ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
「ここに来て1週間が経ちました」
日の沈んだ教室。教卓の前にて、電灯の明かりに照らされながら、ヒフミ先輩が口火を切った。
「明日はいよいよ第二次試験……ここに来るまでに、私たちはしっかり合格できるだけの実力を身につけられたと思います」
「うん」
ふんすと鼻息荒くアズサが首肯する。一番伸び代があったのアズサだもんね、先生面してた者として鼻が高い。隣でハナコも優しげに微笑んでいるあたり同じ気持ちのようだ。
【うん、皆本当によく頑張ったよ。これなら本番でも十分合格できる】
先生からも太鼓判を押される。実際、学力的に不安だったアズサの点数が改善されれば、あとは皆特には問題ないメンツばかりだ。合格は確実だろう……ただ、懸念点が一つ。
「あとはしっかりと試験に合格し……補習授業部を堂々と卒業するだけ……なのですが……」
今まで軽快に回っていたヒフミ先輩の舌の動きが急に悪くなった。尻すぼみになりながら、私の方を見つめてくる。心配そうな表情で。……まあ、うん。そうなるよね。
「……大丈夫ですか? コハルちゃん。体調の方は……」
「大丈夫、って言ってあげたいけど……正直、あんまり良くはないかも。ごめんなさい」
「謝らないでください! それに……いえ、何でもないです……」
全く何でもなくなさそうな声音で、ヒフミ先輩が顔を背けた。
――つい数日前の大騒ぎ。美食研究会によるゴールドマグロの奪取。ヒフミ先輩たちはそれに巻き込まれて、正実側として美食研究会と戦ったらしい。……だがしかし、動機が私の病気を治すためだったと判明して……以来、ヒフミ先輩ですらこの有様だ。どうにも、私の治療の可能性をもぎ取ってしまったと罪悪感に駆られているみたいで……なるべくしてなったのだから、そんなに気にすることないのに。そもそもマグロの効能も眉唾物だし。
勿論そう伝えたのだが、どうもそう簡単に割り切れる訳では無いらしく。……歯がゆいなぁ。私自身はとっくの昔に見切りをつけてることだから、そんなに気にしなくていいんだけど。
「……あー、安心して。ヒフミ先輩。二次試験は絶対受けるから。ここまで来て、体を言い訳にしたくないし」
というか、3次試験までもつれ込むと間違いなく体力が持たないので、何があっても二次試験には出るしかない。……最悪の場合、"最後の手段"を切れば試験中は問題ないだろう。反動がヤバいけどこればかりは仕方がない。
無意識に制服の胸元を握ると、内側のポケットに収められたアンプルがチャプチャプと音を立てた。……まあよほどのことがない限り、使わなくて済むはずだ。ハナちゃんに泣かれたくないしね。
「……その。無理だけはしないでくださいね、コハルちゃん」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう、ハナコ」
「……友達、ですから」
不格好な笑みを見せるハナコに安心させるように微笑む。ハナコも、美食研究会の動機がわかった後は愕然としていたが……今はあまり引きずっていないように見える。割り切ったのかな。
「――あー、そう言えば……合格したら、もうお別れになるのか……」
時が経つのは早いな……と、アズサが1人ごちている。話題を変えてくれてありがとう、アズサ。変えた話題もまたアレなんだけど、そこは言わぬが花だろう。
「急にしんみりしなくても……補習授業部としての活動が終わるだけで、私たちの関係は変わらないよ。違う?」
別に今生の別れでもないし、会いたければまた会えばいい。少なくとも、私以外はそれで問題ないはずだ。私? ――なるべく早めに会いに来てくれると嬉しいな。
「そうですね。補習授業部が解散しても、皆同じ学園にいますし。会いたいなら、会いに行けばいいんです。……特に理由がなくても、会いに行けるのが友達ですから」
「私は体調の兼ね合いもあるけど……基本的には正義実現委員会の押収品管理室にいるから。暇な時があったら来てもいいよ。お茶くらいなら出せるから」
「……友達……うん」
コクリ、とアズサは頷いた。……アズサの中で、この合宿がいい思い出になれたのなら、強制とはいえ参加した意味もあったかな。
「あはは……えっと、気持ちとしては同じなんですが、まずは試験に合格することが先決でして……その後の話は、テストが終わった後に考えましょう。とにかく、今日は早めに休んで、明日の試験に備えましょうか」
「そう言えば、明日の試験会場って、この前と同じところであってる?」
ほら、これで会場間違えてて試験受けられませんでした〜じゃ笑い話にもならないから……
私の確認に、ヒフミ先輩は思い出したように懐から端末を取り出した。
「あ、そういえばまだ告知を見ていませんでした。えっと、トリニティの掲示板っと……」
ポチポチっと端末を弄っていたヒフミ先輩は……そのまま固まって微動だにしなくなった。心なしか、目を見開いているように見える。あれ? どうしちゃったの? なんかペロロ様関連でも見かけた?
