ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
「コハ、ル、ちゃん……」
ハナコの唇が戦慄く。言葉にならない音がいくつもこぼれ落ちては消えていく。
「どうして……い、一体、いつから……」
「――盗み聞きしてごめんなさい。さっきまで寝てたんだけど、ちょっとお手洗いに行きたくて起きたの。その帰りに話し声が聞こえてきたから、つい……」
――時はしばらく前まで遡る。お手洗いに行きたくなった私は、微睡みから抜け出した。……なんかまた狐みたいな子とお話する夢を見た。細かい内容までは覚えていないけど。寝る度に同じ夢を見るなんて、不思議なこともあるものだ。
夢の話はさておき、体を起こそうとして難儀する。薬が切れたせいで、酷く体が重たい。筋肉が全部鉛に置き換わったみたいだ。そもそも筋肉なんてほぼついてないけど。
それでも何とか体を起こして、隣のベッドで寝ているハナちゃんを起こそうと試みる。流石にこの状態では一人でたどり着ける気がしない。
「んん……。ん? コハルさん、どうしました?」
寝ているところを起こされたというのに、ハナちゃんは嫌な顔一つせず私を介助してくれた。こんな夜中に起こしてごめんね……。
廊下の手すりにつかまり、ハナちゃんに支えられつつ何とかお手洗いまでたどり着いた私は、用を済ませた後帰路についていた。夏とは言え、夜中であることから、廊下はかなり肌寒い。思わず寝間着の上から羽織っていたカーディガンの前を両手で引っ張る。
「さ、部屋に戻りましょう。 空気も冷えてますし、長居は無用ですよ」
「うん。……あれ? 何か聞こえない?」
「ん? ……本当ですね。話し声……? 先生の部屋から?」
夜中のため声量をかなり落としたハナちゃんに促され、さっさと部屋に戻ろうとした矢先、かすかに話し声が聞こえてきた。ちょうど向かいの部屋だったため、嫌でも通ることになる。
「……先生と、ヒフミ先輩と、ハナコが何か話してるみたい。ハナちゃん、ちょっとだけ付き合ってもらってもいい?」
「うーん……。まあ、私も何の話か気になるので……でもちょっとだけですよ。無理しちゃだめですからね」
「ありがとう」
ハナちゃんと二人、先生の部屋の扉の前で耳を傾ける。――部屋を出る前、いたのは私とハナちゃんの二人だけだった。アズサはどこに行ったのだろう。そしてこの3人はこんな時間に何を話しているというのか。
『……ただ落第で済む話ではないんです。あと二回、どちらの試験も不合格だった場合――退学なんです。私たちは、トリニティを去らなければいけません』
『――は?』
――は?
扉から漏れてきた話し声、その内容に、部屋の中のハナコと廊下の私の反応がシンクロした。……退学? え? 試験に落ちたらって……そんなのアリなの? い、いくらなんでもそんなもの、ティーパーティーの強権でも通るはずが……
『――退、学? ……ま、待ってください。ヒフミちゃん、それはどういう……? そ、そんなこと、校則的に成り立ちません。生徒を退学させるにはそれなりの理由と煩雑な手続きが必要で、いくらなんでもそんな……』
【……ハナコ。世の中にはね、例外というものが存在するんだ。申し訳ないことにね】
『先生……? ――ッ! ……【シャーレ】。そういうことですか。確かに、それならば退学させることも不可能では……しかしなぜ……』
ハナコも同じ疑問を抱いたようで、しかし先生の発言から矛盾がないことに気づいてしまった。……【シャーレ】。連邦生徒会長が残した、超法規的機関。"キリちゃん"から話には聞いていたけれど、悪用するとここまで好き勝手できる権限があるなんて……なぜ連邦生徒会長はそんなものを……それを握っているのがこの先生でよかったと見るべきか、あるいはそれも織り込み済みで先生を今の立場に指名したのか。色々と考えられるけど、今重要なのはそこじゃない。
「た、たいがむぐっ!?」
「ごめんハナちゃんちょっと静かにしてて」
