ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第99話 便利で素敵な地獄へようこそ。正気とは連続性、その設計図に『死に戻り』はない。

 オノレが思うに。

 アスタ・ド・ヤバマーズのヤバさとは……“常軌を逸した執着”もさることながら――恐るべき速度の『精神の切り替え(スイッチ)』にある。

 

 つい先刻まで。

 見張り塔で軍勢を眺め、『死んでも、王太子の計画を阻止してやろう』と万が一の遺書をしたためたと思えば。

 

 階段をトントン。

 軽快に降りる頃には“敵を効率的に殲滅する”という問題に、脳細胞が取り組んでいる。

 

 で、その次には?

 

『自分を慕ってくれる人々に居場所と明日をくれてやる。毒を喰らってでも命を賭して守り抜く。そんな男に、ならねばならない』

 

 なんの臆面もない。

 普通なら口が裂けても言えない青臭い啖呵すら、心の底から切れてしまうのだ。

 

 その割り切り方こそが異常。

 

(ようするにさ。アスタは、常にどれも本気だ……そんな両極端の矛盾を、平然と合わせ呑んでいる。そういう底知れない人間なんだよね)

 

 ――人間は驚くほどしぶとい。

 

 そう信じているのに、骨の髄には別の真実が刻まれている。

 

 ――人間なんて、ほんのちょっとのはずみであっけなく死ぬ。

 

 そこに自分すら例外ではないと悟っている……たった十九歳の若者。

 確かに死地に赴く当主が、遺言を残すのは義務に近いことではあるが尋常ではない。

 

(そりゃあね? 代々の血族が、軒並み不審死を遂げている呪われた家系だ。そりゃ死生観が独特になるのも無理はないさ。それはわかるよ?)

 

 だからこそ、自分が死んだ場合の戦後処理も構築しつつ。

 生き残るためにえげつない手も、どんどん投入するわけだが――。

 

(でもさぁ! それに付き合わされる側の身にもなってよ、正直たまったもんじゃないんだよねぇっ!?)

 

 オノレは、叫びをかみ殺した。

 精神の限界を迎えているリュスには、口が裂けても伝えられない本音だった。

 

 アスタという男は、死体になろうとも。

 貴女と領地だけは守りぬく気でいるのだと。

 

「わたくしは、アスタ様のお心を……真実を、確かめねばならないのです」

「うん、まあ、気持ちは痛いほどわかるけどね……?」

「アスタ様は、決して嘘つく御方ではありません。口にされた約束は、たとえ世界がひっくり返ろうとも必ずや守ってくださいます」

「……うん、そうだね。……アスタはああ見えて、律儀だからね」

 

(君は、アスタが死んだ姿を何度見ても……そう信じるんだね、リュシエンヌ)

 

 アスタが、ラ・ボアジエ教授に叩きつけた啖呵。

 秘めた爆発的熱情の片鱗を覗かせた、あの瞬間。

 

 リュスのうら若い柔らかな心に、消えない業火を灯してしまった。

 

 ――しかし、アスタが戦場に伴ったのは……ジル。

 

 沸き立つ焦燥感、ドロドロした嫉妬、無力感。

 荒れ狂う感情の暴風雨のまま、何度も何度も『回帰』し、アスタの死に様を目撃させられてきた。

 約束が果たされなかった未来を、何度も見た。

 

 その凄惨な結果が、今の痛々しい姿。

 

(重いっ! こんなの……重すぎるよっ。なんで、こんな超絶ヘビー級令嬢を俺がワンオペで相手してんの!? おかしくない!?)

 

 オノレは、また悲鳴を我慢した。

 すっごく、涙が出そうなほど我慢した。

 

 オノレは、使い魔から送られる俯瞰映像を確認。

 限界が近い令嬢から吐き出される感情を受け止めつつ、聞きだした未来の断片的情報を抽出。

 学んだ戦術論と統合し、必死に処理して、アスタの役に立つよう誘導しているのだ。

 

(俺、もう頭が焼き切れそう……情報処理のキャパシティを完全に超えてるよ。こんなマルチタスク、処理できるわけないってっ!?)

 

 アスタには、天性の機転と戦場を見抜く嗅覚もある。

 この体制ならば、次々に軍団の弱点を突いて、撃破を続けることは容易。

 戦況は優勢で推移している……はずだったが。

 

 実はこの優勢の裏には、致命的な問題があった。

 その異変には、聖騎士ロダンすらも困惑を隠せない。

 

「いいかい、リュシエンヌ。次の状況を聞くよ?」

 

 オノレは向き直り、再び問いを重ねていく。

 

「さっき言ったケース、何が起きていたか把握できてる?」

「何回目……でしたでしょうか。いえ、わたくしは……今までどこに……?」

「……俺が聞きたいのは、君が屋敷を抜け出して無理やり戦場に介入した時間軸の話だよ」

「ええ、実行……しました」

「その未来は、どう推移したんだっけ?」

「それは……伏兵が、いえ。魔物が出て来た……? 違う、黒騎士が現れて……」

「ダメだ。もう記憶が、混濁してるみたいだね」

「……」

 

