Blue Archive: Rewinding 作:Panofeed
目が覚めたのは、あれから二日後のことだったらしい。
知らない天井、そばに置いてある見舞いの果物とタブレット、ホッとしたように頬を緩ませるリン、そして経験したようもないような、指先一つすら動かせなくなるような激痛が一連の出来事が現実であったと証明していた。それくらいあまりに馬鹿馬鹿しくて突拍子もない一日だったように思う。
退院はその日のうちで、何やら神秘での急激な回復による回復痛、いわゆる成長痛と似たようなものだそうで自然に治るとのことだ。特に右手と鳩尾のあたりがひどく痛んで、未だに痺れを覚えている。
体に穴開けた人間を診るのは初めてだったから緊張したよ、と医者のロボットは言っていた。
重度の怪我を治す機会は初めてだからわからないが、一週間ほど長引くかもと、命に関わるようなケガだったんだよ?と陽気に笑いながら語る彼に少し心を救われたような気がした。
さて、そこから三日ほど経った。現在は絶賛書類と格闘している最中である。
ペーパーレスという概念はないのか、それとも以前デジタル関係で事件でもあったのか、再生紙を使って書かれた書類がそれこそ山のように積み重なっている。
たまに書類を運んできてくれるアユムに軽く会釈をしつつ、今日もいくつかミーティングがあるためそれより前に仕事を終わらせなければならない。
眠気覚ましにキッチンの棚の中にストックしてあったインスタントコーヒーを飲む。
これが中々コーヒーのような味がして上等なのだ。
『先生代理、ゲヘナ風紀委員会から本日未明の温泉開発部による爆破事件の被害証明書が届きました。対策会議は本日の午後六時半からだそうです』
「了解です。書類はリンさんにも転送しておいてください」
『わかりました。それと、リマインダーです。三時間後にヴァルキューレ警察学校局長公安局局長の尾刃カンナさんがお見えになります。又、五分後にはゲヘナ学園からの説明会及び定例報告会議がありますのでご準備を』
「分かりました。マイクをオフにして、オーディオ繋げておいてください」
超法的権限の行使、というのは学園を跨ぐ問題に干渉できる権限ではなく義務であるらしいと最近知った。
そのため、特に主要学園の定例報告会議への参加や送られてくる書類の処理がかなり膨大で忙しい限りである。
時間を見ればちょうど昼時。
残ったコーヒーを飲み干したマグカップをキッチンのシンクに入れて席を立ち、耳から聞こえてくるハキハキとした声、おそらくアコのものだろう、を聞き流し、下のコンビニへ向かう。
エレベーターで下に降り、ビルインコンビニに入る。エンジェル24、エナジードリンクと栄養ゼリーの隣に手榴弾と銃弾のお徳用パックが置かれているこの状況に慣れる日は来ないのかもしれない。
少し悩んで、『一日の栄養素これ一本!』と銘打たれた少し高めのゼリーを手に取ってレジへ向かう。
補助金と先日の一件での臨時手当はもらったが、シャーレの規模自体が小さいようで毎食コンビニのおにぎりを1個買っていては底を尽きるくらいには額が心許ない。
今後のことと体を考え、できるだけ節制しなければならないのだ。
『らっしゃっせー...All in ゼリーが一点。お会計250クレジットで〜す』
「現金でお願いします」
『お釣りが50クレジットになりまーす。あっした〜』
少し古い型番のか、声がざらついているオートマタがこの場所唯一の従業員だ。
本編で働いていたソラちゃんはいない、居なくて正解だと思っている。
チカチカと点滅する目を模したヘッドライトに見送られながら冷えたゼリーを喉へ流し込む。
ほんのりとした甘さとソーダ味だったらしい爽快感が鼻を抜ける頃、「ここまでで、何か質問はありますか?」と声が飛ぶ。
画面を見れば綺麗に整理されたノートのような手書き文字がいっぱいに広がり、学園の構造や組織の枠組みなどを明快に説明している。中々にわかりやすい。
「特にありません」
一度マイクをオンにして、そう発言してマイクを再度オフにする。
飲み終わったゼリーを捨てる頃にはすっかりサンクトゥムの管轄から抜けており、遠くの方から銃声や爆発音が聞こえる。
目的地は少し先のパン屋、獣人が営む人気店らしいというのは聞いている。
営業は夕方からだが、事前に連絡したからだろう。ドアをノックすれば中から髭をピンと伸ばした二足歩行の猫が戸を押して手招きをしてくれた。
