ここだけ病弱コハル 作:匿名さん
目の前に広がる光景は、果たして現実なのだろうか。柄にもなく、ついそんなことを考えてしまった。
いや、もしかしたら本当に夢なのかもしれない。だってそうだろう? 単純にありえないのだ。
あの正義実現委員会が。それも、真面目でお堅く、トリニティのために身を粉にして働いてきた副委員長が――
「――じ、銃を……銃を捨ててください! ハスミ副委員長!」
「……」
――私達ティーパーティーに、牙を剥くなどと。
先刻響いた異様な轟音。続いたいくつかの銃声。それに驚いて駆けつけた私達が目にしたのは、信じがたい光景だった。
砕け散った門。周囲に散らばるその残骸。警備を任せていた門番は倒れ伏し、それを踏みつけて、銃口から煙を吹き上げている愛銃を向けた――正義実現委員会特有の黒い制服を着た大柄な人影。あまりにも意味不明な状況過ぎて思考が停止した。
「な、え……は……? ハスミ、副委員長? こ、これは一体……?」
一緒に来ていた警備の子が、震える手で下手人を指し示す。遅ればせながら意識を取り戻した私は、そこで改めて下手人の顔を見て卒倒しかけた。
羽川ハスミ。このトリニティ最大の治安維持機構である正義実現委員会の副委員長。ティーパーティーからの信任も厚いはずの人物が、ティーパーティーの人員に無体を働いていた。
「……ちょうどいいところに来ましたね」
ハスミ副委員長はこちらを一瞥した後、そんなことをつぶやいた。足蹴にしていた門番から足を離した後、つま先で引っかけて転がして、横に除ける……ってえぇ!?
あまりにもハスミ副委員長らしからぬ挙動に、私は目を剥いた。それが悪かったのか、はたまた流石は正義実現委員会のナンバー2と言うべきか。
気がつけばその巨躯は、私の懐にまで入り込んでいた。……え? は、はや――
「グゥ゙ッ!?」
「あぅっ!?」
鳩尾にハスミ副委員長の愛銃のストックが打ち込まれ、肺から空気がすべて抜ける。私がもんどり打って倒れる間に、その勢いを殺すことなく副委員長は愛銃を手元で回転させ、銃身でもう1人の警備を打ち据えた。いいところに入ったのか、崩れ落ちる警備。なんと鮮やかな制圧術か。これで本職は狙撃兵だというのだから詐欺にもほどがある。
一瞬で私達二人を制圧したハスミ副委員長は、倒れる私の胸ぐらを掴み上げ、自分の眼前までリフトアップする。覚束ない意識の中、垣間見えたハスミ副委員長の顔は、まるで能面のように無表情で。
「無駄に血を流したいわけではありませんので、ちょうどよかった。貴方方が吐いてくれればそれで済みます。――桐藤ナギサは、どこにいますか?」
されどその目は、猛禽のごとく鋭く尖り、溢れんばかりの怒りで満ちていた。
「な、ナギサ様? それは…………い、言えなぁ゙っ」
グシャッ。
守秘義務もあり口をつぐんだ私に待っていたのは、地面との熱烈なキスだった。
床に顔から叩きつけられ、激痛が走る。
「――よく聞こえませんでした。もう一度、お願いできますか?」
「あ、が……」
普通に聞こえなかったから聞き返したかのような、平静な口調。それが、あまりにもこの状況に似つかわしくなくて。恐怖した私は、痛みもありまともに喋ることができなかった。ややあって、チッと舌打ちが鳴る。
「どいつもこいつも……仕方がありません。やはり自分の足で探すとしましょう。ご迷惑をおかけしました」
とてもそうは思っていないのがよくわかる声色でハスミ副委員長が一言謝罪した後、私から手を離す。ゲホッゲホッ、うぇ……い、息が……。
投げ出され、喉を押さえて咳き込む私を一瞥すらせず、彼女は奥へ進もうとする。だ……ダメだ、その先には、ティーパーティーしか……。
「――構えろ!」
複数の金属音。見るとそこには、このテラスの警備たちが集まり、ハスミ副委員長を取り囲むように銃を構えていた。援軍!? よ、よかった、私たち以外も気づいて来てくれたんだ……。
「ハスミ副委員長……どうしてこんな真似を……自分が何をしているのか、わかっているのですか!?」
「このような狼藉、ティーパーティーが許すはずがありません! ……今なら見逃します。この場から立ち去りなさい!」
「――じ、銃を……銃を捨ててください! ハスミ副委員長!」
「……」
武装解除を促されるハスミ副委員長。しかし彼女は無言のまま、その場に佇んでいる。その目元は陰になってよく見えない。
「……貴方は今まで、このトリニティのため、ティーパーティーのために正義を実行してくれました。代表の方々からの信任も厚い、素晴らしい方だと、そう思っていたのに。まさか正義を裏切ってこんな蛮行に走るとは、残念です……」