 武人としての――苛烈なる祓魔女(エクソシスター)としてのリュスは、間違いなく一流だ。

 かつての公爵令嬢としての面影など、まるで残っていないだろう。

 

 たった二年の経験で、高貴な令嬢が様変わりした。

 どれだけ壮絶な生活だったかは、オノレには知る由もないが……。

 

(無理やりにでも戦場に放り込めば、凄まじい戦果を挙げるみたいだね。まあ、聞くだけでわかるよ。一騎当千、リュシエンヌには戦況を変え得る強力さ(パワー)がある)

 

 その上、彼女の頭脳は極めて明晰であるはず。

 なのに――。

 

「わたくしは、本当に……今、ここにいる……? さっき斬ったのは、誰? ……あれは現実の出来事だったのでしょうか……?」

 

 彼女の双眸の焦点が、みるみる虚空へ霧散していく。

 

 オノレは確信し呟いた。

 

「記憶干渉だ」

「記憶、干渉?」

 

 聖騎士ロダンが聞き咎める。

 

「ああ。人間はね、“類似した記憶”を大量に保有すると、個別に引っ張り出したりできなくなるんだよ。そういう風にできている」

「……そのようなことが、現実に起きうると言うのか?」

「起きるさ。精神魔術の専門家なら、誰もが知ってる基礎知識だ。ロダン、君はこれまで人生で行って来た剣術鍛錬を、一回一回すべて正確に思い出せるかい?」

「それは不可能だ。……よほど印象的なことがあれば、話は別だが」

「だろう? 似たような光景が積み重なると、脳のなかで情報が互いを塗りつぶし、境界線が溶けてしまうんだよ。誰であってもね」

 

 そう、記憶干渉は誰にでも等しく起きうる。

 ここまでが正常な仕様。

 

「でも、常人には24時間1,440分という物理的な区切りと、睡眠による記憶整理の機能がある。何よりね、時間がきちんと『過去から未来へ』と順番通りに並んでいる。だから、日常の処理に支障が出ない。それだけの話さ」

「ならば、リュスは……リュシエンヌ様はッ!?」

「……そうだ。彼女は覚醒したまま、ページがバラバラに重なり合った『酷似しすぎる類似記憶』を……通常ではあり得ない超高密度で、デタラメに叩きこまれている。つまり――」

 

 いつ、どこで、誰が、なにを、どのようにした。

 そんな当たり前すら、リュスの認知は保てなくなりつつあった。

 

「リュシエンヌほどの頭脳があって、この情報精度の低さ。――そう、とどのつまり。人間はそもそも“複数の時間軸を処理できるように設計されていない”んだよ」

 

 よほど鮮明なエピソード以外は、支離滅裂。

 思い出させようとすればするほど、リュスは正気を喪失していく。

 

 そして、リュスにとって、その鮮明なエピソードこそが――アスタの死だった。

 

「繰り返される回帰とは、時間をズタズタにされること。時間感覚を滅多切りにされると、紐づく記憶や精神もズタズタになる。……なるほどね、良く出来た地獄じゃないか」

 

 過去、現在、未来の確かさ。自分が歩いて来た人生。

 そんな“自己の連続性”という、人間が正気で生きるための根幹機能が死につつある。

 

「アスタは……どうやって、リュシエンヌの正気を繋ぎとめてたんだよ。ただ、会話で情報を引き出すだけで負荷がひどすぎる……」

 

 想像を絶する不便さ。

 そして、なんという苦痛だろう。

 

(回帰、ね。実は、最初にその概念を聞いた時は、“なんて便利で素敵な機能じゃないか”って思ってたんだけど……いらない。これは『絶対に欲しくない異能』だ)

 

 過去をやり直す。

 それは誰もが夢見る力、奇跡だ。

 

 なのに奇跡の引き金を、引けば引くほど……精神の土台が狂い腐っていく。

 まともに記憶の保管すら許されない。

 

 そこまでの対価を求められる力ならば、誰も欲しがるわけがない。

 

「結論を言おう、リュシエンヌ。これ以上、やり直した過去の詳細を詰めるべきではない。もうやめるんだ」

「……ですが、わたくしは。お役に、立たなければ……アスタ様の、明日を……」

「君がそんなボロ雑巾みたいになるのを、喜んで受け入れるような男じゃないよ。アスタ・ド・ヤバマーズという奴はね」

「そんな。……ならば、わたくしは。これから一体、どうしたら……っ」

 

 床に膝を突いたまま、力なく項垂れるリュス。

 その姿は、あまりにも脆く……痛々しかった。

 

(正直。……このリュシエンヌの狂気と向き合うだけで、俺の正気がゴリゴリ削られそうだよ)

 

 しかし、事態は進行する。

 アスタ・ド・ヤバマーズの『死』は今もなお、強固な“確定性の高い未来”として収束しつつある。

 

 そう、リュスが正気を削り、幾ら賽子(サイコロ)を振り直しても。

 死の目が、連続して出続けていたのだった。




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