ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
……実を言うと、君がここに来るのはあまり歓迎すべきことではないんだ。
ここは夢と現の境界線上。非常にあやふやで、不安定な場所だ。ゆえに来ることができるものは限られている。何らかの理由で現世から離れかけているものだけが、ここに迷い込むのさ。私や、君のようにね。
……『現世から離れかけているもの』とはって? ふむ。そうだな、説明するならば……百鬼夜行でいえば高天原。ゲヘナで言えばヴァルハラ。そして我々トリニティでいえば……天国。それらに近しい者たちのことを指す。
もっと端的に言うならば……『死』に近しい者、ということだ。……自覚は、あるだろう?
……コハル。この先を知るものとして、君に詳しいことは言えない……例え結末が、全て虚無へ還るものだとわかっていても……誰に諭されるでもない、君自身の選択こそ、一時的にでも彼女たちを救える唯一の方法だ。
自分本位ですまないが……ナギサとミカを頼む。あの子たちは、あの子たちなりに最善を突き詰めようとしただけなんだ。その結果君に被害が集中しているのは本当に申し訳ないが……
君が目覚めた時にはこの会話も忘れているだろうが……願わくば、せめて、君が後悔しない生き方をすることを、勝手ながら祈っているよ。
「……う……ぅ?」
「――あ」
目が覚める。熱で浮かされた頭は、目で捉えた情報をぼやけた虚像として出力する。……ピンクの人間が私を覗き込んでいる。……ハナコ、かな。
「お、おはよう、ございます……コハルちゃん。といっても、まだ夜なんですが」
「……おはよ、う?」
頭に何か乗っている。冷たいし、ちょっと重い。でもそれが気持ちいい。ハナコはそれをどけて、別の何かを私の頭に乗せてきた。固い。さっきのよりもっと冷たい。……氷嚢?
「その……魘されていたようだったので、氷嚢を新しいものに取り替えようと……え、えっと……具合は、如何ですか?」
……いえダメそうですね見れば分かりますよねごめんなさい……。
質問したかと思えば自分で結論を出して自虐し始めるハナコに、気にすることはないとの意味を込めて首を横に振る。熱が高くて喋るのがしんどい……。
それにしても、どうにもハナコは私相手になると引っ込み思案というか、口が回らなくなるのは相変わらずのようだ。もっと気楽に接してくれていいのに……まあでも、以前に比べればどもる頻度も減っているし、改善はされている。昨夜の話し合いの効果だろうか。……そういえば、今何時なんだろう。
少し起き上がって(ハナコに背中を支えてもらった。「動かないでください」と止めてくるものだから意図を伝えるのが大変だった)時計を見ると、時刻は20時を回っていた。
「も、こんな時間……」
「他の皆さんはもう夕食を済ませまして……コハルちゃんは、その……何か食べたいもの、とかは……」
確かに何か胃に入れておかないと。薬も飲まなきゃいけないし、こうも熱が高いと頓服も飲みたい。
そういった合理的な理由とは裏腹に、熱で頭がポヤポヤしていた私は、つい問いかけに素の欲望で応えてしまった。
「――パフェ」
「……はい?」
「アイリが、前に言ってたの……夜に、限定のパフェを売ってる、スイーツショップがあって……美味しいよって……いつか、一緒に行こうねって……でも、夜は……動けなくて……」
――あ。
ここにきて、私は結構無理難題をハナコに言ってしまったことに気付いた。これだとハナコに今からパフェ買ってきてって言ってるのと同じだし、この時間帯に外を出歩くのは厳密に言えば校則違反だ。正義実現委員の一人として、友だちにそんなことはさせられない。
「……ごめんなさい、今のは忘れて。……ゼリー飲料があるから、それを持ってきて貰えると……」
「……わかりました」
そう答えたハナコは私を再びベッドに寝かせると、ゼリー飲料を枕元まで持ってきてくれた。オマケに蓋まで開けて渡してくれる。今手に力が入らないから開けてくれるのは正直助かる……。
ゆっくりゼリーを飲み込んだあと、普段よりもさらに種類の増えた薬を全部飲み、落ち着いた私は再びベッドに倒れ込んだ。ハナちゃん曰く「今までの疲れが表面化したんでしょう」とのことで、風邪ではないから、こうして寝ていれば試験までには熱も下がるはずだ。先生にも試験まで体力回復に努めてほしいって言われたし。……試験、か。
