オノレが思うに。
アスタ・ド・ヤバマーズのヤバさとは……“常軌を逸した執着”もさることながら――恐るべき速度の『精神の
つい先刻まで。
見張り塔で軍勢を眺め、『死んでも、王太子の計画を阻止してやろう』と万が一の遺書をしたためたと思えば。
階段をトントン。
軽快に降りる頃には“敵を効率的に殲滅する”という問題に、脳細胞が取り組んでいる。
で、その次には?
『自分を慕ってくれる人々に居場所と明日をくれてやる。毒を喰らってでも命を賭して守り抜く。そんな男に、ならねばならない』
なんの臆面もない。
普通なら口が裂けても言えない青臭い啖呵すら、心の底から切れてしまうのだ。
その割り切り方こそが異常。
(ようするにさ。アスタは、常にどれも本気だ……そんな両極端の矛盾を、平然と合わせ呑んでいる。そういう底知れない人間なんだよね)
――人間は驚くほどしぶとい。
そう信じているのに、骨の髄には別の真実が刻まれている。
――人間なんて、ほんのちょっとのはずみであっけなく死ぬ。
そこに自分すら例外ではないと悟っている……たった十九歳の若者。
確かに死地に赴く当主が、遺言を残すのは義務に近いことではあるが尋常ではない。
(そりゃあね? 代々の血族が、軒並み不審死を遂げている呪われた家系だ。そりゃ死生観が独特になるのも無理はないさ。それはわかるよ?)
だからこそ、自分が死んだ場合の戦後処理も構築しつつ。
生き残るためにえげつない手も、どんどん投入するわけだが――。
(でもさぁ! それに付き合わされる側の身にもなってよ、正直たまったもんじゃないんだよねぇっ!?)
オノレは、叫びをかみ殺した。
精神の限界を迎えているリュスには、口が裂けても伝えられない本音だった。
アスタという男は、死体になろうとも。
貴女と領地だけは守りぬく気でいるのだと。
「わたくしは、アスタ様のお心を……真実を、確かめねばならないのです」
「うん、まあ、気持ちは痛いほどわかるけどね……?」
「アスタ様は、決して嘘つく御方ではありません。口にされた約束は、たとえ世界がひっくり返ろうとも必ずや守ってくださいます」
「……うん、そうだね。……アスタはああ見えて、律儀だからね」
(君は、アスタが死んだ姿を何度見ても……そう信じるんだね、リュシエンヌ)
アスタが、ラ・ボアジエ教授に叩きつけた啖呵。
秘めた爆発的熱情の片鱗を覗かせた、あの瞬間。
リュスのうら若い柔らかな心に、消えない業火を灯してしまった。
――しかし、アスタが戦場に伴ったのは……ジル。
沸き立つ焦燥感、ドロドロした嫉妬、無力感。
荒れ狂う感情の暴風雨のまま、何度も何度も『回帰』し、アスタの死に様を目撃させられてきた。
約束が果たされなかった未来を、何度も見た。
その凄惨な結果が、今の痛々しい姿。
(重いっ! こんなの……重すぎるよっ。なんで、こんな超絶ヘビー級令嬢を俺がワンオペで相手してんの!? おかしくない!?)
オノレは、また悲鳴を我慢した。
すっごく、涙が出そうなほど我慢した。
オノレは、使い魔から送られる俯瞰映像を確認。
限界が近い令嬢から吐き出される感情を受け止めつつ、聞きだした未来の断片的情報を抽出。
学んだ戦術論と統合し、必死に処理して、アスタの役に立つよう誘導しているのだ。
(俺、もう頭が焼き切れそう……情報処理のキャパシティを完全に超えてるよ。こんなマルチタスク、処理できるわけないってっ!?)
