ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
「――連絡はつきましたか?」
「はい。言われた通り、私が声をかけられるところには声をかけました。皆さんコハルさんのことは心配してますから、有事の際はすぐ動いてくれると思います。……でも、本当に起きるんですか?」
「何も起きなければそれで結構。コハルさんが無事にテストを通過できれば、それに越したことはありません。……ですが、そうはならないでしょうね」
「そうはならないって……」
「……ここだけの話ですよ、シミコ。――ティーパーティーは、はじめからテストに合格させる気がありません」
「……は? ……そ、そんなバカな話が!?」
「あるんですよ。今のティーパーティー……桐藤ナギサは、彼女たちをまとめて退学させるつもりです。妨害手段は、おそらくですがテストの条件から弄ってくる可能性が最も高い。前日になって急に試験範囲を変更する……あるいは、時間と場所を変えてそもそも受けさせない、なんてことも考えられます。時間帯を夜間にでも指定すれば、まずコハルさんは受けられませんから」
「そんな……一体、コハルさんが何をしたと言うんですか……!!」
「……ある程度推測はできますが、ふざけた話ですよ。本当に。これだから政治屋のやることは……ふぅ。だからこそ、私たちのすべきことはシンプルです。――コハルさんたちをサポートします。車の準備をしておくよう言っておいてください。移動手段は確実に必要になるでしょうから。他の方にも、情報共有を密に」
「分かりました。スイーツ部の皆さんと自警団の方々にはそうお伝えしておきます」
「頼みましたよ。……あとはコハルさんの体調次第なんですが……合宿所にいてこちらの目が届かないのが難点ですね」
「一応、今日マリーさんが用事もあって向かわれるそうなので、ついでにコハルさんの様子も見てほしいとお願いしましたが……」
「それでも確実とは言えません。今は無事でも容態が急変することも考えられますから。……はぁ。もろもろ後手に回らざるを得ないのが癪に障りますが……」
「そう何事も思い通りになるとは思わないことです。――吠え面かかせてやりますよ、ティーパーティー」
私が合宿所に戻った時には、既に今日の分の補修はあらかた進められていたようだった。
「あ、先生!」
【遅れてごめん。皆調子はどう?】
「いえいえ……あ、こちら今日の皆さんの模試の結果なんですが……」
見てください、とテスト用紙を突き出され、受け取って結果を見る。
浦和ハナコ――100点
白洲アズサ――62点
下江コハル――82点
阿慈谷ヒフミ――76点
【これは……】
「全員合格圏内に入ることができました! アズサちゃんもギリギリですが、今度は手が届きましたよ!」
まるで我が事のように嬉しそうなヒフミ。実際、この模試を作り始めたのは彼女だ。その努力が実を結んだのだ、喜びもひとしおだろう。
「……紙一重だった」
「はい! 本当に紙一重ですが、それでも合格ですよアズサちゃん! 良く頑張りましたね!」
ぐっと拳を握りしめて心なしか嬉しそうなアズサを褒めるヒフミ。一番最初は何もわからなかったのが、一次試験ではギリギリまで食らいつき、こうして今合格圏内まで達した。本当に良く頑張ったと思う。
勿論頑張ったのはアズサだけではない。満点という驚異的な点数を叩き出しているハナコや、最初の試験のような満点でこそないが、高得点を維持しているコハルも良く頑張ってくれている。
「やったね、アズサ! 今までの努力が形になってる。この調子で本番もやれれば大丈夫だから、引き続き頑張ろうね」
その頑張っている一人、コハルもまた、アズサに対してパチパチと軽く拍手をしながら褒めていた。同学年として同じ試験を受ける都合上、彼女がアズサの先生役を務めることが多かった。いわば師匠のようなポジションにいたわけだ。教え子の成長が喜ばしいのは、似たような立場にいる分よくわかる。
――ただ、少し引っかかることがある。
手元の試験用紙に視線を落とす。大半のマルと、少しのバツ。それが刻まれた試験用紙には、82点の点数と、下江コハルの名が書かれている。
一次試験は満点だった。その次、1回目の模試が88点。そして今回、2回目の模試が82点。少しずつだが、点数が落ちてきている。ただのケアレスミスというなら、それはそれでいい。私の考えすぎで話は終わる。だが……バツのついた解答。それが全て、模試の後半の問題であることが、なんだか気にかかるのだ。後半に行くほど問題が難しくなるとは言え――もしかして、今のコハルは割と不調で、テスト後半まで集中が持たなくなっているのではなかろうか。
思わずコハルを見つめると、向こうも気づいたのか、アズサを撫でる手を止めて不思議そうに首を傾げた。
「……? 先生?」
【……いや、なんでもないよ。急に見つめてごめんね】
「大丈夫ですけど……」
あれ? もしかして寝癖でも残ってる?