「――は? ……え。ええっ!?」
「ヒフミちゃん、どうかしましたか?」
ハナコも気になったか、様子のおかしいヒフミ先輩に声を掛ける。しかし、ヒフミ先輩はそれに反応せず……というか、できず。
「嘘。……え、嘘。嘘ですよね!?」
「お、落ち着いてください、ヒフミさん。深呼吸、1回深呼吸しましょう。ね?」
一体何を見たというのか、わなわなと唇を震わせて、ヒフミ先輩は半ばパニック状態に陥っていた。見かねたハナちゃんがヒフミ先輩のそばに寄って落ち着かせる。その間に、回り込んだハナコが後ろからヒフミ先輩の端末をのぞき見た。
……何故だろう。なんだか凄く……嫌な予感がする。
「ええっと――『補習授業部の、第二次特別学力試験に関する変更事項のお知らせ』?」
「ウイ委員長! 大変です!」
バンッ! と大きな音を立てて扉が開き、シミコが息せき切って飛び込んでくる。
「ティーパーティーがこの土壇場になってとんでもない告知を……」
「もう知ってます。……やってくれましたね、あのクソアマ」
ピシリ。と、持っていたコップにヒビが入り、中に入っていたアイスコーヒーが滲み出す。黒い液体と赤い液体が混ざり合う……手の痛みで少し冷静になれた。今は憤るより先にやることがある。
「――シミコ、予定通り、彼女たちに連絡を。コハルさんを運ぶ足が必要です。……急いで! 時間がありません!」
「は、はい!」
慌ただしく部屋を出ていくシミコの背中を見送りながら、改めてPCの画面を眺める。
「……しかし、まさかこんな暴挙に出るとは。各方面からの反発は必至でしょうに。とうとうイカれましたか……それにしても……」
まさかこの時期にあそこを会場に指定するとは、流石に考えていませんでしたよ……条約を結びたいのか、滅茶苦茶にしたいのか、どっちなんですかあの女。
PC画面に映し出された、トリニティの掲示板。そこには、第二次試験の変更事項について書き連ねられていた。
「『試験範囲を、既存の範囲から約3倍に拡大』……?」
……はい?
とんでもない事を言いだしたハナコに、思わず目が点になる。いや、いやいやいや! テストって明日よね? 前日に範囲拡大とかそれ一番やっちゃいけないやつ!
「『また、合格ラインを60点から90点に引き上げとする』……?」
「へ? きゅ、90点ですか!?」
ヒフミ先輩を介抱していたハナちゃんすら、思わず驚愕の声を上げる。……90点なんて、調子のいい時の私やハナコくらいしか取ることができない点数だ。それが、最低ライン……?
「……更新時間を見る限り、つい先ほど掲示板にアップされたようですね。……露骨な真似を」
「いくらティーパーティーとはいえ、こんな暴挙が許されるのか? 試験前日にこんな……」
「ティーパーティーには今回の試験の監督権があります。常識はずれですが、一応は可能です。今まで誰もやらなかっただけで。……それだけ、なりふり構っていられないということでしょう。よっぽど私達を退学にしたいと見ました」
「……退学?」
平坦な声音で話すハナコに、アズサが疑問をぶつける。こんなに冷たいハナコ初めて見た……いや、そこを気にしている場合じゃない。
【……ごめんね、アズサ。アズサ以外はもう知ってることで……本当は後ほど伝えるつもりだったんだけど……】
「その話の前に、まだ変更された部分があります――!?」
まだ変更点があるの? これ以上はお腹いっぱいなんだけど……
私の思いも虚しく、ヒフミ先輩の端末を半ば奪い取って見ていたハナコが、目を見開いて息を呑んだ。そのまま視線がスライドして私を見てくる。え? 何?
