『村の少年アレン、気づけば勇者への道を歩いていました』 作:アイセ
白い光が、森をすべて飲み込んだ。
木々の影も、黒い霧も、アレン自身の輪郭ですらも、
光に溶けていくように感じられた。
(息……できる……?)
不思議と苦しくはない。
ただ、胸の奥が熱い。
脈が、いつもより強く打っている。
耳の奥で、かすかな響きが続いていた。
――守りたい心。
――立ち向かう心。
――恐怖を抱えても前へ出る心。
(……僕の……心……?)
――それこそが“鍵”。
――選ばれたのではない。
――自ら選んだのだ。
(選んだ……? 僕が……?)
光の中で、アレンは自分の手を見る。
かすかに震えている。
逃げなかった。
怖かったのに、立ち向かった。
その事実を、光が静かに肯定しているようだった。
胸の中心から、やわらかな熱がゆっくりと満ちていく。
(これって……力?
いや……違う……。何かが……僕の中に……)
そのとき――光が一気に収束した。
「――アレン!!」
レオンの叫びが耳に戻る。
森の匂いが戻る。
風のざわめきも。
リュシアの鋭い視線も。
すべてが一度に押し寄せてきた。
アレンは膝から崩れ落ちそうになる。
「はっ……はぁ……!」
息が乱れる。
だが痛みはない。
むしろ、全身に澄んだ空気が流れ込んだような感覚。
レオンが駆け寄る。
「アレン!! 大丈夫か!? どこか痛いのか!?
……ていうか今の何!? なにが起きたんだよ!!」
「わ、わかんない……僕も……」
アレンは胸を押さえる。
さっきの光がまだ微かに響いている。
リュシアがゆっくりとアレンへ歩み寄った。
険しい表情ではない。
何か確かめるような、慎重なまなざし。
「アレン。」
「……はい……?」
「君、今……“呼応”した。」
「こおう……?」
アレンは自分の胸に触れながら首をかしげる。
「森の“源”が、君の心に反応したんだ。
さっきの光は、その証。」
「証って……どういう……?」
リュシアはため息をつき、ゆっくりと言葉を選んだ。
「力ではない。祝福でもない。
だが――“扉が開いた”と言えばいいか。」
「扉……?」
「まだ何も得てはいない。
ただ、君の中に“道”が生まれたんだ。」
アレンは胸の奥がざわつく。
力じゃない。
魔法でもない。
ただの焚きつけや幻ではない。
“道が生まれた”。
その言葉が、妙に重く響いた。
レオンが青ざめたまま口を開く。
「リュシアさん、その……アレンが特別だってことなんですか?」
「特別かどうかは、まだわからない。」
リュシアは静かに首を振る。
「だが――“呼ばれた”のは確かだ。」
「呼ばれた……って、どうして僕が……?」
リュシアはアレンの目をまっすぐに見つめた。
「さっき私が言っただろう。
君は恐怖を抱えても、誰かを助けるために走った。」
「それは……そんな、大したこと……」
「大したことだ。」
リュシアの言葉は鋭かった。
アレンは思わず口をつぐむ。
「普通はできない。
まして、君はまだ子どもだ。
それでも“助ける”ために迷わなかった。」
アレンの胸の奥が、熱を帯びる。
「その心は、“守りの森”にとって特別だ。
だから――君を呼んだ。」
アレンが息を呑むと、リュシアは続ける。
「そしてこの光……
君がこれから、どんな道を歩くかで変わるだろう。」
「どんな道……?」
「選ぶのは君だ。
強くなるのか、ならないのか。
守るのか、諦めるのか。
進むのか、戻るのか。」
リュシアの声が低く響く。
「この森が開いた“扉”は――
君の選択によって形を変える。」
アレンは胸に手を当てる。
(僕……何かに選ばれたんじゃなくて……
僕が……選んだ……?)
その時――
守護獣が再びアレンの前に立ち上がった。
「ひっ……!」
レオンが後ずさる。
だが獣はゆっくりと頭を垂れた。
その動きは、まるで“敬意”を示す仕草のようだった。
「アレン……」
リュシアの声が少し震えた。
「この獣は、君を受け入れた。
森の守り手が、人を認めるなど……聞いたことがない。」
アレンの心臓が大きく跳ねた。
「僕を……?」
「君は、まだ普通の少年だ。
剣の使い方も知らない。
強くもない。」
「……はい……」
「だが――君にはもう、立ち上がれる心がある。」
リュシアはゆっくりと微笑んだ。
「アレン。
君が“進む”と選ぶなら……
私が、君に剣を教えよう。」
「え……?」
アレンは目を大きく見開いた。
レオンも驚いて声がひっくり返る。
「えっ!? アレンが!? 剣を!?
