ここだけ病弱コハル   作:匿名さん

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その38

 

「ハナエちゃん! ハナエちゃん起きてください!! 緊急事態なんです!! このままだとコハルちゃんがっ……」

 

「ダメだヒフミ揺らすな! 脳震盪を起こしてるかもしれない!」

 

「で、でも!」

 

「いいからこっちを手伝ってくれ! クソッ! 血が止まらない!!」

 

――地獄絵図、という言葉がある。地獄に堕ちた亡者や罪人が苦しむ様子を描いた絵のことで、転じて地獄のような凄惨な有様や、阿鼻叫喚の様子を表す四字熟語として使われるが……今の光景こそ、まさにそれそのものだった。

 

意識のないハナエに縋り付くヒフミ。それを言葉で制しつつ、アズサがコハルに応急処置を施している。自身の制服を破って患部に当てており、白かった制服は既に恐ろしいくらい真っ赤に染まっていた。だがどういうわけか、刺さった鉄筋を抜いていないはずなのに上手く止血できていないようだ。どうして……いや、状況を分析してる場合じゃない!

 

【――アロナァッ!!】

 

『対象のヘイローに干渉、神秘固定! 状態の安定化を開始します……これは、血流が加速している!? せ、先生! コハルさんの血が止まらないのは恐らく出発前に打ち込んだあの薬のせいだと思われます! 血液の凝固作用が阻害されていて……! このままでは10分経たず失血死してしまいます!』

 

【何だって!?】

 

クソ! どうしてこんなことに!

 

シッテムの箱から聞こえてくる絶望的な報告を聞いて、思わず拳を握りしめる。やはり彼女をここに連れてくるべきではなかったのか? いや、ハナエや本人も言っていたが、コハルのあの体調だと3次試験を受けられる可能性は低かった。だからこそ、この強行軍をするしかなかったわけだが……まさか、こんなにも直接的な妨害までしてくるとは……普通のキヴォトス人ならさておき、コハルなら死にかねないというのに!

 

……いやまて、よく考えろ。この爆発は、本当にナギサが仕組んだことなのか?

 

――コハルさんは、元気でいますか?

 

あの時。コハルの様子を聞いてきた彼女は、何か思うところがあるようだった。あの痛ましげな表情……あの瞬間だけ、トリニティのティーパーティーホストではなく、素の桐藤ナギサが現れたように私は感じたのだ。それに、先ほどコハルが呟いた「キリちゃん」という言葉。……この2人の間には、きっと何か……知り合いを超えた繋がりがある。にも関わらず、ナギサがこんな凶行に走るだろうか?

 

「……! ハナコ!! 固まってる場合じゃない、頼むから手伝ってくれ!! このままだとコハルが――ハナ、コ?」

 

焦燥に駆られたアズサがハナコに叫び、途中で勢いを失った。思わずそちらを振り向くと、そこには俯いた状態のハナコの姿があった。前髪で隠れていて、表情は伺えない。

 

「……まで」

 

小声で何かを呟いている。そのトーンはとても平坦で……まるで、嵐の前の静けさのような。

 

「――ここまで、するんですね。ナギサさん」

 

地獄の業火を冷え固めたかのような、硬く冷たく、内に激情を閉じ込めた声だった。思わず背筋が震えるほどの迫力。……面を上げたその顔は、まるで能面のように無機質だった。

 

「ハナコ、ちゃん?」

 

「……失礼しました。まずは……まずは、コハルちゃんの血を止めなければ。このままだと失血死してしまいます」

 

「それはわかってる! さっきから圧迫止血を試みてるんだが、全然止まらなーー誰だっ!!」

 

アズサが突如銃を構えた。その射線の先、瓦礫の向う側には、2人の生徒の姿。

 

「ひ、人がいるよ!? ちょっとどうなってんの!? 事前確認したんじゃ!?」

 

「い、いや知らねぇよ! 人はいないって部長が言ってたからそのまま……ていうか、あの制服、もしかしてトリニティか!? なんでここに!?」

 

「あのツナギ姿……ゲヘナの、温泉開発部……!」

 

「温泉、開発……そうか、お前らが――」

 

ヘルメットを被り、手ぬぐいを首に掛けたゲヘナの生徒2人。ゲヘナの部活でも有名な、温泉開発部の生徒たちだろう。私たちの姿を見て狼狽している。

それを見たアズサの瞳孔が、猛禽類の如く急激に鋭くなった。タンっと床を跳ねる音。白い羽が幾らか抜け落ち宙を舞う――。

 