「あ、試験会場と時間も変更されてますね……試験会場は『ゲヘナ自治区第15エリア77番街の廃墟1F』――は?」
言葉を失ったハナコの代わりにハナちゃんが読み上げて……フリーズした。嫌な沈黙が教室に舞い降りる。……待って、聞き間違い? 今まさか『ゲヘナ』って言った?
「げ、ゲヘナで試験を受けるんですか!?!?!?」
やっと再起動したヒフミ先輩が、聞いたことのないくらい大きな声をあげた。……気持ちはわかる。普通トリニティの試験をゲヘナでやるわけないからね。それも、今の時期に。
「……これは……」
「……行かなければ、未受験扱いで不合格、といったところですが。――ああ、そういうことですか。コハルさんをわざわざ補習授業部に選んだのはこのために……」
――ふざけやがって。
こらえきれないとばかりにハナコが吐き捨てた。……そっか、私が補習授業部に選ばれた理由。体が持たなくて三次試験を受けられないだろう点を利用されたとばかり思っていたが……二次試験でここまで露骨な妨害をするなら、それも込みで入れるだろう。試験会場にゲヘナを指定すれば、危険すぎて私は受けられないものね。それだけで全員合格は達成不可能になる。……かつて、ジュンコとした会話を思い出す。
「そういえば、ジュンコがおすすめしてくるお店って、だいたい他学区よね。ゲヘナにはないの?」
そう聞いた時の、ジュンコの表情は忘れられない。
「コハルは来ちゃダメ」
「……そんなに、治安が悪いの?」
「そこら中から流れ弾が飛んでくるのがデフォだから。不良とか、それと戦う風紀委員とか、他にも色々。コハルなんてあっという間に穴だらけにされちゃう」
「そんなになんだ……」
ジュンコは少々話を盛るきらいがあるけれど、これに関しては全部本当なんだろうなって察した。
グイっと手元のマグカップに入った紅茶を飲み干したジュンコは、据わった目つきで私に言った。
「いい? コハル。約束して。何があっても、絶対ゲヘナには来ないって。来てもろくなことにならないから。……絶対だよ?」
「人生って、ままならないね。ジュンコ……」
そう1人呟く間にも、場はどんどん混迷を深めていく。
「ゲヘナって……ティーパーティーは正気ですか!? あんなところで、コハルさんにテストを受けろと!?」
「……正気の沙汰ではないことには同意しますが、本気ではあるでしょうね。ティーパーティーとしては、これでコハルちゃんが未受験になれば全員まとめて不合格で万々歳ということでしょう」
「そんな……」
「ナギサ様……そこまで貴方は……」
信じられないと言わんばかりに両手で口元を覆うハナちゃん。苦虫を百匹単位で噛み潰したような形相をしているハナコ。光を失った目で呆然としているヒフミ先輩。
「……聞いてもいいか? さっきの、退学について」
【ああ、うん。私が説明するよ】
ほぼ唯一冷静さを保っていた先生が、アズサに説明してくれた。そもそもの補習授業部の成り立ちの経緯から、桐藤ナギサの企てまで、全部。
「……試験に3回落ちたら退学、か。……なるほど」
「隠していてごめんなさい。まさかこんなことになるなんて……」
全てを知ったアズサは尚も冷静だった。流石というべきか……訓練の賜物ってやつかもしれない。ヒフミ先輩が頭を下げたが、アズサは大丈夫だと手を横に振った。
「状況は理解した。とにかく出発しよう」
「え、えぇ!? 出発って……今から向かうんですか!? ゲヘナに!?」
「試験時間が『深夜の3時』と書かれている。今から出発しないと間に合わない」
やっぱりか……範囲も点数も会場もいじったんだもの。そこもいじってくるよね……深夜の3時、か。どうあっても私に試験を受けさせないつもりのようだ。
「驚くにせよ、怒るにせよ、嘆くにせよ……それは試験を受けてからでも遅くは「――待ってください」……?」
アズサの発言は、途中で冷たい声に断ち切られた。……ハナちゃん?