中に入り、目的のものがはち切れんばかりに入った袋を受け取る。香ばしい小麦の香りが鼻をくすぐる。
「私たちも処理に困ってるから助かるわ、意外と人気ないのよ、パンの耳。だから貰ってくれるのはとってもありがたいわ」
「いえいえ、これだけのものを頂けるだけでとてもありがたいです。私パンの耳好きですし」
女子高生というものはパンの耳を好まないらしく、こうしてサクサクと焼き上げた上に軽くシナモンを振ったお菓子として彼女は配っているとのこと。
それでも中々減らないとSNSで見かけた時には食費が浮くと喜んだものだ。
吐き気と勘違いするほどに空いた腹には心地よい音と甘さが染み渡る。
帰り道駆け足でサンクトゥムタワーに戻りながらパンの耳を頬張る。至福の時間だ。
しかしここは生徒会の庇護外。
「おいっ!待て、お前先生だろ!有金置いてけ!じゃないと撃つぞ!」
当然こんな台詞を吐きながら、我先にとすでに銃撃を始めるような子たちにも出くわすわけで。だから走っているという部分も大きい。
風切り音が耳のそばを駆け抜け、近くの地面に当たる。
アロナバリア、と呼ばれているそれはどういう仕組みか私を銃弾から守ってくれている。
時間で回復するとはいえ上限があるからあまり使いすぎないように、とよくアロナからは言われるが、いまだにそこが見えないので頼もしい限りである。
腰のホルスターに収まったプラスチックの銃、近くの銃器ショップで一番安かった、を空いている手で少し触って、やめた。
空いた時間に少し練習はしているが、威嚇射撃もままならないだろうし、彼女たちもそんなものには慣れきっていて効果が薄い。
銃器なんて怯えられていて当然のはずなのに、なんとも不思議な感覚に襲われる。
そのままサンクトゥムタワー近辺まで逃げ切れば、舌打ちと共に彼女たちはきちんと逃げ帰ってくれた。
ここ近辺は特に規制が厳しいらしい、発砲しようものなら収容は免れないそうだ。
『...それでは、先生。なにかありますか?』
「...あっ、ええ。今朝添付した資料にある通り、現在ゲヘナ生徒による犯罪のグローバル化が問題となっており...」
オンラインではいつの間にか説明会は終わり、報告会議が始まっていた。
こちらは準備を済ませてあるので、温泉と美食についての報告と其の対策をさっさと済ませる。
歩きながら情報を共有して、どうにか部室まで戻ってくればメールが数件溜まっていた。
軽く内容を確認しつつ話を終えて、今度は簡単な書類を裁く。最近のゲヘナはトリニティの動きが活発である影響で少し荒れているらしい。トリニティとゲヘナの仲裁に関する案件が増えそうだとそう話していたのは印象的だった。
要点はあらかた拾ったつもりだが、結構聞き逃した部分も多いため後でアロナに議事録を見せてもらうとしよう。パンの耳をつまみながらそう思いを馳せる。
さて、会議が終わればゆっくりと溜まった書類を処理できる。報告書に目を通し、承認やら追及やらを...
やはりミレニアムのセミナー会長調月リオは資金を横領しているらしい、過去の資料を見ればいくつか存在しない組織に対する資金支援や、支払いが散見される。
なんなら最近は警戒を強めたためか会社を他で設立してそちらの支援という名目で幾らかを横領しているらしい。
アロナに調べてもらった限り取引そのものが存在しなかった。が、今詰めて物語が変な方向に拗れてもしょうがないのでここは目を瞑る。
ふと、パソコンを見るとモモトークの通知が来ている、ユウカさんからだ。
『こんにちは、先生。以前のシャーレ奪還作戦時の弾丸の経費について振り込みが確認できておらず、請求書はシャーレに届いているはずですが、お支払いは何時頃になりますか?』
...忘れていた。直ぐに連邦生徒会に雛形の確認をとるためメールを送る。
そして、なぜか直ぐに帰ってきたテンプレートを埋め、謝意とともに返信すれば完了だ。
時間を見れば、カンナが来るまで一時間ほど時間がある、早急な案件もない。席を立ち、ふらふらと仮眠室へ向かう。
「アロナさん、一時間後に起こしてください。緊急の案件があれば其の時に」
『了解しました、先生代理』
仕事の多さと諸事情で夜はまともに寝られていない。長方形の簡素な作りの折りたたみベッドに、ブランケットも取らずに体を放って、そのまま少しの間の惰眠を貪り尽くすのだ...
