ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
「――さあ、ではお洗濯を始めましょうか。ふふ♡ 皆さん、制服や下着や靴下など洗うものは全部この籠に入れてくださいね」
「あ、ああ。ありがとう、よろしく」
「は、はい。……あれっ!? し、下着もですか!?」
ニコニコ。そんな擬音が顔に張り付いた状態の、以下にも上機嫌そうなハナコちゃんが洗濯を始めた。さっきまで白濁した、有り体に言えば死んだ魚のような目をしていたというのに、えらい変わりようだ。
さっき先生と戻ってきたコハルちゃんが、壁際で澱んだ空気を撒き散らしていたハナコちゃんに近づいて、耳元で何かを囁いて。途端ハナコちゃんが真っ赤になって百面相していて……気づけばこれである。一体何があったというのか。
ま、まあそれ自体は別にいいのだが。コハルちゃんが絡んだときのハナコちゃんは大体こんな感じだし正直いつものことだ。今重要なのは洗濯について。今下着も全員分まとめて洗おうとしてないだろうか。
「まあ、洗濯はまとめてしちゃったほうが洗剤とお水の節約にもなるし、いいんじゃない? ちょっと恥ずかしいけど」
「コハルの言うとおりだ。ハナコの方針は別に間違ってはない」
「お水は大事ですからね。トリニティにいるとつい忘れちゃいますけど」
コハルちゃんの肯定意見に、アズサちゃんの援護射撃が加わる。ハナエちゃんも別視点からだが肯定的だ。あうぅ……た、確かにそれはそうなんですが……ま、まあそこまで否定するようなことでもないですし、皆さん納得してるならそれで。
「あ、あうぅ……ではお願いします……」
割と恥ずかしかったが、ハナコちゃんが持っていた籠に自身の洗濯物を放り込んだ。5人分が突っ込まれただけあってあっという間に籠が埋まる。
「はい、任されました。あ、先生は【遠慮しておくよ】……ふふ♡ わかりました。洗濯機回してきますね」
何も問題なければ明日の朝には乾かすところまで終わりますよ♪
先生の食い気味な否定を受けて楽しそうに笑ったハナコちゃんは、籠を抱えて寝室から出ていった。るんるんとスキップして、鼻歌まで歌って。……本当に、何があったというのか。さっきまでネガティブオーラ全開だったというのに。
「こ、コハルちゃん。さっきハナコちゃんになんて言ったんですか? 明らかにテンションぶち上がってましたけど」
「ん? 『変なこと考えてたとしても、そうそう嫌いになんてならないから大丈夫。ずっと友だちでいようね』って言っただけよ? 特別なことを言ったりはしてないんだけど……」
「「「ああ……」」」
合点がいった私とアズサちゃん、ハナエちゃんの反応が重なる。ハナコちゃん……ドン引きされたと思ってたコハルちゃんから全肯定されて、お友達継続も決まって舞い上がっちゃったんですね……なんてわかりやすいのか。それともコハルちゃんがとことんハナコちゃん特攻すぎるというのか。思わず彼女が退出していった扉を遠い目で見つめてしまう。
「あー……じゃあ、そろそろ寝る準備をするとしよう。今日もお疲れ様」
「……うん。ハナちゃん、歯磨きしに行くから付き添ってもらえる?」
「了解です!」
生暖かい目をしていたアズサちゃんがそう言って、寝室を退出した。歯磨きでもしにいったのだろう。あわせてコハルちゃんも、ハナエちゃんに支えられつつ洗面所へ……ちょうどハナコちゃんとブッキングしそうだが、大丈夫だろうか。アズサちゃんの生暖かい目に、ハナコちゃんのお豆腐みたいなメンタルが果たして耐えられるのか。
……あ、そうだ。ハナコちゃんで思い出した。
「あの、先生。ちょっとお話したいことがあって……後でお部屋に行っていいですか? ハナコちゃんのことなんですが……」
先生は静かに頷いてくれた。
コンコンコン。規則的なノックの音が響く。
事前に話を聞いていた私は、腰を上げて近づくと、扉を開けて迎え入れた。