「――正義?」
ギョロッと、ハスミ副委員長の目が警備の囲いを見つめた。
「……正義、ですって? それを、裏切った? 私が? ……私の……私たちの正義を裏切ったのは……貴方方ティーパーティーだと言うのに……」
「は……ハスミ、副委員長?」
空気が変わる。まるで嵐の前触れのように、はたまた火山の噴火の予兆のように。大気が震える。床に小さくヒビが走る。
「狼藉。狼藉、ですか……よくもまぁ。先に狼藉を働いたのは、貴方方のトップではないですか。それであの子が、コハルがどれだけ苦しんだと思って。――それを棚に上げて! 恥を知りなさい、貴方達!!」
最早可視化できる形で、怒りが渦巻き……爆発した。怒号とともに、ハスミ副委員長からビリビリと威圧感が発され、思わず何人かが足をすくむ。
……コハル? もしかして、下江コハルのことだろうか? 正義実現委員会の。本来加入できるような身ではなかったが、ナギサ様の鶴の一声により加入した、訳あり少女。確か今は補習授業部に……あっ。
ようやく私は思い出した。今朝、確かに噂になっていた。昨夜の急な試験内容変更、それにより補習授業部がゲヘナに向かったと。そしてそのまま、トリニティに帰ってきていないという話も。温泉開発部の発破に巻き込まれたのではないかとの話も出ていた。……そういうことか、それならハスミ副委員長がこの暴挙に出るのも頷ける。ここまでの怒りを顕にするのも。
「……無駄に犠牲を出したくありませんでしたが、気が変わりました。貴方達全員、明日の朝日は拝めないものと思いなさい……!」
「お……お待ち下さい、ハスミ副委員長! お怒りは最もですが、な、ナギサ様にも、きっと正当な理由が……」
「その正当な理由を聞かせろと言っているのです! あの子の状態を知っておきながら、強引な理由付けで、補習授業部などと意味不明な部活に放り込み、合宿に強制参加させて! あまつさえ試験直前になってあのような巫山戯た変更を……! しかも、会場が"あの"ゲヘナですって!? 気でも狂ったのですか、あの女は!?」
「そ、それは……その……」
言葉を濁して、それきり警備は沈黙する。
「……貴方方では話になりません。今すぐ桐藤ナギサの下へ案内しなさい。私の理性が、まだ残っているうちに。……ティーパーティーのことです、現状把握くらいは済んでいるでしょう。コハルの行方も、あの女なら知っている可能性が高い。――さもなければ……私は、私の正義を遂行するまで。これが最後通告です」
……ハスミ副委員長の怒りはもっともだ。自身の後輩を、それも虚弱な子を、不明瞭な理由でこれだけ非道な目に合わせているのだ。しかも当人は行方知れずとくれば、こうして殴り込みに来るのもわかってしまう。正直今考えてみれば、ハスミ副委員長に限らず正義実現委員会全員で詰めかけても不思議ではない事態だ。それをハスミ副委員長単騎で来ている辺り、まだ理性が働いたのだろう。正義実現委員会全体でなく、自分だけの責任にするつもりか。
でも……でも、今ナギサ様に会わせることは……
「ナギサ様には……会わせられませ、あぐっ!?」
苦い顔で言葉を発した警備の子が、突如吹き飛んだ。遅れて聞こえてくる銃声。
今しがた火を吹いた愛銃を流れるようにコッキングし、別の警備に向けながら、ハスミ副委員長が冷たく吐き捨てる。……か、構える瞬間がまるで見えなかった……。
「……そうですか。ならば、そこをどいてもらいましょうか。直接赴きます。抵抗するならば、先ほど言った通りです」
「ひっ……ち、違うんです! ナギサ様は……っ、ナギサ様は、今この場にはいらっしゃりません!」
「ちょ、ちょっと! それは守秘義務違反に……!」
ハスミ副委員長の剣幕に押され、とうとう警備が言ってしまった。思わず天を仰ぐ。横で別の警備の子が止めているが、もう後の祭りだ。
「――は? 桐藤ナギサが、いない? ……まさか、今そう言いましたか?」
「な、ナギサ様は……昨夜、親衛隊が慌ただしくしていたかと思えば、今朝にはお姿が……今はどこにいるのか、我々にも……」
そう。昨夜、ナギサ様は雲隠れされたのだ。親衛隊も一人残らず、まるで夜逃げでもするかのように。予定にない行動だったのでとても驚いたのを覚えている。今ナギサ様がどこにおられるのかは、ティーパーティーとは言え末端でしかない、私たちテラスの警備には分からない。
「桐藤ナギサが、いない。……そうですか。逃げたのですね。説明責任も果たさず、自らの行いの始末をつけることもなく。……ふ、ふふ。ふふふふ……」
