『村の少年アレン、気づけば勇者への道を歩いていました』 作:アイセ
倒れた魔物の前を通り過ぎ、三人はゆっくりと森の奥へ歩き始めた。
焦げた木の匂いと、先ほどまでの緊張の余韻がまだ体に残っている。
レオンは何度も後ろを振り返りながら呟く。
「なぁ、アレン……ほんとに行って大丈夫なのか?
あの人、強いのは確かだけど……なんか、ただの旅人じゃない気がするんだよな……」
「だよね……僕もそう思う……」
アレンは剣を握ったまま、うつむき気味に答えた。
手はまだ震えている。
でも胸の中にあった小さな灯は、消えずに揺れていた。
(僕……怖かったのに、逃げなかった……
それって、ちょっとだけ……強くなれたのかな。)
そんな考えが浮かんで、慌てて首を振る。
調子に乗るなんてまだ早い。
本当に強いのはリュシアだ。
そのリュシアは二人の少し先を静かに歩きながら、
森の奥を見据えていた。背中越しに強さと落ち着きが伝わってくる。
「……どうして魔物がこんな場所に?」
アレンが意を決して話しかける。
リュシアは足を止めずに答える。
「本来、この森にあれほどの魔物は現れないはずだ。
人里も近いし、魔物が嫌う水場や陽当たりの良い場所も多い。」
「じゃあ……どうして?」
「理由は二つ考えられる。」
リュシアは指を二本立てた。
「ひとつは――魔物の住処が荒らされた場合。」
「荒らされた……? 誰かが?」
「そう。人か、別の魔物か。
強い何かに追われた魔物は、時に森から逃げ出す。」
レオンは背筋を震わせた。
「はぁ……できればそっちじゃないといいんだけどな……」
「もうひとつは――もっと厄介だ。」
リュシアが言葉を選ぶように、少し声を低くした。
「この森自体が“何かに引き寄せられている”可能性だ。」
「ひ、引き寄せられるって……な、何が?」
レオンが青ざめる。
アレンは息を飲んだまま、リュシアの言葉を待った。
「人、動物、魔物……あらゆるものを“誘う力”が働いている場所が稀にある。
そういう場所は、森の奥にとても危険な“源”が眠っていることが多い。」
アレンはごくりと喉を鳴らす。
「その……“源”って……」
「……まだ断言はできない。だが――」
リュシアが振り返り、アレンを真正面から見つめた。
その視線は優しさと、試すような鋭さが混じっていた。
「アレン。魔物と向き合った君に話すべきだと思う。」
「ぼ、僕に……?」
「君は、魔物の気配を感じたとき、
“誰かが困っているかもしれない”という理由だけで走った。」
「……それは……」
アレンは言葉に詰まった。
改めて言われると、なんとも言えない気持ちになる。
「普通は逃げる。大人でさえ、足がすくむ。
だが君は迷わなかった。」
「迷ってたよ……めちゃくちゃ怖かった……」
「それでも行った。
その“行った”という事実が大事なんだ。」
アレンは胸が熱くなるのを感じた。
リュシアは続ける。
「この森にある“源”は、おそらく……
君のような者を求めている。」
「え……?」
「心の在り方が、強く反応する。
特に、“守りたい”という気持ちが強い者ほど。」
アレンは目を見開いた。
(僕が……森に呼ばれた……?)
そんな実感はなかった。
ただ、目の前の出来事に必死だっただけだ。
「ちょっと待ってくださいよ! アレンが求められてるってどういう意味ですか!?
別にアレンは特別な力があるわけじゃ――」
「わかってるよ、レオン……」
アレンは困ったように笑いながら、
でも心のどこかで引っかかっていた。
(さっき剣が抜けたのも……偶然じゃないのかな……?)
胸のざわめきが消えないまま、
リュシアが前方を指さした。
「……来た。」
三人は思わず足を止めた。
森の木々が途切れ、
ぽっかりと広がる円形の空間。
中央には――
大きな岩のようなものが横たわっている。
しかし近づくと、それがただの岩ではないとわかった。
まるで何かを守るように丸まり、
静かに眠っている“何か”。
アレンの胸が高鳴った。
「……これが……?」
「“源”だ。」
リュシアの声が、いつもより低く響く。
「ここから先は――慎重に動く。
アレン、レオン。気をつけて。」
三人が一歩、また一歩と近づいていく。
息を潜め、空気が張り詰める。
そして――
“それ”が、ゆっくりと動いた。
森の奥深くで眠っていた“何か”が、目を覚ますように。
地面が、わずかに震えた。
アレンの喉が、乾いた音を立てる。
(……これは……ただの岩じゃない……!!)
