ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第83話 商談終了のお知らせ? 突如開廷、ヤバマーズ知の処刑場!

(……あの御方が関わっておいでなのですか、シャルル王太子)

 

 その響きだけで、リュスの心臓は早鐘を打ち、古傷が疼くような幻痛に陥る。

 ベールの下で、リュスは唇を固く結んだ。

 祈るように組まれた手に、じっとりと汗が滲む。

 

(息が、苦しい……。また、すべてを失ってしまうのでしょうか。ようやく、この最果ての地で――死より深い孤独に見つけた“居場所”なのに)

 

 視界が歪む。ああ、自分は何と無力だろうか。

 もし、今、アスタの隣に立てたなら。十全に才を振るえたならば。

 

 並ぶ大商人どもの急所を突き、堂々と渡り合えたはずなのに。

 

(今のわたくしは、正体を隠した祓魔女(エクソシスター)に過ぎない……)

 

 さらに、追い打ちをかけ現れた学術界の巨人、ラ・ボアジエ教授。心が千々に乱れる。

 

(羨ましくて、仕方がありません。アスタ様の隣で、同じ地平を見つめて立てる、彼や彼女たちが――)

 

 自分も立ちたい。

 でも、もし正体を明かせば、アスタは今度こそ破滅するだろう。

 

 冷酷なシャルルが、公爵令嬢リュシエンヌを追放劇へと追い落とした。あの日の再現。

 

(あの男の陰謀は、張り巡らされた蜘蛛の糸。抗えば抗うほど自由を奪い、獲物を地獄へと引き摺り込んでいく)

 

 敗北の記憶が、じわじわと意識を浸食する。

 さらに絶望に染まる、暗渠(あんきょ)の瞳。

 

「――案ずるな、リュス」

 

 思考の迷宮を断ち切ったのは、聖騎士ロダン。

 その巨躯は岩壁のごとく正面を見据えたまま、微動だにせず囁く。

 

「貴女様はただ、見守っていれば良い。この地の主が、如何なる男であるかを」

「……ロダン」

「吾輩は、既にあの男の性根に賭けた。ヤバマーズ男爵は啖呵だけの男ではない。……あやつは、吾輩の覚悟を問い返しながらも、決して、その奥にある苦しみを否定しなかった」

 

 そう、リュスも覚えている。

 

 ロダンにあれほど無礼に、辺境貴族と罵られたのに。

 

 アスタは思ったであろう、内心の不満や事情をぜんぶ飲み込んで、頷いたのだ。

 ひたすらに、聖騎士ロダンの憤りに正面から耳を傾け続けた。

 

「あれだけ口が悪い男が。ひたすらに相槌を打って、吾輩の感情に向き合ったのだ」

「そう、でしたね……」

「あの口達者め、頭に血が上った騎士を理屈でねじ伏せるなど造作もなかったはずだ。だというのに、奴はそうしなかった」

「きっと、それは……」

「うむ」

「“心を理屈だけで切り捨てるべきではない”と、あの御方が感じたからではないでしょうか」

「……そうかもしれぬし、そうではないかもしれぬ。かとそう思えば、最後には“決闘するぞ”と無謀な喧嘩を売った大バカ者だったが」

 

 ふふ、とリュスの唇から微かな笑みが漏れる。

 

 実のところ。

 聖騎士ロダンには、さっぱりアスタの考えなどわからぬのだが。

 

「リュス。吾輩は、小癪なことに貴女様が選んだ男が――存外、良い男かもしれんと思ったのだ。目を離せば今にも崖から落ちそうな未熟者だがな」

「ロダンったら。……でも、そうですね」

 

 祓魔女リュスはベールを深くかぶり、見つめる。

 

『いいから、僕の背中だけを見ていろ』

 

 思い出すのは、かつての死線。熱を持って胸に蘇る。

 

「――いつ、死んでもおかしくない。危うい御方です」

 

