ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
【ハナコは悪くないよ】
先生は、私にそう言ってくれました。
……本当に、そうでしょうか。アズサちゃんは咄嗟に止めようと声をかけました。ヒフミちゃんは自ら動いてコハルちゃんを鎮めてくれました。
では、私は?
【今回のは事故だから。突然のことだったし、ハナコが動けなくなるのも仕方がないよ】
……仕方なくなど、ないのです。以前の事件を引き起こしてから、私はずっと心に決めていました。次にコハルちゃんが発作を起こしたら、すぐに助けようと。それが、罪滅ぼしになるだろうと。
でも、実際は……動くことが、できませんでした。あの日の光景が、正義実現委員会の子の言葉がリフレインして、ただ呆然と。
――これでコハルちゃんに何かあったら……全部貴方のせいよ!
私は……コハルちゃんの友だち、失格です。
合宿所の廊下には、静寂が満ちていた。
静かに私を見つめる、羽川ハスミさん。
腰が引けながらも心配そうに私を見る、ヒフミちゃん。
警戒しているアズサちゃん。
「……驚きました。正義実現委員会副委員長自ら、わざわざやって来るとは……条約前でお忙しいのでは?」
機先を制するため、先に私から口を開いた。イニシアチブを握るためなのもある。が、それ以上に……私から喋らないと、彼女の圧力に押し負けてしまいそうだったからだ。
それだけ、今の彼女は煮えたぎっているように見えた。
「大切な後輩の見舞いをする時間くらい作れます。……その子が発作を起こしたと聞いたなら、尚更です」
返事のトーンは、かなり低かった。
ヒフミちゃんが空気に堪えられず、ビクリと身を震わせるのが見える。
しかし意外だ。羽川ハスミは一度怒り出すと手がつけられなくなると聞いていたのだが……
「――意外ですか? 私が暴れ出さないのが」
!? 読まれた……いや、声に出ていた?
「……もしかして、声に出ていましたか?」
「いいえ。ですが貴方の表情だけでわかります。今の貴方が、それだけわかりやすいということです。……話を戻すと、私がここで貴方に銃を突きつけないのは、以前の件が既に当事者間で解決しているからです。コハルが許している以上、私がそこをつつき続けるのはお門違いというものです」
それがなければ、ここで後輩の命を脅かされたぶんは返していました。
そういい切ったハスミさんに、表情に見せないよう努めながらも驚く。
彼女は正義実現委員会の副委員長。治安維持組織の幹部格が、個人的に報復に動くなど、本来許されることではない。仮に実行した場合、彼女は確実に今の立場を失うだろう。
だが、今の言葉からは嘘が感じられなかった。……そこまで、コハルちゃんを大事に思っているということか。今の立場と引き換えられるほどに。
「……ですが。貴方に会ったなら言いたいことがありました。――コハルと友だちになったそうですね?」
……そ、れは……
「あの子が話してくれました。それはもう嬉しそうに。貴方の挙動不審な様子も含めて、可愛らしい友人だと。……私には、とてもそうは思えませんが」
フンと、ハスミさんは鼻を鳴らした。その目に映るのは、私に対する猜疑心。
「貴方の過去は知っています、浦和ハナコさん。あれ以来調べましたから。……かつては、成績優秀、品行方正で、キヴォトス1の『神童』とすら称えられていたようですね。ですが……突然信じられないほどに成績が低下し、例の奇行が目立つようになった。――はっきり言いましょう。私は、貴方を信頼できません。まるで周囲を試すような、ともすれば馬鹿にするかのような言動をとる貴方は」
そんな人間に、大切な後輩が命を脅かされ、その上友人だと嘯くのです。どうして安心できましょう。
ぽたり、とハスミさんの右手から血が滴り落ちた。
「ハ、ハスミさん! それは言い過ぎです!」
ヒフミちゃんが怯えを振り払い、それはそれは大きな声を上げた。ああ、ヒフミちゃん……今のハスミさんは恐ろしいだろうに、それでも声を上げてくれるなんて、貴方は本当に優しい人だ。
「ハナコちゃんは確かにコハルちゃんに危害を加えてしまいました……! でも、それをずっと後悔して「ヒフミちゃん、いいんです」……うぇっ?」
私を擁護してくれるヒフミちゃんを遮って、ハスミさんと真正面から相対する。……相当な威圧感だ。正義実現委員会の戦力はどうしてもツルギ委員長に目がいってしまうところがあるが、彼女もかなりの実力者だ。正義実現委員会副委員長の肩書は伊達ではないということか。
「確かに、私は周囲を試すような言動をしていました。その上で、コハルちゃんを傷つけた。命を奪いかけた。……全て事実です。おっしゃる通り、返す言葉もありません……ですが」
瞼を閉じれば、浮かぶのはあの日の光景。走るのも辛い体で私に駆け寄り、手を差し伸べてくれた、確かな記憶。
――どうか、私の友達になってくれませんか?
