ここだけ病弱コハル   作:匿名さん

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閑話:古書館の魔術師

 

トリニティの古書館は薄暗い。希少な本の劣化を避けるため、常に照明の光が絞られているためだ。

大きな本棚に詰め込まれた本の数々。そのどれもが、トリニティの歴史的に貴重な資料となっており、一般の閲覧には制限がかかっているものも多い。

そんな本に囲まれた空間の一角。どういう用途で使うのか想像もつかない道具がいくつも置かれた作業机の上に、一冊の本を広げる少女が一人。

 

「……ふぅ。こんなものですかね」

 

誰ともなく独り言を吐き、息をついて椅子にもたれかかる、丸メガネをかけた少女。目線の先にある本は、新品同然。しかし、つい数日前まではボロボロにやつれた状態であった。

 

「この子はこれで大丈夫。……しかし、思ったより時間を食いましたね。今何時でしょうか」

 

まるで我が子を愛でるように、愛おしげに本の表紙をさする少女の名は、古関ウイ。

『古書館の魔術師』の異名を持つ、書物修繕のエキスパートにして、図書委員会委員長であった。

 

 

 

「あー。もう朝でしたか……ここにいると時間間隔が狂ってしまいますね。いつものことですが」

 

作業机に置かれた、古書館のイメージにはそぐわないデジタル時計を眺めながら、ウイは独り言葉を紡ぐ。性格と役職の関係上、ほとんど外との関係を絶っているウイは、こうして独り言をつぶやく癖があった。

 

「しかし、今日は……そうですか。あの人の試験日ですね……」

 

どっこいしょと声を上げて重たい腰を持ち上げたウイは、そのまま歩いて壁際に向かう。本棚の間に隠れるように設置された、小さな化粧台。ウイ自身はまず買わないような、縁のない代物を見つめていると、鏡に写った自分が笑いかけてくる。

 

「まあ、貴方なら大丈夫でしょう。コハルさん」

 

そう独白しながら、化粧台の縁をなぞり、一人の少女の姿を脳裏に思い浮かべる。あの日のことは、いつでも思い出すことができた。

 

 

 

「うへぇあ……」

 

炎天下。トリニティの市街地。……からちょっと外れた、小さな広場のベンチにて、干物が一匹天日干しされていた。

 

「し、失敗しました……日傘を置いてくるなんて……古本市の会場が地下にあるとはいえ、なんて無様を……」

 

干物改め古関ウイは、古本市のために滅多にしない外出を行っていた。もともと尋常じゃない本好きが高じて図書委員会の委員長にまでなった身である。希少な本があるかもしれないため、トリニティの古本市にはいつも重たい腰を上げていたのだが。

この夏の炎天下の中、まさかの日傘を忘れるというポカをやらかした。気づいたときには最寄りの駅についてしまっていたため、会場までは気合いで向かったのだが、帰りのことはまるで考えていなかったのである。

結果、夏の日差しの暴力に敗北し、こうして木陰にあるベンチで休んでいるのであった。

 

しかし暑い。体感温度では40度を超えているのではないだろうか。まあ流石にそんなはずはないだろうが。

 

「こんな暑い日にわざわざ外出する、『外』の人たちの気がしれませんね……」

 

今まさに外出している自分のことは棚上げして毒を吐くウイ。彼女はその性格から、他者に対して壁を作るタイプの人間だった。人との関係なんて煩わしい、本さえあればそれでいい。

そうやって、他者に理解されることを諦めて生きてきたのだ。

 

「それにしても、郊外の外れにあるとはいえ、割と人がいますね……ん?」

 

あたりを見回すと、何人かの子どもが炎天下の中遊び回っている。子供の体力はすごいですね……と思いながら隣のベンチを見ると、一人の少女が本を読んでいるのが見えた。

 

あの制服は、正義実現委員会だろうか。特有の黒い制服に身を包んだ、おそらく身長150もないだろう小柄な少女。珍しいことに、腰の他に頭にも翼が生えているようで、ピンクの髪に紛れて黒い羽が時折羽ばたいている。ベンチに座っているせいで余計に小さく見えてしまうその膝の上に、一冊の本が広げられていた。その隣にはまた別の本が広げられている。あれは……古代語の辞書か? 興味を持ったウイはつい少女の本を覗き込んでしまう。少女は集中しているのか、ウイに気づいた様子はない。

 

「……『変身物語』?」

 

「え?」

 

「あ……」

 

つい言葉に出してしまったウイに、少女が気づいて振り向いた。

 

「へぁあ! す、すいません……急に声をかけてしまって。知っているタイトルの子だったのでつい……すぐ離れますので、あとはご自由に……」

 

「あ、ま、待ってください!」

 

すぐさま踵を返し、古本市で入手した子たちを抱えて去ろうとしたウイを少女が呼び止めた。その手には先ほどまで読まれていた古代語の名著『変身物語』。

 

「もしかして、この本。読んだ経験がお有りなんですか?」

 

「……へ? あ、はい……多少は……」

 

これが、古関ウイと少女――下江コハルの出会いだった。

 

 

 

「……たまには、外出してみるのもいいものですね」

 

くすっと笑いながら、ウイは化粧台を見つめる。

 

「ウイ先輩はもっとお体を大事にしないと。せっかく健康な体に生まれたんだから、せめて髪くらいは整えて上げてください」

 

そう言って彼女が譲ってきた化粧台は、小さいがしっかりした作りのもので、彼女の体の事情を考えるといくらウイでも断りきれず貰ってしまった代物である。そう使わないだろうと当所は思っていたが……気づけば毎日鏡を見てしまうほどに、ウイはこれを気に入っていた。

 

「彼女が借りた本は……確か、明日が返却期限でしたね」

 

しっかりした彼女のことだ。おそらく今日、体調がよければ試験が終わった後に返しに来るだろう。基本的に古書館から出ることのないウイにとって、コハルに会える数少ないチャンスだ。

しかし……鏡に写ったウイは眉をひそめている。

 

「解せないのはティーパーティー……。規則とはいえ、いきなり補習授業部にコハルさんを放り込むとは、どういう了見なのか……」

 

下江コハルは先日の試験を体調不良で欠席した。その結果試験は無得点となった。ここまではいい。彼女の状態では体調をコントロールしきるのは至難の業だし、無得点扱いは規則でそうなっている以上仕方のないことだ。

 

だが、それでいきなり補習授業部に突っ込まれるのはわけがわからない。噂のシャーレの権限が混ざっているとはいえ、強引にもほどがある。

知った時には心配で、滅多にしない電話までかけてしまった。本人は「仕方のないことですから……」と納得した様子だったが、ウイは違う。

 

「あまり上のゴタゴタには首を突っ込みたくないのですが……少し探りを入れてみますか」

 

補習授業部に入れられた本人をよそに、トリニティの水面下では、既に暗闘が始まりかけていた。

 

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