「今の状態で、コハルさんを行かせられません。ただでさえここまで無理を重ねているというのに……その上ゲヘナまで行けだなんて。――許可できるわけないでしょう! そんなの!」
「ハナエ……だが、ここで手をこまねいていても、待っているのは退学だ。私達は、トリニティを去らないといけなくなる。――コハルも含めてだ」
「だとしても! 命あっての物種でしょう! ゲヘナなんてこのキヴォトスでもトップクラスに治安の悪い自治区です、キヴォトス最強と言われるゲヘナ風紀委員会が活動していてもああなんですよ!?」
自殺行為です! と、ハナちゃんは強い口調でもって吐き捨てた。……ここまで言葉を荒げるハナちゃんは初めて見た。なんだか今日はいろんな人の意外な一面を見てばかりだ。
「……すまない、ハナエ。今は問答をしている暇はないんだ。邪魔をするならば……」
「……やる気ですか。なら――」
いや、そんな事を言っている場合じゃない。とりあえずこの場を収めなければ。一触即発の両者の間に、私は体を滑り込ませた。結構しんどいけど……友達が争うのを見るほうが辛い。私が原因なら尚更だ。
「やめて、2人とも」
「……コハルさん」
「ハナちゃん、心配してくれてありがとう。今まで本当にいろいろお世話になって、感謝してもしきれないわ。……でも、ごめんなさい。行かなくちゃ」
「なんで……っ。――なんでわかってくれないんですか! ご自身の状態は、コハルさんが一番よくわかってるはずです! それなのに……!」
「うん。実際、今は薬で無理やり動いてる状態だし、ハナちゃんが正しいよ。……でも、ここで諦めたら、次のチャンスはないことも、ハナちゃんならわかってるんじゃない?」
「っ……」
「3次試験、今の具合じゃまず保たないでしょ? それに、ティーパーティーがここまで強硬に事を運ぶなら、3次試験でも必ず妨害してくる。その時果たして、私が動けるかどうか……試験をまともに合格するなら、これがラストチャンスになる」
試験直前になってこんな変更を堂々とかましてきてるのだ。3次試験のときには試験会場を正義実現委員会総出で封鎖させてても驚かない自信がある。……ハスミ先輩たちなら、普通に入れてくれそうだからそれはないか。
「何より……私だけならまだしも、ヒフミ先輩やハナコ、アズサの進退までかかってるの。私1人、足を引っ張るわけにはいかない。……ワガママ、聞いてくれる? ハナちゃん」
ギリ、とハナちゃんは奥歯をかみしめた。ギュッと拳が握られて……だらりと垂れ下がる。
「〜〜〜っ。……薬は深夜3時まで持ちません。ゲヘナへの移動中に効果が切れるかと。連続使用できるものではありませんし……どうするおつもりですか?」
「うん。……これを使うしか、ないかなって。あまり使いたくないけれど」
制服の内側、ポケットに隠していたアンプルを取り出し、ハナちゃんに見せる。通常のものとは違う、赤い色の液体が、プラスチックの中で揺れ動く。それを見た途端、ハナちゃんが顔を歪めた。
「まだ持っていたんですか……そんな欠陥品を……!」
「確かに欠陥品だけど……まともじゃない私がまともに動けるようになる、数少ない手段だから。――ホントにごめん、ハナちゃん」
パキリと素早く先端を折り取り、露出させた針を、私は周りに制止される前に自分の首に打ち込んだ。
ド ク ン
心臓が一瞬悲鳴を上げる。視界がブレる。姿勢が崩れかけたところを、アズサが咄嗟に支えてくれた。
「コハル!? 大丈夫か、というか何を打ち込んだ!?」
「はぁっ……はぁっ……ふぅ。――もう大丈夫。ありがとうアズサ」
「質問の答えになっていませんよ、コハルちゃん。……ハナエさんは"欠陥品"と称していましたね。それは一体、何です? 以前の発作で使われたものとは色が違いましたが……」
流石ハナコだ、あの一瞬でそこまで見抜くとは。これ以上心配をかけたくはないので、説明することにする。
「今打ったのは、普段の発作用とは違う薬品でね。詳細は省くけど……強心作用が強くて私でも普通の人みたいに動けるようになるの。効果時間はマチマチだけど……少なくとも、ゲヘナへの移動と試験時間の間なら保つと思う」