「――ぐぇっ!?」

 

「お前が、お前らがこれをやったのか!! こんなふざけた真似を……!! 誰の差し金だ! 言え!!」

 

言わなければ、その首をへし折る――そう言わんばかりに、飛びかかったアズサは温泉開発部員の上に馬乗りになり、その首を両手で締め上げていた。小柄な体躯からは想像もできないくらい強い力なのか、それとも火事場の馬鹿力というべきか、体格で勝る部員がろくに抵抗できていない。べっとりと、アズサの掌についていた赤いものが部員の首を彩る。

 

「ひっ「ーー逃がしません」!?」

 

いつの間にか、ヒフミがもう1人の部員に銃を突きつけていた。血走った目から涙を零しつつ、引き金に指をかけている。残ったハナコはというと、アズサが離れた後のコハルの止血に神経を注いでいてこちらに見向きもしない。不味い、まさかヒフミまで銃を抜くとは思わなかった。止める人間が誰もいない。

 

【アズサ! ヒフミも落ち着いて! 彼女たちを責めても何も――】

 

 

 

「これは、一体何の騒ぎだ?」

 

 

 

「! 新手か!?」

 

部員の首を片手で掴んだまま、アズサがもう片手で拳銃(サイドアーム)を抜いて向ける。声のした方には、何人かの人影……温泉開発部だろう少女たちの姿が見えた。その中心、赤い髪を持つ少女が、隣の小柄な少女に話しかけている。

 

「計画から外れた場所まで爆破するものだから、何をしているのかと様子を見に来てみれば……」

 

「部長、もしかしてあれトリニティの制服じゃない? ……なぁんかゴタついてるみたいだけど……」

 

「……この時期に、それもゲヘナの中心部に、トリニティの生徒? どういう――待て。その赤い地面は……血だまりか? まさか、怪我人がいるのか!?」

 

コハルの様子に気づいたのだろう。さっと血相を変えた少女が駆け出し、こちらに向かってくる。しかしコハルに近づく前に、部員から手を離したアズサが銃を構えて立ち塞がった。

 

「止まれ! 近寄るな!」

 

「え!? 怪我してるの!? 大丈夫!?」

 

「ストップだメグ! 刺激するな! ……落ち着いてくれたまえ。正直状況がよくわからないが、とりあえず切羽詰まっているのはよくわかった。……怪我人がいるんだろう? それも、命に関わるような。一応、部活柄それなりに医学には精通している自信がある。良ければ私に診せてもらえないか? 温泉開発をしていると怪我には暇がなくてね」

 

メグと呼ばれた赤い髪の少女を制止しつつ、小柄な少女が両手を挙げながら言葉を紡ぐ。……部長? ということは、彼女が……

 

「ふざけるな!! そもそもお前らが爆破しなければこうはならなかったんだ! それを「いえ、アズサちゃん。診てもらいましょう」――!? 正気かハナコ!?」

 

「できるだけのことはしましたが、完全に止血できたとは言い難いです。このままでは、最悪……業腹ですが、コハルちゃんを助けるためです。使えるものは使ったほうがいい。……それに、もし嘘だったら――どんな手を使ってでも、必ず貴方を殺しますから」

 

肝に銘じてくださいね? 温泉開発部部長の鬼怒川カスミさん。

 

ハナコの目は本気だった。そこらの不良が脅しで吐くものとは違う、ずしりとくる重さが、言葉に宿っていた。

気圧されたのか、ビクリと小さく震えた少女は、ヒフミが銃を向けたままの開発部員をチラ見した後……真剣な面持ちで頷いた。

 

「必ず治せるとは言えないが……全力を尽くそう。どうも身内の不始末のようだからな」

 

「……くそっ! ……了解した」

 

苦々しい表情でアズサが銃を下ろす。その脇を素早くすり抜けた少女――鬼怒川カスミは、コハルの傍でかがみ込んだ。

 

「……酷いな。キヴォトス人がここまでの重傷を負うとは。外の人間じゃあるまいし、何がどうなったらこう……いや、詮索は後回しだ。失血が酷い。出血も治まっていない。これでは医療機関に運ぶ前に手遅れになる……何かないか、何か……」

 

早口でブツブツと呟いたかと思うと、カスミは素早く辺りに目を配り……何かを拾い上げると、自身の上着の袖を破ってそれに巻き付け、赤い髪の少女――メグに投げ渡した。

 

「メグ! それを熱せ! 真っ赤になるまでだ!  言っておくが布で巻いた部分以外持つなよ!」

 

「え!? どういう――「いいから早くしろ! じゃないと死人が出る!!」え、ぅ……わ、わかった!」

 

受け取ったメグは、それ……手のひらサイズの金属片を布越しに握ると、背負っていた愛銃をそれに向けた。ゴウッ! と銃口から炎が迸る。火炎放射器……っ! そうか!

