ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
石造りの部屋。言葉尻だけでいかにも暗く、冷たい雰囲気をしていることが容易に想像できるその部屋は、今はそれにそぐわぬ近代的な機器で満たされていた。照明が明るく内部を照らし、暖房がたかれて十分に暖められた部屋の中では、ピッ、ピッ、と、規則的な機械音だけが木霊している。その音に合わせて、モニターには特徴的な波形が表示され揺れ動いていた。
他にも様々な機械に取り囲まれ、いくつもの管に繋がれた小柄な少女は、処置が終わった後も意識が戻らぬまま、昏昏と眠り続けている。
そんな彼女を、私は傍で見つめていた。時間が許すまで、ずっと。
「コハルさん……」
――何故貴方が、こんなにも責め苦を受けねばならないのですか。
手の中で握りしめたロザリオが、軋んだ音を立てた。
時は少し前に遡る。
トリニティ大聖堂。トリニティが有するいくつかの聖堂、その中でも最も大きい聖堂であり……トリニティ創立から数えて一二を争うほど歴史の長い派閥、【シスターフッド】の本拠地でもある。
【シスターフッド】。構成員のほとんどが"主"を信仰する修道女で占められた、女子修道会。その活動内容は、生徒たちの懺悔を聞くなどのカウンセリングや、ミサを通しての啓発活動など、如何にもシスターらしい慈善活動を中心としている。だがたかがシスターと侮ることなかれ。トリニティにおいて、ティーパーティーの管轄下にない独自の指揮系統、情報網、そして武力を有しており、数多の派閥の中でも一際強大な発言力を持つ派閥である。最も、政治活動への不参加を明言しており、これまでそれらが公に行使されたことは一度もなかった。……少なくとも、これまでは。
そんな派閥の根城、トリニティでも有数の荘厳さと知名度を誇る建造物、その地下にて、私たちはコハルちゃんの処置が無事に終わるのを待っていた。石造りでできた如何にも年代物な通路は空気が冷え切っており、それを示すかのように、時折ヒフミちゃんが二の腕を擦るのが見える。
実は一度、マリーちゃんやヒナタさんにも、別室で待っていたほうがいいのでは? そちらのほうが暖かいからと勧められたのだが、皆断っていた。コハルちゃんからあまり離れたくなかったのだ。少なくとも私は。補習授業部の皆もきっとそうだ。ついでに温泉開発部の2人も残っていたが……こちらは単に完全アウェーの地で知り合いから離れて孤立したらどうなるかというリスクを嫌っただけだろう。まあ気持ちは分からないでもない。シスターフッドには物騒な噂がいくつかあるし、実態が不透明なところもちらほら……トリニティ内でもそんな評価なのだ。その総本山に、ゲヘナの人間が自分たち2人だけときたなら、それはもう下手に私たちと別れるのは避けるだろう。
シスターの方々が持ってきてくれた、いくつかの簡易ベンチに腰掛けた私たちは、通路の先に消えていったセリナさんをただひたすらに待ち続けた。この先の部屋で、コハルちゃんが処置を受けている。出血を止めはしたが、如何せん強引な手法だったため処置が難航しているのか、ここに運び込まれてから既に2時間が経過していた。
ヒフミちゃんは相変わらず二の腕を擦り続けている。恐らく寒さだけではない、胸中の不安を誤魔化すためにしているのだろう。見かねた先生がコートを貸してくれて、それを羽織ってはいたが……それでも頻度は減らなかった。その隣で、アズサちゃんが目を伏せて床を見つめている。その顔色は、普段に増して白く見えた。向かい側ではマリーちゃんが両手を組んでひたすらに、真摯に祈り続けており、その姿はまさに模範的シスター。ヒナタさんも一緒になって祈っていたのだが、つい先ほど別のシスターの方に呼ばれ、後ろ髪を引かれるような表情で退席していった。残る温泉開発部の2人だが、流石にメグさんも空気を読んだのかこの通路に来てから黙ったままで、鬼怒川カスミも目を閉じて黙り込んでいた。何か思索に耽っているようだ。
そして、先生。この中で一番背が高い人影は、立ったまま、通路の先をじっと見続けている。沈痛な面持ちで、ずっと。