アスタには、天性の機転と戦場を見抜く嗅覚もある。
この体制ならば、次々に軍団の弱点を突いて、撃破を続けることは容易。
戦況は優勢で推移している……はずだったが。
実はこの優勢の裏には、致命的な問題があった。
その異変には、聖騎士ロダンすらも困惑を隠せない。
「いいかい、リュシエンヌ。次の状況を聞くよ?」
オノレは向き直り、再び問いを重ねていく。
「さっき言ったケース、何が起きていたか把握できてる?」
「何回目……でしたでしょうか。いえ、わたくしは……今までどこに……?」
「……俺が聞きたいのは、君が屋敷を抜け出して無理やり戦場に介入した時間軸の話だよ」
「ええ、実行……しました」
「その未来は、どう推移したんだっけ?」
「それは……伏兵が、いえ。魔物が出て来た……? 違う、黒騎士が現れて……」
「ダメだ。もう記憶が、混濁してるみたいだね」
「……」
武人としての――苛烈なる
かつての公爵令嬢としての面影など、まるで残っていないだろう。
たった二年の経験で、高貴な令嬢が様変わりした。
どれだけ壮絶な生活だったかは、オノレには知る由もないが……。
(無理やりにでも戦場に放り込めば、凄まじい戦果を挙げるみたいだね。まあ、聞くだけでわかるよ。一騎当千、リュシエンヌには戦況を変え得る
その上、彼女の頭脳は極めて明晰であるはず。
なのに――。
「わたくしは、本当に……今、ここにいる……? さっき斬ったのは、誰? ……あれは現実の出来事だったのでしょうか……?」
彼女の双眸の焦点が、みるみる虚空へ霧散していく。
オノレは確信し呟いた。
「記憶干渉だ」
「記憶、干渉?」
聖騎士ロダンが聞き咎める。
「ああ。人間はね、“類似した記憶”を大量に保有すると、個別に引っ張り出したりできなくなるんだよ。そういう風にできている」
「……そのようなことが、現実に起きうると言うのか?」
「起きるさ。精神魔術の専門家なら、誰もが知ってる基礎知識だ。ロダン、君はこれまで人生で行って来た剣術鍛錬を、一回一回すべて正確に思い出せるかい?」
「それは不可能だ。……よほど印象的なことがあれば、話は別だが」
「だろう? 似たような光景が積み重なると、脳のなかで情報が互いを塗りつぶし、境界線が溶けてしまうんだよ。誰であってもね」
そう、記憶干渉は誰にでも等しく起きうる。
ここまでが正常な仕様。
「でも、常人には24時間1,440分という物理的な区切りと、睡眠による記憶整理の機能がある。何よりね、時間がきちんと『過去から未来へ』と順番通りに並んでいる。だから、日常の処理に支障が出ない。それだけの話さ」
「ならば、リュスは……リュシエンヌ様はッ!?」
「……そうだ。彼女は覚醒したまま、ページがバラバラに重なり合った『酷似しすぎる類似記憶』を……通常ではあり得ない超高密度で、デタラメに叩きこまれている。つまり――」
いつ、どこで、誰が、なにを、どのようにした。
そんな当たり前すら、リュスの認知は保てなくなりつつあった。
「リュシエンヌほどの頭脳があって、この情報精度の低さ。――そう、とどのつまり。人間はそもそも“複数の時間軸を処理できるように設計されていない”んだよ」
よほど鮮明なエピソード以外は、支離滅裂。
思い出させようとすればするほど、リュスは正気を喪失していく。
そして、リュスにとって、その鮮明なエピソードこそが――アスタの死だった。
「繰り返される回帰とは、時間をズタズタにされること。時間感覚を滅多切りにされると、紐づく記憶や精神もズタズタになる。……なるほどね、良く出来た地獄じゃないか」
過去、現在、未来の確かさ。自分が歩いて来た人生。
そんな“自己の連続性”という、人間が正気で生きるための根幹機能が死につつある。
「アスタは……どうやって、リュシエンヌの正気を繋ぎとめてたんだよ。ただ、会話で情報を引き出すだけで負荷がひどすぎる……」
想像を絶する不便さ。
そして、なんという苦痛だろう。
(回帰、ね。実は、最初にその概念を聞いた時は、“なんて便利で素敵な機能じゃないか”って思ってたんだけど……いらない。これは『絶対に欲しくない異能』だ)
過去をやり直す。
それは誰もが夢見る力、奇跡だ。
なのに奇跡の引き金を、引けば引くほど……精神の土台が狂い腐っていく。
まともに記憶の保管すら許されない。
そこまでの対価を求められる力ならば、誰も欲しがるわけがない。
「結論を言おう、リュシエンヌ。これ以上、やり直した過去の詳細を詰めるべきではない。もうやめるんだ」
「……ですが、わたくしは。お役に、立たなければ……アスタ様の、明日を……」
「君がそんなボロ雑巾みたいになるのを、喜んで受け入れるような男じゃないよ。アスタ・ド・ヤバマーズという奴はね」
「そんな。……ならば、わたくしは。これから一体、どうしたら……っ」
床に膝を突いたまま、力なく項垂れるリュス。
その姿は、あまりにも脆く……痛々しかった。
(正直。……このリュシエンヌの狂気と向き合うだけで、俺の正気がゴリゴリ削られそうだよ)
しかし、事態は進行する。
アスタ・ド・ヤバマーズの『死』は今もなお、強固な“確定性の高い未来”として収束しつつある。
そう、リュスが正気を削り、幾ら
死の目が、連続して出続けていたのだった。
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