「――こんばんは、先生」
そこにいたのは、ピンクの長髪の……
【ハナコ……?】
「ふふ、こんなに簡単に開けちゃうなんて……不用心ですね♡」
予想外の来客に面食らう私に、ハナコがからかうように声をかけてくる。……こんな感じのハナコは、本当に久しぶりに見る。あの地下牢の初対面以来だろう。流石に水着は着ていないようだが。コハルがいないからだろうか。
【……どうしてハナコがここに?】
気を取り直して要件を尋ねる私に、ハナコは真面目な顔をして口を開いた。
「少しばかり、相談したいことがありまして。実は……――アズサちゃんのことなのですが」
【……】
……アズサか。今朝のミカとの会話が頭をよぎる。
――あの子を守ってほしいの。
白洲アズサ。アリウス分校出身者。トリニティとアリウスの、和解の象徴となるはずだった少女。……頭の回るハナコのことだ。いずれ言及してくるとは思っていたが……さて、どうするか。アズサとハナコ、双方にとって丸く収めるためには……。
その時、控えめなノックの音が鳴り響く。
「し、失礼します……先生、いらっしゃいますか……?」
ゆっくりと扉が開き、向こうから本来の来客――ヒフミが顔を出した。
「この前より遅い時間になってしまってごめんなさい。実は……え?」
一度頭を下げた後、戻した彼女の目に映るのは、本来ここには居ないはずの人物。
「ハナコちゃん……?」
「あら……ヒフミちゃん」
ハナコはそれを見て、小首をかしげる。ハナコからしても、ヒフミが来るのは想定外だったのか。
「ど、どうしてハナコちゃんが先生の部屋に……こんな遅い時間に」
「……ふふ。どうしてだと思います?」
「は、はい!?」
ヒフミの口から飛び出した疑問に、ハナコは少し考えた後、からかうように逆に問いかけた。
「こんな時間に、男女が二人っきり……それはもう、やることは1つですよね。いや、『ヤルこと』でしょうか。ふふふ♡」
「ハナコちゃん……」
なかなかに際どいセリフを吐くものだ。間違いなくコハルが目の前にいたら出てこないセリフでもある。そもそもコハルを目の前にしてまともに物を言った試しがほぼないが。そう思うと結構貴重なものが見れてるのではなかろうか。
ヒフミも今まで目にしたことのないだろうハナコの様子にタジタジ……あれ? なんか呆れてるような……
「今更そのキャラは流石に無理があると思いますよ……」
「――はい?」
思わず素で反応したハナコを他所に、ヒフミはなんだか生暖かい目でハナコを見つめた。
「今までどれだけハナコちゃんがキャラ崩壊したのを横で見てきたと思ってるんですか。コハルちゃんの一挙手一投足に反応してツチノコになるわ石像になるわ粉々になるわ……あなたの人体構造どうなってるんですか? って聞きたくなるような挙動のオンパレードですよ? その度に私が後片付けをしているんです。最近は箒とちりとり常備しようか考えてるくらいなんですよ。にも関わらず、今更それを投げ捨ててからかい上手なキャラになろうとするのはもう一周回って称賛ものだと思います。――要するに」
ビシッ! とヒフミの指先がハナコの頬を突っついた。ビクッとハナコの肩が跳ねる。
「ハナコちゃん、もうギャグキャラ(カートゥーン)に両足突っ込んでるんですから、今更キャラチェンは諦めたほうがいいですよ」
う わ あ 。
あまりのオーバーキルっぷりに思わず目を逸らした。た、確かに、ヒフミは今日まで、ハナコの奇行をそれはもう飽きるほどに見てきたはずだ。その上でからかうような言動をされても、いまひとつピンとこなかったに違いない。……コハルに会うまでは、ハナコの処世術だったんだろうけどなぁ。自爆を繰り返した果てがこれとは……あああヒフミさんやその目で見つめるのは辞めてあげておくれ。その優しさと気遣いと呆れを含んだ生暖かい眼差しはハナコのメンタルを吹き飛ばして余りある。ほらいわんこっちゃないハナコ涙目になってるよ!