 

「焼灼止血法……! ですがそれは……!」

 

「ああ、この突き刺さってるものを抜かなきゃならない。それも麻酔無しで。……それこそ失血死しかねないが、このまま手をこまねいていてもこのお嬢さんが死ぬだけだ。ならいっそ賭けに出たほうがマシだろう。誰か彼女の体を押さえておいてくれ! 手元が狂うと不味い!」

 

【私が押さえるよ】

 

コハルの体に触れる。出血性ショックを起こしているのか、脈拍が遅い。肌は青白く、体温はひどく冷たかった。荒い息を吐き、呼吸が普段よりかなり激しくなっているのが見て取れる。アロナが補助してくれていてこの状態か……かなり不味い。

……本来、人体に刺さったものを抜くと、塞がっていた傷口が一気に開いて大出血し、カスミが言ったように失血死する可能性が非常に高くなる。そのため、刺さったものを抜くのは御法度なのだが……今のコハルはこの状態でも出血が治まっていない。このままでは遠からず失血死してしまうだろう。しかし、焼灼止血法なら……相当に原始的ではあるものの、とりあえずは出血を止められる可能性がある。本当なら、この止血法は一般人がやるものではないのだが……ハナエが意識を失っている今、カスミに賭けるしかない。

 

「部長! 言われた通り真っ赤にしたよ!」

 

「よし。――始めるぞ! いちにのさんで引き抜くから、メグ……はこういうのに向いていないから、誰か「――私がやります」……チャンスは一度きりだが、気負うことはない。落ち着いてやってくれ。……メグ! 彼女に渡せ!」

 

真っ赤に熱せられた金属片を、ハナコがメグから受け取る。能面のような硬い表情に、一瞬、僅かばかりの怯えが見えた気がした。

 

【……ハナコ、無理そうなら私が代わるよ】

 

「いえ、先生。私がやります。やらなければいけないんです。……私が、コハルちゃんをここに連れてきたのですから」

 

【! それは違】

 

「――準備完了です、いつでも」

 

「――いくぞ。いち、にの……さん!」

 

ぐっと掴んだ鉄筋を、カスミは真っ直ぐ引き抜いた。鮮血が迸り……刹那、ハナコは熱された金属片を患部に押し付けた。ジュウっと言う音と共に傷口から煙が上がる。

悲鳴に近いうめき声が、コハルの喉から絞り出された。

 

【ぐっ……コハルごめん! 今は我慢して!】

 

ひどく消耗しているせいか、思っていたほどの抵抗はなく……暫くして、ハナコが金属片を傷口から離し、その辺に放り捨てた。コハルはというと、ほぼ死に体でぐったりとしているものの……出血は止まった。成功したのか……?

 

『失血死の可能性、16%まで低下しました……ふいぃ……で、でも! 依然、危険な状態であることに変わりはありません! 彼女には早急な治療が必要です、先生!』

 

「……出血が止まった。とりあえず、当座は凌げたか。上手いこと内臓を避けていたのも幸運だったな。……だが、焼灼止血法はあくまで外傷を火傷に置換しているだけの荒療治だ。このまま放置すれば火傷が重症化するリスクはあるし、失った血液が戻ったわけでもない。すぐにでも医者に診せることをオススメする」

 

「な……なら今すぐトリニティに戻らないと! ハナエちゃんも目が覚めなくて心配ですし」

 

「できればゲヘナの救急医学部を頼りたいところなんだが……君たちがトリニティの人間である以上、凄まじくややこしいことになるだろうな。最悪条約が吹っ飛ぶどころか戦争が始まりかねん。君の言う通り、今すぐトリニティに帰るのが一番だ」

 