そう言って自分の頭を触りだすコハルに、「髪が乱れてるようには見えませんが……」とヒフミが声を掛ける。
……ここでコハルの体調について問うと、周囲の反応が過剰になる可能性が高い。ましてやつい昨日、軽くとは言え発作を起こしたばかりだ。テストの点数にそれが影響していないとは言えない。
ただ幸いなことに、今ここにはコハルの体調に関してスペシャリストがいる。含むものを視線に乗せて彼女に目を向けると、察してくれたのか彼女――ハナエはコクリと、小さくだが確かに頷いた。後で少し時間をもらおう。
【ハナコも満点だし、本当に良く頑張ったね。お疲れ様】
「……ありがとうございます、先生」
ハナコは笑って礼を言ってきた。……点数を褒められたその一瞬、ものすごく複雑そうな顔をしていたが……まるで、成績について持ち上げられることにうんざりしているように見えた。
ハスミの話では、ハナコはトリニティ始まって以来の天才という話だった。ミカも彼女をすごく優秀と評していた。しかし、ある日から突然成績が極端に落ち、落第寸前まで至ったという。結果として、ナギサに疑いをかけられたのもあり補習授業部に来たわけだが……一次試験の時といい、模試の結果といい、やはり成績は意図して落としていたのだろう。一次試験で名前を書かなかったのは、コハルとの一件で既に自身の優秀さを吐露してしまって、点数調整の言い訳がつかなくなったが故の苦肉の策か。加えて今の反応……推測になるが、恐らく的を射ているはずだ。――彼女は優秀すぎるが故に、周囲との人間関係に疲れてしまったのではなかろうか。だからわざと成績を落として周囲の期待を裏切り、痴女染みた奇行に走って人を遠ざけた。
当初の彼女の目標は、恐らく『退学』になること。今必死になってヒフミが回避しようとしていることこそ、彼女の本来の目的と合致しているとは皮肉なものだ。今、こうしてハナコが点数を調整することなく模試を受けているのも含めて。最も、ハナコはそれを知らないわけだが。
それもこれも、コハルとの一件がなければ、彼女は今も奇行に走り、成績を偽って落第しようとしていたのではなかろうか。
ただこれは、私が軽々しく触れていいことではないな。
今までのやりとりで確信したが、ハナコはかなりデリケートなメンタルをしている。しかも今、それはかなり揺らいでしまっているようだ。ハスミが言っていたように、表情を隠す事が下手になっている。今さっき、私に成績を褒められて複雑な顔をしたのがその証拠だ。コハルとの一件、それからハスミの釘刺しがかなり効いているようだ。そんな状態の彼女に、悪戯に刺激を加えたくない。
それに……これは完全に勘だが、彼女については私が口を出す必要はないと思う。何故なら、彼女がいるのだから。
「……? ??? 先生? 私がどうかしましたか……?」
【……いや、なんでもないよ。何度もごめんね】
疑問符を大量に浮かべて困惑するコハルに謝りつつ、考える。今ハナコは一人じゃない。補習授業部の皆が、何より――友達が、コハルがいる。どんな理由があろうとも、彼女がハナコを見捨てるとは到底思えない。例えハナコが当のコハルに負い目を感じているのだとしても、彼女なら、時間をかければきっと……。
「あ、あはは……なにはともあれ、全員目標圏内には到達しました。あとは、これを本番までに維持するだけです! 皆さん、後一踏ん張り、頑張りましょう!」
「了解した。この調子で2次試験も突破して、必ずやペロロ様グッズを手に入れてみせる。それが今、私がここにいる理由で、戦う目的だ……!」
「え、えーと、アズサちゃん? 私たちがここにいる理由は試験と勉強のためであって、目的は落第を免れることですよ!? いつの間に挿げ変わって……」
「ああ、そういえばそんなこともあった気がするな。ついでにそれもやっておこう」
「『ついで』!? ついでなんですか!? あ、あうぅ……モモフレンズファンとしては嬉しいんですが……」
「見事に目的が入れ替わっちゃってる……ま、まあどんな形にしろ、やる気が出るのはいいことだから。ね、アズサ」
「うん。私はやってみせるぞ、コハル……!」
「……(アズサちゃんをフォローするコハルちゃんも可愛いですね。羽が連動してパタパタ動いて……まあコハルちゃんは何をしていても可愛いんですが。……間違ってもこの思考は表に出さないようにしなければ。気持ち悪がられたら死にます、私が)」