な、なんで急に!?」
「急ではない。必要だからだ。」
リュシアは静かに答える。
「この森に現れた黒い影……あれは“災い”の前触れ。
魔物ではない。もっと大きなものの気配だ。」
アレンの胸が強く鳴る。
「そして――その災いは、必ず君たちの村へ向かう。」
「……!」
「アレン。
君が守りたい誰かがいるのなら、
逃げずに立つ力を身につけるべきだ。」
森に風が吹いた。
葉が揺れ、空気が震える。
アレンは剣の柄を握りしめる。
(守りたい……
今日、死にかけて……
レオンが助けてくれて……
リュシアさんも……
村のみんなも……)
胸の中の“灯”が、ふくらむ。
「……僕……」
レオンが息をのみ、リュシアが見つめる。
アレンはゆっくりと言った。
「剣を……教えてください。」
静かに。
でも迷いのない声で。
その瞬間――
守護獣が、静かに咆哮を上げた。
森が応えるように揺れた。
光はもう消えている。
でも胸の奥の熱だけは、消えなかった。
アレンの「剣を教えてください」という言葉が森に落ちた。
誰よりも驚いたのはレオンだった。
「アレン……お前……ほんとに言ったのか……?」
声は震えていた。
しかし、否定ではない。
心配と驚きと、少しの期待が混ざっている。
リュシアはゆっくりと頷いた。
「覚悟はあるようだな。
だが――覚悟だけでは剣は振れない。
明日からでは遅い。今すぐ、始めるぞ。」
「えっ!? い、今から……!?」
「今日の“恐怖”と“覚悟”が、もっとも心に残っているうちに体を動かすべきだ。
忘れたら、弱くなる。」
リュシアはそう言って、アレンの前に立った。
「まず、構えを見せてみろ。」
「え、えっと……」
アレンは抜いたままの錆びた剣を両手で持ち、なんとなく構えてみた。
足が震えているのは自分でもわかる。
リュシアは一目見て、ため息をついた。
「悪くない……と言いたいが、九割間違いだ。」
「ほぼ全部じゃないか!!」
レオンがツッコむ。
アレンは苦笑いしながら力を抜いた。
「で、ですよね……」
だがリュシアは笑わず、真剣な表情で続ける。
「いいか、アレン。
剣を握る前に、まず“守りたい相手”を思い浮かべるんだ。」
「守りたい……相手……」
「そうだ。剣は戦うためではない。
守るために使わねばならない。
さっき君が魔物に向かって行けたのも……
レオンを助けたい、その想いだったはずだ。」
アレンはハッとし、レオンを見る。
レオンは照れくさそうにそっぽを向いた。
「べ、別に助けてもらわなくても……いや、助かったけど……」
小さな笑いがこぼれ、アレンの胸が少し温かくなる。
(守りたい……
レオンを……村を……)
その気持ちを思い浮かべると、不思議と恐怖が薄らぐ。
リュシアが顎を引いて言う。
「今、その気持ちを剣に通せ。」
「気持ちを……剣に……」
アレンはゆっくりと息を吸い込み、剣を正面へ向けた。
震えはまだ残っている。
けれど――先ほどとは違う。
胸の奥のあの“灯”が、小さく光っている気がした。
「……こう……ですか……?」
リュシアは小さく頷いた。
「悪くない。まだ弱いが、“方向”は合っている。」
「よ、よかったぁ……」
「だが油断はするな。
構えは剣士の全てだ。崩れれば命が終わる。」
「いきなり重い!!」
レオンが叫ぶ横で、アレンは顔をこわばらせながらも姿勢を整え直す。
リュシアは歩み寄ると、アレンの腕と足の位置を丁寧に直した。
「ほら、こうだ。腕は締めすぎず、開きすぎず。
足は少し開いて重心を落とす。右に倒れやすいな、意識しろ。」
「は、はいっ……」
アレンは必死で姿勢を維持した。
汗が額を滑り落ちていく。
「……よし。」
リュシアが満足そうに頷いたその瞬間。
森の奥から、また“音”がした。
今度は風ではない。木のざわめきでもない。
明らかに“何かが動く音”だった。
「っ……!」
レオンが身を寄せる。
「リュシアさん……また魔物ですか……!?」
「いや、違う。もっと……嫌な気配だ。」
リュシアは鋭い目で森を睨んだ。
アレンの背筋がぞくりと震える。
胸の奥の光が、かすかに脈打つ。
(また……来るのか……?)
守護獣が低く唸った。
さっきよりも深く、重く、警戒と怒りをはらんだ音。
森の奥。
木々がひとつ、またひとつ折れ曲がり――
闇がゆらりと揺れた。
リュシアが低く呟く。
「……災いの“影”が、動き始めた。」
アレンは剣を握りしめた。
指が白くなるほど強く。
(怖い……
けど……逃げない……!)