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『…生代理。尾刃カンナさんがお見えです』
「ん…わかりました。通してください」
余りに短期間の睡眠であったからだろうか、声がいつもよりガンガンと頭に響く。脳の血管が拡張しているような、そんな薄気味悪い感覚を抑えおこうと頭を支えつつ、乱れた身なりを整える。
時刻は1時間と少し過ぎていた、随分と熟睡だったらしい。仮眠室から出て窓を見れば、ふと、小さな覗き穴のようなものがあることに気がついて、床の方を見れば、何かが掠れつぶれた跡があった。
と、入り口からギィと扉が開いて現れたのは尾刃カンナその人。真顔ではあるのだが、生で見ると意外と迫力があって怖い
「ワルキューレ警察学校3年、公安局局長の尾刃カンナです」
「連邦生徒会捜査部シャーレの二代目担当顧問です。どうぞお掛けください。何か飲み物をお持ちいたしましょうか」
「では...コーヒーを一杯頂けますか?」
「丁度インスタントコーヒーが二袋余ってたんです。今淹れますので少々お待ちを」
ソファに彼女を座らせ、私はキッチンで白いマグカップを二つ手に取り、スティックを開けて中の粉を入れる。
まるで本物のコーヒーのような上品な香りが鼻をくすぐり、ケトルの電源を入れてから...ミルクと砂糖の加減を聞き忘れていたなと思い立ち、もう一度彼女へ声をかける。
「ミルクと砂糖はどうします?」
「抜きで、お願いします」
彼女もなかなかコーヒーが好きらしい、中で沸騰したお湯がカタカタとケトルを揺らすその頃にお湯をマグカップに注いで、少しスプーンでかき混ぜてから彼女の元に戻り、差し出す。
少し口角が緩みカップを傾ける彼女は、やはり年相応の子供なのだとそう痛感させられる。
豆から挽いたような香りはないが、濃厚な味わいがとてもコーヒーに似ている、なかなか質の良いインスタントコーヒーである。
「本日は、キヴォトス内各地で激化の一途を辿っているゲヘナ学園温泉開発部及び美食研究会についてお伺いを立てに参りました」
「その件に対しましては、ゲヘナ学園の風紀委員会様から明確な回答をいただいていまして」
シッテムの箱を起動し、アロナにまとめてもらった資料を差し出す。
上記二つの部活に関しては、風紀委員会の特別権限とシャーレの権限を組み合わせ何れの地区においても合法的な武力行使及び鎮圧を可能とする令状を出しキヴォトス全体に私が頒布する形になる。
鎮圧後の対応については各自治体に任せるとのこと。
「ふむ...承知しました。ワルキューレ全体にも周知させておきます」
「ありがとうございます。ゲヘナ学院の方には私から連絡を入れておきますので」
他の学園ならば周知の為直にコミュニケーションを取ればいい、トリニティならすでに地区の条例でゲヘナ廃絶を徹底している。
けれどワルキューレは管轄が曖昧かつ現在の防衛大臣であるカヤが実質的な権限を握っているためゲヘナが直々に通告すれば何かしらのトラブルが起こる可能性がある。
それを懸念して今回超法的権限を持つシャーレを噛ませているというわけだ。
かなり複雑な機構をしていると、すっかり凝り固まった眉をほぐしながら考える。
「本日はありがとうございました。では、これで失礼します」
「何かあれば、いつでもご相談ください」
提携分で彼女を見送って、二人分のコップと、ついでに朝洗ってなかったコップも洗えば書類仕事を再開せざるを得なくなる。
学園を跨ぐいざこざの詳細を整理して、重大な事故事件の書類資料を作成し、学園と企業を渡る決済書を確認し承認する作業に忙殺されるしかない。
権限とは都合のいいことだ、連邦生徒会の仕事の1割ほどはシャーレが負担している気がしてならない。
本編なら生徒が手伝いに来てくれて...なんてこともあったのかもしれないが、あいにく当番制は前任の時に消えたらしい。数学をする時間すら取れないというのはひどく悲しいものである。