ふんすと息巻くアズサに、困惑するヒフミ。それを見てフォローを入れるコハルに、少し遠目でその様子を見ているハナコ。……何故だろう。無言のはずなのに、何故かハナコが何を考えているか分かる気がする。笑顔の仮面の下から何か滲み出ている。――うん、言わないでおこう。ハナコが知ったらまた窓から身投げする気がする。
と、そんな折だった。ピンポーンと、玄関チャイムの音が鳴り響いた。
「……? 今の音は……」
「……どなたかいらっしゃったみたいですね」
「来客? 態々この合宿所まで来るなんて、一体誰が……?」
困惑する一同。そこに、来客であろう人物の声が投げかけられる。
「し、失礼致します……!」
私も聞き覚えがあるその声に、2人の人間が反応した。
「あら、この声は……」
「もしかして――マリーさん?」
どうやら知り合いらしいハナコとコハルがそれぞれの反応を示す中、アズサは飄々とした様子で口を開いた。
「侵入者か。大丈夫、準備はできてる」
「……え? 準備ってまさか……」
「ア、アズサちゃん?」
嫌な予感を覚えたのか、コハルが何か感づいたのと、ヒフミが困惑して声を掛けるのと――何かが爆発する音が聞こえてきたのは、ほとんど同時だった。
「――きゃあっ!?」
「ブービートラップだ。誰かの侵入を感知したら起動するようにしておいた」
「ア、アズサちゃん!?」
「いつの間にそんなものを……」
開いた口が塞がらないといった様子のヒフミ。その横で、コハルが目も当てられないと言わんばかりに手を目元に当てている。なんなら頭の羽根すらそれに追随してすっかり目元を覆い隠していた。
「こ、これは一体……? え、あ、こっちにも!?」
連鎖する爆発音。それに混じって聞こえてくる悲鳴。
「きゃあああっ!?」
「逃げても無駄だ。逃走経路を予測して、その先にもちゃんと仕掛けてある」
「アズサちゃんっ!!?」
「……凄いけど、できれば来客を引っ掛けるようには仕掛けないで欲しかったなって。――マリーさん! 大丈夫ですか!?」
……用意周到と褒めるべきか、警戒しすぎだと諌めるべきか。ともかく、罠の仕掛け方としては百点の回答を叩き出したアズサに対し、ヒフミはもはやショックで倒れかけていた。コハルはと言えばアズサに苦言を呈した後、大声でロビーに向かって呼びかけている。……横にいるハナエがさりげなく肩を掴んで止めていなかったら、きっとロビーに向かって走り出していたに違いない。一瞬足に力が入っているように見えたし。ハナエ、グッジョブ。
【……ひとまず、様子を見に行こうか】
「けほっ……けほっけほっ……」
ロビーは酷い有様だった。一体いくつのトラップを仕掛けていたのか、連鎖爆発したそれらの影響で煤が舞い、煙が充満して視界が悪い。その中から、軽く咳き込む声が聞こえてくる。
「コハルちゃん、これで口元を。健康に悪いですから」
「あ、ありがとハナちゃん」
「いえいえ!」
すかさずハナエがハンカチをコハルに差し出して口元を覆わせた。流石の対応の早さだ。……同じことをしようとして本職に出足を潰されたためか、見事に出遅れて隣でハンカチを持って固まっているハナコはさておき。
「だ、大丈夫ですか……!? 怪我とかは……!?」
焦った様子のヒフミが煙に向かって呼びかけると、弱々しいものの確かな反応が返ってくる。
「きょ、今日も平和と、安寧が……けほっ、けほっ……貴方と共に、けほっ、ありますように……」
「まずご自分の安寧を心配してください!?」
「……プロ根性が過ぎるよ、マリーさん……」
思わずといった体でヒフミのツッコミが飛び、コハルが感心半分、呆れ半分の声を上げる中、当の『マリーさん』……伊落マリーは、咳き込みながらも祈りの言葉を投げかけるのだった。
伊落マリー。トリニティは【シスターフッド】に所属する一年生。組織名の通り、シスター服のような制服に身を包んだ修道女(シスター)であり、本人の優しさと献身性も相まって、正に模範的なシスターと言えるだろう。……優しすぎるというのも、少しばかり考えものだが。今回のように。
「――あれ? 良く見たらその服装、シスターフッドの……?」
煙が薄れてきてマリーの姿が見えるようになったため、ヒフミが彼女の服装に気づいた。トリニティ広しといえども、シスター服のような改造制服を着ているのはシスターフッドの人間くらいなものだから、そう思うのは当然だろう。実際正解だ。
「……あら。マリーちゃんじゃないですか」
フリーズから復帰したハナコが、先程までの様子をおくびにも出さず、笑顔でマリーに話しかけた。――なんだかお気に入りの玩具を道端で見つけた子供のように見えるのは気のせいだろうか。
「あ、ハ、ハナコさん……」