昔から診てくれている私の主治医さんが、正義実現委員会で活動できるようにと用意してくれた特別製。私の最後の切り札だ。と言っても、ほとんど使う機会がないんだけれどね。担当業務が押収品管理と医療だからまず前線に立たないし、なんなら立たせてもらえない。それに、私自身あまり使いたくはないのだ。その理由は、この薬の副作用にある。
「今の説明だといい感じに聞こえますが……そんなに都合のいいものじゃありません。薬の効果時間中は常人のように動けるのは確かですが、さながらスクラップ寸前の車にジェットエンジン取り付けてかっ飛ばしてるようなものです。行き着く果ては空中分解……薬が切れれば、無理させていた分が反動で一気に噴き出して酷いことになりますし、それでもなお連続で使い続ければ……」
「……使い続ければ、どうなるんですか?」
ヒフミ先輩の疑問に、ハナちゃんは仏頂面で応えた。
「心臓が破裂します」
「はれ……!?」
あ、伏せてたことまで全部言われちゃった……
「だから"欠陥品"なんです。こんなもの、薬と認めたくもありません。医療への冒涜ですよ……」
もう、使わせてしまいましたが……。
悲しげに項垂れるハナちゃんを見て、チクチクと罪悪感が湧き出る。うぅ、ごめんねハナちゃん……でも、深夜まで体を保たせるならこれを打つしかないから……
そう、この薬はけして症状を緩和させるものじゃない。むしろ真逆……体に負担をかけて、それを鎮痛効果で誤魔化すことで、本来無理な動きを無理やりできるようにするものだ。ハナちゃんが欠陥品扱いするのも頷ける。
「……色々と言いたいことがありますが、時間がありません。アズサちゃん、ヒフミちゃん、出発の準備を。車が必要ですが……私がなんとかします。コハルちゃんはこれ以上無理をしないでください」
「うん……本当にごめんね、ハナちゃん……」
「……………………。――いえ。元はと言えばこんなふざけた真似をしでかしたティーパーティーが悪いんです。……よし!」
パチンと両手で自分の頬を叩いたハナちゃんは、いつも通り……を取り繕った笑顔を私に向けた。
「この不条理さはあとで下手人にぶつけるとして……今は試験のことを考えましょうか。ハナコさんが車を用意してくれるそうなので、それまでコハルさんは少しでも体を休めましょう。無茶をしなければ、その後の反動も軽くなるはずです」
うん、わかったと返事をしようとした、そのときだ。
――甲高いスキール音が耳をつんざいた。え、何事!?
「今の音は……?」
ハナコの疑問に合わせるように、アズサがバッと窓を覗く。
「あれは……APC(装甲兵員輸送車)だと!? 一体誰があんなものを……」
「え!?」
驚いて窓に近寄る。すぐさまアズサにカバーポジションへと引きずり込まれるが、その前にいろいろと見えた。
合宿所の玄関前に、1台の装甲車が轍を刻んで停まっている。8つのタイヤがついた、装輪式の装甲車……特にエンブレムなどは見当たらず、所属がわからない。ティーパーティー? まさか物理的に動けなくしにきた? ……いや流石にそこまでするかな……
ごちゃごちゃと考えていると、短くクラクションが鳴らされた。同時に、それに負けないくらいの大声が響き渡る。
「――コハルさん! 皆さんも! 乗ってください!」
「この声……レイサ!? どうしてここに……」
「説明は後です! 試験に行くなら、足が必要でしょう? タクシーと言うには少々ゴツいですが、今から行く場所にはちょうどいいはずです!」
――ゲヘナ自治区。ヒノム火山を中心として成り立つこの自治区は、ブラックマーケットにつぐキヴォトスきっての無法地帯として知られている。ゲヘナ生の気質というべきか、どうにも己の欲望を優先する生徒が非常に多く、日夜それらを取り締まるゲヘナ風紀委員会とのイタチごっこを繰り広げている。
そんな自治区であるからして、日中だろうが深夜だろうが、しょうもないことを企む生徒は枚挙にいとまがない。彼女たち2人もまた、そのしょうもない生徒のくくりに入る者たちであった。
「……なぁ、まだ粘るのかー? すげえ寒くなってきたんだけど……」