その小さな決意が、胸の光をまた強くする。
森の影が形を持ち始める。
それは――ゆっくりと、確実に三人へ迫っていた。
木々が、不自然なほどゆっくりと揺れた。
風ではない。
誰かの足音でもない。
もっと冷たく、重たい“存在”が森に入り込んだような揺れだった。
「……っ、なんだよ、これ……」
レオンが喉を鳴らす。
アレンも息が詰まる。
目の前の空気が、ひどく冷たくなっていた。
リュシアが一歩前へ出る。
声は低く、緊張が隠せない。
「アレン、レオン。気を抜くな。
あれは魔物ではない。“影”そのものだ。」
「影……?」
「姿も形も曖昧で、意思を持つ。
森を汚し、心の弱い者にまとわりつく――」
言葉の途中で、木が折れた。
バキッ、と乾いた音が森に響く。
次の瞬間、黒い煙の塊のようなものが、木々の間から滑り出てきた。
「ッ……!」
アレンは息を呑んだ。
それは“獣”にも“人”にも見えない、
黒く揺れる影の塊。
境界がない。輪郭がない。
見ていると目がざわつく。
レオンが震える声で言う。
「こ、こんな気持ち悪い魔物……見たことねぇ……」
「魔物じゃないと言った。」
リュシアがきっぱりと言う。
「これは……災いそのものの“かけら”だ。」
影は揺れながらこちらへと迫ってくる。
足音はない。
ただ、近づくたびに呼吸がしづらくなる感覚だけがある。
アレンの胸の奥の光が、微かに警告を発するように脈打った。
(……近づいてくる……!)
影が守護獣を一瞥すると、
獣は低く吠え、前に出ようとする。
「駄目だ、刺激するな!」
リュシアが叫んだが、獣は止まらない。
その瞬間――
影が獣に触れた。
バチッ、と空気が焼けるような音がした。
「……っ!!」
影が獣の体に張りつき、まるで食らいつくように広がる。
獣が苦しげに唸る。
金色の瞳が濁り始める。
「やばい! 離れないと!!」
レオンが叫ぶ。
「アレン!」
リュシアが振り返る。
「この影は“心の弱さ”に付け込む。
君は今、呼応したばかりで心が揺れている。近づけば――」
アレンは一歩、前へ出た。
リュシアの言葉が止まる。
「……アレン?」
「だって……守護獣が……苦しんでる……!」
アレンの声は震えていた。
怖い。
影の気配が肌を刺すほど怖い。
けれど――獣が痛みに身をよじらせる姿が、胸に刺さった。
「さっき……僕を守ってくれたんだ……
今度は、僕の番だよ……!」
レオンの目が見開かれる。
「お、お前……本気で言ってるのか……!?
アレン、死ぬぞ!!」
「わかってる……! でも、見てられない!」
言い切る声は震えているのに、
その目だけは逃げなかった。
リュシアが息を押し殺したように呟く。
「アレン……その心が……」
影が獣の背中を覆い始め、
守護獣の金の瞳がゆっくりと黒く染まりかける。
「グ……アァ……!」
苦しみの咆哮が森に響く。
アレンは走った。
足が震えても。
息が乱れても。
(守るって……決めたんだ……!)
影がアレンに気づき、ゆっくりと広がっていく。
暗い、冷たい、全てを奪うような気配。
その瞬間――
アレンの胸が強く脈打った。
光が、再び滲む。
「アレン!! 戻れ!!」
レオンが叫ぶ。
「だめだ……今行けば心を飲まれる……!」
リュシアが手を伸ばす。
でもアレンの足は止まらない。
影と獣の間へ飛び込むように腕を伸ばした。
「――離れろッ!!」
その叫びと同時に、
胸から淡い光が一閃した。
影が弾かれ、獣の体から剥がれ落ちる。
黒い影は怒ったように揺れ、
アレンを見つめた。
アレンの呼吸は荒い。
汗で手が滑る。
でも剣を離さない。
リュシアが驚愕の声を漏らす。
「――アレン……君……」
レオンも口を開いたまま固まっている。
獣の瞳が、再び金色を取り戻していく。
アレンは震える声で言った。
「僕は……逃げない。
守りたいから……!」
黒い影が低く唸るように揺れた。
次の瞬間――
影が一気に形を変え、アレンへ襲いかかる。
「アレンッ!!」
レオンの悲鳴。
リュシアの走る音。
影が牙のような形状に変わり、
アレンの胸元へ迫る――
アレンは剣を握り直し、叫んだ。
「来い――!!」
光と影が激しくぶつかった。
森が震えた。
地面が揺れた。
二つの力が拮抗する。
そして――
光が一気に広がった。
影が弾け飛ぶ。
黒い粒となって森に散る。
アレンはその場に崩れそうになったが、必死に耐えた。
「はぁ……はぁ……っ……!」
影は完全に消えてはいない。
まだ輪郭のない黒い靄となり、少し離れた場所でうごめいている。
リュシアは剣を構え、アレンの横へ立つ。
「アレン……よく耐えた。
だがまだ終わりじゃない。」
その視線の先で、黒い靄がゆっくりと立ち上がる。
「アレン……」
レオンの声が震えていた。
「お前……本当に……変わったな……」
アレンは汗と涙でぐしゃぐしゃの顔で、
それでも笑った。
「僕……弱いけど……
でも、守りたいんだ……!」
黒い靄が咆哮するように揺れ、
再び形を整え始める。
森の奥から不穏な気配がさらに濃くなる。
リュシアが息を呑む。
「……来るぞ。」
アレンは剣を握り直し、胸の奥で光を感じながら言った。
「リュシアさん。
僕……戦います。」
三人の前で、黒い影がゆっくりと“姿”を取っていく。
形を持ち始めた災いの影――
その正体が、ついに明かされようとしていた。