「……え、ええっと。……ヒ、ヒフミちゃん! 今さっき『この前より遅い時間』と口にしてましたね!? つまり以前もこんな夜も更けた時間に来たんですね!? そして先生と二人っきりに!」
「そうですが、それがどうかしましたか?」
「……」
――ハナコ、キミの負けだよ。
悲しいかな、ハナコもヒフミの言葉を拡大解釈して反撃したのだが、何でもないことのようにきょとんと素で返されて敢え無く轟沈した。ヒフミがハナコの様子を隣で見過ぎてもう耐性が出来てしまっている……。
【……あー、とりあえず2人とも。入り口で立ち話もなんだから、ひとまず上がっていいよ】
あまりにもハナコがいたたまれなくなって、私は2人の話に介入した。時刻は既にかなり遅くを示していた。
「……なるほど、アズサちゃんが毎晩不審な動きをしていると……それを先生に相談しに来ていたんですね」
ヒフミは納得したように頷くと、目の前のカップを口に運んだ。この時間帯にカフェイン摂取なんて本当は良くないんだけど、いかんせんコーヒー党なもので出せるものがこれしか無かった。今度から適当な紅茶くらい買っておこう。
「……そういうヒフミちゃんは、これからについて先生にご相談していたと……」
心なしか目が死んでいるように見えるハナコは、こちらも合点がいったようだった。……なんだかコーヒーを飲む機械と化しているが、大丈夫だろうか。
「……アズサちゃん、毎晩どこに出かけているんでしょう。夜明けまで戻ってこないというのは、散歩にしては長すぎますし……」
「……コホン。最初は慣れない環境で寝れないのかと思ったのですが、そうではないようです」
コーヒーをがぶ飲みしてやっと落ち着いてきたのか、ハナコが再び真剣な顔で語り始めた。
「……私はアズサちゃんが夜眠っているところを、ほとんど見たことがありません」
「確かに……言われてみれば、私も見たことがないです。アズサちゃんはいつも先に起きてますし、私より早く寝てることも無かったような……」
ヒフミがハナコの訴えに同意する。私は別部屋なので朝晩の様子は分からないが、そういうことなら割とマズイだろう。生き物である以上は、睡眠は取らないと体に悪い。キヴォトス人だろうがそこは同じだ。
気になるのは、さっきもヒフミが気にしていたように、毎晩どこに行ってるのかだが……。
「……アズサちゃんが一体何をしているのかはわかりませんが、そろそろ多少無理矢理にでも寝かせてあげないといけないのでは、と。短い付き合いですが……なんだかアズサちゃん、どこか、すごく不安そうに見えて」
そういうハナコの目には、からかいも、コハル相手に見せるキョドりもない。真摯にアズサのことを案じている眼差しだった。
「どんな事情なのかは想像の域を出ませんが、どうにかその不安を軽減してあげたくて……このままですと、いつかは倒れてしまいます。……コハルちゃんのように」
「ハナコちゃん……」
――ああ、そこが気がかりだったのか。合点がいった。ただでさえコハルの一件がトラウマになっているのだ。アズサがあの時発作を起こしたコハルのようになってしまうことを、彼女は危惧したに違いない。
「……これは、アズサちゃんだけでなく、ヒフミちゃんと先生にも言えることですよ? しっかり寝ないとダメです。コハルちゃんの寝つきの良さを見習ってください。朝が辛そうなのが難点ですが……」
――試験も大切なのはわかりますが、ただ落第というだけです。体の健康と比べられるようなものではないと思いませんか?
【……それは】
思わず声に出てしまった。――やはりハナコは知らなかったのだ。この試験の裏側を。落第なんて生易しいものは用意されていないことを。
「……ふぅ。普通だったらそうかも知れません。でも……」
「ヒフミちゃん……?」
コーヒーを一杯飲んで口を潤したヒフミが、苦々しげに口を開いた。不穏な空気を感じ取ったか、ハナコが困惑したようにヒフミを見る。
「……ただ落第で済む話ではないんです。あと二回、どちらの試験も不合格だった場合――退学なんです。私たちは、トリニティを去らなければいけません」
「――は?」
ハナコが背景に宇宙を背負った。ここまで思考が止まったハナコを見るのは、あの地下牢でコハルが倒れた時以来だ。
「――退、学? ……ま、待ってください。ヒフミちゃん、それはどういう……? そ、そんなこと、校則的に成り立ちません。生徒を退学させるにはそれなりの理由と煩雑な手続きが必要で、いくらなんでもそんな……」
【……ハナコ。世の中にはね、例外というものが存在するんだ。申し訳ないことにね】
「先生……? ――ッ! ……【シャーレ】。そういうことですか。確かに、それならば退学させることも不可能では……しかしなぜ……」