思考が追いついたか、驚きの声を上げようとしたハナちゃんの口を掌で塞いだ後小声で制する。今かなり重要な話をしているのだ。ここで腰を折って止めさせるわけには行かない。
少しばかり申し訳なさを感じながらもハナちゃんに目を合わせると、察してくれたかハナちゃんはコクコク頷いて、口をジッパーで閉めるような仕草をした。お口チャックだ。ごめんね本当。
『……ハナコちゃん。お話します。この補習授業部の裏に隠された事実を』
そう言ってヒフミ先輩が話しだしたのは、この部活創設の裏に隠れた、ドロドロの暗闘劇。
――トリニティの裏切り者。そしてそれを排除しようとするティーパーティー。私はそれに巻き込まれた形か。……いや、ただ正義実現委員会への牽制目的なら私じゃなくてもいい。体の関係上、配慮すべきことが多すぎて、いくら都合が良かったとしてもそれだけでは理由足り得ない。にも関わらず、合宿所の清掃や整備までして私を選んだ……自分のことは自分が一番良くわかってる。ここまでピースが揃った以上予想はついた。私が態々選ばれた理由、それは……
『……退学。――当然、コハルちゃんも……私は、なんてことを……!』
『ハ、ハナコちゃん? いったいどうしたんです!?』
思考を巡らせている間に、部屋の中では雲行きが怪しくなってきていた。
そこからハナコが話し始めた内容は、いじらしくも重たいものだった。……ハナコ……。私が友だちになろうって言ったことが、そんなにも貴方にとって重たいものになっていたのね。
友だちになったことに後悔はない。けれど、結果的にハナコを苦しませてしまったのが心苦しい。
『アズサちゃんも落ちていたから、私が名前を書いていても同じことだった、というのは通じません。私の意思で不合格になった事実そのものは変わりませんから。……私が、コハルちゃんの足を引っ張った。あの子を合宿に強制参加させて、あまつさえ退学の危機に陥らせている。……全部、私のせいです』
でもねハナコ。これはもう結果的にそうなってしまっただけで、貴方がそこまで自罰的になる必要はないと思うの。試験に落ちたら合宿だなんて予想がつかないし、全部落ちたら退学なんてそれこそ未来予知でもしなきゃ難しい。……なんか今、頭の片隅を狐がコンコン鳴きながらよぎっていった気がする。なんで?
『ハスミさんの言う通りでした。こんな……こんな私が、コハルちゃんの友だちであっていいはずが……』
……本当は、話が落ち着いたところで切り上げて部屋に戻るつもりだったけど、そうも言ってられないようだ。このままだとハナコが自戒の念で文字通り自壊する。
長丁場になる覚悟と、明日以降の体調を犠牲にする覚悟を決めて、私は扉を開いた。
「――それは、違う」
そして現在。私はハナコと対峙している。
「あのね、ハナコ。片棒を担いだーとか言ってたけど、これはもうどうしようもないと思うの。ハナコですら、試験に落ちたら強制合宿とか、ましてや全部落ちたら退学なんて予想できなかったんでしょ? ならもう仕掛け人以外はわからない事実よ。結果的にそうなってしまったことを自分のせいだと悔やみ続けるのは、美徳でもあるけど、前に進めないよ?」
「で、ですが……」
難色を示すハナコ。……理解はしていても、感情が追いつかないのだろう。私の存在が、そこまで彼女にとって大切なものになっているのは、気恥ずかしいやら嬉しいやらだけど……正直、少し重すぎる。考えすぎなのだ、ハナコは。
「ですがもヘチマもないの。人間、生きてる以上必ず何かしらで失敗する生き物なの。ハナコは頭が回ってなんでも卒なくこなせたから、これが初めての……ううん、私と初めてあった時から失敗し始めたのかもしれないけど、だからこそ、重たく考えすぎるのは良くないよ? もっと『次から気をつけよう』くらいの軽さで丁度いいの。反省は前に進めるけど、後悔は先に立たないんだから。」
「でも……」
んもう、本当に私相手になると口が回らなくなるんだからハナコは! 初対面の余裕と弁の達者さはどこに行ったの!