それを見たマリーが一瞬固まって、少し引き気味に言葉を返した。……マリーが人にこんな反応を示すなんてなかなかないんだけれど、一体ハナコは彼女に何をしたのだろうか。まあコハルに会う前だろうから大体予想はつくが。
初手から災難にあっていたものの、こうして合宿所に新たな来訪者がやってきたのだった。
「――はい、お水です。よければどうぞ」
「あ、ありがとうございます。コハルさん」
コハルが差し出したコップを受け取ったマリーは笑顔を浮かべて礼を言うと、両手で握って一息に煽った。
「(こくこく……)……ふぅ。びっくりしましたよ。入った途端に何かが作動して……」
「……アズサちゃん」
「……」
ヒフミがアズサの首根っこを掴んで連れて来る。自分でもやりすぎたと思ったのか、特に抵抗せず子猫のように運ばれてきたアズサは、バツの悪そうな顔をしてマリーに話しかけた。
「……ごめん。てっきり襲撃かと思って」
「し、襲撃……? え、えぇっと……?」
困惑するマリー。まあ合宿所(ここ)を態々襲撃してくるような者は不良でもそうはいないだろうから、疑問符を浮かべるのも仕方ない。
「と、ところでどうしてシスターフッドの方がこんなところに……?」
ヒフミが話をそらすように質問をぶつける。……確かに、ティーパーティーや、救護騎士団の人間が来るならまだ分かる。ティーパーティーならば、つい先程のミカのように様子を見に来たのだろうし、救護騎士団ならばコハルやハナエの様子を見に来たで説明はつく。しかしシスターフッドは、この補習授業部に今まで関連を持っていない組織だ。
――シスターフッド。私も詳しくはないが、このトリニティにおいて最古参に近い組織だと聞いている。その情報収集能力は折り紙付きで、少なくともティーパーティーであるミカが認めるほどには耳がいいらしく。また、秘匿主義で色々と抱えているらしい、とも。
勿論だからといって先入観を持って接したりはしないし、少なくともマリー自身は本当にいい子だ。だからこそ、この訪問もそう悪いものではないと思うが……
「あ、それはその……2つほど理由がありまして……」
チラ、とコハルを見たマリーは、すぐに視線を外して訪問の理由を話し始めた。
「まず、こちらに補習授業部の方々がいると聞いていまして……まさか、ハナコさんもいらっしゃるとは思いませんでしたが……」
「……まあ私にも、色々とありまして」
「そう……ですか。はい……」
誤魔化すようにそう嘯くハナコに対し、マリーはなんとも微妙そうな表情を浮かべた。いやほんとにマリーがこんな反応を見せるなんて珍しいってレベルじゃないんだけど、彼女に何をしたんだいハナコ……。
「ハナコ、マリーさんと知り合いなの?」
「は、はい? あ、えっと、えー……少しばかりご縁がありまして、ですね……」
コハルに話しかけられた途端に、ハナコはそれまでの余裕そうな様子を一変させて一気にしどろもどろになった。……この調子だと、合宿が終わるどころか学生生活が終わるまでこの有様かもしれない。本当にコハルに弱いね、ハナコ……。
「……コホン。えー、マリーちゃんは、私を訪ねて……というわけでは無さそうですね。さっき私がいるとは思わなかったと言っていましたし。では補習授業部に、どういったご要件で?」
「まずは、白洲アズサさん。貴方を訪ねてこちらに参りました。伺ったところ、こちらにいらっしゃるとお聞きしまして」
「私?」
きょとんとした反応をするアズサ。マリーがアズサを訪ねてきた? 何か繋がりがあるのだろうか。正直あまり想像はつかないが。
「はい。――実は、先日アズサさんが助けてくださった生徒の方から、感謝をお伝えしたいとのことでして。諸事情ありまして、代わりに私が」
「……?」
「感謝……?」
アズサはあまりピンと来ていない様子だった。なんだか毛色の違う話に、ヒフミも疑問符を浮かべている。
「……クラスメイトの方々から、いじめを受けてしまっていた方がいらっしゃいまして。その日もどうやら突然、建物の裏手に呼び出されてしまったのだと聞きました」
……いじめ、か。どれだけ年月が経とうと、場所が変わろうと、どうしても学生生活の中では発生しうる問題だ。まだ学生であり、未熟であるがために、他者の痛みを理解できず、軽い気持ちで行ってしまう者も多い。被害者には一生引きずる者も少なくないというのに。教育者の端くれとして、頭の痛い問題だ。根絶不可能という意味で。
「そ、そんなことが!?」
「……っ。いじめ……」
「……まあ、聞かない話ではありませんね。皆さん狡猾に、陰湿に行いますのであまり表沙汰にはならないのですが」
それに対する反応は三者三様だった。
