太子の依頼だろうが何だろうが、来なければよかった……ッ!)
そう、心の底から嘆いたのだ。
――とんでもないところに来てしまった。
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