「――私が、コハルちゃんから友だちになろうと手を差し伸べられた事実は、疑われても変わりません」
私がどれだけ人に疑われようと。虚飾を並べ立てようと。これだけは、幾星霜経っても変わらない事実だ。
「いけしゃあしゃあと……!!」
バサッ! と黒い翼が開き、ハスミさんが気炎を吐く。人より大柄な体が何倍にも大きくなって見えた。――そういえば、翼を広げて威嚇するのは一部の鳥の習性であったなと、どうでもいいことが頭に浮かんだ。
アズサちゃんが素早く反応して銃を構えるのが視界の端に映る。
「コハルの友人面をすると言うなら、今回貴方は何をしていましたか!? 先生から聞きましたが、アズサさんはコハルを止めようとし、ヒフミさんは実際に止めてくれました! ――では貴方は? 貴方は何をしていたと言うのですか!」
「それは……」
「何もしなかった分際で! 都合よくコハルの友人を名乗るのならば! そのようなことをするなら、これ以上コハルが傷つく前に……!」
――そこまでだよ、ハスミ。
ポンと、ハスミさんの肩に手が置かれた。同時に、ハスミさんと同じくらいの背丈を持つ体が、私とハスミさんの間に滑り込む。
【ハスミ。君が悪いとは言わない。コハルのことを大事に思っていることもわかった。ただ、これ以上はやり過ぎだよ。何より……このことを聞いたら、コハルが悲しむ】
大事な後輩を泣かせていいのかい?
先生の表情は、私からは背中しか見えないためわからない。ただ、酷く真剣な雰囲気だけは、その背中から伝わってきた。
沈黙が辺りを包む。息を荒げるハスミさん、それを見つめる先生。
「……はぁ……はぁ……ふぅ。――いいでしょう」
やがて息を整えたハスミさんが、とても納得したようには思えないトーンで口火を切った。
「もともとコハルの友人関係はコハル自身が定めること。私が口出しするのは少々問題がありました。それは認めましょう。……ですが、今後も彼女の友人を名乗ると言うなら、これからの行動で示して頂きましょうか」
広がっていた翼が折り畳まれ、ハスミさんは憮然とした表情で歩き出した。合宿所を出るため、必然的に私たちとすれ違う。
「私は、貴方を見ていますよ――次は、ありません」
その刹那、耳元で囁かれた声に、私は必死に身震いを抑え込んだ。
「あ、あんなに怒っているハスミさんは初めて見ました……」
ヒフミちゃんが戦々恐々としながら背後を……たった今、ハスミさんが去っていった方を見送る。
【……ハスミがごめんね、ハナコ。普段はあんなにも辛辣な子じゃないんだ】
「存じ上げています、先生。ハスミさんの怒りは正当なものです。実際、私が成績を落とし奇行に耽っていたのは事実。かつて、天才だのと持て囃されていたのもまた、事実です。……ハスミさんから信用されないのも、致し方ありません」
「ハナコ……」
心配そうに私を見つめるアズサちゃんに、精一杯の虚飾を浮かべる。大丈夫、いつもやってきたことだ。
「大丈夫です。私のことを友人だと、他ならぬコハルちゃんが言ってくれたのですから。それに恥じないようにするまでです」
――あの醜態で、友人を名乗るのはおこがましい。私自身がそう思っていることには蓋をして。
「ハナコちゃん……そんな痛々しい笑顔じゃ、何も誤魔化せませんよ……」
ヒフミちゃんが小さく呟いた言葉は私の耳に届かず、空気に溶けるかのように消えていった。
「ごめんなさい、みんな。また迷惑をかけちゃって……」
「い、いえいえ! 気にしないでくださいコハルちゃん! 私にできることをしたまでですので……」
「私も気にしてないから、大丈夫」
その日の夜。寝室に皆が集まったタイミングで、私は開口一番から謝罪した。ヒフミ先輩とアズサがそれに対して優しい言葉をかけてくれる。うう……罪悪感。
今回の発作は完全に自業自得。参考書の中身を確認せずに持ってきてしまった私のミスだ。
「――だからハナコ。ハスミ先輩の言うことは、あんまり気にしないで。とても尊敬できる先輩だけど、私のことになるとちょっとだけ過剰になるところがあるから……ごめんね」
「! ……聞こえていたんですね」
うん。ここそこまで壁が厚くないから、あそこまで大きな声だと筒抜けだった。
ハスミ先輩……普段は本当に尊敬する、私の憧れの先輩なんだけれど、どうにも感情が昂ると暴走しがちな人でもある。お茶目さんということで許してあげて欲しい。