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さて、そうこうしているうちに日は暮れ、壁のスイッチで電灯をつける。
どれだけ日頃から爆発があちらこちらで巻き起こり小競り合いのように銃撃戦が繰り広げられるここキヴォトスであろうと、夜景はやはり綺麗なものだ。一つ残念なのが、それを見つめる余裕がないこと。
定期的に書類交換に来るアユムの「お、お疲れ様です...」という一言がなければもうすっかりやる気などなくしてソファに寝転がっていたかもしれない。
食事という食事はここ三日間毎日あの食パンの耳とゼリーのみ、もはや空腹というものを感じにくくなってきている。
と、ドアの方からノックが聞こえる。またアユムか、それとも他の誰かか。
「どうぞ」
「失礼します、先生」
「ああ、リンさん。どうかされましたか?」
あの日から顔を合わせていなかった、リンがそこに立っていた。
少し気まずそうに目を伏せ、指先を遊ばせながらこちらの様子を伺っている。
口調はどこか他人行儀で、どんな話題を振ればいいのかなんて全くわからない。
退院後はお互い仕事が忙しかったのであまり顔を合わせる機会もなく、なんだか少し意識して距離を取ってるような、そんな感覚を覚えている真っ最中なのだ。
先日の件も有耶無耶になってしまっているから、それについてだろうか。
上着の内ポケットから財布を取り出して、クリーニング代と書かれた小さなポリ袋を渡す。
「先日はすみません、服を汚してしまって。これ、気持ち程度ですけど」
「えっ、いや、受け取れませんよ!只でさえ助けてもらってばかりだというのに...」
「いやいや、こちらこそお世話になりっぱなしで...」
と言った押し問答を少しだけ繰り返し、お互いが少し疲れたところで閑話休題。
手持ち無沙汰でお互い指を組みながら、机を挟み座っている。
訪ねてきた理由に心当たりなどないがために、彼女が口を開くのを待つばかりである。
と、彼女は少し申し訳なさそうに、俯き加減で口を開いた。
「仕事の方は、慣れましたか?」
「ええ。なかなかトラブルが多くて苦戦してはいますけれど」
少し笑って、そう答える。呆れるほどに膨大な仕事量をこなしていれば否が応でも慣れてしまうものだ。その作業でさえトラブルや緊急の書類により潰されることがある。
部員が一人もいないためにトラブル解決に力を貸せないのが歯がゆい、いくら日常的に爆発が起こって入ろうとここまではないだろ言うとたかを括っていたのが間違いだった。
「それでですが先生、私がここに訪ねた理由もまた先日の件が関係しているのです」
「成程」
目を逸らし、平然を装いつつも少し恥ずかしげに彼女は口元をもじもじと遊ばせ、指先を交差させ続ける。
そうして刹那の後、彼女は極めて事務的に、厳かに口を開く。
けれど、彼女の頬には確かに血が通っていた。
「先日のお礼と就任祝いも兼ねて、どこかで御食事に行きませんか。嫌なら構いませんが、良いイタリアンの店を知っています」
そう言い切ると、彼女は少し顔を緊張させた。
相当勇気がいる行動だったのだろう、緊張した面持ちでこちらの返事を伺うこともせず顔を伏せる。
そうか、そうだったのか。
彼女は私との距離を測り兼ねていて、それは私もそうで。こんなに近くにいたのだ、彼女は。少し面白くなってしまってつい、笑いが溢れて止まらなくなってしまう。
「な、なにが可笑しいのですか!?」
「いや、すみません。つい自分の馬鹿さ加減に嫌気が差しまして。もちろんですとも、喜んで」
そうしてしばらく笑い呆けていると、向こうも無性におかしくなったのか手の甲で口元を隠し口元をピクピクさせながら前屈みになる。
そんな状態がしばらく続いて、彼女にハンカチを差し出した頃にやっと収まった。霧が晴れたような、そんな感覚が私の中には残っている。
「改めて...よろしくお願いしますね?先生」
「こちらこそよろしくお願いします、七神リンさん」
握手を交わし、職場に戻る彼女を見送れば、胸の不安感も、ほんのりとした眠気も全てが泡のように消えていた。