乾いた笑い声を上げるハスミ副委員長。その目からは、もう理性の光が失われていた。
「――巫山戯るなぁっ!!!」
空間が軋むかと思うくらいの怒号。ハスミ副委員長が足を振り上げ、強烈な勢いで床に叩きつけた。比喩ではなく地面が揺れた。床に亀裂が走り、陥没する。思わず私は近くにいた別の警備の子にしがみついた。何でもいいから縋りたくて。
「こんなっ! こんな真似をしておいてっ! 本人はのうのうと逃げ出すなどとっ! どこまで人をバカにすれば気が済むのですか、
「ひぃっ……! ご、ごめんなさい、ごめんなさい! でも、何も知らないんです! ナギサ様がこんな行動に出た理由も、私達には……ひ、必要な、きっと必要な行動ではあったと……」
「生きるだけで精一杯な子をゲヘナに連れ込む理由が、どこにあるのですか!! 都合のいい政治の道具ではないのですよ!? それを、こんな――いや、まさか、最初からですか? 一度は委員会加入を断られているあの子を後押ししてきたのは、このために? 最初から、政治の道具として利用するために……あの子を、コハルをなんだと思って……!!」
ブツブツと呟くハスミ副委員長。バサッと大きな翼が広がり、ますます怒りのボルテージが上がっていく。はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。ここまで怒りを顕にした人を初めて見た。
「フーッ! フーッ! ……ふぅ。わかりました。最早、ティーパーティーに正義はなくなってしまったのですね。弱者を虐げ、利用し、その責任を取るつもりもない。……ならば、そんな連中が掲げる正義など、何の意味もありません。私は、私の正義を為しましょう。――そこをどきなさい。桐藤ナギサを追います。少しくらい、手がかりは残っているでしょうから」
真っ直ぐ私達を見つめる、怒り狂ったハスミ副委員長。……正直逃げたい。この場から逃げ出したい。何もかも投げ捨てて逃げられたらどれほどいいだろう。痛い思いもしなくて済む。でも、でも……
「だ……ダメ、です。……こ、ここ、この先は……ティーパーティーの許可なく通ることは、許されません……これは、昔から決められた、ルール……そ、それを、それを覆すことは……私たちには、できません……! そ、そそ、それが……私達栄えあるテラス警備員としての、使命……正義、ですから……!」
ハスミ副委員長の歩みを妨げるように、両手を広げて前に立つ。恐怖でガクガクと足を小鹿のように震わせながら。さぞ無様な姿だろう。親衛隊に見られたら笑われていたに違いない。
私達はテラスの警備員。所詮末端で、重要事項を知らされることもない。親衛隊ほど腕はたたないし、軽んじられることも多い。……でも、それでも。私だって、私たちだってティーパーティーなのだ。その代表に忠誠を誓った身なのだ。
故に、敵わないとわかっていても、道理が向こうにあるとわかっていても、それでも。――それでも、譲れないものがある。
「……正義、ですか。なるほど……素晴らしい覚悟です。出会いが違ったなら、正義実現委員会に誘っていたかもしれません。敵ながら天晴と言っておきましょう」
今まで怒りに支配されていたハスミ副委員長は、多少は冷却されたのか、その時初めて怒りを含まない声を上げた。ほ、褒められた……?
「ですが、こうなっては仕方がありません。貴方も含めて、全員しばらく眠っていてもらいましょう。一応言っておきますが、抵抗しないでください。余計に痛い思いをしますよ」
威圧感を剥き出しにして、こちらに迫りくるハスミ副委員長。怖い。怖いけど……私の足は、ついに踏みとどまってその場を離れることはなかった。
「……つくづく残念です――しばらく寝ていなさい!」
ハスミ副委員長が愛銃を向けてくる。数秒もたたず、銃弾が吐き出されるだろう。せめて今度は痛くありませんように! 私は思わず目を閉じた。
銃声ではなく、別の音が響いた。何か堅いものを無理やり突き破ったかのような、重厚な破砕音。……何が起きたの?
恐る恐る閉じていた目を開くと、ハスミ副委員長は私ではなく、別の方向に目を向けていた。その目は先ほどとは別の意味で険しい。その口が、何かを呟いている。
「……今更……」
彼女の視線の先を見る。もうもうと漂う土煙。ところどころに散らばった壁の残骸。その中から、コツコツと足音を響かせて、人影が現れる。
「連絡もつかなかったくせに……今更何のようですか! ――ツルギィ!!」
「――お前を止めに来た、ハスミ」
土煙を羽ばたきで吹き飛ばし、だらりと両手に