ヒフミが部員に突きつけていた銃を降ろしつつ、焦燥を顕にする。確かに、すぐにでもトリニティに戻って救護騎士団に運んだほうがいいだろう。ただ問題は……

 

【どうやって帰るか、だね】

 

「一応言っておくが……行きで乗ってきただろう装甲車に乗せるのはオススメしない。現在、ここは風紀委員会に包囲されつつある。ここまでの重傷者を乗せつつ奴らを強行突破するのは戦力的にも厳しいし、まず患者への負担が尋常じゃないだろうな」

 

「な、何故それを……」

 

「うちの連中を撒いてくれただろう? その上、この周辺で陽動でもするかのように今だに暴れ回っているんでな。君たちがここにいることを加味すれば、これくらい予想はつくとも。――さて、それらを踏まえて一つ提案があるんだが」

 

カスミはパンっと両手を叩くと、ハナコに近づいて来た。アズサが素早く反応して再び銃を向けるが、撃たれることはないと分かっているかのように淀みなく歩いていく。

そのハナコは、落ち着いた今になって色々来るところがあったのか、膝に手を当てて呼吸を整えていたが……カスミの接近を察知すると、頭を降ってカスミを見つめた。

 

「提案、ですか。……時間がないので手短にお願いします」

 

「我々温泉開発部には、特殊な移動方法が存在している。それを使えば、風紀委員会に絡まれることもなく安全に逃げられるだろう。……トリニティにも繋がっているからな。本来我々の秘中の秘なんだが……特別に、案内しようじゃないか」

 

「……その代わりに、何をお望みで?」

 

「ハッハッハ、警戒しているようだが、これは『取引』ではなく『提案』だ。何か望んでいるわけではないさ。……今回の件、個人的に思うところがあってね。もっともーー」

 

カスミが視線をずらす。その先には、明らかにカスミを警戒しているアズサと、ゲホゲホ咳き込みつつ喉をさする、先ほどまでアズサに首を絞めあげられていた温泉開発部員の姿が。

 

「ーー逃げ切った後、いろいろと話を聞きたいとは思っているがな。どうやら誤解も多々あるようだし。……さあ、どうする?」

 

「……誤解、だと?」

 

「アズサちゃん。……わかりました。案内をお願いします」

 

気が立っているアズサを静止した後、少しばかり目を瞑って考えていたハナコは、やがて小さくカスミに頷いた。

 

「ハナコちゃん……大丈夫なんですか……」

 

「ヒフミちゃん話は後です。時間がありません。何にすがろうと、今はとにかくこの場から離れてコハルちゃんをトリニティに連れて帰らなければ。――ヒフミちゃんはハナエちゃんをお願いします。アズサちゃん!」

 

アズサを手招きして呼び寄せたハナコは、その耳元に二言三言何かを囁く。アズサは小さく頷いて……カスミを数秒睨みつけた後、視線を逸らして駆け出した。それを見て、カスミは肩を竦める。

 

「どうやら嫌われてしまったらしい。助けてあげたというのに……悲しいものだ」

 

【……一応確認するけれど、この爆発は君たちが?】

 

「そうだな、うちの部員の犯行に間違いないだろう。だが、私の指示ではないとは言っておく。ここは事前の開発計画からは外れているのでね。それも含めて話を整理したい。……まあまずは逃げ切ってからにしようじゃないか。シャーレの、先生」

 

【わかった。アズサは何処へ?】

 

「メッセージを残してもらいに。あの爆発です、陽動に出ていた皆さんも気づいたはず。特にレイサさんやジュンコさんはコハルちゃんを心配されるでしょうから、現状を伝えなければ――彼女が戻り次第出発します」

 

「ふむ、了解した。では条約締結前だが呉越同舟と行こうではないか、ハッハッハッハー! ……メグ、部員たちに連絡を。プランDだ」

 

「プランDだね、りょーかい!」

 

みんなー撤収するよー! 各自一番近い逃走ルートから撤収ー! 順次地下で合流ー!

 

メグが無線機に向けてそう話すのを聞きながら、ハナコがコハルを両手で抱え上げる。お姫さま抱っこ……本来ならば恥ずかしがって顔を隠すだろう少女は、今や生死の境を彷徨っている。その光景が、あまりにも痛々しくて。何もしてあげられない自分に腹が立って。

 

【……】

 

『先生……』

 

握りしめた拳から、一筋の血が垂れ落ちた。

 

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