正直なところ、退学の事実を知った時は驚いたけど……同時にどこか納得した自分もいる。今回の件、他生徒ごと裏切り者を放逐するというのは、確かにあまりにも強引で、パワープレイにも程があるけど……為政者の判断として、必ずしも間違っているとは言えないのだ。巻き込まれた人、ヒフミ先輩とかはたまったものじゃないだろうけど。……ティーパーティー、特にその代表者たちは、トリニティにおける絶大な特権と引き換えに、重い義務を背負っている。このトリニティを維持する、存続させるという巨大な義務を。その重圧は相当なものだろう。……もし私がティーパーティーと同じ立場なら、ここまで強引に事を進めることはしたくないけれど……それでも、そうせざるを得ないならば、全く同じことをするかもしれない。その可能性を否定しきれない。故に、私はティーパーティーを責められない。
ただ気になるのは、今のティーパーティーの状況。今回の件、ここまで強引にことを進められるのはホストだけだ。今のティーパーティーホストはナギサ様。彼女の精神状態が心配だ。いくらなんでも、好き好んで人を退学させたいわけではないだろう。痛む心はあるはず。それをケアしてくれる人が、彼女のそばにいてくれるといいのだが……"キリちゃん"に様子を聞きたいところだけど、守秘義務とかあるだろうし、何よりここ最近は音信不通で連絡が取れない。無事でいるといいのだが。
そんなことを考えていると、ポンポンと優しく頭を撫でられる。見ると、ハナコが心配そうな顔でこちらを見ている。
「コハルちゃん。今は難しいことは考えず、楽にしていてください」
「……うん。ありがとう、ハナコ」
一定の間隔でポンポンされていると、どんどんと瞼が重たくなってくる。――気づけば、私の意識は再び夢の中へと旅立っていた。
【……ハナコ? どうしたの?】
「先生……お願いがあります」
夜中の商店街は、思っていたよりも人影が多かった。流石に昼間ほどではないが、ちらほらと生徒たちや、獣人、オートマタの姿が見える。
「なるほど、深夜の街はこんな感じなのか……思ったより活気がある」
同じ感想に至ったアズサが感嘆したように声を上げる。確かに、もう時間的には深夜に差し掛かっているのだけど、皆元気だね。
「あはは……24時間営業のお店も多いですから。喫茶店だったり、スイーツショップだったり……あ、ここからもう少し行くと、モモフレンズのグッズショップもあるんですよ! その向かいには限定グッズだけを取り扱う隠れたお店も……」
【詳しいんだね、ヒフミ】
「あ、あはは……」
誤魔化すようにヒフミは笑った。さては、この感じだと相当夜歩くのに慣れているな?
――そんな会話をする私たちを尻目に、一人目的地へ淡々と進み続ける者が一人。
「地図によるともうすぐ……ここですね。皆さんこちらです」
そう言ってハナコが指し示したのは、一件のこじんまりとしたスイーツショップ。華美すぎず、落ち着いた風合いの店構えは、ある種の上品さすら感じさせる。トリニティのイメージにぴったりな店だ。
「あ、ここは……確か限定パフェがすっごく美味しいと巷で話題の……なるほど、コハルちゃんが言ってたのは此処だったんですね。24時間やっているとは知りませんでしたが」
「トリニティ広しと言えども、夜間にのみの限定パフェを扱っているスイーツショップはここぐらいです。間違っていることはないでしょう。テイクアウトのサービスもあるそうですから、早く手に入れて帰りましょう」
「そうだな。コハルも合宿所で待ってる。ハナエが面倒を見てくれているとは言え、心配だ。手早く済ませよう」
――ハナコが突然お願いをしてきた時は驚いたけど……なんでも、コハルが欲しがった限定パフェを買うための、夜間外出の理由として私を使うつもりらしく……私が引率しているという体裁を保つことで、この夜間外出を咎められた際の言い訳にするようだ。ハナコからはそう説明されて頭を下げられたが……もとより生徒のお願いを拒否するつもりは、私にはない。それが友達のためだというなら尚更だ。
そうして私と2人、合宿所を出ようとしたところで、話を聞いていたヒフミとアズサがついてきて……
一人欠けた補習授業部の面々は、目的の店へと入っていった。
店内は表の店構えと同じく、モダンでシックな雰囲気で溢れていた。身なりのいいオートマタの店員が、こちらに気づいて挨拶をしてくる。
「――いらっしゃいませ。4名様でしょうか? ご注文をどうぞ」