「おいおいビビってんのかよ? まだ宴も酣だろうが!」
「絶対使い方間違ってんだろそれ……」
2人のゲヘナ生徒が、トリニティとの境界線にほど近い場所でたむろっていた。もう夜の帳が下りて暫く経っている。ヒノム火山があっても寒いものは寒い。この時間帯は特に。
「ていうかさぁ……よくよく考えたら、うちらの自治区に来るもの好きなトリニティ生なんているわけないだろ……もう三日くらい張ってて今更言うのもなんだけどさぁ……」
「何いってんだよ! ……なんだっけ、なんちゃら条約? とかいうのを結ぶってので盛り上がってんだろ? なら一人くらいこっちを見に来るヤツがいるだろうよ! そのマヌケをさらって身代金をがっぽりいただくって寸法よ! ケケケ!」
「それもう3回くらい聞いたぞ……その上で3日経って釣果0だから言ってんだろ……」
はぁ、と吐いた溜息が、寒さで白く濁る。もうこの馬鹿だけ置いて帰ろうかな。でもなぁ、ここまで付き合ったんだし今更やめるのも……
片方がコンコルド効果に悩まされている、そのときだ。道路の先から光が見えた。
「車だ!」
「嘘だろホントに来るやついたのか!?」
慌てて身を翻し、其の辺の茂みに隠れる。事前の計画では、とりあえず近づいて来たところをタイヤを撃ってパンクさせる……というところまでは決めていた。逆に言うとそれしか決めていない。今さらながら何とも行き当たりばったりな計画だ。
「……近づいてくるぞ! ケケケ! これから何が起こるかも知らねぇでよぉ!」
「……あれ? なんかあの車おかしくないか?……乗用車ってあんなデカかったっけ?」
疑問に思ったのも束の間。乗用車のヘッドライトにしては強烈な光がぐんぐんと近づいていき……全貌が見えた段階で、彼女たちはその計画を捨てざるを得なかった。
「「そ、装甲車ァ!?」」
唸りを上げて走り去るその巨体を、彼女たちは呆然と見送る他無かった。
「……トリニティから、ゲヘナに装甲車で来るってどうなってんだよ……」
「……とりあえず、もう帰ろうぜ。関わったらなんかヤバそうだ。今温泉開発部も絶賛大暴れ中で風紀委員会もピリついてるし……触らぬ神になんとやら、だ」
「――驚きました。ボランティアの寄り合いである【自警団】が、このような本格的な軍事車両を所有しているとは……」
本来、武装した歩兵10人以上を運べるように設計された装甲車の中は、先生とハナちゃんを含めた私達補習授業部全員が乗っても余りあるスペースがあった。車内ハナコが感想を述べる。
「し、しかもこれ、ほぼ新品ですよね? ブラックマーケットに流れている中古品とは違います……どこからこんなものを……」
「パトロンから、とだけ言っておきます」
追随したヒフミ先輩の声に、運転手……自警団の守月スズミ先輩が答える。その声音は、いつもより固い。
「……え、えーと。それにしても、大丈夫なんですか? ゲヘナに装甲車で乗り込むだなんて、下手すると条約に影響がありそうですけど」
「さぁ?」
「……さ、さぁ?」
「ゲヘナを試験会場に指定したのはティーパーティーですから。当然先方に話は通してありますよね? なら何で行ったって問題にはならないのが普通です。こちらはリスクに最大元対応したまでですから……それで不都合が起きるなら、そちらの責任ですよね頑張ってくださいねとしか」
ヒフミ先輩の疑問に、愛銃を手元で整備しながら、レイサが冷たく返答した。……これ結構マジで怒ってるわね。確かに、今回のティーパーティーの暴挙は目に余るものだけれど……レイサでこれなら、ハスミ先輩とかどうなるんだろう。この時間は流石に寝てるかな。……明日知ったら大変なことになりそうだ。今のうちに一報入れて制止しておかないと。あそうだ、ツルギ委員長には流石に今連絡しておくべきか。約束もしたし……いやダメだ。ゲヘナにいるなんて知られたら絶対ややこしいことになる。最悪単身でゲヘナに突っ込んできかねない。そうなったら最後、条約どころか普通に戦争だ。……ま、まあツルギ委員長なら冷静に判断してくれると思うけど……やっぱり連絡はしないでおこう。ごめんなさいツルギ委員長。