森の静寂が破れようとしていた。
“それ”が動いた瞬間、森の空気が変わった。
まるで風が息を潜め、世界が音を失ったような静けさ。
大きな影が、ゆっくりと頭をもたげる。
「な、なんだよ……これ……」
レオンの声は震えていた。
アレンも喉が乾いたように声が出ない。
岩だと思っていたそれは――
巨大な生き物の背中だった。
丸まったまま眠っていたせいで岩に見えたのだ。
苔むした皮膚。
木の根のような角。
呼吸のたびに、地面が低く震える。
「もしかして……魔物……?」
アレンの言葉に、リュシアはすぐ首を振った。
「違う。これは……“守護の獣”。
人を襲う魔物と違い、この森を守るために生きる存在だ。」
「守る……?」
「本来なら、人間に危害を加えることはない。
だが……」
リュシアは厳しい目で獣を見つめた。
「この様子……眠りが浅い。
外からの“何か”に刺激されている。」
獣の目が薄く開く。
金色の瞳がアレンたちを映し――
その中に、微かな混乱の色があった。
(怒ってるわけじゃない……でも、落ち着いてもいない……)
アレンは、ただ見つめるしかなかった。
獣は首を上げ、低く長い唸り声を響かせる。
その音は魔物の咆哮と違い、
“警告”のように聞こえた。
森の鳥たちが一斉に飛び立つ。
「近づきすぎると危険だ。二人とも下がれ。」
リュシアが静かに言う。
しかしアレンの足は、下がるどころか一歩前に出てしまった。
「アレン!? 何してんだよ!!」
「いや……なんか……」
アレンは自分でも説明できない。
ただ――胸の奥がざわざわする。
怖いはずなのに、獣を見ていると、
どこか悲しそうに見えた。
(傷ついてる……のか……?)
そんな風にすら思えてしまう。
「アレン、戻れ。」
リュシアの声が鋭くなる。
「この距離は危険だ。守護獣は正気を失えば、魔物以上だ。」
アレンは振り返ろうとしたが――その前に、
獣の金色の瞳が、まっすぐアレンの目を捉えた。
「……あ……」
胸がどくりと跳ねる。
視線が重なった瞬間、
獣の瞳がほんのわずか揺れた。
怒りでも敵意でもない。
何かを探すような、訴えるような色。
「アレン、下がれと言っている!」
リュシアが強く制止するが、
獣の次の行動がそれを遮った。
守護獣が、巨大な頭をアレンへ向けて低く下げた。
「っ……!」
レオンが叫びかける。
リュシアも構え直す。
だが――獣は襲ってこなかった。
地面に腹ばいになり、
まるで“何かを差し出すように”前脚を動かす。
その足元に、何かがあった。
丸い石のような……いや、違う。
小さな光が脈打っている。
「これは……?」
アレンがそっと近づきかけた瞬間――
獣の咆哮が低く響いた。
「グルゥ……!」
慌ててアレンは足を止める。
だが獣の咆哮は“怒り”ではない。
むしろ「触れてはならない」と言っているように感じられた。
「……守っている?」
アレンが呟く。
リュシアは目を細め、小さく頷いた。
「この獣は何かを守っている。
これがこの森の“源”……森の力の核だ。」
「森の……力……」
アレンの胸が高鳴る。
(これが……僕たちを呼んだ……?)
その時、森の奥から冷たい風が吹いた。
リュシアの表情が一変する。
「……来る。」
「え?」
「敵だ。魔物ではない。もっと厄介な――」
言葉と同時に、木々の影から
黒い煙のようなものがにじみ出た。
「な、なんだよあれ……!」
レオンが後退る。
アレンは獣をかばうように立つ。
震える膝を押さえながら、それでも前に。
「アレン、下がれと言っているだろう!!」
「でも、この獣は……守ってるんだ!
だったら、僕たちも守らなきゃ!!」
リュシアが息をのむ。
黒い煙は形を変え、
獣の“源”へ向かって伸びていく。
リュシアが叫ぶ。
「アレン、レオン! 横に避けろ!!」
だがアレンは動けなかった。
黒い影が、まっすぐ“源”へと伸びる。
(だめだ……!)