……正直、薬が切れてる今、ハナちゃんが支えてくれているとはいえこうして立って話しているだけで結構キツイ。突発的な行動なのに察して介助してくれてるハナちゃんに感謝だ。
「……ハナコ。こんな風に言うのもあれなんだけど……正直言って、重たいよ」
「お、も……」
「ハナコにとって、私が初めてできた友だちだから、色々と思うところがあるのはわかった。それだけの感情を向けてくれてること自体は嬉しいの。でもね……私は、ハナコが思ってるほど凄い人間じゃないの。むしろ普通の……ううん、こうしてハナちゃんや皆に支えられないと生きていけない分、人よりも劣ってるかもしれない。そんな人間に、重たい感情を向け続けても何も得られないよ? 私は、私が与えられるものしか与えてあげられないから」
――それに、私にばかり執着していたらダメなのだ。彼女の傍に、ずっといてあげられるわけではないのだから。あともう数年もすれば、私は……
だからこそ、ハナコには私だけじゃなく、もっと周りを見てほしい。貴方の周囲には、もう貴方を利用しようとする人しかいないわけではないでしょう?
「ハナコ。貴方は私を友だちだと言うけれど、貴方の友だちは、もう私だけじゃないでしょ?」
「……え? ど、どういう……」
「気づいてないの? 隣を見て」
「隣……?」
困惑するハナコが視線を向けた先には……
「え? えっと……私、ですか?」
同じく困惑しながら自身の顔を指さすヒフミ先輩の姿が。唐突に矛先を向けてごめんなさい。でも今から言うことは、間違ってないはずだから。
「まだ付き合いは短いけれど。名前で呼びあって、同じご飯を食べて、同じ部屋で寝て、同じ時を過ごした。それはもう、友だちと呼んで差し支えないんじゃない? 違う?」
「――! そうです!」
ヒフミ先輩は話の流れに乗っかって、私の意見を肯定してくれた。……補習授業部の部長がヒフミ先輩でよかったとつくづく思う。この善良な人は、必ずハナコの助けになってくれるはずだ。この先、私がいなくなったとしても。
「ハナコちゃん! 私も貴方の友だちです! 今まで色々と関わってきましたが、その関係性に名前をつけるなら『友だち』で正しいはずです!」
「え、ええ……!? いやあの、部活の同輩とかは……」
「響きが他人行儀で嫌です!」
「はい!?」
……うん。ちょっとゴリ押しみたくなってるけど、ヒフミ先輩がハナコのことを友だちだと思ってることそのものに変わりはない。
「それに、部活の同輩だと、補習授業部が解散したら繋がりが切れてしまいます。そんなの嫌です! 部活が解散しても、私はハナコちゃんとお話したりしたいんです!」
「ヒフミちゃん……」
「……ほらね、ハナコ。貴方のことを友だちだと思ってる人、私以外にもいたでしょ? 色々と事情があるみたいだけど、きっとアズサもそう思ってる。だから……私のことで悔やみ続けるのは、もう辞めよう? もっと軽く考えようよ」
ゆっくりと、彼女の方に近づく。ハナコはもう思考すらおぼつかないのか、心ここにあらずといった状態だ。逃げないでくれるのは助かる。私じゃどうやっても追いつけないから。
「――もう、貴方は一人じゃないの。大きい失敗をしたとしても、相談すれば必ず友だちが助けてくれるから。もう大丈夫。ね?」
「――」
ギュッと、ハナコの体を抱きしめる。安心させるように、背中をポンポンと叩く。……言うべきことは言った。あとはハナコ次第だ。
しばらくそうしていると、ポツポツと肩に水滴が落ちてきた。少し冷たい。
「……」
ハナコは無言で崩れ落ちた。膝立ちの体勢になって、私に体を預けてくる。私とハナコには結構身長差があるから、これくらいの高さのほうが抱きしめやすくて助かる。……とはいえ、ハナちゃんが支えてくれてなかったら、重さに耐えきれずに後ろへ倒れていたに違いない。ありがとうハナちゃん。
「……んもう。また泣いてるの? ハナコって意外と泣き虫さんなのね」