周囲も本人も善良なためか、驚愕するヒフミ。
何か心当たりがあるのか、痛ましい顔をするコハル。
冷静に、されどどこか呆れた様子で俯瞰的な感想を述べるハナコ。
「私たちも、その方から相談を受けてようやく知ったのですが……」
気づけなかったことを恥じ入るように苦々しい顔をしたマリーは、話を続けた。
「そうして呼び出されてしまった日……そこを偶然通りかかったアズサさんが、彼女を助けてくださったとのことで」
「そうだったんだ……アズサ、ありがとう」
「……? コハルに礼を言われるようなことじゃない」
「ううん。……本当は、こういう問題は正義実現委員会が対応すべきことなの。いじめなんて学園の正義を乱す行為、私たちは許さない。許してはいけない。……でも、人手不足なのと、ハナコが言ったように表沙汰になりにくいせいで後手に回りやすくて……気づいた時には手遅れ……なんてこともあったの」
だから、正義実現委員の端くれとして、私からもお礼を言わせて。――助けてくれて、本当にありがとう。
そう感謝を伝えるコハルに、アズサはどう対応していいかわからないといった様子で、目を逸らして頬をかいた。
「……別に、大したことはしていない。ただ数に物を言わせて弱い対象を虐げる行為が目障りだっただけだ。正直忘れていたし」
「……そしてその後、アズサさんに怒られた方が、正義実現委員会と連絡を取られて……どこで情報が歪曲したのかわかりませんが、正義実現委員会とアズサさんの間でそれなりの規模の戦闘に発展してしまったとか……」
「それなりの規模の戦闘……まさか!?」
「そうしてアズサさんが催涙弾の倉庫を占拠し、正義実現委員たちを相手にトラップを駆使して、3時間以上戦い続けたと……」
「……それってあの時の……だよね……」
思い至ったのか、コハルが萎れた声を出した。……初対面の時のアズサの罪状には、そんな理由があったのか。
「――何はどうあれ、売られた喧嘩は買う。あの時も弾薬さえ切れてなければもっと長く戦えたし、あれ以上に道連れも増やせたのに」
「あ、あうぅ……」
なんでもないことのように言い切ったアズサに、ヒフミが鳴き声を発した。
「それで、その方が報告も兼ねて私たちの元を訪れてくださり、アズサさんに感謝をしたいと……ただ学園では見つけられず、ある方から話を聞いてこちらに来たという次第です」
「そうか……さっきも言ったけど、別に大したことじゃない。私の自己満足だから、感謝されるようなことでもない。結局最終的には捕まったわけだし」
――それに、あの事態は気の毒だけど、いつまでも虐げられてるだけじゃダメ。それが例えどんなに虚しくても、抵抗し続けることを辞めるべきじゃない。
「世界は不条理に満ちている……だからこそ、慎ましく、されど諦めず生きるべきだ。vanitas vanitatum, et omnia vanitas(空の空、全ては空である)――だろう? コハル」
「その解釈……――うん。そうね。何もかも虚しいと思うよりは、よっぽどいいと思う」
かつて自身が解説した解釈を持ち出され、一瞬面食らったコハルは、少し笑ってアズサを肯定した。うん。私も、そう思うよ。端から諦めるより、よほどいい。
「……そうかもしれませんね。はい。被害者の方にも、そうお伝えしておきます。……アズサさんは暴力を信奉する氷の魔女、だなんて噂がありましたが、百聞は一見にしかず、ですね」
にっこりと、マリーは笑みを見せた。待って、そんな噂があるのかい? 大方いじめをしていた側が腹いせに流したんだろうけど……
「……ふふっ。アズサちゃんには『氷の魔女』らしいところも少しはありますよ? ほら、他の方からすると表情がちょっとだけ読みにくいですし」
「ハナコさん……」
わかりづらいが、茶化しつつフォローを入れたハナコに、マリーは今日始めてハナコに目を合わせた。
「……マリーちゃんが元気そうでよかったです。ところで、2つ理由があると言っていましたが、一つがアズサちゃんの件だとして……残るは?」
「あ、はい。もう一つは、コハルさんの様子を見に来たんです」
「私、ですか?」
「はい。アズサさんがどこにいるのか探していたときに、ある方にここを教えてもらいまして。そのついでに、コハルさんの様子も見てきて欲しいと。……お体の具合はどうですか? コハルさん」
心配そうにコハルを見つめるマリー。優しい彼女には、コハルの体調に関して我が事のように辛いのだろう。
「だ、大丈夫ですよマリーさん。今のところ特に不調は……「この前発作を起こしました」ハナちゃん!?」