「……先生。お座りになった方が……立ち続けるのはしんどいでしょう?」
【ありがとう、ハナコ。でも大丈夫。生徒が苦しんでいるのに、座ってなんて居られないよ】
自嘲気味に微笑んで、先生はまた通路の先を見つめた。
さらに待つことしばし。そろそろ3時間が経とうかというところで、通路の先の扉が開かれた。中から待ち望んだ人が現れる。
「! セリナさん!」
【セリナ!】
その人、救護騎士団のセリナさんはとても疲れた様子だったが、私たちを一目見るなりにこりと変わらない笑みを浮かべた。
「皆さん、こちらでお待ちになっていたんですね……寒かったでしょうに……」
「あ、あはは……これくらいはなんてことありませんから……それよりも、コハルちゃんは……?」
強がりつつも容態を尋ねるヒフミちゃんに、セリナさんは笑って返事を返した。
「とりあえず、処置は終わりました。重度の火傷だったのと、例の薬剤を抜くために、血液をある程度入れ替えたのもあって時間が掛かりましたが。少なくとも、命の危険はもうありません」
出血量が多かった分、薬剤もある程度抜けていて、反動がなかったのも幸いでしたね。不幸中の幸いですが。
そう占めるセリナの言葉に、誰からともなく深く息を吐いた。張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ瞬間だった。
「よ、よかった……ううぅ……よかったです、本当に……」
「――うん。よかった、本当に。……ヒフミ、大丈夫か?」
「大丈夫……うぅ、本当によかった……コハルちゃん……」
足から力が抜けたのか、涙声でヘナヘナと床に崩れ落ちるヒフミちゃんに、やっと顔に血色が戻ってきたような気がするアズサちゃんが声を掛ける。
「ああ、よかった……主よ、感謝致します……セリナさん、本当にありがとうございました」
【私からもお礼を言わせて。ありがとうセリナ。本当に、ありがとう】
「マリーさん……先生も、そんな……頭をあげてください。これが私の使命ですから」
それに、コハルちゃんとは長い間親しくさせてもらっていますし、私が助けられたこともあります。これくらいは当然です。
そう言って、セリナさんはニッコリと笑顔を見せた。本当に……彼女には感謝してもしきれない。
「ありがとうございました、セリナさん。恐らく無理だとは分かっていますが、コハルちゃんに会うことは……?」
「まだ術後間もないですので、流石に……意識も戻っていませんし。しばらくは面会謝絶とさせてください。それに……コハルちゃんを優先していましたが、これから皆さんも検査を受けてもらいますので。特に、先生は」
まあだろうなと思ってはいた。それでも今のコハルちゃんの様子を確認したくて質問したのだが……救護騎士団の次期団長と目される彼女の施術だ、きっと大丈夫だろう。
パンっと、マリーちゃんが注目を集めるために手を叩いた。
「もう朝日が昇ってからしばらく経ちます。皆さん昨晩から休む間もなく動き続けて大変お疲れでしょう。検査をしたあと、しばらくお休みなさってください。ここなら安全ですから。私が保証します」
「そうですね……色々と質問したいことが山程ありますが……」
そっと周囲を見回す。当然だが、皆疲労の色が濃い。今までそれどころではなかったので気にしていなかったが、ようやく落ち着いた今、私自身もかなり疲弊していることに今になって気づいた。……うん、少し休んでから改めて問い質しても問題はないだろう。
「先に休んでからとしましょうか。ではセリナさん、皆さんに検査をお願いできますか」
「簡易検査なので、そうお時間は取りませんから安心してください。皆さん平均的なキヴォトス人ですから、ダメージもそう残っていないでしょうけど、念の為というだけなので。ではコチラへどうぞ」
「あー、もしかしてだが、その検査は私たちも受けるのか?」
「いえ貴方がたは別です」
「あー、うん。わかった。色々とな」
セリナさんに案内されて、私たちは通路から移動した。人気のなくなった地下通路には、ただ静けさだけが残った。
そして時は戻る。