この前も、確かゲヘナとの条約前の調整で【万魔殿】(パンデモニウム・ソサエティ)に向かって……帰ってきたらすんごく荒れてた。思わず私が抱きしめて落ち着かせないといけないくらいには荒れてた。普段と立場が逆でなんか新鮮だった。
ま、まあ、普段気にしてる体格いじりをされたみたいだし、仕方ないのかもしれない。……なんか小学生のいじり方みたいなことしてくるんだ、万魔殿って。"あの子"の話でも風紀委員会(というよりは風紀委員長個人)よりナメられてるみたいだし、組織として大丈夫なのかな……。
「……私は大丈夫ですよ、コハルちゃん。今の状況は、ある意味、私の自業自得でもありますので。……それよりも、心配なのはコハルちゃんの体調です。大丈夫ですか?」
「う、うん。今は平気。ちょっと体がだるいけど……」
発作を起こした後だから、こればかりはもう仕方がない。そこまで重度のものじゃないから体調不良も長続きするものではないだろう。……2次試験に体調不良が重ならないといいんだけど、そこはもう祈るしかない。お願いだからもってよ、私の体。
「そうですか……ですが、無理は禁物です。今日は早めに寝たほうがいいですね」
「うん。……あっ、そうだ。その前に……アズサ、ちょっとこっちに来てくれる?」
「ん? 私?」
ちょいちょいと手招きすると、私が寝ているベッドまでてててと走り寄ってくるアズサ。……ちょっとかわいい。
無防備に近寄ってきたところを……てりゃ! 確保! 腕で抱き込んで捕獲する。あ、アズサの体温結構あったかい……。
「こ、コハル? 急にどうした? 寂しくなったのか?」
「ん? いや寂しいとかじゃなくてね、行動事態はただのノリ。……これ、なーんだ?」
心配そうに私の顔を覗き込んでくるアズサにそう返しつつ、手に持ったものを見せる。
「……櫛?」
「そう! ……朝、約束したでしょ?」
「朝……? ! ああ、あの時の……」
いろいろあってすっかり頭から飛んでいたようだが、思い出したのかアズサの顔にも理解の色が浮かんだ。
「そうそれ。……羽繕い、してあげるね」
ふわふわしてる。
アズサの羽を触った時の第一印象がそれだった。いやまあ羽毛の塊だから当たり前と言えば当たり前なんだけど、それを加味してもすっごく手触りがいい。ぶっちゃけ櫛を通さなくてもいいんじゃないかってくらい既に綺麗だ。ゴミが付いている様子もない。
「……これ、抜け羽集めて枕にしたらよく眠れそう」
「……考えたことなかった。そんなにいいの? その、私の、羽……」
「うん。ふわふわ……」
私の膝の上で、背中を向けてモジモジしてるアズサを尻目に、私は彼女の羽に指を通す。しかし本当に手触りがいい。ずっと触っていられそう。モミモミ……モミモミ。
「……あ、あの。コハル……ずっとそうされてると、その……変な感じが……」
「……ん? あ、ごめんね! 手触りが良くてつい……! す、すぐやるから!」
我を忘れてモフり続けてると、アズサから消え入るような声で注意が飛んできた。しまった、やりすぎた。
慌てて櫛を掴んで体勢を整える。
「……じゃあ、いれるよ? そんなに力まなくていいから、力抜いて」
「了解した。……んっ」
少し脱力した様子のアズサの羽に、櫛を通す。ふわふわの羽はほとんど抵抗なく櫛の歯を受け入れた。そのまま羽の生えている流れに沿って櫛を滑らせる。
「……ふわぁ」
なんとも言えない声がアズサから漏れた。
「気持ちいい?」
「……うん。……なんか、安心、する……」
「……そっか」
力が抜けてもたれかかってくるアズサをどうにか支えつつ、その翼に櫛を通し続ける。もともと真っ白で汚れ一つない羽は、櫛を通す度にツヤツヤとした輝きを纏っていく。保湿用に特殊な油が入ってるからそのせいだ。
「……ふふふ。なんだか微笑ましい光景ですね。ね、ハナコちゃ……」
「――(GAME OVER……)」
「ハナコちゃん!? 妙な効果音鳴らしながら四散しないでくださいハナコちゃん!!」
「……これは、救護したほうがいいんですかね?」
「眠かったら、寝てもいいからね?」
「うん……なんだか、こっちに来てからずっと、楽園を見つけた気分だ……」
「……楽園?」
ウトウトした様子のアズサは、コクリと頷きを返してから言葉を続けた。
「うん。キヴォトスに伝わる第5の『古則』……」
「……『楽園にたどり着きし者の真実を、証明することはできるのか』……だっけ? 古書館の本で見たことある」
本当ウイ先輩様様だ。あの人が特別に許可をくれたからこそ、一般には公開されていない古書館の本を閲覧できているのだから。図書委員会とは無関係の私に閲覧許可を与えられるなんて、図書委員会委員長の権限ってすごい。