アレンはとっさに手を伸ばした。
瞬間――
“源”の光がアレンに強く反応した。
「うっ……!?」
胸に熱が走る。
剣を握る手が震えた。
黒い影と光が激しくぶつかる。
森が震え、風が巻き起こり、
木々がざわめいた。
守護獣が吠える。
リュシアが剣を抜く。
レオンがアレンを呼ぶ。
全てが混ざり合う中――
アレンの体が、光に包まれ始めた。
「……え?」
熱い。
でも、痛くない。
むしろ胸の奥にあった“灯”が広がっていく感覚。
リュシアが息を呑む。
「まさか……!」
レオンが叫ぶ。
「アレンッ!!」
アレンはただ――
胸の奥で、誰かの声を聞いた気がした。
それは優しくて、静かで、
どこか懐かしい声。
――“守りたいなら、進め。”
光がさらに強くなる。
黒い影が弾け飛ぶ。
森の空気が震える。
そして――
光は、アレンの胸の奥から湧き上がるように広がっていた。
熱く、強く、だけど不思議と怖くはない。
(なに……これ……)
黒い影が、光に触れた途端に弾き飛ばされる。
まるで光が“拒んでいる”かのように。
リュシアが目を見開いたまま叫ぶ。
「アレンから……光が……!」
「アレン!! 大丈夫か!?」
レオンの声が遠く聞こえる。
アレンは答えようとしたが、声にならなかった。
言葉よりも早く、胸の奥の光が脈を打つ。
すると――守護獣が動いた。
巨大な身体が揺れ、獣はアレンの前へ歩み寄る。
金色の瞳が、まるで何かを確認するようにアレンを見つめる。
(この光……獣が、反応してる……?)
守護獣はアレンの前で立ち止まり、
低く、穏やかな唸り声を漏らした。
さっきまでの警戒でも怒りでもない。
まるで――
「歓迎……してる……?」
リュシアが驚いた声でつぶやいた。
「信じられない……守護獣が、人間に“同意”の声を向けている……?
そんなこと……何十年も聞いたことがない……」
「アレン……お前、なんかしたのか……?」
「わ、わかんないよ……!」
アレン自身が一番混乱していた。
けれど光は、アレンの意思とは関係なく穏やかに広がり続ける。
怖くはない。
むしろ――あたたかい。
(この光……僕じゃない。
この“源”が……僕に向かって……。)
アレンがそう思った瞬間、守護獣がゆっくりと頭を下げた。
「……え?」
まるでアレンに“触れさせる”ように。
獣は大きな前脚をゆっくりどけ、
その奥にある光の玉――森の“源”――を見せつけるように差し出した。
アレンの喉が鳴る。
(これ……僕に……?)
だがその時。
森の奥から、鋭い悲鳴のような風の音が響いた。
「っ――!」
黒い煙が再び渦巻き、獣の周りに集まろうとする。
「しつこい……!」
リュシアが前に出て構えた。
「アレン! 気を取られるな! 離れろ!!」
けれどアレンは動けない。
光の玉が、まるで心に話しかけるように脈打っていた。
(守りたいなら、進め……?
さっき聞こえた声……これ……?)
黒い影がアレンの足元へ伸びる。
「アレンッ!! くるぞ!!」
レオンがアレンの腕を掴もうと伸ばしたその瞬間――
守護獣が咆哮した。
「グアァァァァ!!」
その声と同時に、アレンを包む光が一気に広がる。
黒い影が押し返される。
獣の瞳が大きく見開かれる。
リュシアが息を呑む。
「……まさか……!」
光がアレンの身体を包み込み――
その腕が、胸が、足が、輪郭までも淡く輝き始めた。
まるで“選ばれる”瞬間のように。
しかし、アレンはまだ気づいていない。
「う……ぁ……っ……!」
光が強すぎて、膝が折れそうになる。
「アレン!! しっかりしろ!!」
レオンの声が震えている。
「アレン、離れろ! そのままでは――!」
リュシアが叫ぶ。
だが光の中、アレンの耳には、
森の奥から響く声がただひとつだけ届いていた。
――“守る心を持つ者よ。”
(……誰……?)
――“受ける覚悟はあるか。”
(うけ……る……?)
――“ならば――”
光が弾けた。
風が爆ぜ、木々が揺れ、黒い影が霧散する。
守護獣が深く頭を垂れる。
アレンの体が、ふわりと浮き上がるように感じた。
そして――
胸に、“何か”が触れた。
(――っ!)
息を呑む間もなく、
アレンの世界が白い光に飲まれていく。
意識が遠のきながら、アレンはただひとつ思った。
(……僕、どうなるんだ……?)
光はなおも強く、強く――
森を照らしていた。