 そう、絶対に安全圏から出てこない、手を汚さぬシャルル王太子と違って。

 アスタはいつでも簡単に(・・・・・・・)死んでしまう。

 

 リュスは深く息を吐き、乱れかけた呼吸を整えようとする。

 

「そうだ。しかし、ヤバマーズ男爵は王太子が関与していると聞いても、その点にはたいして動揺もしておらん」

「……確かに。その、ようですね」

「世界すらも恐れぬかのように吹いた大口だが、今のところは嘘ではなさそうだ。ならば、貴女様も信じてやるべきではないか?」

 

 張り詰めていた肩の力が、ふっと抜ける。

 状況は何一つ好転していない。だが、霧が晴れるように視界が明瞭になった。

 

(そうだ。……今、わたくしがすべきは怯えることではない。アスタ様が用意した、この壮大な大芝居を最後まで完遂することだ)

 

 しかし、そんなリュスの決意を嘲笑うかのように。

 ラ・ボアジエ教授の炎蛇眼が、広間を焼き尽くさんばかりに鋭さを増していった。

 

「どうした、我が学生(エティヤント)よ。銅像のように固まっていては、言葉を交わすことすら叶わない。……おや、なんとも騒がしい心拍だ。血の温度が0.5度も上昇している」

「……ラ・ボアジエ教授。お言葉ですが、今は大切な商談の最中でして」

「笑わせるな。真理の追究よりも、価値あることなどこの世にない。俗人どもの『金貨の数えっこ』など、後回しにすればよいのだ。私が求めているのは、そのような卑俗な数字ではないのだからね」

 

 ラ・ボアジエ教授は長い指先で、テーブルをコツ、コツ、と叩く。

 響く、死までのカウントダウン。

 

((((((ひぃぃいいいいっっっっっっ!!!!!!))))))

 

 大商人たちが、一斉に泡を吹かんばかりに縮み上がった。

 

 伝説の魔導師(マギ)が、領主を脅しつけている。

 

「お前が手紙にしたためた“謎”。……その答えを差し出すがいい。もし、退屈を紛らわすにも足りぬ妄言であるならば――私は王立大学の総意として『不適格』の烙印を押すこととなるだろう」

 

 これはもう、商売どころの話ではない。

 国をも動かす知性と、僻地の支配者が激突する――知の処刑場。

 

 

***

 

 

(あははは。商談が一気に、学術審査へと塗り替えられちゃったよ! ……って、ふざけんなよ! 僕が一体何をしたってんだ!?)

 

 もはや、葬儀ムードは消え去っている。

 知の巨人による峻烈(しゅんれつ)な審判が始まった。張り詰めた緊張感が、皮膚を刺す。

 

「時間とは残酷にも有限だ。私の余命も、同様に限りがあるのだよ。――さあ、答え合わせを始めよう。不肖の教え子たちが、どのような実を結ばせたのか。この老いた(まなこ)へ刻みつけておくれ」

 

 クソっ。僕より断然ピンピンしてるくせに、老い先短いフリしやがって!?

 

 もはや格好つけていられる状況ではなかった。

 

 オノレもまた、隣へと並び立つ。

 ラプラス伯爵家三男という立場を脱ぎ捨てたのだ。

 

 ――そう即席研究チームの頭脳。僕らの“理論の天才”として。

 

「もうっ、こんなはずじゃなかったのに! だけど、ここで折れては天才の名が廃る。目にもの見せてやろうじゃないかっ!」

「ああ! やってやろうぜ、オノレ! 一緒に乗り切ろうっ!」

 

 ここでボロを出せば学術的に処刑。

 商人たちから詐欺師の烙印を押され、僕らは破滅。

 

 だが、逆にチャンスでもある!

 

 もし、この生ける伝説が、黒銀結晶(クロシュライト)の価値を認めたら――ヤバマーズの名は、一気にぶち上がるんだからなっ!




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