本来面会謝絶のその場所で、コハルさんを見続ける。セリナさんに無理を言って通してもらい、こうして見に来たが……正直、とても痛ましい光景で、目に堪えない。
「……ハナエさんから、本人曰く懺悔として、お話を伺いました。あの時、咄嗟に庇われたのだと……」
意識のない当人に喋り続ける。聞こえていないのは百も承知。それでも、いち早く、彼女に伝えねばならないと思ったから。
「……ハナエさんは酷く憔悴されていましたが……それでも貴方に、ありがとうと。……助ける側なのに助けられなくてごめんなさいとも、言っていましたが……彼女に罪はないと私は思います。そしてそれは、貴方も同じです。コハルさん」
あなたの献身は、決して間違ってはいないと。……無論、こういった自己犠牲ばかり選ばれても周りが悲しむので、ほどほどにしてほしいという気持ちもあるが。
「……初めて会ったときから、貴方はとても心根の優しい方でした。あの日、シスターフッドの集会で、代理を快く引き受けてくださった時から、ずっと。それから交流を深めていく中で、私の悩みも真摯に考えてくれて。あなたにとっては何でもないことでも、私にとっては心強い支えでした」
何故か周囲に誤解されがちで、おかしな噂すらよく流れる上、身内には畏まられてこれまた上手く交流できない。そんな私に物怖じせず、一人の、普通の人間として扱ってくれたのは、ここ数年で貴方くらいだったのですよ。それが、私にとってどれほどの救いとなったことか。
「そんな優しい、何の罪もない貴方が、ここまで傷つけられるなど――そんなこと、許されていいはずがありません」
ウイさんから事の次第を聞いた時の、私の気持ちがわかりますか? 初めて感じたほど大きな、焦りと、悲しみと、怒りと……貴方に二度と会えないのではないかという、絶望が。
「……安心してください、コハルさん。貴方を傷つけた者、諸悪の根源には、必ずや天罰が下るでしょう。主は貴方の行いを見ていますから。……もしくは……」
グッと、手の中のロザリオを再度握り、私は振り返ることなく声を掛ける。背後で黙ってコハルさんを見つめていたもう1人に。
「――シスターフッドは、以後全面的に協力します」
「……よろしいので? アレだけ渋っていたと言うのに……」
「事ここにきて、もはや中立を保つ意義もなくなりました。あまり血を流したくないのは変わりませんが……それでも、罪なき人が傷つけられる今のトリニティには、根本的な改革が必要です。――例え、幾らかの血が流れるとしても」
「……まあ、私としては助かります。事態の規模からして、これまでの貸し借りの清算だけでは済みませんでしたからね。図書委員会としましては」
コツコツと、硬い足音がこちらに近づいてくる。私の横をすり抜けて、彼女はコハルさんの頬にそっと手を伸ばした。割れ物でも触るかのように、そっと。
「こんなに、冷たくなって……」
もともと体温が低いとは聞いていたが、恐らくまだ心拍が安定していないのか、普段のコハルさんよりも冷たく感じたらしい。労わるように優しく頬を撫ぜた彼女は、ふっとぎこちない笑みを浮かべた。……彼女の人間味のある表情を、今初めて見た気がする。
「今は、ゆっくり休んでください、コハルさん。後のことは心配しなくていいですから。3次試験までには片をつけますので」
優しい声色でそう声をかけた彼女は、ゆっくりと手を離し、私の方を振り返る。その時には、彼女の表情はもう普段の仏頂面に戻っていた。
「補習授業部の方々が起き次第、会議を開きます。特に浦和ハナコさん、彼女の力は必要です。最小限の犠牲で済ますなら、の話ですが」
「温泉開発部の方々も一緒にいらっしゃったと聞きましたが、彼女たちは?」
「……黒幕で犯人です、と言うならこの場で串刺しにして終わりなんですが、そういうわけではないのが面倒ですね……例に漏れず狸の部類なのが事更に面倒です……いっそ思いっきり巻き込んでしまうか……」
何でこんなのばっかり集まるんですかね私の周り。と、ブツブツ呟きながら思索にふける彼女。その横を歩く私。歩幅も思想も信条も別物だったが……一つだけ、一致するものがあった。先ほど抱いた、強い決意。
――この報いは必ず受けさせる。必ず。