「違……ご、ごめんなさ……」
「――いいよ。いろいろ抱えてたもの、全部ここで吐き出しちゃえ。私が受け止めてあげるから」
「……っ! でも! 私は、私……こんな私が、コハルちゃんやヒフミちゃんの友だちでいていいはずが「――友だちに、器や資格なんて必要ない!」!」
「言ったでしょ? もっと軽く考えようって。失敗なんて、誰にでもあるの。勿論私にも、ヒフミ先輩にも、先生にだってある」
ね? と問いかけると、「あはは……そもそも補習授業部に入れられたのは試験をブッチしたせいでして……失敗しました」【しょっちゅう計算ミスしてリンちゃんやユウカに怒られてるよ】と、それぞれの反応が返ってきた。いや先生はともかくヒフミ先輩は何してんの? ……ペロロ様のゲリラライブ見に行ったら試験と丸被りした? ああ、うん……そう……。
「ほらね? 皆失敗して、その都度反省して前向きに生きてるの。悔やんでばかりが人生じゃないよ。ハナコは知ってるだろうけど、今まで実感湧かなかったろうから教えてあげる。『失敗は成功の母』って言うのよ」
だから、自分を責めるのはもうやめましょう? 失敗は、次に活かせばいい。ハナコはそれができる子だから。
「そうやって反省して、次に活かして。一人じゃどうしようもないことは周りに、友だちに頼る。……今のハナコには、難しいことじゃないでしょ? だってもう、2人も友達がいるんだから。アズサも含めれば3人ね」
3人よれば文殊の知恵っていうんだから、四人も集まればもう無敵よ。そう思わない?
問いかけると、ハナコはもう言語を投げ捨てていた。
……その後のことはご想像におまかせする。ただ1つ言えることは、カーペットの水はけが良くて助かった、とだけ。また洗濯しなきゃいけないところだった。まだ今日の分だって終わってないのに。
「――先生、少しよろしいですか?」
泣きつかれて寝てしまったハナコ。それを抱えたまま、とうとう体力の限界が来て動けなくなったコハルをそれぞれ寝室に運び込んだ後。私の部屋に、最後の来客が訪れた。
【いいよ。入って】
「失礼しますね」
そう言って静かに入ってきたハナエは、後ろ手で音を立てないように扉を閉めた。
「本当は明日伝えようと思っていたんですが……ちょうどいいので、今伝えておきます。先生が危惧されていた、コハルさんの体調についてですが……」
運び込まれたベットの中、疲れ切った体を横たえながら、微睡みがやって来るまで少し考える。内容は、先ほど廊下で思い至った、私が補習授業部に選ばれた理由。
「――悪化の一途をたどっています。緩やかにですが、確実に。発作を起こしたのもありますし、今夜のこの夜更かしも響いてくるでしょう。そうでなくても、慣れない環境下で体力の回復が追いついていないんです。……このままでは、2次試験は受けれたとしても、3次試験までコハルさんが持ちません」
ずっと不思議に思っていた。直近の試験が無得点だったとは言え、この補習授業部に入れられたこと。加えて、この試験のルールの歪さ。学力試験であるにも関わらず全員合格という条件。……それも、補習授業部全員を、裏切り者ごと退学にさせたいのなら納得がいく。私が選ばれた意味も。
「恐らくですが、ティーパーティーはこの展開を織り込み済みだったはずです。コハルさんの事情と体調については、昔から救護騎士団より情報共有がされていましたから。……それがわかっていた上で、コハルさんを補習授業部に入れた。その真意は――」
長く付き合ってきた体だ。予想はつく。――恐らく3次試験まで持たない。ティーパーティーも、これを予測した上で私を選んだのだろう。ティーパーティーが私に求めたもの。この補習授業部における私の役目は……
「――3次試験で皆さんを確実に落とすため。裏切り者を排除するために、ティーパーティーはコハルさんを利用したんです」
――時限爆弾だ。