流石はハナコというべきか。色々あったけれど、元々の優秀さはまるで変わっていないようだ。私の制服を見て瞬時に気づいたハナコはそのまま思考を巡らせ始める。
「……ハナコちゃん。お話します。この補習授業部の裏に隠された事実を」
ヒフミが一拍置いて、真実を語りだした。
「……なるほど。そういう……全て不合格であれば、全員退学……この仕組み事態イカれていますが、シャーレの超法規的権限を組み込めば、こんな裏技も不可能ではないと……」
全てを理解したハナコは、何故か顔を青褪めさせていた。小刻みに体が震えている。……? 一体どうしたというのか。
「……退学。――当然、コハルちゃんも……私は、なんてことを……!」
「ハ、ハナコちゃん? いったいどうしたんです!?」
ヒフミも困惑している。正直ハナコがこの話で自罰する理由が分からない。話についていけない私たち二人を見て、ハナコは自嘲気味に口元を歪めた。
「……一次試験。私は、名前を書かずに提出して不合格となりました。――あれは、ミスではありません。意図的なものだったんです」
「……」
【……】
私とヒフミが沈黙する中、ハナコは息を吸って……自身の内心を吐露し始めた。まるで懺悔する罪人のように。
「私は……自分で言うのもなんですが、皆さんが知っての通り、優秀な部類の人間です。当時の私は愚かで、それをひけらかすかのように行動していました。……その結果、私の周囲に集まる人間は、皆思惑のある者ばかりでした。表ではちやほや人を持ち上げて、裏では醜い足の引っ張り合い。勝手な期待を被せてきて……私は……私はただ、『普通』に生きたかっただけなのに!」
「……ハナコちゃん」
ヒフミの反応も意に介さず、彼女は言葉を並べ立てる。
「ティーパーティーも、トリニティも、どうでもよかった。政治ごっこして満足しているような連中がどうなろうが知ったことではありません。でも、周囲はそれを知らず私を利用しようとする。自分たちの都合のいいように。それが本当に低俗で……うんざりした私は、人を遠ざけるような言動をするようになりました。成績も落第寸前まで落として……詳しくは、皆さんもうご存知でしょう?」
やはり、私のあの時の推測は当たっていたようだ。まったくもって嬉しくも何ともないが。
「そうしてトリニティの鼻つまみ者になって……ゆくゆくは、この学園を去るつもりでした。……あの日も、そう思っていたんです。でも――私は運命に出会った」
ギュッと、ハナコが胸を――ちょうど心臓がある辺りに手を当てた。
「許されない行いをしてしまいましたが、あの子はそれを許してくれた。その上、友だちにまでなってくれました。――初めてだったんです、友だちができるのは。嬉しくて、つい舞い上がってしまって……少々おかしな挙動をしてしまいましたが」
……少々? 思わずヒフミと顔を見合わせる。ヒフミも同じことを思ったのか、顔に「何言ってんだこの人」と書いてあった。
幸いなことに、ハナコは話に夢中でこちらの動きには気づいていなかった。よかった。
「……でも、一次試験の時。問題を解いている間に、ふと思ったんです。この試験を合格したらどうなるか。――補習授業部が解散して、コハルちゃんと疎遠になるのではと。……私は……わた、しは……魔が差して……」
【……それで、名前を書かなかったんだね】
コクリと、ハナコは力なく頷いた。
「こんな、こんなことになるとは思わなかったんです。あの子の状態を把握しているはずのティーパーティーが、合宿に強制参加させるなんて……その上、退学……。片棒を担いだのと同義ですね、私」
「そんなことは!」
「あるんです、ヒフミさん。……アズサちゃんも落ちていたから、私が名前を書いていても同じことだった、というのは通じません。私の意思で不合格になった事実そのものは変わりませんから。……私が、コハルちゃんの足を引っ張った。あの子を合宿に強制参加させて、あまつさえ退学の危機に陥らせている。……全部、私のせいです」
ハナコは頭を抱えて俯いた。ポタ、ポタと水滴がテーブルクロスに垂れる。
「ハスミさんの言う通りでした。こんな……こんな私が、コハルちゃんの友だちであっていいはずが……」
「――それは、違う」
私でも、ヒフミでもない。第三者の声が聞こえた。この場にいない、されど今の話の中心人物の声が。
反応して扉を振り返ったヒフミが目を見開いた。
「――コハルちゃん……」
「――え?」
ハナコも釣られて扉の方を見る。無論、私も。
閉まっていたはずの扉は開け放たれており……しんどそうだし、ハナエに支えられてこそいるものの、コハルが自身の両足でもって立っていた。