「すみません。限定パフェを一つ貰えますか? 持ち帰りで」
間髪入れずハナコが注文をつける。それに対し、店員は困ったように目……と思われる表情パーツを変化させた。
「ああ、申し訳ございません……限定パフェはちょうど先ほど、別のお客様が3つ購入されたのが最後でして……」
「あうぅ、そうでしたか……」
「一歩遅かったか。限定とは言え、こんな時間のメニューが売り切れるとは……侮れないな」
残念ながら、私たちが求めていたスイーツは既に売り切れていた後だった。こんな時間の限定商品が売り切れるとは、少々予想外だ。確か欲しがったコハルも、スイーツ部から話を聞いていたんだったか。学園都市であるキヴォトスにおいて、甘いものは人気も高いことは知っていたものの……ここまでとは……。
【どうする? ハナコ。代わりに別のものを買って帰るかい?】
「……いえ。代わりのものでもコハルちゃんなら喜んでくれそうではありますが……初めてコハルちゃんがワガママを、自分が欲しいものを言ってきたんです。できればそれを叶えてあげたい。――明日もう一度来ます」
【わかった。その時はまた付き合うよ】
「――ありがとうございます、先生」
今日合宿所を出てから初めてハナコが微笑んだ。そんなやりとりをしていた時だ。
「――あら?」
補習授業部ではない、されど聞き覚えのある声が響いた。
「せ、先生……?」
そちらに振り向くとそこには、スプーンを持って固まっている、とても大柄な生徒の姿が。特徴的な黒く大きな翼も、驚きすぎたのか微動だにしない。まるで出来のいい彫刻のようだ。
【ハスミ……!?】
正義実現委員会副委員長、羽川ハスミがそこにいた。……明らかに限定パフェと思われるスイーツを3つ、目の前に並べた状態で。
「あれ? コハルさん、起きてたんですか? ……それは?」
コハルさんの氷嚢を交換するために部屋に入った私は、ベッドテーブルに何かを拡げているコハルさんを目にした。頓服の効果で熱が下がっているのか、少しばかり体調の良さそうなコハルさんは、私を見るなり申し訳なさそうな顔をした。
「あ、ハナちゃん。ごめんね、起きてて。熱が下がって、少し頭を働かせたくなったから、ちょっとの間だけやってたの」
「やってたって……これは、チェスですか?」
「うん。昔友達に教えてもらって。たまに会うときは指したりもしてて……」
コハルさんが拡げていたものの正体は、チェス盤と駒だった。普通、チェスは互いに色違いの同じ駒を使うはずなのだが……黒はキングとクイーン、後はポーンだけ。白はキングと、ルーク、ナイト、ビショップがそれぞれ3〜4個ずつ……かなり変則的な形だ。
「おかしな形でしょ。ハンデ戦でね、黒は友達が、白は私が使ってたの。相手はポーンだけなのに、全然勝てなかったな……」
今でも時折、こうやって再現したりするの。でも私が一人で指すと、だいたい黒が負けるのよね。あの人は本当にチェスが上手くて……。
感慨深げに、コハルちゃんは目を細めていた。へー、チェスのうまいお友達ですか……コハルさんは本当に人脈が広いですね。どんな人なんだろう。トリニティにはチェス部もあるから、そこに所属してる人かな?
そう聞くと、コハルさんは首を横に振った。
「チェス部には所属してないの。ティーパーティーの人でね、条約絡みで忙しいのか、私の体調の兼ね合いもあってなかなか会えなくて……最近は連絡もつかないし……ちょっと心配。あ、そうだ。写真あるよ。見る?」
是非にと私が頷くと、コハルさんは懐から銀色に輝く何かを取り出した。これは……懐中時計? なんだかちょっと高価そうな雰囲気をしている。
「その友達からの貰い物でね、向こうも持っててお揃いなの。この中に……」
パチンと音を立てて蓋が開くと、精巧な作りの時計盤が姿を表す。針が時刻を刻むその上、蓋の裏側に、1枚の写真が貼り付けられていた。
「言わなくてもわかると思うけど、こっちが私。で、こっちがその友達。きれいな髪でしょ?」
「……これは」
そこに写っていたのは、2人の人間。楽しそうにピースサインを作る、珍しいことに正義実現委員会のものでない、ノーマルな制服を着た、笑顔のコハルさん。そしてそんな彼女に腕を引かれて、困ったように、されどどこか楽しそうな雰囲気を醸し出している――亜麻色の長髪が特徴的な少女。
「……元気にしてるかな、"キリちゃん"」
コハルさんは声音に寂寥を滲ませながらそう呟いた。