安心させるように笑顔を見せたコハルだったが、途中でハナエに横槍を入れられて振り向いた。
「嘘はいけませんよ、コハルさん。いくら心配させたくないのだとしても、こういうことに関して事実関係は明確にしておきませんと。――とはいえ、発作も軽度です。少し興奮した程度なので大事には至っていません。この後どう転ぶかは要観察……といったところですが」
「発作を……そう、ですか……」
医療従事者としての見解を述べるハナエ。それを聞いて、マリーは辛そうな表情を浮かべていた。
「コハルさん、こっちに」
「え? は、はい……」
マリーに呼び寄せられて、コハルはおずおずと近づいた。マリーの正面に立ったとき、彼女は引き寄せられて、マリーの腕に抱かれていた。
「……ごめんなさい、コハルさん。あなたの苦しみを、私が代わってあげられるならどんなにいいか……」
「マリーさん……」
ぎゅう、と腕に力を込めながら、マリーは心中を吐露する。……本当に、優しい子だ。他者への共感性、献身性の高さはトリニティ、否、キヴォトスでもトップクラスかもしれない。その腕に包みこまれたコハルは、小さく笑ってマリーを抱き返した。
「いいんです。マリーさん。こればかりは仕方ないですから。生まれつき、貧乏くじを引いてしまっただけです。それに――『主は乗り越えられない試練は与えない』と聞きました。シスターフッドの教えでも、そうでしょう?」
「コハルさん……」
「――笑って。マリーさん。悲しい顔をされる方が、発作よりよほど辛いから。だから、笑って」
「……っ。コハルさんっ!」
「わぷっ!」
感極まったのか、マリーの抱きしめる力がさらに強くなった。コハルが潰れてしまうほどに。一瞬大丈夫かと心配になったけど、隣にいるハナエが動いていないので考え直した。どうやらセーフのようだ。
「あ、あはは……本当に顔が広いんですね、コハルちゃん。まさかシスターフッドの方とまで知り合いだなんて思いませんでした」
「あ、うん。トリニティに入学してすぐの頃は、いろいろ慣れなくて体調を崩すことも多くて……いろんな人に助けてもらったんだけど、マリーさんもそのうちの一人なの」
「初めてお会いしたときは、教会の階段でうずくまっていらっしゃって……心配になって声をかけたのが切っ掛けです」
「あのときはご迷惑をおかけしました……」
「いえいえ、お気になさらないでください。コハルさんのおかげで、こちらが助けられたこともあるんですから。あ、皆さんご存知でしたか? コハルさん、とてもピアノがお上手でして「わー!」むぐっ!?」
マリーが何か言い出そうとした時、コハルがすごい勢いで(といっても昨日の時程ではないが)マリーの口を塞いだ。……ピアノ?
「(マ、マリーさん! 人様に自慢できるほどじゃないから黙っててって言ったのに!)」
「そうですか? あの時はとても素晴らしい演奏でしたけど……」
「コハルちゃん、ピアノ弾けるんですか?」
ヒフミの質問に、誤魔化せないと悟ったか、コハルは諦めたように肩を落とした。
「……ほんとにちょっとだけ。1日中ベッドの上にいると暇で仕方なくて、その時貰い物でピアノがあったから手を出したの。それが高じて、多少なりとも弾けるようになった……てだけ。言っておくけど、そんなに上手くはないからね? ワイルドハントの人たちとは悪い意味で比べものにならないし」
「ですが、そのおかげでシスターフッドが助かったことがありまして……ある日の集会でピアノの演奏を披露することになっていたんですが、当日に奏者の方が指を怪我してしまい……代役も立てられず困っていたところ、たまたま私の誘いに応じて来てくれていたコハルさんが急遽代理奏者を務めてくださいまして……」
あの時は本当に凄かったです。一度譜面を見ただけとはとても思えないくらいの演奏でした。サクラコ様も感激されていましたし。
そうマリーは絶賛する。そこまで凄いのか、コハルのピアノ。1回くらい聴いてみたいものだけど……
「……シスターフッドが代役を立てられなかった? 珍しいこともあったものですね」
「あ、それはその、曲の難易度が原因でして……弾ける方が少ない難しい曲だったんです。その譜面をコハルさんにお見せしたら、「これなら私弾けるよ?」と言ってくださいまして。時間もなかったので信じておまかせしたら、それはそれは素晴らしい演奏を……」
「ううぅ……そんなベタ褒めされても恥ずかしい……」
ハナコの疑問に、マリーがさらに説明を加える。それを横で聞いていたコハルが恥ずかしがって両手で顔を隠した。頭の羽根が照れ隠しかパタパタと羽ばたき、縮こまっているせいか小柄な体がより小さく見える。