「『ゲヘナはほとんど無法地帯、トリニティでは予想もつかない馬鹿がひしめいている場所』とはパトロンの方の弁です。……コハルさんを連れて行く以上、普通の乗用車では不安がありましたので。実際先ほどのゲヘナ生の様子を見る限り、普通の乗用車では襲撃されていたでしょうから、これで来て正解でしたね」
まっすぐ前を見すえてハンドルを握りながら、スズミ先輩がそう占めた。確かに、一般ゲヘナ生(って言っていいのかな? ほぼ不良だったけど)はこれにビビって手出ししてこないみたいだけど……風紀委員会に見つけられたら不味い気がする。ティーパーティーがそのへん根回ししてることを祈るしか……してないだろうなぁ。私が本当にゲヘナに行くとは微塵も思っていなさそう。この切り札の存在は主治医とミネ団長たち救護騎士団の一部しか知らないから、ゲヘナを指定しておけば体の都合上諦めるしかないと思っていたんだろうね。
「……! 前方に人影が数人。これは……ゲヘナの風紀委員会! 検問だ!」
そのとき、ハッチから頭をのぞかせて周囲を警戒していたアズサが声をあげた。車内に緊張が走る。
「そこの不審車両! 止まれ! ここから先は立ち入り禁止になっている!」
「装甲車だと……? 一体どこの組織だ!? まさか襲撃か!?」
不味い、かなりピリついている。中に乗っているのがトリニティの生徒だと知ったらさらに大騒ぎになりそうだ。……正義実現委員会の制服、脱いでくるべきだったかな。今さら思い立っても遅いか。
「あわわ、どうしましょう……」
【……ここは私が宥めてみるよ。アズサ、ハッチを開けてくれるかい?】
真剣な顔をした先生が、アズサと交代して上部ハッチから顔をのぞかせた。
「……? 大人、だと?」
「待て、アレはシャーレの……」
【うん。シャーレの先生だよ。驚かせてごめんね。――この先に用事があるんだ。通してもらってもいいかな?】
「シャーレの、先生……でも……」
「……申し訳ありませんが、現在この先で風紀委員会が作戦を展開中です。横槍はご容赦願います」
それに、そのような兵器を外部から入れるわけには行きません。お引き取りを。
にべもなかった。なんなら風紀委員会の歩哨はそのまま先生に銃口を向けてくる。うーん頑なだ。立場上そうなるのが当たり前だけど。……どうしよう。こうしてる間にも時間は刻々と過ぎていく。このままだと試験時間が……!
「……どうやらティーパーティーは最低限の連絡すらしていないようですね。レイサさん、事前の予定通りに」
【ちょっと待ってスズミ。……そこをなんとか、お願いできな……っ!?】
先生の声が途切れた。慌てた様子で頭を引っ込める先生。グエッとつぶれたような声が2つ。遅れて響きわたる銃声。――何事!? まさか、狙撃!? いったい誰が!?
「先生!? 大丈夫ですか!?」
【うん、私は大丈夫。後ろから誰かが……】
「――あら☆やっぱり先生だったんですね?」
ヒョイっと、新顔がハッチから顔をのぞかせた。金髪で、角が生えたゲヘナ生。……どちら様?
それに続けて、別の声も聞こえてくる。
「大当たりでしたわね、ご機嫌よう。ここで何をされているのですか、先生? このような物々しい車で」
【ご機嫌よう、ハルナ。ちょっといろいろ事情があって】
……ハルナ? ハルナって、もしかしてあの黒舘ハルナ? 美食研究会の首領、ジュンコからよく耳にしてた……
「あ、貴方たちは……」
「……美食研究会。もう出所したのか」
「ええ、色々と一騒動起きてまして、そのどさくさに。……それにしても大所帯ですわね。一体何が……」
次の瞬間、後部ハッチが解錠され、向う側から人影が両手に握った銃を向けた。刹那、ハナコが私を背に隠すように動き、アズサとレイサがそれぞれ反応して愛銃を構える。……は、早すぎてそれぞれ動き出しが見えなかった……。
「全員両手を挙げて! 銃を下ろして! この装甲車はいただ……」
赤いツインテールを靡かせたその人影は、滑るように車内を見回し……私の顔を見て凍りついた。この表情、今日で何回見たんだろう。
「――コハル?」
「……えーと。昨日ぶり、ね……こんばんは、ジュンコ……」
……風紀委員会に追い回されるより不味い状況になった気がする。