閑話休題。『古則』とは、このキヴォトスに古くから伝わる7つの……まあ、命題、とでも言おうか。今話に出てきたのはその5番目。
――『楽園にたどり着きし者の真実を、証明することはできるのか』
私から言わせると結構ナンセンスな命題だと思うんだけど、まあ昔の言葉だから仕方ないのかも。
私の所感は今重要じゃないから置いておいて、説明するとこれは、この世に楽園(エデン)が本当にあると仮定して、例えそれを探して見つけだしたとしても、その発見者は楽園から出てこないから結局楽園の存在証明も発見者の発見証明もできないよね? どうやって楽園があると証明するの? っていう話。要するに禅問答みたいなものね。
正直知っている人の少ない話だから、アズサの口からこれが飛び出したことにちょっと驚いたんだけど……。
「知っていたんだな……流石は、コハルだ……楽園の発見者が、楽園から出てこない……というのは、最初に聞いたときどうなんだと思ったが……今となっては、わかる。……これは、抜け出せない」
自分の翼のようにふわふわとした心地でそう告げるアズサ。……こんなことで楽園認定してたら、この世の大体が楽園になると思う。でも、この発言の裏、アズサの背景を思うと……何も言えない。
私にできることと言ったら、ただ少しでもアズサが楽になれるように、櫛を動かすことだけだった。
「アズサちゃん……その古則を、どこで……」
「あ、人に戻ったんですねハナコちゃん。おかえりなさい」
その時、横で何やら騒いでいたハナコが急にアズサに話しかけてきた。なんか慣れきってる反応のヒフミ先輩は置いといて……まあ、確かにキヴォトスの古則なんてそうそう聞く言葉じゃない。出どころが気になるのは仕方ないかも。私の推測が正しいのなら、あまり突かないであげてほしいけれど……
「まさか、"セイアちゃん"に会ったことがあるんですか!?」
……セイ、ア? ……ティーパーティーの、一人。サンクトゥス派の代表……違う。そんな一般的な知識じゃなく、何処か別で、聞いたことがあるような……
――『コハル。君は、第5の古則についてどう思う?』
そう。ちょうどこの古則について聞かれたことがある気が……
「セイアって、ティーパーティーの方でしたよね……」
「『百合園セイア』様。本来のティーパーティーホストの方ですね! お体が悪いので今はナギサ様が代行されてますが……」
脳裏に浮かびかけた何かは、周囲の喧騒にかき消されて何処かへと消えていった。
「……いや。わからない。この話は、どこかで聞いたことがあるだけで……」
アズサは少し考えたあと、ハナコに対してそう言った。……まあ、古則なんてその"セイアちゃん"以外も知ってる人は居るだろうし。ってことで納得してくれないだろうか、ハナコ。……それとも、もしかして本当にその"セイアちゃん"に会ったことがあるのかしら。……いや、やめろ私。疑わしきは罰せずだって言ったでしょ。
「……。そうでしたか。そういえばアズサちゃんは転校生、でしたね。……『vanitas vanitatum, et omnia vanitas』……ということは……」
ハナコはブツブツとつぶやきながらも、アズサを凝視していた。……正確には、その肩のエンブレムを。あ、これはまずい。アズサが隠してる秘密に気がついたかも。私と同じ推測に達したかもしれない。
「え、えっと! もう遅いから、そろそろ寝ましょうか! 私も腕が疲れてきたし……」
「コハルちゃん……? ……いえ、確かに、そのとおりです。もう遅いですし、寝たほうがいいでしょう。――では、今日も一日お疲れ様でした」
「……うん。そうだな。ありがとうコハル。とても気持ちよかった」
「それはよかった。またやってあげるから、いつでも言ってね」
なんとか解散の流れまで持って行けて、私は一人安堵していた。……ハナコが私と同じ推測、『アズサがアリウス分派の生き残りで、そこから転校してきた』ことに気づいたとして。ここでそれを詰問されていたら、どう考えてもいい方向には行かない気がした。だから強引にでも話を終わらせたのだ。正直アリウス分派の背景を考えると、アズサを放置するのはろくなことではないんだけど……もしあの子がトリニティに害をなす気ならば、もっと狡猾に立ち回る気がするのだ。
あの子なら、きっといつか秘密を明かしてくれる。それまでは、待ってあげたい。