【そこまで恥ずかしがらなくてもいいんじゃないかな。実際、凄いことだと思うよ】
「先生……そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、そこまで持ち上げられるような腕ではないんです。あくまで暇つぶしで覚えたものだから、自慢できるようなものでは……」
【そうかなぁ……】
弾ける譜面だからといって、急に代役を頼まれたのにさらっとこなすのは相当すごいと思うけど。シスターフッドの集会という、いかにも人が集まりそうなところでなら尚更だ。それにしても、コハルがピアノを弾けるとは……ハナコほどではないが、なかなかに博識だし、割と何でも卒なくこなせるところがあるのかもしれない。体調さえ良ければの話だろうが。……ただまあ本人が嫌がっているので、これ以上の追求は辞めておこう。
「へぇー、コハルちゃんのピアノ……凄く気になりますね! 今度、聴かせてもらってもいいですか?」
「ヒフミ先輩……うーん、まあ体調が良くて、ピアノに触る機会があったなら、そのうちね。昔ピアノは持ってたけど、もう処分しちゃったから手元にないし……ほんとに期待しないでほしいけど」
目を輝かせてのヒフミのお願いに、とうとう折れたコハルは躊躇いながらも頷いた。もしその時があったら、是非とも私も呼んでもらおうかな。本人は謙遜しているけど、マリーがここまで絶賛する腕前には興味がある。……時間取れるかな。最悪リンちゃんに泣きつこう。
そんなふうに話がまとまっていた時だ。
「……恥ずかしがって小さくなってるコハルちゃんも可愛いですね、食べちゃいたいです」
「え?……ハ、ハナコ?」
突然ハナコがそんなことをのたまった。……ハナコさんや。もしかして、心の声がダダ漏れになってやしないかい?
困惑するコハルの声に、自分が何を口走ったのか漸く気づいたのか、ハナコの顔色は赤くなっているコハルとは対照的にどんどんと青褪めていった。
「……もしかして、声に出ていましたか?」
「もしかしても何も全部丸聞こえですハナコちゃん……」
「ハ、ハナコさん……? 突然何を……? 食べ……え?」
「え、ええーとー……」
頭を抱えて呆れるヒフミ。
困惑を通り越して混乱しているマリー。
フォローしようとするも言葉にならないハナエ。
三者三様の姿に、ただ呆然とするハナコだったが、そこに救いの手が差し伸べられた。
「ハナコ……」
「ア、アズサちゃん……」
「――コハルは食べものじゃないぞ?」
訂正。トドメを刺しに来ただけだった。
アズサの天然ボケが炸裂し、哀れハナコはピシリと石像のように動きを止めた。しばしの静寂……。
「――ふ、ふふふ……」
「ハ、ハナコちゃん?」
突如笑い出したハナコは、顔を上げると……それはそれは透き通るような、まるで何か答えを得たかのような笑顔を浮かべていた。
「――いい人生でした」
そのまま流れるように窓を開けて身を乗り出してってちょっと待った!!
「ハナコちゃん!?!!? 待ってください何してるんですか!?」
「離して!! 離してくださいもうだめです終わりですなんですか食べちゃいたいってカニバリズムなんて生まれてこの方持っていませんよいやそうではなく言葉の綾でして本当にコハルちゃんを食べたかったわけではないんですでもこれ本人に聞かれたらもうおしまいなんですよどう考えてもドン引きされますもん友情も冷めきって少しずつ距離を取られていつの間にか他人になってるんですもうだめいっそ介錯してくださいできれば痛くないようにお願いします!!」
「医療従事者の前で死のうとしないでください! いいから落ち着いて!」
「……え? もしかして私ってスイーツの類だった?」
「コハル、落ち着いて。シャワーで触った限り、ちゃんと人間だ」
やいのやいの。錯乱するハナコを止めようとしたり、これまた混乱するコハルを落ち着かせたりと、場はしっちゃかめっちゃかだった。それを見て唖然としていたマリーは、ポツリと私に問いかけて来た。
「……あの、さっきから気になってはいたのですが……ハナコさんって、もしかしてコハルさん相手だとおかしくなります?」
【……色々あってね。本当に色々と……普段はマリーも知ってる通り、理知的なんだけど……】
「は、はぁ……」
良くわからない、といった体だがそれでも状況を飲み込んだマリーは、今も騒いでいるハナコを見つめて……ふっと安心したかのように微笑んだ。
「――でもよかったです。ハナコさんも、以前よりお元気そうで。少し元気すぎる気もしますが……」
あんなふうに騒げるようになって、本当によかった。
感慨深そうに、マリーはそう呟いた。……以前と言うと、私やコハルに会う前のハナコだろう。私の推測は、ある程度間違いではなさそうだ。
結局騒ぎが落ち着いたのは、ある程度時間が経ってからだった。
「で、では皆さん、お邪魔いたしました。先生も、急に訪ねてきてしまってごめんなさい。それでは、また」
「マリーさん、今日はありがとうございました。お陰でアズサの真実を知ることができました」
「いえいえ。――コハルさん。あなたに主のご加護がありますことを、微力ながら祈っております。けして、無理はしないでくださいね」
「は、はい。善処します……」
「善処ではなくご自愛ください……先生も、コハルさんをよろしくお願いします」
玄関ロビーにて、私はコハルと2人、マリーの見送りに来ていた。本当はハナコも来たほうがいいのではないかと思ったが、いまだにメンタルブレイクしていて「生まれ変わったらカタツムリになりたい……」と死んだ魚のような目で呟いているのを見て誘いを断念した。この戦いにはついてこれそうもない。
【任せて。ハナエもいてくれるし、コハルは私たち皆で見守るから】
「……ううぅ。ちっちゃい子みたいな扱いだけど、何も言い返せない」
「ふふっ。では、これで」
軽く手を降って、マリーは合宿所を去っていった。……なんだか激動の一日だった。
「……では戻りましょうか。これ以上ハナコを放っておけないし……」
【半ば以上ハナコの自爆だったけどね。まあいいんじゃないかな、あれはあれでハナコらしいし】
「……うん。ちょっと驚いたけど、ハナコの調子が戻ってよかったです。ハスミ先輩の釘刺しが効きすぎたかなとは思っていたので」
複雑な表情を浮かべるコハル。ハスミの気持ちは嬉しい反面、それでハナコに矛先が向いたことに苦慮しているのだろう。難しい話だ。
【……ハスミの気持ちも分かる部分はあるよ。アレはやりすぎだと思うけど。ただまあ、今後接するうちに解決するんじゃないかな。ハナコとコハルが友人関係を続ける間はどうあっても接触するだろうし。友だちを辞める気はないんだろう?】
「当然です。私から"友だちになって"と言ったんですから。ハナコから辞めたいと言われない限りは、友だちでいるつもりです」
力強くコハルは断言した。……つくづく、この場にハナコを引っ張ってこれなかったのが残念でならない。これを聞いたら、きっとハナコの悩みは割と解決しただろうに。
【……その言葉、ハナコに直接言ってあげてね】
コハルが頷くのを見ながら、私はゆっくりとコハルの足取りに合わせて教室へと戻るのだった。もうすぐいい時間帯だ。3日目の夜がやってくる。
少し足早に、合宿所から本校舎へと戻る最中。携帯がモモトークの着信を知らせる。
歩きスマホはマナー違反なので立ち止まり、道端の木陰に入って画面を見る。
「どうでしたか?」
文面はとても簡潔だった。人嫌いのあの人らしい。それにしても、連絡が来るならてっきりシミコさんからだと思っていたのだが、この人から直接来るとは。よほどコハルさんの事が心配なようだ。
「大丈夫そうです……と言いたいところですが、昨日軽く発作を起こしたそうです。要観察と救護騎士団の方が」
しばらくの間を置いて。
「分かりました」
とだけ返ってきた。本当に簡潔な人だ。ちゃんと委員会の人たちとコミュニーケーションが取れているのか少し心配になるが、まあシミコさんがいるから大丈夫だろう。たぶん。
益体もないことを考えていると、続けて通知音。画面を見ると、文面が増えていた。
「私の考えすぎならば結構ですが、最悪今までの『貸し』を清算してもらう時が来たかもしれません。いつでも動けるよう準備をと、そうサクラコさんにお伝え下さい」
「ウイさん……そこまで……!?」
文面には打たず、しかし驚きで声が出る。――本気だ。シスターフッドと図書委員会の『貸し借り』の話まで持ち出すなんて、よっぽどのことだ。それも、あのウイさんからサクラコ様の名前が直接出てくるなんて……正直、確かに今回の合宿の話は聞いたときからキナ臭いものを感じていたが、ウイさんがそこまで動くとは……
「一体、何が起きようとしているのでしょうか……」
文面には「お伝えしておきます」と返しながらも、私は溢れる心配を抑えられず呟いた。――コハルさん、どうかご無事で。
読みやすいように三千字から五千字で、そんな風に考えていた時期が私にもありました
ひぃん区切りのいいところで投稿すると普通に1万字越えちゃうよー読みにくかったからごめんねー